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トマトは果物?野菜?|トマトが原因の裁判例・成分・効果もチェック

トマトは果物?それとも野菜?


出典:Pxels

 トマトは野菜なのか果物なのか。これは、昔からよく議論になってきた疑問の1つです。 例えばアメリカでは、1893年に関税を巡ってこの問題が裁判にまで持ち込まれる事態となりました。新しく導入された制度では、野菜に10%の関税がかけられるのに対し、果物は無税だったからです。

実は、日本でも野菜と果物の定義ははっきりとしていません。 植物学的に見れば、一年生の草本類が野菜で、多年生の木本類が果物という分類になります。つまり、草の葉や茎、根などを食べるものが野菜で、木に生る果実を食べるものは果物ということです。

実際に、果物にもフルーツにも、その言葉には「果実」という意味があります。その点からいえば、果実であるトマトは果物というのが正解でしょう。

しかし、一方で農林水産省では、生産や流通などによってその定義は様々に異なるとしています。基本的には、草本類で生のまま副食として利用するものは野菜なので、トマトも野菜として扱われる場面が多くなります

一般的にも、料理に用いることの多いトマトは野菜として捉えられていることが多いようです。最初に紹介したアメリカの裁判でも、その生活に根ざした感覚を根拠に、トマトは野菜であるという判決が最高裁で下されています。

フルーツトマトは果物なのか?


出典:写真AC

では、名前に「フルーツ」とついているフルーツトマトは果物なのでしょうか。 まず、そもそもフルーツトマト自体がトマトかどうかという点ですが、これはトマトの一種であることに間違いはありません。

では何が違うのかというと、フルーツトマトの最大の特徴はその糖度にあります。

通常のトマトが8〜10度程度であるのに対し、フルーツトマトは9〜12度。その数値は、メロン以上です。品種の違いではなく、育成のさいに水分や塩分を調節することで、このようなトマトを栽培することができるようになります。

つまり、フルーツという名前はその甘さに由来しているわけです。 あくまでトマトであることに変わりはありませんが、果物の定義に「甘いもの」という条件がつくのであれば、果物と見なすこともできるでしょう。

フルーツトマトの糖度はまるで果物!


photo by Shunichi kouroki

近年、流行しているフルーツトマトですが、フルーツトマトは、通常のトマトより糖度が高いトマトです。このフルーツトマトは、果物よりも甘い場合があり、本当に野菜といえるのでしょうか。

フルーツトマトは、糖度が9-12度のこともあります。

みかん 10-14度

マスカット 10-20度

マンゴー 10-14度

このように、フルーツトマトの糖度は、果物と並べても変わりないと言えます。おやつ感覚でフルーツトマトは食べるのに適しているといえます。トマトの中でも、糖度を何倍にもしたフルーツトマトは、実質果物と言っても過言ではありません。

トマトもメロンやスイカの仲間?


photo by fto mizno

アメリカや日本はトマトを野菜と見ており、フランスや台湾、植物学での定義や農林水産省ではトマトを果物として見ています。

 

各国の国民性や植物学による定義など、さまざまな見方ができます。日本においては、果菜とよばれる、野菜の中でも葉を食べるのではなく、果実の部分を食べる野菜(ex. なす、きゅうり、ピーマン)に使われる表現があります。

ほかには、果実的野菜といった表現も存在し、メロン、スイカ、イチゴがこれにあたります。もしかしたら、将来トマトも果実的野菜になるときがあるかもしれません。

トマトが原因で起こった事件例


photo by Shigeyama

裁判の発端は、1893年のアメリカで輸入野菜に対する関税がかけられました。当時より、アメリカではよく食べられていたトマトを輸入業者している業者は、なんとか関税を避けることができないかと考えました。

そこで、輸入業者が思いついた内容が、トマトを果物として扱うことでした。関税は輸入野菜にはかけられていましたが、輸入果物にはかけられていませんでした。トマトを果物と主張した輸入業者に対して、行政機関は、トマトは野菜であると主張しました。両者の主張が裁判にまで発展したのです。

裁判では、植物学者も巻き込み、裁判官も判断に困りはてました。そして最高裁までトマトが野菜であるか果物であるかの論争は持ち越したのです。最終的に裁判所の判断は、「トマトは野菜である」といった判断でした。

最高裁判所の判断によって、トマトの果物か、野菜かの裁判は収束しました。最高裁判所の判断の理由は、「トマトは、野菜畑で育てられ、加えてデザートとして食べない」といったものでした。

現在でも、トマトは果物なのか、野菜なのか論争は続いていることから、100年以上前から人を悩ませている問題なのです。

最中にまつわる豆知識|歴史や最中で有名なあの老舗も紹介

最中と最中の歴史

和菓子の中でも安定した人気を誇る最中。もちろん、読み方はさいちゅうではなくもなかです。今なお各地で新しい商品が作られ続ける最中の秘密と、歴史を見ていきましょう。

最中の定義ですが、餡を包んだお菓子のうち、皮が餅から作られているものを言います。そもそも最中とは、この皮でできたお菓子を指していました。餅米でできた皮だけのお菓子は江戸の吉原で誕生し、「最中の月」という洒落た名前がついていました。

次に、この最中の月というお菓子で、餡を挟んで売り出した菓子店が、日本橋界隈にありました。当時の名称は最中饅頭です。最中の月で餡を挟んだ饅頭ですから、当然といえば当然のことでしょう。これが現在の最中へと発展してきました。

このように、非常にポピュラーなお菓子である最中は、職人の創意工夫の結果として生み出されたものだということが窺えます。現在では、お詫び用に人気の「切腹最中」などという最中も売り出されています。

最中の語源


出典:写真AC

現在の最中の名称は、「最中の月」、そして最中饅頭から来ています。最中の月とは満月を指す言葉で、確かに新月と新月との間、最中にあるのが満月です。最中という字に色々な読み方が存在するのは、たまたまではないことがわかります。

さて、この最中の月というお菓子の名前がどこから来たかですが、由来は古く、平安まで遡ります。平安時代の三十六歌仙に数えられる歌人、源順(みなもとのしたごう)が詠んだ一首、「水の面に照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋の最中なりける」から名前を取って、お菓子の「最中の月」が生まれたのです。

なんとも深い教養に溢れたネーミングではないでしょうか。名前から月が落ちたのは、当初円形だった最中が、徐々に形を変えていったこともあるようです。

最中の皮の原料と作り方


出典:写真AC

薄い、パリパリした皮があってこその最中です。皮あってこそ、アイスを包んだお菓子をアイス最中というのでしょう。最中の皮は、餅米の粉を練って蒸し、薄く延ばしたものですが、どのように作るのでしょうか。まず、餅米と水とを蒸して、搗いてお餅を作ります。

この搗きあがったお餅に、馬鈴薯でんぷんを振って薄く延ばします。細かく切って、型に入れ、焼くとできあがりです。皮は餡を挟むものですから、立体になっていなければなりません。皮を着色したり、別の材料を加えたりすることで、カラフルでバラエティに富んだ皮を作ることができます。

アイス最中の皮の場合、乳分、油分を加えるという違いがあります。なお最中の皮は、割と簡単にご家庭でも作ることができます。ご家庭の場合、餅米ではなく、白玉粉とコーンスターチを使うと綺麗にできます。

最中といえばたねや


▲たねやのふくみ天平

滋賀県の近江八幡市に本社のある、「たねや」は最中の老舗です。首都圏、京阪神の百貨店にもお店が多数ある、人気ナンバーワンの最中です。たねやの代表商品は、そのままの名称「たねや最中」です。たねや最中は、皮と餡とがべつべつに包装されていて、食べる人自らが、皮で餡を挟みます。

この工夫により、いつでも作りたての味が楽しめるのです。通常の最中は、餡に水分が多過ぎると皮が湿気てしまいますので、通常よりも多めに砂糖を加え、そのため甘くなってしまう欠点があります。

食べる直前に挟むたねや方式ですと、この問題はありません。さらにふくみ天平(てんぴん)はたねや最中の上級版で、こちらの餡には、求肥が入っています。たねやの最中は、地元滋賀県産のお米と、北海道産の小豆で作られています。

職人の創意工夫が見える最中

ありふれたお菓子のようですが、上質なものですと贈答にもぴったり、そんな最中について見てきました。

名前から洒落た由来を持ち、現在も次々新商品が出る、職人の創意工夫がよく表れるお菓子です。そんな背景にも着目してみて下さい。また、その背景や歴史を知った上で最中を味わってみてはいかがでしょうか。 

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ハイカラの意味や語源、使われた時代背景|意味は今と昔で異なる?

ハイカラの意味

ハイカラという言葉の響きに懐かしさを感じる方は少なくないのではないでしょうか。漠然と目新しい物事を意味する言葉であることは感じるものの、具体的にどのような使い方をするべきなのかや正確な意味合いが掴み辛い言葉だともいえます。

ハイカラはかつて時代の最先端だと考えられていた西洋文化を模倣した服装や生活習慣に始まり、趣味や思考に至るまで全般的なものを指す広い意味を持つ言葉です。西洋風であることが目新しくお洒落であると考える風潮が強い中で生まれた日本固有の造語だと言えるでしょう。

明治から大正にかけての文明開化は洗練された文化的なもの一般をハイカラと呼び、ハイカラであることが持て囃された時代であったといわれています。

西洋的なものが一般的となった現代では、本来ハイカラの意味する西洋的なものが目新しくなくなり、お洒落であるや先進的という意味を指すように変化したと言われています。しかし、日本の近代化が進んだことでハイカラという言葉は次第に使われる機会が少なくなってきたといえるでしょう。

ハイカラの由来・語源


出典:写真AC

西洋的で洒落ていることを意味するハイカラという言葉は、鎖国政策が解かれ西洋の文明や文化が急速に持ち込まれた明治の文明開化の時代に生まれたと言われています。この時代の西洋文化に対する日本人の憧れは非常に強く、服装や生活習慣、趣味や思考に至るまで西洋的であることが良しとされていたといっても過言ではなかったようです。

洗練された西洋文明、文化の象徴のように捉えられていたのが紳士服で、スーツは急速に日本各地に広まり文明開化の時代に非常に多くのスーツ姿の日本人が生まれたと伝えられています。

スーツを着用する際に用いられるワイシャツの襟は高襟と呼ばれ英語でhigh collar(ハイ・カラー)と呼ばれることからハイカラーを捩りハイカラという言葉が生まれました。スーツを着用するのは西洋的でお洒落であるという価値観から、ハイカラはお洒落な物事を指す意味を持つ言葉として広まったと言われています。

ハイカラという言葉が使われた時代背景


出典:写真AC

幕末の維新活動により265年にも及ぶ江戸時代が終わりを告げ、明治時代が始まると江戸幕府の鎖国政策によって長く制限されていた西洋諸国との交流が、活発に行われるようになります。

西洋諸国との交流が始まることで、西洋の文明や文化に触れた日本人は日本が国際的に進む近代化に日本が大きく遅れを取っていたことを知り、近代化を推し進めるために西洋の文明や文化の模倣を行います。西洋の文明、文化の模倣は服装や生活習慣、趣味や思考にまで及び西洋至上主義とも言えるほど急速に日本中が西洋に傾倒した時代であったと言われています。

非常に多くの日本人が西洋の文明や文化に対して強い憧れを持つ時代に、西洋的で洒落ていることを意味するハイカラという言葉が生まれ広く普及したことからも、いかに当時の日本人が西洋の文明や文化に熱狂していたかが理解できるといえるでしょう。

ハイカラな服装とは


出典:写真AC

西洋的な洗練されたという意味を指すハイカラな服装と言えば映画化もされた「ハイカラさんがとおる」のマンガの中に描かれているものを思い浮かべる方も少なくないでしょう。男性は既に紹介したスーツにステッキ、山高帽を着用する場合や和装の袴を着用した場合でも足元はブーツ、頭にはベレー帽などを着用するのがハイカラな服装だとされてました。

ブーツを愛用したことでも知られる幕末の志士・坂本竜馬はハイカラな日本人のはしりだったと言えるでしょう。 一方女性には洋服や日傘がハイカラなアイテムとして広まりました。また男装に用いられていた袴を女性が着用するようになったのもこの時代からだと言われています。

西洋的というハイカラの意味合いからは外れてしまいますが、男性の装束であった袴に西洋から伝わった編み上げのブーツを合わせるスタイルは、ハイカラな女学生に広く受け入れられ全国的に広く普及したと伝えられています。

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錦絵(にしきえ)とは?|浮世絵との違い・有名絵師・浮世絵スポット

錦絵とは


出典:ウィキメディア・コモンズ

錦絵という言葉を聞いて、イメージは掴めるでしょうか。なんとなく美人画などを思い浮かべるけれども、浮世絵とはどう違うんだっけ?などと思うかもしれません。錦絵とは、わかりやすく言えば浮世絵の中の一ジャンルです。浮世絵と錦絵とはまったく違うものではなくて、浮世絵という大きな塊の中に、錦絵というジャンルが存在するわけです。

錦絵とは、多色摺り(ずり)の木版画を指します。これが浮世絵と捉え方をしている人も多いと思われますし、間違いというわけでもありません。ただ、浮世絵には、肉筆画や、本の挿絵なども含まれますので、これらと識別するため、特に錦絵という言葉があるわけです。

錦絵は、江戸中期に確立し、末期には隆盛を極めました。その後明治になっても、錦絵は引き続き多数作り続けられたのです。現代では、一昔前と比べますと、絵師たちの名前も随分と世間一般に知られるようになりました。

錦絵の歴史


出典:写真AC

錦絵は、技術革新による多色刷りの実現で誕生しました。江戸時代中期の明和年間、裕福な趣味人の間で絵暦交換会がしばしば催されました。彼らが仲間内で楽しむ目的のために、刷りの新たな技術が開発され、多色刷りが登場したのです。

やがて版元は、この技術から生まれた版画を一般に売り出していきました。自らがプロデューサーとなり、絵師に下絵を依頼します。下絵は彫師(ほりし)に渡り、そして彫師の彫った版木を摺るのが摺師(すりし)です。このような一大分業システムによって、錦絵が誕生しました。

初期の錦絵発展に大きく貢献したのが、鈴木春信(すずき はるのぶ)でした。春信はほどなくして亡くなりますが、錦絵は、美人画、役者絵を中心に、その後ますます発展していきます。

美人画においては、寛政年間に喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)が登場し、一躍美人画ブームが起こります。華美な美人画は、老中松平定信の主導した寛政の改革によって検閲されるようになり、出版が難しくなった時期もありました。

その後役者絵では東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)が出て、錦絵は衰えることを知りませんでした。江戸の庶民文化が開花した、文化・文政時代には爛熟の時代を迎えます。なお錦絵の価格はそば一杯程度と安価で、非常に手に入れやすいものでした。こうして庶民にも浸透していったのです。

錦絵の魅力


出典:写真AC

錦絵の前にも版画は存在しましたが、紅絵と呼ばれる、色も少ない素朴なものでした。技術を積極的に追い求めていったことで、登場したのがカラフルな錦絵なのです。

江戸時代末期に活躍した葛飾北斎や歌川広重はあまりにも有名ですが、その時代になりますと、海外から輸入した高価な顔料も使われるようになった錦絵は、いよいよカラフルになります。

さらに錦絵の構図も、見る側をあっと思わせる、動きが入り、想像力を掻き立てるものに変わっていきます。今でもなお世界中を魅了してやまない錦絵の魅力です。

錦絵と浮世絵の違い


photo by Dimitris Kamaras

錦絵と浮世絵の違いは、先に触れましたように、指し示す範囲の違いです。とはいえ、錦絵は浮世絵の代表であり、最終系でもあるので、浮世絵について語ることの多くは、錦絵について語ることでもあります。

さらに、錦絵の中に春画と呼ばれるジャンルもあります。春画は当時の需要としてはポルノでありましたが、現代においては人々の生き生きとした様子が、芸術として非常に高く評価されています。鈴木春信は、春画でも高名を馳せた絵師です。

錦絵を大成させた人物「鈴木春信」とは?


出典:wikimediacommons

鈴木春信は、錦絵の初期に活躍し、ほどなくして亡くなった絵師ですが、後世には大きな影響を与えました。彼は錦絵のシステムを成り立たせた立役者でもあります。

錦絵は、絵を描くだけにとどまらず、各分野のプロフェッショナルが協力して生み出したもので、春信もまた、版元、彫師、刷師と密接に協力して錦絵を世に送り出していったのでした。

そして春信は、「日常」を取り込んだ絵の開祖といえます。役者絵、美人画はもちろん春信以降にも人気でしたが、特に春信は、子供が立って喜ぶ様など、なんでもない庶民の日常を描き、見る者を感動させたのです。

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日本三大うどんとは?(讃岐・稲庭・水沢)絶品ご当地うどんも紹介!

日本三大うどんとは


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「西日本はうどんで、東日本はそば」などといいますが、実際にはそんな単純なものではなく、東日本を含めた日本全国にうどんの名産地があります。東京にも、ご当地うどん(武蔵野うどん)があるくらいです。数多くのうどん産地がある中で、日本三大うどんを作るとしたら、どこのうどんが入るでしょうか。

日本三大うどんを作る試みは数多くありますが、そのうち2つについてはほぼ異論がなく、香川の「讃岐うどん」、秋田の「稲庭うどん」が入ることが確定しています。

日本三大うどんを決めるには、残り一箇所が問題で、いろいろな説がありますが、ここでは群馬県の水沢うどんを入れてみます。うどん大国である群馬県から日本三大うどんに1つランクインしますと、全国をあまねくカバーできて、具合も良いでしょう。

日本三大うどんその1「讃岐うどん」


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まず讃岐うどんです。「日本三大うどん」とわざわざ括らなくても、日本のうどん界のトップに讃岐うどんが君臨していることは、まず疑いがないでしょう。

観光客が食べる前に、讃岐うどんはまず地元で愛されており、そのコシの強さで強い人気があります。出汁にも、良質な”いりこ”が使われている点も美味しさの秘訣です。

讃岐うどんは食べ方の種類も実に豊富で、ぶっかけや生醤油うどんなどは、他ではなかなか見らないものです。中でもユニークなのが釜玉うどんで、生卵を熱々のうどんに絡めたものです。Jリーグのチーム「カマタマーレ讃岐」の名称は、釜玉うどんに由来しています。

日本三大うどんその2「稲庭うどん」


出典:写真AC

次に、稲庭うどんです。秋田県湯沢市は、秋田県の南端にあり、山形県、宮城県と接しています。その一地域が稲庭です。稲庭とはこのように、狭い地域の名称ですが、それにもかかわらず、日本三大うどんを名乗るに恥ずかしくない名産品で、農林水産省により「農山漁村の郷土料理百選」にも選ばれている逸品です。

江戸時代は殿さまへの献上品で、庶民は口にできなかったとのこと。そうめんと同じく手述べ製法で作られるうどんは細く平たく、この形状が稲庭うどんの特徴です。

さらに気泡がうどんの中に多いために生まれる、滑らかな食感も稲庭うどんならではです。意外なことに、うどんの専門店は、湯沢市にはほとんどなく、乾麺をご家庭で食べることが多いようです。

日本三大うどんその3「水沢うどん」


出典:写真AC

続いて、第三のうどん、足で踏むことで生み出されるコシの強さが名物の水沢うどんです。水沢というと岩手県奥州市が有名ですが、この水沢は群馬県の伊香保温泉のそばです。水沢うどんは、この地の水澤観音の門前町で提供されており、お店も多数あります。

もともと水澤観音の参拝客にふるまったのがルーツで、実に400年の歴史を持つうどんです。冷たいざるうどんでいただくのが一般的でしょう。

日本三大うどんに入れることに異論があるかないかは別にして、ここのうどんが美味しいのは誰でも納得するはずです。水澤観音と呼ばれる水澤寺は、関東の観音霊場「坂東三十三観音」の16番札所の名刹として親しまれています。

上記で紹介した讃岐うどんの作り方を楽しく学んで自分で作ってみませんか?大人の職場体験予約サイト「ココロミル」では世界でただ一人のうどんパフォーマーとして活躍する職人さんのもとでうどん作り体験を行っています。

【小野ウどん】世界初!手打ちうどんパフォーマーの1日を体験

音楽に乗せ、うどん技術を披露するうどんパフォーマーのパフォーマンスを実際に見れるだけでなく、自宅でも作れる讃岐うどんの作り方を学ぶことができます。

実際に売った麺を食べて、残りはお土産に!美味しいうどんと非日常的な空間を楽しんでみてください。

住所:東京都墨田区東墨田3丁目11−14
アクセス:京成押上線「八広駅」より徒歩12分
体験時間:13:00 ~ 17:30 (4.5時間)
体験費用:9,000円
URL:https://www.hakumenshi.com/
体験先URL:https://cocoromiru.jp/plans/28

千疋屋の食べ放題を存分に味わう!定番フルーツから旬のものまで堪能

千疋屋とは

千疋屋(せんびきや)とは東京の日本橋に総本店を構える、老舗のフルーツ店です。扱う品物にこだわりを持っており、多少値は張りますが、その分極上のフルーツを味わうことができるようになっています。特に有名なのが千疋屋のマスクメロンです。

持ち帰り販売だけでなくその場で食べられるフルーツパーラーなどもあり、予約が必要ですが世界のフルーツを食べ放題といったサービスも行っています。それ以外にもケーキなどのスイーツや高級フルーツを使った絶品フルーツサンドやワインなども販売されており幅広い層が楽しめるお店になっています。

千疋屋の歴史


出典:写真AC

千疋屋の歴史はとても長く、元祖は1834年に誕生したと言われています。その当時は水菓子安うり処という名前で柿やみかんなど日本で取ることができる果物を販売していました。

そこから30年ほど経過した1867年に三代目が店を継ぐと、これからは近代化が鍵だということで海外からオレンジやバナナといった日本では栽培されていなかったフルーツの輸入を始めました。その結果日本で初めてのフルーツ専門店として千疋屋総本店が生まれました。

そこからフルーツをメインに取り扱った喫茶店であるフルーツパーラーや、様々な果物を使ったフルーツポンチやフルーツ食べ放題サービスなど新しいものを次々と開拓していきました。今では東京以外にも店舗を構える一大フルーツ店に成長したのです。

千疋屋のフルーツ食べ放題の魅力①

フルーツメニュー


出典:写真AC

そんな千疋屋では毎週月曜日に「世界のフルーツ食べ放題」というイベントが開催されています。世界各地から取り寄せた厳選されたフルーツを2時間、食べ放題で楽しむことができるようになっています。

千疋屋がいつも用意しているメロン、パパイヤ、マンゴーなどの定番フルーツが食べ放題なのはもちろん、春にはいちご、夏には梨や桃、秋には柿、冬にはりんごといった季節によって変わる旬のフルーツを心ゆくまで堪能できます。一口にフルーツといっても様々な種類のフルーツが用意されています。そのため同じフルーツ同士の味の違いも比べることができるようになっています。

千疋屋のフルーツ食べ放題の魅力②

フルーツ以外のメニュー


出典:写真AC

フルーツ食べ放題となっていますが、それ以外のメニューも豊富で魅力が詰まっているのが千疋屋の食べ放題の特徴です。まずは前菜です。食べ放題という名目ですが、ビュッフェ形式になっており、サラダやデザートがついてくるようになっています。他にも軽食としてフルーツサンドも席に運ばれるようになっています。

これらの前菜やフルーツサンドは取り放題ではなく1人1回までとなっているので注意してください。その他に注目したい千疋屋ならではのメニューですが、なんとカレーが用意されていますといってもただのカレーではなく、フルーツをたっぷり使った特製カレーになっています。

マンゴーカレー、スパイシーココナッツカレー、パイナップルハッシュドビーフと3種類が用意されています。これらは食べ放題なのでフルーツによってカレーがどう変化するのかぜひ食べ比べてみてください。

千疋屋食べ放題の開催場所と日程・値段


出典:写真AC

千疋屋の食べ放題サービスは開催店舗が限定されているために注意が必要です。現在は千疋屋日本橋総本店、アトレヴィ信濃町店、池袋西武店、日本橋髙島屋店、タカシマヤフードメゾン新横浜店、港南台髙島屋店の6店舗で開催されています。開催日はどの店舗も月曜日です。

ただし開始時間は店舗によって17時30分や19時開始など違いがあるので事前に確認するようにしてください。料金も店舗によって違います。日本橋本店が6,480円、アトレヴィ信濃町店と池袋西武店が5,400円、残りの3店舗が4,320円となっています。食べ放題に並ぶラインナップの違いにより、価格差があるということです。

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「神出鬼没(しんしゅつきぼつ)」の意味と由来|例文も紹介

「神出鬼没の大泥棒、怪盗アルセーヌ・ルパンまたも白昼堂々宝石を奪取」などという例文で用いる「神出鬼没」。よく見かける言葉ですし、その意味はなんとなくわかるでしょうが、言葉の由来まではご存じではない方が多いのではないでしょうか。

今回は「神出鬼没(しんしゅつきぼつ)」という四字熟語の意味や由来、例文まで詳しく紹介していきます。

神出鬼没の意味


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神出鬼没のように、教わらなくても普通に使っている言葉は、意味を詳細に説明しようとすると、意外と難しいものです。神出鬼没は、「鬼神のように、現れたり消えたり自在で、その居場所がつかめないこと」という意味の四字熟語です。

鬼神(きしん・きじん・おにがみ)は人間を超越した存在をいいます。鬼神の行動範囲は人間の生息する次元にとどまりませんので、どこからでも自在に現れて、消えることができるわけです。

このように、神出鬼没は超人のなせる業であり、この四字熟語を人に対して使う場合でも、できれば超人的な行動を見せる人に対して使いたいものです。

単に居場所が掴みづらく、どこに現れるかわからない程度の人間にも使っていけないわけではありませんが、鬼神に対していささかおこがましい用法かもしれません。

「そんなところに守っていたとは、イチロー選手の外野守備は神出鬼没だ」というように用いるなら、具体的な超人性が表れている用法ではないでしょうか。

神出鬼没の由来

神出鬼没は故事成語、つまり昔の中国に由来を持つ熟語です。

前漢の英雄、皇帝武帝の時代、つまり紀元前1・2世紀頃になりますが、その時代の思想書「淮南子」(一般的には「えなんじ」と読みます)の第15巻、「兵略訓」が原典です。

淮南子は、道家思想に基づく兵法哲学の書とされており、そこに用いられた神出鬼没は、用兵に長けている者の行動を評価した言葉です。

現在では大泥棒にも使われますが、もともとは戦場において、戦いが得意な軍師への褒め言葉として生まれたのです。

軍師のあやつる軍の自在振りを評した故事成語ですが、特に教訓などはありません。

神出鬼没の例文


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「白い覆面に白いマント、神出鬼没の正義の味方、月光仮面」「アラビアのロレンスこと、英国軍トーマス・エドワード・ロレンスは、ヒジャーズ鉄道を神出鬼没に攻撃するゲリラ戦術を採り、オスマン軍を大いに悩ませた」などの例文に見られるように、「神出鬼没」とは、一体どこに現れるか、一般人には分からず、想像もできない超人的なさまを指します。

神出鬼没に出現する能力を最大限に発揮する人間は、まさに鬼神に近い超人です。それはルパンのような大泥棒であり、月光仮面のような謎のヒーローであり、そして現代の戦争においてはゲリラ部隊であるわけです。

神出鬼没の類語・対義語

神出鬼没の類義語にはなにがあるでしょうか。「縦横無尽」「自由自在」「融通無碍」などが挙げられます。自在な行動を意味するという点で、これらの熟語はよく似ています。ただし、これらの類語には、行動する側の動きそのものの自在性を客観的に評しているニュアンスがあります。

他人から見たときの圧倒的な驚きを含めている、神出鬼没という四時熟語とは、やや使うシーン、使われる角度が異なるかもしれません。

いっぽう、神出鬼没の対義語はどういったものでしょう。どこに現れるのかが容易にわかるという意味ですから、「予想内」「想定内」「予測範囲」「読み通り」などが該当するでしょう。

あまり面白そうな言葉は見られませんが、予測できる行動は決して面白いものではないので、これは仕方ないことかもしれません。

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ジャパニーズウイスキーはなぜ人気?おすすめの銘柄9選も紹介

ジャパニーズウイスキーの魅力

ウィスキーは世界中で愛されている蒸留酒ですが、生産している地域は限られます。

最近世界中で評価が上がっているジャパニーズウィスキーは、スコットランド、アイルランド、アメリカ、カナダと並び、世界五大ウィスキーの一つとされています。

ジャパニーズウィスキーは、実に個性豊かです。小さなウィスキー製造者の多いスコットランドほどバラエティの豊かさは目立ちませんが、日本のウィスキーを隅から隅まで眺めると、味わいが実に個性豊かであることがうかがえます。

ジャパニーズウィスキーの構造的特徴は、サントリー、ニッカの二大メーカーが、複数の蒸留所により非常に規模の大きい生産をしている点です。ブレンドするウィスキー原酒の全てを一社で賄い、小メーカーから買ってくることなしに作りあげる、このような生産形態は世界的には極めて珍しいものです。

規模の大きさは、画一的な商品を大量に作るイメージにつながるかもしれませんが、ウィスキーに関してはそうではありません。ポットスチル(蒸留釜)や熟成樽に様々な組み合わせがあることを活かし、二大メーカーは常に個性豊な原酒を作り続けています。

ジャパニーズウイスキーが人気の理由

ジャパニーズウィスキーは個性豊かで一概には括ることはできませんが、共通項があるとすれば、味わいの繊細さです。

繊細さは、持っている原酒の豊富さによりもたらされるものです。そして、ジャパニーズウィスキーで最も従事されているコンセプトは、食事に合うことで、この発想でウィスキーを作っている国は他にないでしょう。最近では中国富裕層が、こぞって日本の高級ウィスキーを買い付けているとも伝えられます。

あまりのウィスキーブームにより、生産が追い付かなくなっていると伝えられるジャパニーズウィスキーですが、20~30年後を見据え、長期的に貯蔵酒を増やしているところです。

ジャパニーズウイスキー9選①

山崎


ウィスキーの多くはブレンドウィスキーです。食事に合うコンセプトからは、複雑であっても突出しないウィスキーが求められます。ですが、ブレンドウィスキーは、個性豊かなシングルモルトをベースにして生まれるものです。

シングルモルトとは、モルトウィスキーのみを、単一の蒸留所で熟成させたものを言います。日本の代表的シングルモルトのひとつが「サントリー山崎」です。サントリー山崎蒸留所は大阪・京都の府境の、大阪府島本町にあり、「山崎」は京都側の地名です。

新幹線の車窓からも蒸留所が目に入ります。山崎蒸留所では、6つの異なるポットスチルを使い、極めて個性的なウィスキーを生み出すミズナラ樽など、樽を使い分けることで様々なウィスキー原酒を作っています。

ですから明確にシングルモルトではあるのですが、実に個性的な原酒がヴァッティングされているのです。なお、モルト原酒だけを併せるのはブレンドとは言わず、ヴァッティングと言います。山崎の味の特長は、柔らかさにあります。柔らかくても、シングルモルトですから軟弱ではありません。しっかりして華やかな香りが漂う、日本を代表する逸品です。

ジャパニーズウイスキー9選②

イチローズモルト


ジャパニーズウィスキーは、サントリーとニッカが牽引してきて、今でも併せて9割のシェアを誇っています。キリンディスラリーなどそれに次ぐ大手もありますが、ここに来て話題になっているのは地ウィスキーです。埼玉県秩父市のベンチャーウィスキーでは、「イチローズモルト」を製造販売しており、今や世界的な評価を集め、各賞総なめ状態です。

イチローとは創業社長、肥土伊知郎氏のことです。しっかりした味だけでなく、お洒落なラベルにも人気があります。

ジャパニーズウイスキー9選③

白州


白州も、山崎と同じサントリーの商品で、こちらは山梨県の白州蒸留所のシングルモルトです。

先輩の山崎に負けない評価を持っています。豊かな自然に囲まれたロケーションから、さわやかな柑橘系を思わせる味がします。ボトルもそれに合わせてグリーン系となっています。

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茅の輪くぐりの正しいくぐり方は?|意味や由来などの豆知識も紹介

茅の輪くぐりとは?

毎年6月と12月に行われる茅の輪くぐり(ちのわくぐり)という行事をご存知でしょうか。茅という植物から作った特大の注連縄をくぐるという日本では古来から行われてきた神事です。

今回は茅の輪くぐりが生まれた歴史や行われている時期、そして実際にくぐる際の作法などを紹介していきます。そこには日本古来から受け継がれてきた、様々な意味が込められています。

茅の輪くぐりの意味

茅の輪くぐりを行うことでどういった意味があるのでしょうか。

茅の輪くぐりには自分の中にある穢れを払い、無病息災を祈願するという意味合いがあります。こうすることで新たな気持でこれからの生活を迎えてほしいという気持ちも込められているのです。

なぜ茅の輪くぐりでは、茅という植物を使うのか、その理由は茅の形状にあります。茅を見た昔の人はまるで武器のような形状だと感じたようです。

それにより茅を使って何かを作ることで強力な魔を退ける力があると信じられてきました。この力を持って穢れを祓うというのが、茅の輪くぐりを行う意味なのです。

茅の輪くぐりの別名「大祓」とは

茅の輪くぐりは別名「大祓」とも呼ばれます。たくさんの人々の穢れを払うためにこういった呼ばれ方をしたのです。茅の輪くぐりは年2回行われますが、夏に行われる場合には「夏越の大祓」、年末に行われる場合は「年越しの大祓」と呼ばれることもあります。

大祓では茅の輪くぐり以外にも人形代(ひとかたやしろ)という行事も行われます。人形という人を象った紙に、自分の名前と年齢を書き、息を吹きかけ、それを川や海に流すことで清めるという行事です。

これにより自分の身代わりとして罪や穢れを請け負ってもらうというものです。近年では車の形状をした車形代というものもあり、運転手の名前や車両ナンバーを記載して罪や穢れを託して払ってもらうものや、家の形を模して、家の穢れを浄化するための家形代というものもあります。

この他にも京都などの一部の地域では、大祓に水無月というお菓子を食べる風習もあります。ういろうの上に小豆が乗った和菓子なのですが、小豆には邪気を払う効果があると言われ、これを食べることで、悪霊を寄せ付けない体になると言われています。

茅の輪くぐりの由来と歴史

茅の輪くぐりの歴史はとても古く、奈良時代に遍参されたとされる備後国風土記に由来となる話が収められています。

この本では正体を隠して旅をしていたスサノオと呼ばれる神様が、ある土地で宿を訪れます。すると裕福な巨旦将来という人物は宿泊を断りました。一方で貧しく豪勢なもてなしができずとも泊めてくれたのが兄の蘇民将来という人物でした。するとスサノオは蘇民に小さな茅の輪を渡し、これを腰に身に着けていれば災厄を逃れることができると言ったのです。

その後、その土地で疫病が流行、蘇民将来は茅の輪によって助けられたというお話です。この話を元に江戸時代に大きな茅の輪を作り、そこをくぐれば穢れを祓うことができる茅の輪くぐりという神事になったと伝えられています。

茅の輪くぐりが行われる時期

茅の輪くぐりは年2回行われます。6月30日と大晦日である12月31日の2回です。

夏の茅の輪くぐりのほうが一般的であり、6月30日だけ行うという神社もあります。夏の茅の輪くぐりは夏越しの大祓と言われ、夏の暑さが本格的になる前に、身体を清め、病気をしないようにという目的で行われます。その他にもお盆の時期には先祖だけでなく、水神様という神様を迎えるとされていました。

この水神様に粗相がないように6月のうちから身体を清め、準備をしておくために行われていたとも言われています。一方の12月に行われる年越しの大祓はその名の通り、その年のうちに穢れを払い、気持ちを晴れやかにして新年を迎えるための神事です。

どちらも気分を一新して新たな気持ちで生活を始めるためのものです。

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おすすめの泡盛7種と美味しい飲み方を紹介|初心者も楽しめる沖縄の酒

泡盛(あわもり)は沖縄では方言で「サキ」と呼ばれ、酒と言えば泡盛というほど古くから地元の人々に親しまれてきた焼酎などと同じ蒸留酒です。

原材料に米を使用している所は日本酒などと同じですが、泡盛の最大の特徴とされているのは黒麹菌(アワモリコウジカビ)を使用している所といえます。酒造りに黒麹菌を使用しているのは世界的に見ても珍しく、泡盛がもつ独特な香りやキレを演出している最大の要因となっています。

ちなみに、泡盛の瓶などに「琉球泡盛」のラベルが付いていれば沖縄県で所蔵された泡盛ということを意味しています。 また、黒麹菌の発酵を効率よく促すため、明治時代ごろから泡盛の原料となっている米は粘り気のある国産米ではなく、さらさらとした硬い性質をもったタイ米が使われています。

タイ米を使うことにより、黒麹菌による糖化が効率よく行われることや、他の米に比べてアルコールの収穫量が多いなどのメリットがあります。こうして作られた米麹をもろみにし2週間程度発酵させ単式蒸留機で蒸留させたものが泡盛となります。

泡盛の中でも3年以上貯蔵されたものは「古酒(クース)」と呼ばれます。泡盛を寝かせることで味わいを増す古酒は、酒の香りが甘くなり香りも芳醇に仕上がるため特に人気があります。これも泡盛の大きな魅力といえるでしょう。

泡盛という名称で親しまれ始めたのは1671年に徳川家綱に献上した目録に「泡盛酒」と記されたのが最初とされています。

泡盛という名称の由来には泡盛の原料に米と粟が使われていたことから「粟盛り」が変わって「泡盛」になった説、古代インド語の酒を表す言葉「アワムリ」が伝わった説、徳川幕府へ酒を献上した際に、薩摩藩が九州の焼酎と区別するため名付けた説、「良い酒は細かい泡が盛り上がる」から泡盛となった説などがあります。

泡盛には多くの銘柄があり、選ぶ時に迷ってしまうほどです。そこで、今回はおすすめの泡盛を何点か紹介いたしますので、是非泡盛を選ぶ時の参考にして頂き独特の香りとキレを楽しんでください。

おすすめの泡盛①

久米仙

まずおすすめしたい泡盛は1949年に創業された久米島町にある酒造店「久米島の久米仙」が製造しているその名も「久米島の久米仙」です。屋号をそのまま名前にするほどの自信のある泡盛は、甘みが少なめなので爽やかな味わいを楽しむことができます。

古酒としても取り扱いがある「久米島の久米仙」ですが、まずは新酒でそのすっきりした飲みごこちを味わうのがおすすめです。

ロックや水割りでそのままの味わいを楽しむのも良いですし、ソーダ水などで割っても爽やかさが増しておすすめですよ。

おすすめの泡盛②

八重泉グリーンボトル

石垣市字石垣に所在する八重泉酒造が樽貯蔵で製造している「八重泉グリーンボトル」は、石垣島を代表する泡盛です。

石垣島で泡盛を楽しむならまずこの「八重泉グリーンボトル」をおすすめします。 八重泉樽酒が作る泡盛は、樽貯蔵ならではのブランデーのような香りが特長です。その味わいは上品な柔らかい甘みと奥深いコクが楽しめます。

地元では「八重泉グリーン」などの名称で長年愛飲されています。100ミリリットル瓶が販売されていますので、まずは少量で試して口に合うようであればリピートすることをおすすめします。

おすすめの泡盛③

白百合


次におすすめしたいのが、1951年創業の池原酒造が製造している泡盛「白百合」です。

石垣市字大川に所在する池原酒店は、製造している泡盛の銘柄が2点のみという小さな酒造です。しかしながら、添加物なしの天然醸造ということからも分かるように酒づくりには相当のこだわりがあり、洗米から蒸留までについても全手作業で製造されていているから驚きです。

「白百合」は泡盛の中でも特にクセがある味わいが特長です。その特徴的な味わいを作り出しているのが麹造りにあります。非常にクセのある「白百合」でしか味わえないその独特の味わいは多くのファンを虜にしています。

おすすめの泡盛④

琉球王朝


宮古島市城辺字砂川に所在している古酒ブランドを扱う酒造店「多良川」でもっとも人気がある泡盛が「琉球王朝」です。「琉球王朝」は熟成された5年ものの古酒を蔵元独自の配合で作られた本格派の泡盛です。昔ながらのかめで寝かせた「古酒」の味わいは口当たりをまろやかにし香と味のバランスがとれたおすすめの泡盛となっています。

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