国貞と国芳|江戸時代を代表する浮世絵師のライバル関係とは

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「俺たちの国芳 わたしの国貞」展

出典:パブリックドメインQ

現代のようにテレビやグラビアなどがない江戸時代。

そんな時代に浮世絵は、最新のファッションやエンターテイメントを伝える唯一の手段でした。

この「俺たちの国芳 わたしの国貞」では、世界的に有名な浮世絵コレクションのあるボストン美術館により、幕末に絶大的な人気を誇っていた二人の有名浮世絵師である歌川国芳と歌川国貞の作品で江戸時代を体感してもらおうというのが目的です。

あえて対照的な2人の浮世絵を同時に展示することによって、彼らがどのように人々の要望に応えようとしたのか、創意工夫を凝らして浮世絵を描いたのかというのを知ることができます。

また、現代と当時の浮世絵をつなぐため、歌舞伎を通してタイトル構成をし、ポップなタイトルでわかりやすくしています。

国芳


出典:パブリックドメインQ

歌川国芳とは、江戸時代末期を代表する浮世絵師の1人です。

画想の豊かさ、斬新なデザイン、ユニークな発想、アイディアは奇想天外で確実なデッサン力をもっており、天才とも呼ばれました。

浮世絵という枠には収まらないような広い範囲の作品を世に残しました。ダイナミックで独創的な作品が多いのが特徴です。

1798年に江戸日本橋に生まれ、幼少期から絵を学んでいました。錦絵の「平知盛亡霊図」や「大山石尊良弁滝之図」によって人気を得ました。その後は大判揃物「通俗水滸伝豪傑百八人」という「水滸伝」のシリーズが評判となり、人気浮世絵師の仲間入りを果たしました。

売れ出したのは30歳からと比較的遅咲きの浮世絵師だったと言われています。長い下積み時代を経てデビューしたのです。

国芳の代表作・善知鳥安方忠義伝


出典:Amazon.co.jp

善知鳥安方忠義伝は山東京伝によって書かれた江戸時代の読本です。この読本を元に一場面を歌川国芳が浮世絵に仕立てました。

相馬の古内裏といいます。将門の娘である瀧夜叉姫が操っている巨大な骸骨、そして大宅太郎光圀らが戦っている場面を描いたものです。読本の中では数百もの骸骨と戦いを繰り広げることになっていますが、国芳はそれを巨大な骸骨に変えるという斬新な発想で書きました。

絵は三枚続きになっている大判錦絵ですが、絵の中からいまにも飛び出してきそうな骸骨に驚いてしまいます。三枚揃ってこそ楽しめる浮世絵です。

国芳はスカイツリーを予言していた?

歌川国芳の描いた浮世絵の中にスカイツリーと思われる建物が描かれた絵があります。

江戸時代の1831年に描かれた「東都三ツ股の図」という絵に隅田川で二人の職人が船の底を焼いており、そこから煙が上に上がっているという風景を描いた絵です。

この絵の左側をよく見てみると、二本の塔のようなものが描かれています。この塔の右側の塔がスカイツリーによく似ていると言われているのです。左側の塔は実在していた火の見櫓と言われています。

右側の塔に関しては、歌川国芳には予言の能力があったのでは?とも言われています。なんと実際にスカイツリーのある場所も似ているということです。一般的には井戸掘り櫓ではないかと言われています。

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