大正時代の服装の特徴は和×洋?|学生服や貴族、庶民の服を紹介

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大正時代はわずか15年ですが、激動の時代でもありました。大正デモクラシーで民主主義や自由主義を重視した運動や思想が広がり、人類初の世界大戦が勃発したのも大正時代です。さらに、第一次世界大戦によって国内の物価が上昇し、米が手に入らなくなった国民が暴動を起こすなど、コメ騒動も頻繁に盛られるようになりました。

また、大正時代にはM7.9の関東大震災も発生し、内閣総理大臣不在の時期と重なったこともあり、被害規模の大きさや政局の混乱により、復興までにも時間がかかっています。

その一方で、大正時代になると女性が教師や事務員、エレベーターガールなどの職業に就くようになり、新しい時代の象徴として注目され始めました。

このころにはまだ、多くの人が女性の社会進出をはしたないと考えていましたが、若い女性を中心として、自立した女性へのあこがれも育っていたのです。

「モガ」「モボ」について


出典:Wikimedia Commons

「モガ」「モボ」はそれぞれ、「モダン・ガール」「モダン・ボーイ」の略語です。大正時代に西洋文化の影響を受け、新しい流行を取り入れた若い男女のことをこう呼んでいました。モガ・モボは主にファッションで使われた言葉で、モダンであることが最大の特徴です。

モガの服装は洋服でひざ下やミディアムなど、短めの丈のスカートが主流です。軽やかな洋装に加えて、クロッシェと呼ばれる帽子やボブカットの髪も好まれていました。

服装だけでなく引き眉やルージュなどの洋風のメイクも、大正時代から一般化しています。また、モボは山高帽子やロイドメガネ、セーラーパンツなどを組み合わせた服装で、ファッションアイテムとして細身のステッキを持っていました。

大正時代の服装 学生①

女子生徒 洋物をいれた和装


出典:Wikipedia

大正時代の服装の変化は、学生にも影響を与えています。女性生徒はそれまでの和装から西洋のアイテムを取り入れた服装を好むようになりました。例えば、以前から一般的だった着物に加え、袴に編み上げブーツをプラスしてモダンなイメージにしています。

大正時代に始まったこの服装は、今でも女生徒に人気で、大学の卒業式などでよく見かけます。

大正時代はまだ制服を定めた学校がそれほど多くはなく、制服があるところではセーラー服、ないところでは袴にブーツの組み合わせが主流でした。

大正時代の服装 学生②

女子生徒 セーラー服


出典:Wikimedia Commons

女子生徒の制服としてセーラー服が一般的に広まったのも、大正時代のことです。セーラー服は、もともとはイギリス海軍の制服でしたが、イギリス王子が幼年期にこれを摸したデザインの服装をしたことで流行しました。

日本でも最初のうちは子供服として入ってきましたが、高価でなかなか購入できず、子供服としては浸透しなかったのです。しかし明治時代になると、女生徒の体操服としてはセーラー服とブルマーという服装が広まっていきました。

さらに、大正時代になると、セーラー衿のついたワンピースや現在のような上着とスカートに分かれたセパレートタイプのセーラー服が制服として定着してきました。このような服装が好まれるようになった背景には、和服では動きが制限されて関東大震災の時に逃げ遅れた人が多かったことも影響しています。

また、セーラー服は和服の着物衿に近く、修道女のようなイメージがあることも積極的に取り入れられるようになった理由の一つです。

大正時代の服装 学生③

男子生徒 バンカラスタイル


出典:Wikimedia Commons

男子生徒の制服も、明治時代になると和服から洋服に変化しており、詰襟や背広が広まっていました。しかし、これらの服装をきちんと着こなしていた明治時代とは異なり、大正時代になるとあえて崩した着こなしが流行ってきたのです。

学帽はわざと汚したり、いためつけたりして、制服もボロボロのものを着用しました。腰には汚れた手ぬぐいをぶら下げ、トンビと呼ばれる黒いコートに身を包んだその姿は、バンカラスタイルといわれるようになりました。

このようなスタイルが流行るようになったきっかけは、激動の時代を経験した学生たちが、あえて服装を着崩すことで、外見よりも内面が充実していることを表現しようとしたと考えられています。

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