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柿の葉茶の身体や美容に嬉しい効能|なんとビタミンCはレモンの10倍以上!

柿の葉茶の原料や製法


出展:写真AC

 柿の葉茶の原料はその名の通り、柿の葉そのものを原料としています。 しかし、重要なことは柿の葉茶とすることができる採取される次期なのです。 7月から8月中旬の日当たりがとても良くなる季節であることや、乾燥していても葉が枯れていない季節に採取する葉であることが重要なポイントになるのです。

製法はまずはしっかり葉を乾燥させることから始めます。 乾燥させた後に細かく葉を刻み、蒸し器により約1分間ほど蒸します。 蒸し終えた柿の葉を今度はしっかり水分を抜くために乾燥させるのです。 こうした手間暇を重ねて、柿の葉茶が完成するのです。

柿の葉茶に含まれるタンニンの効果


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柿の葉茶には吸収性の高いタンニンが多く含まれていることで知られています。 しかし、実はこのタンニンは一般的なお茶などに比べると、実は少ない量なのです。 タンニンは抗酸化作用や殺菌、そして消臭作用などに優れていますが、反面鉄分の吸収を阻害する作用もあることで知らています。

貧血ぎみの人であれば、鉄分の摂取は必須ですが、タンニンにより吸収されにくくなることで摂取をためらっている人も珍しくありません。 しかし、柿の葉茶は適度なタンニンの量であることで鉄分の吸収を妨げるほどではないこともあり、まさにちょうど良いタンニンの摂取が可能だと言えるのです。

柿の葉茶に含まれるプロビタミンCとビタミンC


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柿の葉茶のビタミンCはなんとレモンの10倍以上と言われています。 ビタミンCと聞くと、緑茶もとても多くのビタミンCを含んでいますが、緑茶よりもはるかに多い約20倍以上のビタミンCを柿の葉茶は含んでいるのです。 さらに柿の葉茶にはビタミンCになる前のプロビタミンCと呼ばれる成分も含まれているのです。

この成分はビタミンCが苦手としている熱による成分のダメージが起こらないので、お茶として熱を加えて摂取しても栄養素をしっかり吸収できると言うメリットがあるのです。ビタミンCの摂取目的としてお茶を飲みたいと考えている場合には、断然柿の葉茶の方が有利だと言うことを理解しておきましょう。

柿の葉茶に含まれるアストラガリンの効果


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柿の葉茶にはあまり知られていませんが、アストラガリンと呼ばれる成分も含まれています。 聞きなれない成分かもしれませんが、このアストラガリンにはアレルギーの炎症を引き起こしてしまうヒスタミンを抑制してくれる効果があります。

また、アストラガリンはポリフェノールの一種なので、アンチエイジングなのどの美容効果も得ることができる成分なのです。

柿の葉茶に含まれるルチンの効果


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柿の葉茶に含まれているルチンもまた、ポリフェノールの一種の成分なので高い美容効果を生み出してくれる役割を担ってくれます。

さらにルチンは血管強化作用なども期待でき、さらに抗酸化作用も同時に得ることができますので、ただ見た目を改善できるだけではなく体の内部からしっかり若返りを目指すことができるのです。 血行の流れの改善にも繋げることができますので、冷え性で悩んでいる女性にも強い味方になってくれることは間違いありません。

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太神楽とは?|歴史や伝統芸能として発展した過程を紹介

太神楽とは?

太神楽は楽に端を発した伝統芸能の1つです。獅子舞に代表される「舞」、小刀や輪を操る投げ物や番傘や皿、升などを操る「曲芸」、源三位頼政(けんざんみよりまさ)、祐兼参詣(すけかねさんけい)などに代表される掛け合い茶番の「話芸」、祭囃子に代表される「鳴り物」の4つの芸で構成されています。

神社に祀られる神への奉納や氏子への祈祷のために行われた「神事芸能」として始まった太神楽の代表的発祥地として三重県の伊勢、尾張(現在の名古屋)の熱田、茨城県水戸などが伝えられています。

江戸時代には庶民の娯楽に形を変えた大道芸として「大衆芸能」となり、舞台を寄席などに変えた近代では「舞台芸能」として受け継がれています。

太神楽の特徴


出展:Wikimedia

近年最も知名度の高い太神楽の演者として傘回しを中心とした曲芸を行う「海老一染之助・染太郎」の両氏が知られていましたが、残念ながら両氏とも亡くなってしまいました。 太神楽は太神楽社中と呼ばれる一座で興行を行います。

時代によって人員や構成は異なりますが、親方と道化師が各1人に、鳴物師が3人、道具を担ぐ者が1人の計6人で構成される一座が基本となります。 鳴物師が奏でるお囃子に合わせて、舞や曲芸を披露する芸能集団だと言えるでしょう。

神事の流れ組むことから、魔を払う獅子舞(神楽舞)を行いながら家々を廻る姿がかつての日本では見ることができました。 厳しい徒弟制度の中で日夜芸を磨き受け継がれてきた曲芸の技術の高さは、しばしばメディアにも取り上げられ多くの人たちの目を楽しませてくれました。

太神楽の歴史


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太神楽の発祥については諸説存在しますが、一般的には今から約500年前の鎌倉時代に飢饉と悪疫に見舞われた伊勢国度會郡山田郷で、獅子頭を土地を守る鎮守の神である産土神(うぶすかみ)として祀り魔を払うために、獅子を舞ったことが太神楽の始まりだと言われています。

時代が下り江戸時代に入ると、次第に庶民の生活基盤が安定し伊勢神宮や熱田神宮への参拝が娯楽としての人気を得ます。

伊勢参りや熱田参りが盛んになるに従い、伊勢や熱田から各地へ出張し、神札の配布や祝祷を行う神事芸能として太神楽の巡回も盛んになります。

各地で興行を重ねるにつれ次第に太神楽は娯楽性を重視した大衆芸能へと姿を変えていきます。生活水準が決して高いとはいえなかった地方でも、太神楽の興行は最高の娯楽として大いに受け入れられたようです。

庶民の娯楽の場が舞台に移る時代に入ると、太神楽社中も舞台や演芸場に活躍の場を移し舞台芸能へと姿を変えます。こうして脈々と現代まで受け継がれてきた太神楽ですが、現在は演者の高齢化と後継者不足から徐々に姿を消しつつあると言えます。

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気になる職業チェック!「鍛冶師」の仕事って?年収・勤務形態は?

「鍛冶師」という職業を聞いたことはありますか?「歴史の教科書やゲームの中で見たり聞いたりしたことがある」という人が多いのではないでしょうか。そんな「鍛冶師」は、もちろん現実の中に今も存在している職業なのです。

しかし、実際に何をする仕事なのか、どのくらい稼げるのか、勤務形態がどうなっているのかなど、わからないことばかり。そこで今回は、気になる職業のひとつ「鍛冶師」について詳しくみていきましょう。

鍛冶師とは

ゲームの登場人物で、工房を持っていて、そこで刀などの武器を鍛えてくれる鍛冶師キャラクターがいますよね。現実の世界では、鉄などの金属製品の鋳造・製造・修理・加工をする人のことを鍛冶師といいます。

包丁などを鍛える伝統工芸として有名な鍛冶製品も多くありますし、東京都千代田区をはじめとして、日本各地に「鍛冶町」などの地名としても残されています。現在では、主に刃物や工具、農具などの製品を制作していますよ。

鍛冶師の仕事内容


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鍛冶師の主な仕事は、鉄・鋳物などの金属を熱して、刃物や工具、農具の形に整えていくこと。途中、金槌などで金属を打ち鍛える作業を繰り返し、不純物をできるだけ取り除いていくのです。

鍛冶師として働くには、特殊な技能が必要だとされています。古来より生活に密着した道具を作る職業なので、どこに行っても重宝され、かなり古くから専業化されてきた職業のひとつです。

しかし、さまざまな工業機械の発展とともに、鍛冶師の仕事も機械化されてきました。そのため、鍛冶工房の数も減り、今では鍛冶師の技術を学ぶこともかなり難しくなってきています。

鍛冶師の勤務体系

鍛冶師として働く場合、家業を継ぐ形で就職する人がほとんどでしょう。全くの未経験から目指す場合、最近は弟子を取らない職人も多く、弟子入りが最大の関門ともいえるかもしれません。そのため、農具や工具、刃物メーカーなどに就職し、そこで技術を学ぶのもひとつの手です。

勤務体系も会社によってさまざま。福利厚生としては、厚生年金や各種保険があります。

鍛冶師の年収

“さて、気になる鍛冶師のお給料は、いったいどのくらいなのでしょう。一概にはいえませんが、例えば刀鍛冶の場合、まず刀匠資格を持つ刀鍛冶のもとで5年修業をして、ようやく実質試験の役割を果たしている研修会への参加資格を得られます。

その後、お礼奉公を終わらせ、晴れて独立。しかし、独立にもお金がかかりますし、作刀依頼はたくさん来るものではありません。普通の会社員のようにはいかないものです。

刀鍛冶は、有名な人なら年収は1000万円程度だといわれています。というのも、いくら価値が高い刀を作っても、その後の販売コストがかさんだり、買い手がすぐには付かなかったりして、値下げをして販売することもあるためです。

そのため、年収もピンキリ。「どこで修行や勤務をするか」「どんな勤務形態を取るか」でも、かなり条件が変わってしまうんですよ。”

鍛冶師になるメリットやデメリット


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鍛冶師になるメリットは、作品展などを開催すれば、たくさんの人たちに自分の作品を見てもらえることです。反応を直接見れることで、制作意欲につながるのです。反応がもしよくなかったとしても、それを次の仕事や作品作りに生かす材料になるでしょう。

デメリットとしては、技術をモノにするまでの間にかかる金銭的な負担が挙げられます。充分な蓄えがある人ならば問題ないかもしれませんが、修行期間から考えれば、負担は相当なものだといえるでしょう。また、鍛冶師の技術は特殊技能なので、一朝一夕に身に付くものではありません。技術を習得できれば、それを生かして刀鍛冶のような芸術作品だけでなく、家づくりなどさまざまな分野で活躍することも可能でしょう。

鍛冶師に向いてる人/向いてない人


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前項でも述べている通り、鍛冶師の技術はすぐに身に付くものではありません。全工程を手動でこなしていくので、根気がいる作業の連続です。

また、熱した鉄を金槌などで何度も叩いて鍛えるのには、体力も必要です。根気のない人には難しい職業ではないでしょうか。反対に、ひとつのことに集中してものを作るのが好きな人には、向いている職業だといえるでしょう。

そして、鋼を熱する際は、経験に基づく温度管理が必要とされ、炉から出すタイミングも見極めなければなりません。そのため、すばやく正確な判断力も必要なのです。

鍛冶師の仕事は、生活に根ざした実用品生んでいくこと。より良いものを作るための創意工夫は欠かせません。「物作りが好き」「図面を引くのが好き」という人にも向いているでしょう。

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番傘で和の風情を味わう|雨傘と日傘両方使える多様な番傘

番傘とは

 番傘は、和傘の一種です。シンプルなデザインのものが多く、和傘の中では最もポピュラーなものです。 柄と骨組みの部分に太い竹を使用していて、和傘の中では比較的丈夫でしっかりとした設えとなっているのが特徴です。

番傘の歴史


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日本に傘が伝来したのは西暦552年。 中国大陸で貴人の魔除けなどの観点から発明された後、百済聖王の使者によってもたらされた品がその原型です。その頃は、主に日差しを防ぐ役目で使用されていて、開閉することもできませんでした。この傘は、唐傘と呼ばれていたそうです。

それから室町時代になると、日本で開閉機能が与えられ、現在のような携行性の高い傘(絡繰と同義語の唐繰から唐繰傘と呼び、こちらを唐傘の語源とする説もあります)となりました。また、雨の多い日本では、日傘として使うよりも雨水をしのぐほうへとその主な用途が変わっていきました。

それに伴い、アマニ油やエゴマ油などの油脂を塗った和紙を傘部分に使用することで高い防水性を付与されました。 この番傘などの雨傘が江戸まで伝わり、そこで安価かつ丈夫である点が庶民に人気となり、後に大黒屋傘として日本全国に広まっていきました。

その様子は、名所江戸百景や喜多川歌麿の美人画に知ることができます。 当時ならではの出来事として、武士が失業の折に副業として傘製作の内職をしていた、という話があります。

江戸を舞台にした時代劇で、長屋に住む浪人が傘を作っているシーンは、史実に基づくものだったのです。これには、傘の需要の増加により製造作業を分けていたという背景があり、実はいかに番傘が流行っていたかを知ることのできるエピソードです。 

番傘の特徴・用途


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番傘は、気取らない普段使いに最適の傘です。 もちろん、日傘にも使えます。 とは言え、厚い油紙でしっかりと防水加工されているので、雨の日の外出のおともとして使うのがやはり定番です。

番傘の名前の由来には諸説あります。 その中に、番号を記した傘という意味であるとするものがあります。これは、江戸時代頃に商家が客が帰る折に降ってきた雨をしのぐために貸した傘が紛失しないようにする目的で、家紋や屋号と一緒に番号を振られたという説です。

現在でも、主に専門店で購入した際などにこうした家紋や屋号などを番傘に入れてくれるサービスを受けることができます。

他にも、「番」の字には普段の、日常的な、などの意味合いがあり、そこから来ているとする説もあります。 これらの説にある通り、番傘は誰でも気軽に差させる和傘です。余談ですが、番傘の出番は伝統芸能の世界にもあります。 江戸時代には歌舞伎の舞台で小道具として使われ始め、現在でも太神楽の傘回しの必需品です。 

番傘と蛇の目傘との違い


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蛇の目傘は、柄と骨組みの部分が細い木で作られています。 細部に装飾が施されていて、華やかな印象を受ける外見です。名前は、真上から傘を見ると蛇の目に見えるからというのが由来でしたが、現在では絶対的な条件ではないようです。

番傘とは兄弟のような関係で、一般に和傘と言えば、このどちらかを思い起こされます。分かりやすいイメージとしては、芸妓さんが差している和紙で出来ている傘と言えば伝わるかと思います。

比較する上では、デザイン性の蛇の目傘と機能性の番傘と考えることができます。蛇の目傘は見た目にも艶やかな細身の傘ですが、丈夫さという点では質素で骨太な番傘に軍配が上がります。

番傘と蛇の目傘にはそれぞれに長所があり、どちらか一方が優れているということではありませんから、選ぶときには用途やお好みに合わせるのがよいでしょう。 

メリケン粉はアメリカが由来?|歴史・小麦粉との違い・特徴


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メリケン粉とは

メリケン粉とは、簡単にいうと小麦粉の別名です。現代では小麦粉と同じ意味の言葉として使われることがありますが、昔は日本で作った小麦粉を「うどん粉」、アメリカで作った小麦粉を「メリケン粉」と分けて呼んでいました

現代ではほとんど使われていない言葉ですが、沖縄では「メリケン粉投げ」という文化があり、その言葉が使われています。これは卒業式にメリケン粉を投げ合ってお祝いする風習です。

投げると白い粉が舞うことから祝いごとに向いているとして行われています。ただし全ての学校が現在でも行っている風習というわけではなく一部にて残っている習慣とされています。

また沖縄以外でも、昭和生まれなど一定年齢以上の人であれば聞き覚えのある言葉です。そして関西地方では昔から小麦粉がよく使用されていたことから、他の地域よりもその呼び方が定着していました。そのため比較的他の地域よりも現代でも使うことが多いです。

メリケン粉の由来


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メリケン粉と呼ばれるようになった理由は、メリケン粉が「アメリカ製である」ことです。アメリカは英語で書くと「America」ですが、アメリカ人やアメリカ風という意味の言葉は「American」となります。

これを最初のAをとってローマ字読みすると「メリケン」となります。このことからアメリカ製である小麦粉は日本製の小麦粉とは分けてこう呼ばれるようになりました。

メリケン粉と小麦粉の関係


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メリケン粉と小麦粉は現代では一緒のものとされています。ですがメリケン粉が登場した当時は日本産の小麦粉とは別ものとして考えられていました。日本では小麦粉を使う主な目的はうどん、アメリカで小麦粉を使う主な目的はパンでした。

日本の小麦粉とは違い近代的な製法がされていたために粉が白く、また日本産でないことを分かりやすく区別するために別々の通称がついたとされています。

現代では日本産の小麦粉も近代的な製法がされており粉も白いので、これといった大きな違いはありません。現代ではあくまで小麦粉の「昔の言い方」とされています。

メリケン粉の歴史


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メリケン粉という言葉が誕生したのは明治時代です。当時日本でも小麦粉が作られていましたが、この時期にアメリカから小麦粉が輸入されるようになりました。

日本ではその頃石臼を使って小麦粉を作っていましたが、機械で製造されるアメリカ製の方が質が高かったのです。そのため初めてアメリカ産の小麦粉を見た人はとても驚いたそうです。そしてそれ以降、日本ではアメリカ産の小麦粉が主流になっていきました。

しかしその後に日本でも機械で製造されるようになり、アメリカ産に負けない品質、同じように白い小麦が作られるようになりました。しかしそれは簡単なことではなく、日清製粉株式会社(当時の舘林製粉株式会社)が苦労を重ねて製作していったのです。

メリケン粉は小麦粉である


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メリケン粉は簡単にいうと小麦粉のことですが、もともとはアメリカ製の小麦粉という意味です。アメリカ製のものに「メリケン」とつけるのは何も小麦粉のことだけではありません。

当時は同じようにアメリカ人のことを「メリケン人」と呼ぶなどしていました。これはアメリカンという言葉をネイティブスピーカーが発音すると「メリケン」と聞こえることが理由とされています。現代ではあまり使われることがなくなった言葉ですが、世代や人によっては現在でも使うことがあります。

多くの食べ物にはそれぞれ歴史や名前がついた由来がありますが、日本人になじみのある小麦粉も由来や理由があります。アメリカ産が主流となっていく中で、「アメリカに負けない良質で健康に良い小麦粉をつくる」という努力の賜物でもあります。

どこかでこの言葉をきいたときは「小麦粉のこと」と理解すれば大丈夫です。言い方の問題なので、現在では小麦粉との違いはありません。

当時でい「メリケン粉」を使った日本の食べ物で「うどん」があります。地方によって姿かたちも変わり、讃岐うどんやほうとうなど様々な種類があります。そのうどん文化を世界に広めようとするパフォーマー「小野ウどん」さんをご存知でしょうか?

大人の職場体験予約サイト「ココロミル」では小野ウどんさんから学ぶうどんの体験を行っています。

【小野ウどん】世界初!手打ちうどんパフォーマーの1日を体験

世界でただ一人のうどんパフォーマーとして活躍している小野さん。NHK Eテレ「人生デザインU-29」など様々なメディアに出演しています。

この体験では音楽に乗せ、讃岐うどんの技術を披露していただけます。『食』において食べる前のプロセスに着目し、楽しくうどんを学ぶことができるので、親子で参加するのもおすすめです。

実際に自分で讃岐うどんを打って、食べます。最初から最後まで楽しい体験となること間違いなし!

体験先:小野ウどん
住所:東京都墨田区東墨田3丁目11−14
アクセス:京成押上線「八広駅」より徒歩12分
体験時間:13:00 ~ 17:30 (4.5時間)
体験費用:9,000円

世界初!手打ちうどんパフォーマーの1日を体験

羽子板について|様々な種類や正月に飾る意味を紹介

羽子板を使った遊び、羽根つき

羽子板を使った遊びで有名なものに羽根つきがあります。羽根つきは2人で行う遊びです。2人がそれぞれ1つずつ羽子板を持って向かい合って立ち、交互に羽根を打ち合います。日本では伝統的にお正月に行う遊びであり、負けた側の顔に筆で墨を付ける罰を施すこともあります。

羽根つきは室町時代から行われており、宮中の様子を記録した看聞日記に羽根つきの記録があります。その記録では、負けた側が勝った側にお酒を振る舞っていたそうです。

起源については諸説あり、14世紀頃の中国で親しまれていた羽根に硬貨を付けたものを蹴り合う遊びが日本に伝わって羽根つきになったという説や、奈良時代から女子が神事として行っていた毬杖という棒で玉を打つ遊びが変化したという説が言われています。

時代が流れ、江戸時代になると羽根つきをすることで厄払いができると信じられるようになり、羽根つき遊びが流行しました。その後、少しずつ形を変えながら現在も人々に馴染みの遊びになっています。

羽子板をお正月に飾る意味・由来


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羽子板には、女の子の無病息災を祈る意味が込められています。羽根つきの際に羽子板で突く羽根には黒くて堅い玉が付いていて、この玉は「むくろじ」という大木の種が素材として使われています。

「むくろじ」は漢字で書くと「無患子」となり、子供が患うことがない、という意味です。羽子板は女の子が遊ぶものだったので、女の子のお守りとしてお正月に飾られるようになったということです。

羽子板の種類


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羽子板には実際に羽根つきに使用される競技用の簡素なものと、お正月に飾られるような観賞用の豪華な絵が描かれたものがあります。

後者は江戸時代に押絵の技術が確立してからは押絵羽子板と呼ばれます。江戸時代後期には人気役者の絵が付けられたものが人気を博し、明治時代には全盛期を迎える盛り上がりを見せました。

役者絵のついた羽子板は、ファンに好んで買われるファングッズの意味合いが強いものだったと言われています。 女性が描かれている羽子板ではその持ち物にも種類が複数あり、それぞれモデルや由来が異なっています。ここではその一部を紹介します。

扇を持っているのは道成寺です。鐘供養に来た花子が僧の望みを受けて釣鐘の前で舞い踊ります。鼓を持っているのは浅妻と呼ばれるもので、江戸時代の画家が描いた浅妻の里の舟女をモデルにした絵が羽子板になっています。月夜の海に浮かぶ舟の中で、手に持っている鼓を打ちながら舞い踊ります。

桶を持っているのは汐汲で、海の水を汲むための桶を肩にかけて踊ります。この女性は都に帰っていった在原業平のことを思い慕っています。

鞠を持っているものは鞠飾りと呼ばれ、羽子板に錦糸で作られた立体的な鞠が付けられているものもあります。その豪華さや美しさに心を奪われそうになりますが、これには丸く美しく健やかに育つようにという願いが込められています。

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アイヌ語が由来となった日本語や地名は?|消滅の危機にあるアイヌの言葉

アイヌ語とはアイヌ民族の言語です。北海道や樺太千島などで昔は広く話されていました。しかし今では日本語あるいはロシア語にとって代わられて、消滅の危機に瀕しています。

中央政府などがなかったため、いわゆる共通語に相当するものがありませんが、初めてアイヌ語を学ぶ人は日高地方あたりのアイヌ語を学ぶことが多いです。

発音も日本語と少し違い、日本語の濁音に当たる発音や日本語にない二重母音などが存在します。

また、音節の最後が子音で終わるようなこともアイヌ語の特徴となっています。

基本的に文字表記はありませんでしたが、現在はカタカナで表記するのが一般的になっております。

子音で終わるような日本語にない発音などは、カタカナの「ク」や「シ」や「ス」などを小さな字で表記することで、音色の違いを反映させるようにしています。文法も複雑な言語です。

アイヌ語の歴史


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明治時代に入り日本の教育制度が広がってくると、アイヌ民族の同化政策が推し進められました。それによってアイヌ語は日常生活から急速に消えていってしまいました。

アイヌ民族の大人同士の集まりでしかアイヌ語はあまり聞かれなくなり、その子供たちにもアイヌ語を伝えるよりも将来を考えて日本語を身につけさせていこうとするようになったのです。

そのためアイヌ語は「滅びゆく言葉」となりました。ただし、こうした時代の流れの中でもアイヌ語の記録を残し後世に伝え残そうとする人たちもいました。

例えば登別氏の知里幸恵さんは「アイヌ神謡集」という書物を1923年に上梓し、またその祖母の金成マツさんという方はかなり多くのアイヌ語で書かれたノートを残しました。

弟さんはアイヌ語言語学的に研究し解説した書物を残しています。

アイヌ語の知識や言語を後世に伝え残そうと情熱を注ぐ人たちはこのように道内の各地でいらっしゃいました。文字がないと言われていたアイヌ語を、ローマ字やひらがなカタカナなどを用いて書き残す工夫もしたのも彼らでした。

少数民族を大切にする考え方になった現代において、文化人類学などで、このような人たちの取り組みが注目され、各地でアイヌ語を学習する人たちが増えてきているのです。

アイヌ語が語源の地名


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北海道の市町村名にはかなり多くアイヌ語由来の名称があります。

また東北の北部分にもアイヌ語由来と考えられるような地名がたくさん散見されています。

約8割の北海道の市町村がアイヌ語由来で、例えば稚内など「ない」という言葉が入った地名がかなりたくさんありますが、これはアイヌ語の「沢」を意味する言葉なのです。

また「興部(おこっぺ)市」など「ぺ」がつく地名もありますがこれも「川」を意味するアイヌ語です。さらに「長沼町」どという地名もありますが、これはアイヌ語の地名が「タンネ」とという「長い沼」を意味する地名だったためそれが、「長沼」になりました。

このようなケースで、地名にアイヌ語が由来になっているものもあるのです。ただし、他の日本の地名で由来不明のものを無理やりアイヌ語に結びつけられていることがしばしばありますが、これは俗説である場合がほとんどです。

例えば「富士山」はアイヌ語の「フチ(火)」を意味するところから来ているとか、「能登半島」はアイヌ語での「岬」を意味する「ノト」から来ているなどと言われるものがありますが、これはやや根拠が薄く信用できない説です。

アイヌ語が由来となった日本語


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地名だけではなく、日本語がアイヌ語由来のもので私たちがよく使っている日本語もあります。

例えば「ラッコ」はアイヌ語そのものですし、「トナカイ」もアイヌ語でトナカイと差す言葉でした。また魚の「ししゃも」もアイヌ語の「シシャム」から来ています。

アイヌという言葉そのものも、アイヌ語では「人間」を意味します。また「コロポックル」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんがこれはアイヌ語で「コロ」が「ふきの葉」を意味し「ポック」が「下」を意味し、「クル」が人を意味し、つまり「伝説の小人」という意味です。

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フィルムカメラとは

フィルムカメラは銀塩カメラとも言い、デジタルカメラが普及する以前に使われていた、感光材料が塗られている専用のフィルムを使って撮影するカメラのことです。フィルムを露光させて被写体を写し取るため、現像やプリントをしなければ写真を見ることはできません。

フィルムは銀塩(ハロゲン化銀)と呼ばれるものが光に当たることにより、黒く変化する原理を利用して被写体を焼き付けているため、銀塩カメラと呼ばれています。

フィルムは一度しか撮影に使うことができず、デジタルカメラのようにプリントする前に編集をすることもできません。しかし、独特の風合いの写真が撮れ、カメラのデザインもレトロでおしゃれなものが多いため、若い人からも注目されています。

フィルムカメラの種類


出典:ぱくたそ

フィルムカメラの種類は、大きく分けて3種類あります。一般的によく使われているサイズのカメラは35mmフィルムカメラといい、35mサイズのフィルムを使って撮影します。

持ちやすく、被写体をバランスよく入れやすいサイズのため、初心者にもお勧めのカメラです。

中判フィルムカメラというのはブローニーフィルムという縦長のフィルムを使用して撮影するカメラです。タワーのような縦長のサイズを撮る時にも便利で、撮影範囲が広く、高画質の写真を撮影できます。

女性には大きいと感じられる可能性もありますが、持ち運びもそれほど負担ではありません。一方、大判フィルムカメラは102×127mmというかなり大きいサイズのフィルムを使って撮影するカメラです。

扱いが複雑になり、重量や大きさも他のカメラより負担が大きくなるため、三脚などの専用の機材を使って撮影する必要があります。ですが、他のフィルムカメラよりも高精度な写真を撮ることができるため、プロは愛用しています。

フィルムカメラとデジタルカメラとの違い

①構造


出典:ぱくたそ

フィルムカメラとデジタルカメラとの違いは、構造面に関しては実はそれほど大差ありません。フィルムカメラの場合、レンズで被写体からの光を集め、フィルム面に画像を焼き付けるようになっています。

一方、デジタルカメラの場合もレンズは被写体からの光を集め、CCDなどの現像素子と呼ばれる部品に像を結ぶ働きをしています。ここまではフィルムカメラとほとんど同じですが、受け取った画像の処理が若干異なっています。レンズを通して受け取った被写体画像は画像処理エンジンでデジタルデータに変換し、メニューで指定しておいたように画像処理が行われます。

その後、メモリーカードや本体内蔵の記録メディアなどにデータとして保管されています。

フィルムカメラとデジタルカメラとの違い

②記録媒体


出典:ぱくたそ

記録媒体に関しては、フィルムカメラとデジタルカメラではかなり大きな違いがあります。

フィルムカメラでは、レンズから取り込んだ光は専用のフィルムに直接焼き付けられます。

フィルムカメラ用のフィルムは、一度光が焼き付けられると元に戻すことはできませんので、撮影のチャンスはフィルム一枚につき一度限りです。

また、フィルムはそのまま取り出すと光で真っ黒に焼けてしまうため、一本分撮り切ってから現像しなければ写真を確認することができません。

一方、デジタルカメラは取り込んだ画像をデジタルデータに変換して、書き換え可能な記録メディアに取り込むことにより、その場で画像を確認し、データを消去して撮り直すことができます。

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「罵詈雑言(ばりぞうごん)」の意味と使い方|由来・類語・対義語


出典:写真AC

【意味】 ある相手に対して悪口の限りを極めた言葉でののしること。
【由来】 中国の『史記』の魏豹伝から。
【類語】 罵詈讒謗(ばりざんぼう)・悪口雑言・誹謗・中傷・嘲罵
【対義語】 称賛・賛美・賛辞・拍手喝采
【英訳】

「こうも罵詈雑言を浴びせられるとは」といったような表現を今まで耳にしたことはありませんでしょうか?

なんとなく悪い意味の言葉とは感じることができますが、「罵詈雑言」という言葉の意味を正確に説明できる人は案外少ないのではないでしょうか。また、「罵詈雑言」の意味を間違えて覚えていたりすると、会話がチグハグになってしまったり、お互いに誤解を招いたりとトラブルの原因にもなり兼ねません。

そういったことが無いように、「罵詈雑言」について調べましたので、意味や使い方などを解説していきたいと思います。ぜひ参考にして下さい。

罵詈雑言の意味


出典:ぱくたそ

「罵詈雑言」の読み方は「ばりぞうごん」となります。そしてこの言葉は、「ある相手に対して悪口の限りを極めた言葉でののしること」の意味を表現しています。要するに、あらゆる汚い言葉と悪口を並べて相手を罵倒したりする行為または、悪口の事を指しています。

ちなみに、「雑言」は一般的には「ぞうごん」と読みますが、「ぞうげん」と読まれても間違いではありません。

罵詈雑言の由来


出典:写真AC

さてそれでは、「罵詈雑言」の言葉にはどんな背景があるのでしょうか。 「罵」という言葉と「詈」という言葉は、どちらとも「ののしる」という意味をもっています。

この2つの「ののしる」という言葉を重ね、さらに「雑言」という、「さまざまな悪口や言いがかり」という悪口を意味する、「ののしる」と似た言葉をさらに並べることにより、悪口に悪口を重ねる様子を表していることになります。

なお、「罵詈」という言葉自体は中国の史記の魏豹伝に出てきています。

それによると、漢の劉邦が魏豹に対して、自分の配下になるよう説得するのですが、魏豹は劉邦の節度を欠いた態度に「貴殿は諸侯や群臣をまるで奴隷を『罵』るように『詈』り、少しも上下としての礼節を感じられない」と言い放ち、説得を断ったとの文章があり、そのなかに「罵詈」という記述が出てきています。

罵詈雑言の使い方


出典:ぱくたそ

 「罵詈雑言」は、特別な状況や条件などがある言葉ではないので、どんな場面でも使うことが出来る言葉ですが、そもそも「罵詈雑言」ということ自体があまり好ましくない状況とはいえるでしょう。

ここではいくつか「罵詈雑言」の例文をあげます。

罵詈雑言を浴びせるような事態を招きたくない
・友人に罵詈雑言を吐いてしまい、信頼関係を失ってしまった
・インターネットは偽名という性質上、非常に多くの罵詈雑言が並んでいる
罵詈雑言を吐いている人とはあまり付き合うことはできない
・今までの人生で罵詈雑言を浴びることはなかった
・先日の総会は荒れてしまい、罵詈雑言が飛び交った

罵詈雑言の類語・対義語


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「罵詈雑言」の類語には、悪口の限りを言うという意味の「罵詈讒謗(ばりざんぼう)」や、さんざん思いの限り罵るという意味の「悪口雑言」、 それに「誹謗」、「中傷」、「嘲罵」などがあげられます。

一方の「罵詈雑言」の対義語には、「称賛」「賛美」「賛辞」それと「拍手喝采 」など、相手を褒めたり讃えたりする意味合いの言葉となります。

罵詈雑言を使わない日常生活を!


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 さて、最初に問いかけた例文「こうも罵詈雑言を浴びせられるとは」の意味は理解できたでしょうか。悪口を言われ心身ともにまいっている状態なのかなと感じることができます

「罵詈雑言」が持つ言葉の意味があまりにも強烈なので、この字面を見ただけでも少しおどろおどろしい感情をもってしまいます。 さて、ここまで「罵詈雑言」について解説してきました。「限りを尽くした悪口」とは、想像するだけでも何か嫌な気分になってしまいますよね。日常生活するうえで、自分にも相手にも「罵詈雑言」を使う場面が来ないことが一番良いですよね。

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【手軽に飲めるお茶】リーズナブルで飲みやすい「番茶」の魅力とほうじ茶との違い

番茶とは

緑茶や煎茶、ほうじ茶など日本では様々な種類のお茶が愛飲されています。その中で多くの人に親しまれているのが番茶です。

緑茶の一種で普段使いしやすいリーズナブルなお茶が番茶と呼ばれます。 柔らかな新芽を使用して作られる高級茶に対して、番茶は夏以降に収穫し硬化が進んだコワ葉と呼ばれる茶葉や、一度収穫した後、遅れて伸びた遅れ芽と呼ばれる茶葉、高級茶の製造ではじかれた大型の茶葉などを使用して作られます。

地方によっては、ほうじ茶のことを番茶と呼ぶことがありますが、ほうじ茶は煎茶や番茶を強火で焙煎して作られます。一般的には番茶は緑茶の部類に属すと考えられていますので、別の物として扱うべきだと言えるでしょう。

番茶の製法


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茶は発酵の度合いで分類されます。完全に発酵させた紅茶や、一定時間発酵させた後に発酵を止める烏龍茶などの発酵茶に対し、日本茶は収穫後すぐに発酵を止める不発酵茶とよばれています。

収穫(摘採:てきさいと呼ばれます)された茶葉は放置しておくと自然発酵が始まり発熱します。発酵熱は茶葉の品質を劣化させることから、湿度の高い風を当てることで茶葉の熱を取り水分を保ちます。

その後茶葉を蒸し上げることで発酵を止めます。蒸すことで茶葉は変色することなく、みずみずしい緑色を保ち、抽出される茶も緑色となることから緑茶と呼ばれます。

蒸しあがった茶葉は熱いうちに力一杯揉み込みます。揉むことで広がっている茶葉が円筒形に変化し茶葉の組織が破壊され、茶を抽出しやすくなります。

従来は手作業で行われていましたが、大きな茶メーカーなどでは機械化が進んでいます。

揉みあがった茶葉を乾燥すれば茶の出来上がりです。こちらも従来はゴザの上に茶葉を広げ天日に干して乾燥していましたが、機械化された工場では茶葉乾燥機で乾燥させます。

1番茶・2番茶・3番茶・4番茶の数字は何を意味する?


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日本最大のお茶所といわれる静岡県では、通常年4回の茶葉の収穫が行われます。このことから茶業界では取扱う茶葉を4つに分け1番茶、2番茶、3番茶、4番茶と呼び表します。

これは茶葉の収穫期によって分けられ名付けられたもので、4~5月にかけて収穫製造される1番茶、6月に収穫製造される2番茶、7~8月の3番茶、9~10月が4番茶と呼ばれます。 その年の最初に収穫される1番茶は「新茶」とも呼ばれます。九州南部の暖かい地方から収穫が始まり、1番茶の収穫は桜前線のように日本列島を北上していきます。柔らかな若葉を収穫する1番茶は非常に香り高く、爽やかなみずみずしさが特徴です。

2番茶、3番茶、4番茶は1番茶と同じ茶の樹から収穫されるものの、温かい季節に生育するため茶葉の生育が早いため、1番茶に比べると風味が落ちると言われています。

番茶は3番茶、4番茶を使用して作られることが多いのですが、新茶の製造時にはじかれた大きな茶葉を使用したものも存在します。