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【ルーツは同じ】千年以上の歴史を持つ「能」と「狂言」その違いとは?

能と狂言の歴史は奈良時代までさかのぼります。奈良時代に大衆に向けて行われていた「散楽」という芸能が唐から伝わって来たのが始まりとされています。

日本で独自の文化として根付き始めた散楽は次第に演劇的な要素が組み込まれていき、「猿楽能」へと進化を遂げていきます。

室町時代の三代目将軍である足利義満の頃には、観阿弥・世阿弥親子が義満からの支援を受ける形で、楽能に歌やリズム、そして舞を取り入れた、今までの楽能より一層と優雅で美しい新たな芸能である「能」を作り上げていきました。

「能」が盛り上がりを見せていく中、猿楽の喜劇的部分であった要素は、「狂言」として独立して盛り上がりを見せていくことになります。

そして、能の舞台において、能の演目と演目の合間に、喜劇である狂言が演じられるようになりました。

このような背景から分かるように、能と狂言が同じ舞台で入れ替わりで演目されているのには、能と狂言は、元々は同じ猿楽から始まっている、同じ流れの中で生まれてきた芸能だからというわけです。

能の特徴


出典:写真AC

能の特徴は、面をつけて演じるところにあります。

「おもて」と言われ、無表情に作られているその「面」は、演者が面に角度などを持たせることで影などを作らせて感情を表現しています。

能を象徴する面は「おもて」と呼ばれ一見、無表情ですが、演者は能面の影の角度などで巧みに感情を表します。

また、能は台詞を「〜にて候」という文語調で演じるところも特長です。 能では、主役のことを「シテ」と呼び、シテに対しての相手役となる「ワキ」、さらには「シテ」と「ワキ」の助演をする「ツレ」などと演出上の役割がさまざまあります。

また、役柄に対して演者も決まっていますので、「シテ」と「ワキ」の演者が公演ごとに入れ替わってしまうということもありません。 面をつけているのは「シテ」だけで、「ワキ」や「ツレ」は面をつけませんので、舞台を見ていて主役がどの演者だか誰でも理解できるようになっています。

能の演目は、悲劇的な話を取り扱うことが多く、多くの題材は歴史上の人物や物語といったところになります。

また、能の演出では鬼や幽霊などが登場することも多くなっています。さらに、能で使われている装束や小道具などは、京都の伝統工芸の技術を駆使して作成されているきらびやかなものが多数あり、道具一つとっても本当に見応えがある芸能といえます。

能の主役であるシテには流派があり、最大流派の観世流を筆頭に、金剛流、金春流、宝生流、喜多流と五つの流派に分かれています。

狂言の特徴


出典:写真AC

一方狂言は、能とは違い面を使わず、演目のほとんどで素顔で舞台に立ち、演じます。

ですから、演者の表情がよく分かりますので、豊かな表情を楽しむことができるのも狂言の魅力といえます。 狂言が演じるのは喜劇で、台詞は「~でござる」という口語調を使用して演じます。また、狂言は「笑いの芸術」と言われ、庶民が何気なく送っている普段の生活を、面白おかしく描写することで見る人を楽しませています。

狂言では、主役を「シテ」と呼びます。そして「シテ」に対しての相手役となる「アド」がいます。さらに、狂言の演目進行と能の進行を円滑に進める助演役の「アイ」がいます。 狂言の流派は、大蔵流と和泉流の2派となります。

幕張ビーチ花火フェスタ2018年の日程|見どころや有料席情報

幕張ビーチ花火フェスタとは、千葉県千葉市で行われる花火大会「千葉市民花火大会」の愛称で、毎年多くの人が訪れる有名な花火大会です。海とベイサイドの風景を楽しみながら鑑賞できる花火大会なので、花火と共に素晴らしい景色を堪能できます。

千葉県の市民花火大会では最大規模を誇り、約15000発もの多種多様な花火が夏の夜空を彩ります。毎年約30万人もの人が詰めかけ、千葉市民はもちろん、県外からも沢山の人が訪れます。

自然災害などの様々な事情から、開催場所を転々としてきましたが、市民の強い要望によって今なお引き継がれています。幕張ビーチ花火フェスタは、多くの千葉市民に愛されている、非常に歴史ある花火大会です。

幕張ビーチ花火フェスタ 2018年の日程とアクセス


出典:写真AC

幕張ビーチ花火フェスタは、毎年8月の第一土曜日に開催されます。2018年の幕張ビーチ花火フェスタは、8月4日の土曜日に開催予定です。開催時間は19:30~20:30で、開催場所は幕張海浜公園になります。  

アクセス:〒261‐0021 千葉県千葉市美浜区ひび野2‐116 JR海浜幕張駅より徒歩15分 

注意事項としては、荒天や強風の場合は延期にならず、中止になってしまうことです。間違いのないよう気をつけましょう。

幕張ビーチ花火フェスタの歴史

戦後、千葉市で初めての花火大会が1948年に出洲海岸で開催されました。その後、出洲海岸の埋め立てが進み、花火の開催場所が木材の蓄積場所となったため、1973年の第26回を最後に花火大会は中止となりました。

ですが、千葉市民の強い要望に応える形で、1978年に人口海浜のいなげの浜で第一回千葉市民花火大会として復活を果たします。その後、いなげの浜周辺の住宅開発が進んだことで、開催場所を1988年から千葉ポートパークに変更します。後に、震災の影響で2012年から幕張に変更しました。そして、2018年で千葉市民花火大会(幕張ビーチ花火フェスタ)は40回目を迎えます。

幕張ビーチ花火フェスタの特徴・見どころ


出典:写真AC

音楽と花火のシンクロ、音楽の世界観を花火で表現する「創造花火」、海面ギリギリを美しく彩る海上花火、打ち上げ前にメッセージを読み上げるメッセージ付き花火など、バラエティにとんだ花火を楽しめます。特に、噴水のように花火が上がるファイアーファウンテンはこの花火大会の一番の見どころです。

2018年開催の幕張ビーチ花火フェスタでは、炎と花火のコラボレーションなどが予定されています。花火の打ち上げ前には芸能人のステージなどがあり、美しく素晴らしい一夜をより一層盛り上げてくれます。

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比内地鶏と比内鶏の違いとは?|誕生秘話や絶品料理も紹介

比内地鶏とは秋田県で広く飼育されている鶏の一種を指します。

赤みの強い肉はキジに似た味で、秋田の郷土料理きりたんぽ鍋には欠かせない特産品。また、比内地鶏は名古屋コーチン、薩摩地鶏と並ぶ日本三大地鶏のひとつに数えられ、噛めば噛むほど旨みの出る肉と、コクと深みのある脂が特長です。

比内地鶏は秋田特産のブランド鶏として、地元の生産者団体を中心に、厳密な飼育基準を元に飼育されています。

秋田県では比内鶏の偽装問題に対する対応策として、比内地鶏ブランド認証制度を設けています。比内地鶏として表示できるのは、素雛の種類、飼育方法、飼育期間、飼育密度に関する基準を満たしたものだけ。

秋田県が誇る特産品としての水準を保つよう、生産者と自治体が一致協力して努力を重ねています。

研究し続けた!比内地鶏の誕生秘話


出典:写真AC

比内鶏は昔から秋田県で飼育されてきた野鶏に近い種ですが、飼育が難しいことが唯一の難点でした。飼育上の難点とは、成長が遅いこと、繁殖率が悪いこと、そして病気にかかりやすいことで、この三つの問題が克服されない限り、比内鶏の肉の商品化は難しいと考えられていました。

地元秋田の畜産試験場はこれらの難点を解決するための研究を続け、その結果誕生したのが比内地鶏です。比内鶏の原種のオスとロードアイランドレッド種のメスを交配することで、淡白な肉の味とこくのある旨みはそのままに、飼育上の難点を見事克服し比内地鶏を生みました。

飼育が容易になり、生産と出荷が軌道に乗り、秋田県特産のブランド鶏として日本全国に知れ渡るようになりました。

比内鶏を改良したものが比内地鶏


出典:写真AC

比内鶏は軍鶏と地鶏を交配させて作られた原種で、秋田県で昔から飼育されてきました。

江戸時代には年貢として納められていたほど、その美味しさには定評がありました。ところが昭和初期に外来種の鶏の飼育が盛んになると、飼育が難しい比内鶏の生産が減り、一時期絶滅が危惧されるほど数が激減しました。

これを受け、国は昭和17年に比内鶏を、品種改良を加えられていない貴重な種として国の天然記念物に指定。これが比内鶏で、現在秋田ブランドとして全国に流通している比内地鶏とは異なります。

比内鶏は天然記念物には指定されたものの、秋田県の特産品として全国展開するためには、品種改良が不可欠でした。比内鶏の味を損なわず、尚且つ飼育しやすく繁殖力の強い種に改良されたのが、比内地鶏です。

比内鶏と比内地鶏の違いはここにあります。

日本人の4割が間違えている!「やおら」の正しい意味と使い方

【意味】 ゆっくりと動くこと。
【由来】 今の言葉で言うところの「ようやく」を意味する「やをやく」を短縮した言葉「やを」の後ろに、状態を表現する意味がある「ら」という接尾語が付いたという説。「やはら」から派生した説。
【類語】 おもむろに・ゆっくり・のんびり
【対義語】 急に・突然・やにわに
【英訳】

「彼はやおら歩きだした」という文章を読んで、あなたはどのような状況を頭に浮かべたでしょうか。

文化庁が平成18年度に行なった「国語に関する世論調査」の発表によると、「彼はやおら立ち上がった」という例文の正しい意味を答えられた人の割合は、40.5パーセントという全体の半数以下という結果になりました。

あなたが思い浮かべているその答え、本当に正しいのでしょうか。これから「やおら」の意味や由来についてご紹介していきます。

やおらの意味


出典:ぱくたそ

さて、日本人の半数以上が意味を間違えて覚えてしまっている、「やおら」 ですが正しい意味はどんなことなのでしょうか。

「やおら」という言葉には「ゆっくりと動く」や「静かに」、「そっと」などを表現した意味合いがあります。

「やおら」と似た発音の言葉に「やにわに」がありますが、こちらは「急に」などの意味がありすので、こちらの言葉と混同して覚えてしまっている人が多いように思えます。

やおらの由来 ・言葉の背景


出典:ウィキメデイア・コモンズ

さて、この「やおら」 の語源はどんな背景があるのでしょうか。

まず1つ目の説ですが、 今の言葉で言うところの「ようやく」を意味する「やをやく」を短縮した言葉「やを」の後ろに、状態を表現する意味がある「ら」という接尾語が付いたという説です。「ようやく」には「やっと」や「だんだん」という意味合いがありますので、 その言葉を引き継いだ「やおら」が同等の意味であると言う訳です。

もう一つの説は、「やはら」という言葉があるのですが、この「やはら」は漢字で「柔ら」または 「和ら」と表現します。漢字から分かるように、「やはら」という言葉は「やわらかい」、「おだやか」などの意味を表現しているのですが、この「やはら」という言葉と「やおら」の語源が同じという説です。

どちらの説にしましても、前に示した「やおら」の意味合いには近い「ゆっくり」とか「静か」なイメージがある言葉が由来となっていることが分かります。

勘違いされがちな、「急ぐ」のような言葉が関わっていない言葉だということがよく理解できたのではないでしょうか。

やおらの使い方


出典:ぱくたそ

 ではここで、「やおら」の例文を上げて意味の確認をしていきたいと思います。

「彼はやおらテーブルを片付け始めました」 この場合、「やおら」は「ゆっくりと」などの意味を表す言葉となりますので、テーブルをゆっくりと片付けている状況が浮かんでくると思います。間違っても「急いで」ではないので注意してください。

「この問題は難しいので、私と一緒にやおら解いて行きましょう」 この例文で分かるように、「やおら」の意味を勘違いしていると、意味の通らない文章になってしまいます。「やおら」の意味を知っていれば、「ゆっくりと」と理解できますので、「焦らずに取り組みましょう」といったことを言われているのだとくみ取れます。

「やおら」の意味を真逆の意味で覚えてしまっていると、急な場面で意思の疎通が上手に図れなくなってしまいかねませんので、しっかりと意味を覚えておきましょう。

【どのいちごが好き?】おすすめのいちご品種5選と美味しいいちごの見分け方

いちごの品種は全国で何種類?名産地はどこ?

 日本のいちごには、さまざまな品種があります。 その数は、メジャーなものだけでも数十種類あります。全て合わせると、300種類にも上ります。 特に近年では、日本各地でオリジナルの品種作りが盛んとなっています。その影響で、より多くの商品が市場へ出回るようになりました。

その中でも、いちごの名産地といえるのが栃木県。2016年の収穫量は2万5,100tと、国内の総収穫量の15.8%を占めています。とちおとめをはじめ、他にも多くの品種が開発されています。 次いで、1万5,600tの福岡県、1万200tの熊本県、1万100tの静岡県、9,640tの長崎県が上位にランクインしています。

地域別に見てみると、佐賀県も8位となっていて、実に九州地方の4県だけで国内の4分の1のいちごを生産していることになります。 一方、消費量は岩手県が1人あたり年間106.5個、佐賀県が99.2個、宮城県が89.9個。その総計は世界でもトップクラスで、まさに日本はいちご大国といえるでしょう。

いちご品種紹介①

とちおとめ


出典:写真AC

とちおとめは、国内で最も生産量と売上の高い品種です。 おそらく、ほとんどの人がどこかで目にしたり、口にしたことがあるいちごでしょう。 「とち」の名前が付いていることからも分かるように、栃木県で開発され、1996年に品種登録されました。

かつて日本で主流だった2つの品種、「とよのか」と「女峰」をかけ合わせた「久留米49号」と、「栃の峰」を交配して作られています。 女峰と同じように鮮やかな赤色で、整った円錐形はより大粒です。

甘みが強く、果肉もよく締まって果汁もたっぷりあります。収穫後には、とても甘い香りを放ちます。 シーズンを通して品質が安定していて、貯蔵性に優れているのも特長です。 現在では、栃木県の9割以上の品種がとちおとめに置き換わっています。 

いちごの品種紹介②

あまおう


出典:写真AC

品種のネーミングは、「赤い」、「丸い」、「大きい」、「うまい」の頭文字から取られています。 その名前通り、従来のいちごと比べて酸味が少なく、より甘みが強調されています。

見た目は、ふっくらと丸みを帯びているのが特徴です。サイズは大きくなると、1粒40gに達するものもあります。それでいて果汁も多く、果肉までしっかり赤色に染まっています。

もともと西日本でスタンダードだった「とよのか」の後継として、福岡県農業総合試験場園芸研究所で開発されました。その「とよのか」と「てるのか」をかけ合わせた「久留米53号」、そして「久留米49号」と「さちのか」をかけ合わせた「92-46」。この2つを交配して作られた品種です。

2005年に品種登録され、現在ではとちおとめと人気を2分するほどとなっています。

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妖怪の種類を紹介|有名な日本三大妖怪からユニークな妖怪まで

全国に存在する妖怪や物の怪に関する伝説・説話は、その種類も異色さも豊富です。鬼や天狗といった有名なものから、いったんもめんやぬらりひょんなど創作物に取り上げられるもの、塗り壁ややまびこなど奇想天外なものまで、日本全国の様々な種類の妖怪を紹介します。

妖怪の歴史

日本の妖怪伝説のベーシックな部分が完成したと考えられるのは奈良時代です。妖怪が最初に文献に登場したのが奈良時代に編纂された『日本書紀』で、「鬼」や「天狗」が登場します。

平安時代に入ると様々なもののけや妖怪が姿を現し始め、妖怪の種類が増加しました。有名な『源氏物語』や『日本霊異記』、『今昔物語集』などでは妖怪の様子が生き生きと描かれています。

戦乱の時代であった鎌倉・室町時代にはさらに妖怪の種類が増え、有名な『百鬼夜行絵巻』でその姿を確認することができます。

庶民の文化が活性化した江戸時代には怪談話が流行し、「妖怪ブーム」ともいえる現象が発生しました。時にはユーモラスな種類の妖怪が登場したのも、この妖怪ブームが影響しているのでしょう。

明治、大正、昭和と文明社会として日本が成長すると共に妖怪は存在感を失っていきますが、「口裂け女」や「トイレの花子さん」などの都市伝説が、形を変えた現代の妖怪の種類だと言えるでしょう。日本の歴史は妖怪変化の類との付き合いが長い歴史と言うこともできそうですね。

日本三大妖怪①

河童


出典:写真AC

全国的に伝説が残る河童は、日本で最も有名な妖怪だと言えます。非常に広範囲で伝承されているために「河太郎」や「猿猴(えんこう)」、「シバテン」など呼び名や伝えられる姿も地方によって異なります。

様々なキャラクターにモチーフとして採用されるなど、人々から親しまれている妖怪の代表的な種類だと言えるでしょう。一般的には「頭に皿、背中には甲羅、手足には水掻きがあり、キュウリが好物で悪戯好き」と言われています。

「土木工事を手伝った」「河童を助けた人間に魚を贈って感謝をした」「秘伝の薬の製法を教えた」など人間に愛される言い伝えもある一方で、「通行人や泳いでいる人を水に引き込み溺れさせる」「水中で尻子玉(架空の臓器)を抜く」など恐ろしい話も伝えられています。

日本三大妖怪②


出典:写真AC

鬼は、超人的な力を持つ妖怪として全国的に伝承されています。一般的には「細かくちぢれた髪で頭に角が生え、口と指には鋭い牙と爪があり、虎の皮の腰布を身に付け突起のある金棒を持っている」のが鬼のイメージでしょう。「赤鬼」、「青鬼」、「黒鬼」などいくつかの種類があります。

鬼は人に危害を加え、人を食べる悪い存在であり、地獄の閻魔の配下も言われます。 また、能で使用される「般若の面」のように、憎しみや嫉妬の念が満ちた人が鬼に変化するとも考えられ、人間が持つ「負の感情」を象徴する存在とも言えます。 鬼は妖怪の種類の中でも、人の内面的なものを投射したものだと言えるでしょう。

日本三大妖怪③

天狗


出典:写真AC

天狗は「山の神」として崇められる妖怪です。一般的には「赤ら顔で鼻が高く(長く)、山伏の装束で一本歯の高下駄を履き、羽団扇を持って自在に空を飛ぶことができる」と言われます。鼻が高い「鼻高天狗」、鼻先が尖った「烏天狗」、「木の葉天狗」などの種類に分けられます。

山岳信仰の修験者である山伏などは、天狗について「富と名声を得ようとする傲慢で我の強い者が死後に転生する天狗道は魔界の一種である」としていました。

世に仇をなし、業が尽きたのちに再び人として転生しようとする「波旬」、自尊心と驕慢を縁として集まる「魔縁」と解釈されることもあります。科学的知識が無かった時代には「流星の落下」や「火山活動」など不可思議なことが起こると「天狗の仕業」だとされたようです。

【百鬼夜行絵巻】妖怪大好き日本人のルーツ?妖怪の大行進「百鬼夜行絵巻」

全国各地で伝えられる日本三大妖怪を解説

モノマチの2018年日程とイベント紹介|街とものづくりの魅力とは

モノマチとは

製造や卸が集中した場所であり、長い歴史を持っている台東区南部を徒蔵(かちくら)エリアとし、御徒町から蔵前、浅草橋にかけてのおおよそ二キロ四方の地域の中で行われています。

モノマチという名前の通り、毎年数多くの製造企業やショップ等が参加しており、来場者も増えつつあるイベントの一つです。

モノマチ特設サイト等の広報や、当日の交通案内としてスマートフォンアプリを用意するといった場面にも力を入れています。他にも飲食店が参加しているため、休憩を挟みながらイベントを楽しむことが出来るといった工夫も行われています。

2018年の日程・アクセス


出典:モノマチ公式サイト

2018年に開催されるモノマチは10回目となります。5月25日から27日までの間、台東区南部の地域一帯にて開催されます。上野駅から浅草駅、浅草橋駅、秋葉原駅の四つの駅で囲まれたエリアが対象であり、新御徒町駅を中心に据えています。

アクセス方法も会場エリアに含まれている駅のみに統一されており、JR、東京メトロ、都営、つくばエクスプレスからそれぞれエリアに入ることが出来るようになっています。そのため先程の四駅付近にある駅は、ほぼ会場エリア内の駅です。

加えて、マップに記されている蔵前駅と御徒町駅もモノマチの対象エリアとなっています。当日配布される地図にもエリアと駅が記されているので、移動方法も電車や徒歩といった、多くの方法を使って参加することも可能です。

例えば必要に応じて日を分けて参加したり、目星を付けた工房等だけ同日に尋ねたりと、異なった楽しみ方もあります。

モノマチのイベント

モノマチでは各ショップにあるオリジナルスタンプを集めるスタンプラリーがあります。インフォメーションセンターにて100円でスタンプラリーのパスポートが売っています。そのパスポートに各お店のスタンプをぽんぽんと押していきましょう。

全部のスタンプを集めてみても面白いですね。大人の方や小さなお子様でも楽しめるイベントになっていますので、モノマチにきたら是非参加してみてください。オリジナルのパスポートはいいお土産になることでしょう。

モノマチインフォメーションセンター:2k540(東京都台東区上野5丁目9)、台東デザイナーズビレッジ(東京都台東区小島2丁目9−10)

ヒューリックビル(東京都台東区浅草橋1丁目22−16)

クリエイターズマーケット


出典:モノマチ公式サイト

モノマチではクリエイターズマーケットも開催しています。クリエイターズマーケットとは、アクセサリーや服などといった身につけるもの、家具や雑貨等、写真やイラスト等、様々なジャンルから全ての手作り品を販売するイベントを指します。

全て手作りのオリジナルの商品で、クリエイターそれぞれの個性を垣間見ることが出来ます。そのクリエイターズマーケットが、開催中の26日と27日の2日間、上野松坂屋前パンダ広場にて開催されます。38店舗が参加し、それぞれのオリジナル商品が並びます。

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蒔絵とは?|材料/作り方/歴史/技法の種類を紹介

蒔絵とは?

「蒔絵」というものを知っていますか。

蒔絵は漆を使った工芸装飾法の一つです。蒔絵は金銀の粉を漆器の表面に漆でつけて、絵や模様の文様をつける、日本の文化と呼べる工芸品、またその技法です。

平安貴族にも親しまれていた?蒔絵の歴史を紹介


出典:写真AC

蒔絵はかつて日本で生まれた日本独自の技法であると言われていましたが、現在ではそれを覆す研究もあり、真実は未だわかっていません。しかし、一般的には奈良時代に作られた「金銀鈿荘唐大刀」の鞘に施されたものが起源と言われています。

当時の技法は「末金鏤」と呼ばれていました。「蒔絵」として記録され、作品が世に出始めたのは平安時代からです。平安時代には螺鈿とともに蒔絵が貴族たちに好まれるようになりました。

平安時代を代表する蒔絵には平等院鳳凰堂中尊寺金色堂があります。平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂の内部には漆が使われており、蒔絵が施された漆芸品も数多く存在します。

そして時は過ぎ、鎌倉時代。鎌倉時代に蒔絵の技術は確立しました。鎌倉時代を代表する蒔絵としては鶴岡八幡宮の「籬菊螺鈿蒔絵硯箱(まがききくらでんまきえすずりばこ)」があります。

平安時代が貴族の時代だったのに対して鎌倉時代は武士の時代です。蒔絵も鎌倉時代には武士たちに好まれるようになりました。

大変蒔絵が栄えたのが江戸時代であり、それに向けて室町時代には蒔絵を施した格調高い漆工芸品が数多く作られ、優れた蒔絵職人やその後継者たちが蒔絵師として将軍に使えることとなるのです。

して安土桃山時代、この時代は織田信長や豊臣秀吉が活躍した時代で、豪華絢爛で派手なものが好まれました。金銀が施された蒔絵もその例にあぶれず、城や寺などにまで豪華な蒔絵が施されました。

そしてここで蒔絵が最も栄えた時代、江戸時代がやってきます。

安土桃山時代の流れを受け継ぎ、豪華な蒔絵が寛永期まで流行しました。江戸時代中期になると、現在でも有名な蒔絵師が生まれました。春正蒔絵の祖、山本春正が活躍する中、尾形光琳が光琳蒔絵として蒔絵界に新しい風を吹かせました。

江戸時代の漆工芸品として有名なのは印籠です。この時代には繊細な蒔絵が施され、上層階級の証として蒔絵が使われました。明治期は日本文化を世界に発信する時代であり、蒔絵の技術も博覧会において世界に知らしめられ、西欧諸国に認められていきます。

大正昭和期には蒔絵技術は漆工芸品の域を超え芸術品として発展していきました。こうして奈良時代に生まれた蒔絵の技術はその美しさを保ったまま平成の現在まで語り継がれてきたのです。

寿司の日って何?│意外と知らない寿司の豆知識

日本を代表する食として最初に挙げられるのが、「寿司(SUSHI)」ではないでしょうか。

現在では寿司の日が存在するほど、寿司は古来から日本人に愛され続けてきました。現在は回転寿司という形になり、手軽に楽しめる和食メニューとして高い支持を得ています。

そんな日本人が大好きな寿司に、記念日があることを知っていましたか?実は、「寿司の日」というものがあるんです。また、寿司の日があること以外にも、寿司が実は東南アジア発祥であることや、寿司の業界用語の意味について正しく知っている人は意外と少ないのではないでしょうか。

今回は、寿司の歴史や寿司の日について紹介していきます。

なんで寿司の日は11月1日にあるの?


出典:写真AC

11月1日が寿司の日として発案された背景にはもちろん、実りの秋や収穫の秋といった側面が存在します。しかし実際には義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)という歌舞伎の狂言の中で登場する「酢(すし)屋の段」という作品が大きく影響していると言われています。

平家の総大将であった平維盛(たいらのこれもり)が都落ちし追手から逃れるために「酢屋の弥平」として大和国(現在の奈良県)吉野郡に潜伏します。吉野川の鮎を使った寿司を作る毎日の中、潜伏先の酢屋の娘と恋に落ち実の名を捨て寿司職人として生きることを決意します。

武将であった平維盛が武士としての名と地位を捨て寿司職人となったのが11月1日だと伝えられるために寿司の日が11月1日になったと言われています。

「寿司の日」制定まで紆余曲折!寿司の歴史

現在では代表的な和食として扱われ、「寿司の日」という記念日が制定されるほどポピュラーになった寿司ですが、そのルーツは遥か昔の東南アジアにあるようです。 東南アジア諸国の中でも内陸国であるラオスやベトナム、カンボジアの内陸部では魚醤という発酵食品が作り続けられ、現在でも庶民の食生活を支えています。

東南アジア発祥の魚醤作りのノウハウは中国を経て日本に伝来したと考えられています。 現代の感覚では寿司と言えば「握り寿司」をイメージしますが、弥生時代に稲作文化と共に中国から渡来した寿司文化は発酵食品を使用したもので現在の寿司のイメージとはかけ離れていると言えます。

現在でも関西地方に残される「なれ寿司」が日本の寿司文化の原型と言えるでしょう。

現在のような握り寿司は、江戸時代に江戸前寿司として発生しました。江戸前寿司をルーツとする握り寿司は全国的に受け入れられ、和食の代名詞となる寿司の文化を作り上げました。

そして、今や寿司の日がの食文化に成長したのです。

なれ寿司とは?

既述した通り、主に魚を塩と白米で乳酸発酵させた食品です。今現在の寿司は米に酢を混ぜた酢飯を用いますが、このなれ寿司は発酵によって酸を出しています。今でも各地で食べることができ、和歌山県では古くから伝わる郷土料理として親しまれています。なれ寿司は発酵させているため、独特の匂いと味があります。

寿司の日ってなんのための日?


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さて、ここまで何度か記事に出てきた寿司の日ですが、正式名称は「全国すしの日」です。通称で寿司の日と呼ばれているというわけですね。

11月1日が寿司の日とされたのは今から約60年前の1961年のことでした。寿司店の業界団体である「全国すし商環衛連」の第4回大会のなかで「実りの秋や収穫の秋、収穫される米への感謝の日」として提言したのが寿司の日の起源です。

寿司の材料として欠かすことができない、日本人の主食である米。その米が収穫される秋に「味覚の秋に伝統の寿司文化を再確認してもらい、老若男女の隔てなく寿司を楽しんでもらう」ことを目的として11月1日を寿司の日としたというわけですね。

伝統工芸士の仕事を紹介|伝統工芸士のなり方・給料・資格の取り方

伝統工芸士とは


出典:写真AC

 日本の伝統工芸品は世界での評価も高く、世界に誇れるものの1つです。そうした伝統工芸品を手掛ける職業に「伝統工芸士」というものがあるのはご存知でしょうか。

「伝統工芸士」は、伝統工芸に従事している者の通称、というわけではありません。あまり知られていませんが、「伝統工芸士」は国家資格となっています。

この「伝統工芸士」は、担い手不足によって後継者問題を抱えている伝統的工芸品産業の需要拡大を見越して1974年から国家資格となりました。

「伝統工芸士」には、産地それぞれの伝統工芸の保存はもちろんのこと技術や技法の研さん尽力しつつ、その技を後世に伝える役割と責任を定められています。 2011年時点での認定登録伝統工芸士数は4,441名でその内女性が569名となっています。 

伝統工芸士になるメリット


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伝統工芸士になると、どんなメリットが見込めるのでしょうか? 伝統工芸士にはその技術を後世に伝える役割があるので伝統工芸を指導することを社会的に認められています。そのため、伝統工芸士の責務である活動を続けるために補助金を受給することができます

一方で、伝統工芸士の世界は職人の世界そのものです。腕さえ良ければ経験や学歴などはあまり関係が無くなるため、実力で勝負できる世界だと言えます。

また、伝統工芸士としての技能を体得していれば、例えばサラリーマンのように定年退職などはありませんので、自分自身が可能な限り働き続けられるというメリットもあります。

さらに、職場によっては資格手当のような特別給与が支給される場合もあり、収入面でもメリットがあるかもしれません。

伝統工芸士になるには


出典:写真AC

伝統工芸士になるには伝統的工芸品産業振興協会が行っている認定試験を受験し、その試験に合格する必要があります。試験の合格率は受験者の6割ほどとなっているようです。

伝統工芸士の受験をするためには条件があります。それは、経済産業大臣が指定している伝統的工芸品の製造実務経験が12年以上あり、なおかつ産地内に居住していることです。

ただし実務経験の年数が20年以上必要など、それぞれの産地における組合において独自内部規定が設けられている場合もあります。

試験内容は、知識試験と実技試験それに面接試験の3段階で行われています。知識試験では伝統的工芸品産業振興協会の規定に基づき、伝統工芸士の専門的知識や資質などについての出題がされます

実技試験はその伝統工芸における専門的な技術を、面接試験においても対象となる伝統工芸品の専門的な技術や資質が求めらます。そのため、知識試験以外の実技および面接試験においては、より高い専門的な知識などが必要なことから、伝統的工芸品産業振興協会ではなく、産地組合に委任されています。

試験は9月頃に行われることが多く、合否判定の比重は知識試験より、実技試験や面接試験などの結果が重視されるため、対象の伝統工芸にすり寄った採点方法となっています。大体12月ぐらいには合否の結果が通知されます。

試験の結果、見事国家試験を通過した場合は、それぞれの産地委員会を通して伝統工芸士の登録申請を行い、年が明けた2月下旬には伝統工芸士として登録されるというわけです。