太神楽とは?
太神楽は楽に端を発した伝統芸能の1つです。獅子舞に代表される「舞」、小刀や輪を操る投げ物や番傘や皿、升などを操る「曲芸」、源三位頼政(けんざんみよりまさ)、祐兼参詣(すけかねさんけい)などに代表される掛け合い茶番の「話芸」、祭囃子に代表される「鳴り物」の4つの芸で構成されています。
神社に祀られる神への奉納や氏子への祈祷のために行われた「神事芸能」として始まった太神楽の代表的発祥地として三重県の伊勢、尾張(現在の名古屋)の熱田、茨城県水戸などが伝えられています。
江戸時代には庶民の娯楽に形を変えた大道芸として「大衆芸能」となり、舞台を寄席などに変えた近代では「舞台芸能」として受け継がれています。
太神楽の特徴
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近年最も知名度の高い太神楽の演者として傘回しを中心とした曲芸を行う「海老一染之助・染太郎」の両氏が知られていましたが、残念ながら両氏とも亡くなってしまいました。 太神楽は太神楽社中と呼ばれる一座で興行を行います。
時代によって人員や構成は異なりますが、親方と道化師が各1人に、鳴物師が3人、道具を担ぐ者が1人の計6人で構成される一座が基本となります。 鳴物師が奏でるお囃子に合わせて、舞や曲芸を披露する芸能集団だと言えるでしょう。
神事の流れ組むことから、魔を払う獅子舞(神楽舞)を行いながら家々を廻る姿がかつての日本では見ることができました。 厳しい徒弟制度の中で日夜芸を磨き受け継がれてきた曲芸の技術の高さは、しばしばメディアにも取り上げられ多くの人たちの目を楽しませてくれました。
太神楽の歴史
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太神楽の発祥については諸説存在しますが、一般的には今から約500年前の鎌倉時代に飢饉と悪疫に見舞われた伊勢国度會郡山田郷で、獅子頭を土地を守る鎮守の神である産土神(うぶすかみ)として祀り魔を払うために、獅子を舞ったことが太神楽の始まりだと言われています。
時代が下り江戸時代に入ると、次第に庶民の生活基盤が安定し伊勢神宮や熱田神宮への参拝が娯楽としての人気を得ます。
伊勢参りや熱田参りが盛んになるに従い、伊勢や熱田から各地へ出張し、神札の配布や祝祷を行う神事芸能として太神楽の巡回も盛んになります。
各地で興行を重ねるにつれ次第に太神楽は娯楽性を重視した大衆芸能へと姿を変えていきます。生活水準が決して高いとはいえなかった地方でも、太神楽の興行は最高の娯楽として大いに受け入れられたようです。
庶民の娯楽の場が舞台に移る時代に入ると、太神楽社中も舞台や演芸場に活躍の場を移し舞台芸能へと姿を変えます。こうして脈々と現代まで受け継がれてきた太神楽ですが、現在は演者の高齢化と後継者不足から徐々に姿を消しつつあると言えます。