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べっ甲はカメの甲羅?歴史や手入れ方法、老舗店も紹介

伝統工芸品であるべっ甲ですが、名前は知っているけれどいまいちどのようなものなのかはわからない、そんな方もきっと少なくないことでしょう。 べっ甲というものがなんなのか、どのような歴史があるのかを知ることがべっ甲の魅力を知る近道となります。

べっ甲とは


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まずべっ甲とは、温かい海に生息しているウミガメ「タイマイ」の甲羅を加工した工芸品のことを指します。 タイマイは大西洋や太平洋、インド洋といった赤道付近の海に生息している中型のウミガメで、体重約60kg、甲羅の大きさは70~90cmほどであるといわれています。

このタイマイの甲羅を糸ノコなどで形を整え、数枚のパネルに加工したものを熱や水を加えて張り合わせていったものがべっ甲細工といわれるものになります。 ちなみに英語では「Tortoiseshell」と呼ばれています。 

べっ甲の歴史


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べっ甲は元々は中国の技術であり、始皇帝の王冠の一部に使われていたという話があるほどにその歴史は非常に古いものです。日本には今から約1300年ほど前に小野妹子が随より持ち帰ったものが最古であるとされており、今でも奈良正倉院の宝物庫に保管されています。

日本で本格的に普及し始めたのは長崎にてオランダとの貿易が盛んに行われる様になった元禄時代、遊女や大名夫人といった富裕層の装飾品として加工され始めたのを皮切りに、明治時代には外国人向けのお土産品などを作るようになるなど目覚ましい発展を遂げました。

日本で普及し始めた当初は貴族向けの装飾品であるという印象が強かったべっ甲ですが、戦後以降には庶民の手にも渡るようになり、アクセサリーや置物などあらゆるものに加工され親しまれるようになったのです。

しかしその後は原材料であるタイマイがワシントン条約によって輸出入が禁止されてしまい、材料が手に入らない状況が続いています。現在は禁止される前に国内に輸入されていたタイマイの甲羅を利用していますが、それもままならないような状況となっています。

養殖などの研究が盛んに行われていますが、なかなか上手くいかないのが現状です。

べっ甲の加工品


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べっ甲の加工品といえば簪(かんざし)やメガネフレームなどが一般的ですが、最近では指輪やネックレス、ペンダントやイヤリング、そしてピアスなど様々な形に加工されています。

べっ甲細工はタイマイの甲羅を使用しますが、一口に甲羅と言っても背甲、腹甲、爪甲のどこを使うかによって色合いや模様が異なるなど全く異なる顔を見せてくれる魅力があるため、様々なアクセサリーに加工されているのです。

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煎茶の美味しい淹れ方や製法│玉露との違いや特徴も紹介

煎茶の製法

煎茶は、様々な手間暇がかけられて作られています。まずは茶葉の「蒸し」が入ります。摘まれた茶葉が、生き生きとしているうちに、蒸気で熱を加えていきます。これによって茶葉に含有されている酸化酵素の働きが抑えられ、発酵が防げるのです。また、茶葉の色をそのままキープし、かつ、草っぽい青臭さを除く作用があります。

次に「揉み」が入ります。冷ました茶葉が、冷えすぎないうちに熱風にあてながら、ほぐしていきます。さらに、茶葉に圧力をかけながら回転させほぐしていき、茶葉の水分を均一にさせます。これを繰り返し、適度なほぐれ方になるまで乾かせてから、圧力をかけて茶葉を板の上で揉みこみ、細長く美しい茶葉の原型が出来上がります。

そして「乾燥」をさせます。改めてきっちりと乾燥をさせ、茶葉の重さがもとより四分の一程度の目安まで減らし、凝縮をさせます。その後は「整形」となります。

長さ・太さを含めたサイズ形によって、茶葉を振り分け、その用途によって形状を整えていきます。仕上げに「火入れ」が行われます。熱風や、近年では遠赤外線などによって、熱を茶葉にかけていく工程です。

この工程によって、茶葉の保存効果・品質安定効果・風味の凝縮効果があるとされています。なお、この熱を加える時間や温度によって、風味をアレンジ・調整することができます。

煎茶の味の特徴

煎茶は、日本では『日本茶』の中でも7割近くの消費を占めていると言われています。まろやかで飲みやすく、ほどよい茶葉の香りが楽しめるのが煎茶です。「しぶみ」「にがみ」「あまみ」「うまみ」がそれぞれクセがないバランスで味わえる、とてもポピュラーで愛されやすいお茶が煎茶なのです。

煎茶の美味しい淹れ方

煎茶は、適度に湯冷まししてから淹れると美味しく味わえます。ですので、まずは湯冷ましするために、湯のみにお湯を八分目ほどまで入れ、お湯を冷まし、かつ湯のみを温めます。

次に、茶葉を急須に入れてから、湯のみのお湯を急須に注ぎます。この時、お湯は約80℃~90℃ほどに熱が下がっており、茶葉に最適な温度となっています。

そして、約60秒、蒸らして待ってから、急須の中を覗いてみて、茶葉が開いているかどうかチェックします。開いていたら、それぞれの湯のみの中が均一となるように、順番に少しずつ回しいれ、最後の一滴まで、湯のみに入れきるようにします。

この一滴に煎茶の旨味が詰まっているので、淹れきるのはとても重要なポイントといわれています。

【なし崩し】間違いやすい日本語の意味や正しい使い方|例文も紹介

「なし崩し的に事を進めていく」といった文章を目にしたことはありますか?

この例文で使われている「なし崩し」という言葉を目にしたり耳にする機会はよくあるとは思いますが、その意味をしっかりと理解している人は意外に多くはないのではないでしょうか。 「なし崩し」という言葉の意味やその由来などを紹介していきましょう。 

なし崩しの意味


出典:写真AC

「なし崩し」という言葉は、「ものごとなどを徐々に進めて片づける」ということを意味しています。

よく、「雰囲気や勢いに任せて」という意味や、「うやむやにして」という意味で「なし崩し」という言葉が使われている場面を目にしますが、本来こういった意味はありませんので、「なし崩し」という言葉を使う際は注意してください。

なし崩しの由来 ・言葉の背景

「なし崩し」という言葉の意味は先述の通りであり、「少しずつ」という言葉に言い換えることができます。間違った使い方で使ってきた人にはピンとこないかもしれませんが、ここでイメージしやすいように「なし崩し」という言葉の語源や由来に触れてみましょう。

「なし崩し」という言葉は、本来「済し崩し」と書きます。つまり、元々は借金の返済に関する言葉だったわけです。 借金を少しずつ返済していき、完済に向かっていく様子を表す言葉として使われていたことが転じて、ものごとを進める様子を表す言葉として使うようになりました。

こうして語源を見てみると、「なし崩し」という言葉が「少しずつ」と言い換えることができるのもイメージしやすいでしょう。

なし崩しの例文を紹介


出典:写真AC

「なし崩し」という言葉が「少しずつ」として言い換えられることをイメージできるようになったところで、「なし崩し」という言葉を使う場面を見てみましょう。 まずは、冒頭で紹介した「なし崩し的に事を進めていく」という文章を見ていきます。

この例文は、仕事上のプロジェクトやプライベートでのリフォーム計画など、自分やチームの立てた計画について、計画の終着点に向かって一つずつ着手し、手を進めていく様子を指した文章になります。

もう一つ違う場面で使う例文として、「労働環境がなし崩しに悪化する」という文章も見ていきましょう。 この文章の場合は、終着点は見えませんが、自分あるいは周囲の労働環境が徐々に悪くなっていく様子を指しています。

後者の例文では、「成り行きで」といった間違った意味として使われる「なし崩し」と近い使い方でもありますが、あくまでも「少しずつ」悪くなっている様子を指しています。

「なし崩し」という言葉に含まれる「崩す」という単語にマイナスイメージを抱く人もいると思いますが、実際には良い意味でも悪い意味でも使うことができる言葉になります。

なし崩しの類義語・対義語

「なし崩し」という言葉の類義語と対義語を紹介していきましょう。 まずは類義語から見てみましょう。すでに紹介しているように「少しずつ」や「徐々に」という言葉が分かりやすいでしょう。

他には「じわじわと」といったように変化に時間がかかる様子を表す言葉が類義語にあたります。 次に対義語についてみてみましょう。「急速に」といったように、ものごとの変化のスピードが速いというイメージを持てる言葉が対義語にあたります。

なし崩しを正しく使う


出典:写真AC

「なし崩し」という言葉の意味や語源、文章中での使い方などを紹介してきましたが、皆さんが知っていた「なし崩し」の意味は間違ってはいなかったでしょうか?

「なし崩し」という言葉は本来借金の返済に関する言葉である「済し崩し」が由来になっていますが、こうして語源や由来を正しく理解すると、本来持っている意味がイメージしやすいことでしょう。

また、字面からマイナスイメージを抱きがちになってしまいますが、本来はどちらの意味でも使える言葉です。そのイメージからか、間違った意味で使われることが多い言葉であるのもまた事実です。 実際に「なし崩し」という言葉を使う場面もあると思いますが、その時には間違った意味ではなく、正しい意味で使うようにしましょう。

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静かな迫力のある空手の型|知っておきたい空手の4大流派を紹介

空手の型とは何か

空手は型と組手(くみて)を繰り返し鍛錬することで、技術を習得していく武道です。一人で行う演武である型は、空手の習得に欠かせない様々な要素が組み込まれています。型を繰り返し鍛錬することで突きや蹴りなどの動きや、間合い、体裁き、目配りなどが身に付くと考えられています。

数秒から数分の型を演武することは、目に見えない相手と数分から数秒の組手を行うのと同じ意味を持ち、空手大会などで披露される上級者の型の模範演武は観客の目にも対戦者の姿がありありと浮かぶほど完成度の高いものです。

非常に奥の深い空手の型は指導者の解釈や、流派の特色によって動作が改変され4大流派と呼ばれる松濤館流、糸東流、和道流、剛柔流の各流派によって同じ名称の型でも内容が異なります。

琉球起源、空手の型の歴史


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空手の起源には諸説ありますが、一般的には琉球(現在の沖縄)に端を発すると考えられています。琉球王国時代に沖縄の券法、中国武術、日本の古武術が融合し琉球空手が誕生しました。

当時の琉球王国には数多く流派が存在したものの、多くは首里手(しゅりて、スイディー)、泊手(とまりて、トマイディー)、那覇手(なはて、ナーファディー)の3つの流派に統合され空手道三大系統と呼ばれるものに成長します。

空手の修練方法である型は、場所や時間を選ばず行うことができることから非常に有効的な修練方法として発生し、各流派の奥義に合わせて成長したと考えられています。

琉球を離れ日本国内で成長した空手は再び多くの流派を生みますが、かつて琉球で空手道三大系統が生まれたように、4大流派が誕生し各流派の流儀に沿った型の改変や独自の型の開発が行われました。現在全日本空手道連盟は各流派に指定型を設定し、空手大会の型の部ではそれが演武されます。

空手の型①松濤館流


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80年以上にも及ぶ歴史を持つ空手の流派が松濤館流です。正統派空手と高い評価を受ける松濤館流の空手を代表する型と言われているのは「慈恩(じおん)」ですが、全日本空手道連盟が指定する松濤館流の指定型は約20数種類存在します。

代表的な第一指定形は「観空大(カンクウダイ)」や既述した「慈恩(ジオン)」があり、第二指定形は「観空小(カンクウショウ)」や「燕飛(エンピ)」が挙げられます。 これらの型を長年繰り返し鍛錬することで、いつか正統派空手と呼ばれる松濤館流の奥義に到達する日が来ると門下生たちは日々型の鍛錬に励んでいます。

空手の型②糸東流


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空手の起源と考えられている琉球空手の空手道三大系統と呼ばれるのが首里手(しゅりて、スイディー)、泊手(とまりて、トマイディー)、那覇手(なはて、ナーファディー)の流派です。糸東流はベーシックな技術を首里手に求め、さらに那覇手を取り入れ融合させて作られました。

空手の特徴である突きと蹴りに投げ技などを取り込んでいる糸東流は、型の数の多い流派としても知られています。全日本空手道連盟が指定する糸東流の指定形は第一指定形が「抜塞大(バッサイダイ)」、「征遠鎮(セイエンチン)」、第二指定形が「松村ローハイ」、「二十八歩(ニーハイポ)」とされています。

7割が間違う!「穿った(うがった)見方」の正しい使い方と意味

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「君は穿った(うがった)見方をするタイプだなぁ」と言われた場合、あなたは嫌味を言われたと感じますか?それとも褒められたと感じますか?

「言葉は時代に応じて柔軟に変化していく生き物だ」というような捕らえ方をする方がいますが、余りにも本来の意味とかけ離れた理解は言葉の誤用を招き、文化が脆弱になってしまう危険性を孕(はら)んでいます。

2011年に文化庁が行った国語に関する世論調査では、実に約7割近くの回答が穿った(うがった)見方の意味を本来の意味ではなく誤って理解していることが判りました。

つまり、穿った(うがった)見方という言葉は誤った意味で捉えられ、誤用されている言葉の代表的な存在だと考えられます。穿った(うがった)見方の本来の意味や使い方を掘り下げいきましょう。

【意味】 穿つように鋭い洞察力で物事の本質を見極めるような見方のこと。
【由来】 穿つという言葉は獣が牙で穴を掘る様子や、獣の牙を利用した道具で穴を掘る様子を指し示していたことから。
【類語】 「看破(かんぱ)する」「審美眼がある」「鑑識眼がある」「眼力が高い」「確かな目を持つ」
【対義語】 「目が節穴」「見る目が無い」「目が利かない」「鑑識眼がない」「不見識」
【英訳】 「penetrating remark」

穿った(うがった)見方の意味


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穿った(うがった)見方という言葉を分析すると、穿つ(うがつ)ような見方を指していることが判ります。現代では穿つという言葉が使われることは少なくなってしまったかもしれませんが、穿つには穴を開けるという意味があります。

転じて物事の本質を見極めるという鋭い洞察力を指す場合に使用されるようになりました。

つまり穿った見方というのは、本来は「穿つように鋭い洞察力で物事の本質を見極めるような見方」という意味を持つ言葉なのです。穿った見方は褒め言葉ということになります。

既述した世論調査の中では全体で約半数の人が本来の使い方ではない、「疑ってかかるような見方をする」という意味で使っており、また、約5人に1人が分からないと答えています。

また、穿ったという言葉を用いたことわざの一つに「穿ち過ぎ」という言葉があります。これは、物事の本質や人情の機微をとらえようと執着するあまり、真実からかけ離れてしまうことを指し、この言葉からうがった見方の誤った意味に影響を与えたと考えられています。

本来褒め言葉である穿った見方も、受け取り手によっては「嫌味を言われた」と感じてしまう危険性があるということですね。

穿った(うがった)見方の由来・言葉の背景


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穿った(うがった)見方の穿つという言葉が、穴を開けるという意味を持つことは既に紹介しました。穿つという漢字は穴と牙で構成されています。

表意文字として考案された漢字は文字の構成から、ある程度その文字の背景を読み解くことが可能な文字ですから、 本来穿つ(うがつ)という言葉は獣が牙で穴を掘る様子や、獣の牙を利用した道具で穴を掘る様子を指し示していたのではないかと考えられます。

本来、物事の本質を鋭く見極める洞察力を指す穿った見方が誤用されるに至った背景には、余りにも深掘りし過ぎて到達した結論は、実は本質とはかけ離れてしまうことがあるということを揶揄していたという説があります。

他にも、現状に惑わされることなく本質を見極めるためには物事を疑ってかかる見方が必要なことから、「ひねくれた、素直でない、偏見に満ちた見方」という誤用を招いたのではないかと考えられます。

穿った(うがった)見方の使い方


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具体的に、穿った(うがった)見方という言葉はどのようなシチュエーションで用いることができるのかを考えてみましょう。

例えば新規案件に対する固定観念に縛られない意見が欲しい場合には「この案件について穿った見方が得意な彼の目にはどう映るかを聞いてみたい」

物事の真実に自由な発想で迫ったことで導き出した研究結果がある場合などには「素晴らしい研究結果に辿り着いたのは穿った見方を得意とする彼女の存在があったからだと言える」

そしてうわべに惑わされない世界観を確立している人を評する場合には「彼の独特の世界観は常に物事を穿った見方で見ていることで作り上げられたようだ」などの用い方ができます。

穿った(うがった)見方の類語・対義語・英訳

穿った(うがった)見方の類語には「看破(かんぱ)する」「審美眼がある」「鑑識眼がある」「眼力が高い」「確かな目を持つ」などの言葉が存在します。これらは全て物事の本質を鋭く見抜く力を指す言葉で、直接的な賞賛の意味を持っているのが特徴的だと言えます。

一方、穿った見方の対義語には「目が節穴「見る目が無い」「目が利かない」「鑑識眼がない」「不見識」などの言葉が存在します。どの言葉も物事のうわべに囚われて本質を見極めることができない状態を指します。

また、穿った見方を英語で伝えたい場合、「penetrating remark」で穿った見方となります。「penetrating」は「貫通する」や「洞察力のある」、などの意味があります。「remark」は名詞として使うと意見や注目といった意味になります。

穿った(うがった)見方だけじゃない!日本人が誤って使っている言葉とは?


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これまで、穿った(うがった)見方の本当の使い方や由来などについて見てきました。穿った見方だけでなく私たち日本人が誤って使っている言葉は他にもたくさんあります。実際に誤って使っている言葉の本当の意味を見ていきましょう。

・失笑

失笑という言葉を「笑いも出ないほどあきれた様子」として使っている人が多いのではないでしょうか?実際に平成23年に文化庁が行った「国語に関する世論調査」では60パーセント以上の人が誤った意味で使っていました。本来は、「笑いがこらえきれず、思わず吹き出してしまう」という意味です。

・御の字

こちらも誤って使っている人が多い言葉です。文化庁が行った「国語に関する世論調査」で「一応、納得できる」といった意味で解釈している人が50パーセント以上に上りました。しかし、本来は「大変ありがたい」といった意味です。

・気が置けない

こちらの言葉も約半数の人が「相手に気配りや遠慮をしなくてはならないこと」として本来の意味とは真逆の意味で使っていました。しかし、本来は「相手に気配りや遠慮をしなくてよい」という意味です。つまり、「気が置けない仲」というのは、仲が悪いのではなくむしろ仲が良いということです。

・煮詰まる

「議論が煮詰まることは良いことでしょうか?文化庁の行った「国語に関する世論調査」では40代より前の年代の方になると「結論が出せない状態になること」として誤って捉えている割合が多くなります。

しかし、本来は「結論が出せる状態になること」という意味で、議論が煮詰まることはその完成を指します。

・敷居が高い

こちらも、30代以下の年代になると「高級すぎたり、上品すぎたりして入りにくい」という意味で使っている人が多くなります。しかし、本来は「相手に不義理などをしてしまい、行きにくい」といった意味です。現代になってだんだんと使われ方や意味が変化してきています。

・爆笑

この言葉は本来、「大勢がどっと笑うこと」として使われていました。しかし、ほとんどの人が「一人で大笑いすること」という意味で使っているのではないでしょうか。現在は広辞苑が改訂され、一人で大笑いすることも爆笑の意味として含まれるようになりました。

至上の褒め言葉である穿った(うがった)見方


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穿った(うがった)見方という言葉の本来の意味は「物事の本質を鋭く見極める高い洞察力を供えたものの見方」だということが判りました。これは至上の褒め言葉ではないでしょうか?

しかし、穿った見方の正しい意味を理解していない相手に対し「君は穿った見方をするね」などと使うと不快な思いをさせてしまう場合があるので気を付けてください。

「君は素晴らしい洞察力を持った穿った見方をするね!」と褒めるような言葉を添えて、日本語を正しく使いこなせる粋な日々をお送りしてみてください。

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<体験レポート>桂七宝研究所|七宝焼アクセサリー作りを体験

今回、埼玉県にある桂七宝研究所に訪問し体験させていただきました!
埼京線・武蔵野線「武蔵浦和駅」から徒歩10分程のところにあります。


↑作り方を丁寧に教えてくださる笹之内えりさん

七宝焼きを教えて下さったのは笹之内えりさんです。
初めてお会いするのでとても緊張していたのですが、笹之内さんの笑顔と柔らかい雰囲気に私も緊張がほぐれました。

桂七宝研究所の生徒さんとの出会い


↑体験先の生徒さん

工房に入ると生徒さんが3人ほどいらっしゃいました。
どの生徒さんも年配の方でしたが老いを感じさせないほど生き生きしており、自身の作品を一つ一つ丁寧に作り上げていました。

七宝焼き作品に触れる

笹之内さんの作成途中の作品を見せていただきました。1枚の大きな桜の有線七宝焼きで色づけはまだでしたが、銀線で一つ一つ丁寧に作られた桜の花びらは圧巻です。

完成品はなんとも見事な七宝焼き作品はできるまでの過程も美しいものでした

七宝焼きを愛してる笹之内さんだからこそ、このような繊細な作品を手掛けられるのでしょう。

七宝焼き作りに挑戦!

たくさんの七宝焼き作品に感動したところで実際に私も七宝焼きに挑戦!


↑お手本を見ながら作ります

今回、私は型作りから体験するヘラ彫金でブローチを作成しました!

ヘラ彫金だと銅版が薄いので作れるアクセサリーは限られますが、型がもう既にできているものだとバレッタや指輪などバリエーションが豊富な体験もあります!興味のある方は是非そちらもおすすめします。

では、早速作っていきましょう!


↑750~780度で焼成中

<作り方>

①0.2mmの銅版に傷を付け丸い型をつける。

②型を付けた銅を750度~780度の温度で2分焼きなます。これをすることで硬かった銅が柔らかくなり変形しやすくなるため型がとりやすい!

③焼きなました銅の周りについた酸化銅をハケで取り、さらにタワシで軽くこすった後、希硫酸液に2分程漬け、金ブラシで磨く。


↑七宝焼きの土台はこんな感じなんですね~

④焼きなまし、柔らかくなった銅板を丸型にハサミで切っていく。そして、目打ちで中心を決めてボールペンで筆圧強めで放射線状に線を対角線に入れる。(線を描いた方が裏になります)七宝焼き独特の光沢が出るとっても重要な作業!


↑指で触れないように慎重に塗ります!

⑤もう一度銅板を焼きなまして先程と同様に酸洗いをして、脱脂液を塗り乾燥させる。(人の皮脂がつくと光沢が変わってしまうために行います!)


↑真剣な表情!

⑥裏側を裏引きといってガラスや鉱石を砕いた釉薬(ゆうやく)で色付けをしていく。

この釉薬を使うことで七宝焼きの輝きが出ます。色付けをする際、ホセで叩くようにして名刺一枚分の薄さになるよう塗っていきます。

この時注意点として少しでも銅が見えていたり釉薬(ゆうやく)が乗っていないと焼いた際に穴が開いてしまうのできっちり穴が開かないよう釉薬を塗りましょう。
裏引きが終わったら乾燥させ、800~850度で焼成します。


↑穴が開かないかドキドキです!

そして、先程と同様にタワシで擦り、希硫酸液に漬け、磨きます。

⑦表に脱脂液を塗り乾燥させる。

【百人一首の意味】紫式部と清少納言が書いた歌が表現するもの

「百人一首」って習ったことありますか?小学校のころにかるたで覚えさせられたという人もいるのではないでしょうか。意味も分からず吸収してしまっていたかもしれませんが、百人一首はその意味をきちんと知ると、現代にも通じる驚くべき普遍性があることがわかりますよ。今回は百人一首の中でも言わずと知れた著名人、紫式部と清少納言の歌について解説します。

百人一首とは


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百人一首は、100人にも及ぶ歌人の歌を集めたもので、「ひとり一首ずつ」の歌を集めているのが特徴です。一言で百人一首といっても、その種類は一種類ではありません。

百人一首の中で一番有名なのは、おそらく『小倉百人一首』でしょう。これは、天智天皇や順徳天皇などの歌が、100人から成り立っているものです。現代人にとっては、「歌がるた」と言った方が馴染みが深いかもしれません。

これ以外の百人一首で有名なのは『新百人一首』が挙げられます。他には、「武家」「女房」「道歌」「英雄」といった、様々な冠をつけた百人一首が作られているんです。そんな背景もあって、百人一首は歴史の勉強ができるアイテムとしての一面も持っています。それぞれの百人一首に、その時代を象徴した意味がたっぷり詰まっているのが面白いところです。

百人一首の決まり字とは


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決まり字は、百人一首が読まれた時に、最初のいくつかの文字を聞いただけで札を判断できる「頭文字」のようなものです。競技で百人一首をする場合は、誰よりも早く札を取ることが大事ですが、そのためには決まり字を覚え、聞き分ける能力が必要不可欠です。

例えば、一般的な競技かるたで使われている「小倉百人一首」で言うと、「い」で始まる札は3枚あります。「いにしへの」、「いまはただ」、「いまこむと」です。つまり、この場合の決まり字は、「いに」、「いまは」、「いまこ」ということになります。

このような決まり字が、「あ」「い」「う」・・・と、それぞれの仮名で存在しているのです。そのため、競技かるたの選手は、この決まり字を全て暗記しています。

百人一首の季語

季語の意味は、「季節を表す言葉」です。例えば「雪」という言葉を使えば、季節は冬であることがわかりますよね?季語は、百人一首にかかわらず連歌、俳諧、俳句などで使われていて、「春」「夏」「秋」「冬」を直接ワードに出さずに、いかに季節を感じさせるかが詩人の腕の見せ所となっているのです。

ちなみに、季語はひとつの歌の中に複数入れるのはナンセンス。一つで良いとされています。もし、この記事を読んでいるあなたが、歌を作る機会があった時には注意してください。

百人一首にも登場 紫式部ってどんな人?


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百人一首に含まれている歌人は、多岐にわたっています。その中でもっとも有名と言っても過言ではないのが、紫式部です。紫式部は、平安時代の中期に生きていた女性の作家で、「源氏物語」の作者とされています。

紫式部は、生年月日が不明なため、正確な年齢は把握されていません。また、いつ亡くなったのかもわかっていないのです。しかも、本名まで不明!したがって、現代でも様々な憶測が飛び交っていて、謎多き意味深な人物とされています。

紫式部の歌


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紫式部の歌で有名なのが、こちらです。

「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな」。

現代風に意味を説明すると、「久しぶりに会うことができたのに、それがあなたかどうかわからないうちに帰ってしまうなんて。まるで、早々と雲に隠れてしまった夜中の月のようですね」といったところです。

この歌には、「久しぶりに再会した古い友人への思い」がこめられています。久しぶりに会うことができたのに、あまり喋ることができず、あっという間に時間が過ぎてしまった寂しさを、夜空の月に例えているんです。

百人一首にも登場 清少納言ってどんな人?


出典:れきし上の人物.com

紫式部と並び称される歌人が、清少納言です。清少納言は、平安時代の中期に活躍した女性の作家です。中宮定子の家庭教師も務めた才女でした。代表作は『枕草子』。これは国語の授業で習いましたよね。

ちなみに、清少納言は、有名な歌人の清原元輔の娘として知られています。百人一首には清少納言の歌も含まれており、父親の歌人としての才能をしっかり引き継いでいるのが見て取れるのです。

清少納言の歌


出典:写真AC

清少納言の歌で有名なのは、「夜をこめて鳥の空音は謀るともよに逢坂の関は許さじ」です。現代語に意味を直すと、「夜が明けてないのに鶏の鳴き声の真似をしてここを通ろうとしても、ばれてますよ」みたいな感じです。この歌ができた背景には、次のようなストーリーがあります。

清少納言には、夜遅くまでおしゃべりをするような宮中の友人がいました。能書家であった藤原行成です。しかしある夜、行成はおしゃべりの途中で帰ってしまいました。翌朝、行成は「昨日はニワトリの鳴き声に急かされて、早く帰ってしまった。

でも、本当はもっと話がしたかった」という和歌の手紙を送りました。清少納言はそれに対して、『史記』の故事になぞらえて「『ニワトリの鳴き真似で開けさせた』ことへのオマージュですか?」といった意味合いでこの歌を返したのです。

当時は女性が『史記』を学んでいるだけで珍しいものでした。書の達人である行成との掛け合いがおもしろい一句です。

百人一首、二つの歌の魅力

今回は、清少納言と紫式部の代表作に焦点を当ててみました。いかがでしたでしょうか?難しそうに思えますが、その意味を知ると、ぐっと惹きつけられますよね。

1000年ほど前に生きていた人物が、現代にも通ずる意味合いを持たせていたというのは驚きです。百人一首には、まだまだいろんな意味を持った歌があります。興味を持った方は、リサーチしてみてはいかがでしょうか?   

着物で街歩きもできる!愛媛・内子で手しごと体験

古い町並みが残る内子の中の町家で営まれている「うちこの和 手しごと職人の家」。伝統工芸品の雑貨の販売や手作り体験ができる素敵なお店です。お土産を選んだり、オリジナルの工芸品を作ってみたりと、日本の繊細なものづくりをめぐる楽しいひとときが過ごせます。

内子の町並み

愛媛県の南予地方の内子町は、山に囲まれた小さな町です。内子町は江戸時代後期から明治にかけて、ハゼの実からとる木蝋の生産で栄えた町です。和ろうそくの材料である木蝋は、口紅やクレヨンなどの材料にもなります。内子は日本最大の木蝋の生産地となり、海外にも輸出されていました。内子の商人たちは、小さな町に独自の町並みと文化を生み出したのです。

その後木蝋産業は衰退しましたが、町並みは当時のまま残りました。町並み保存が観光資源として今ほど評価されていない時代から、内子は保存に取り組み、状態の良いままで昔ながらの町並みを残しています。「八日市護国の町並み」は1982年から重要伝統的建造物群保存地区に制定されました。

うちこの和 手しごと職人の家

そんな内子の八日市護国の町並みの中に「うちこの和 手しごと職人の家」はあります。築140年の古民家を使った一軒です。

運営しているのは「内子手しごとの会」。平成の大合併で内子町、五十崎町、小田町の3町が合併して新内子町が生まれたことから、地域の職人さんたちがそれぞれの強みを活かして、新たな商品開発をしていこうという活動を行っています。

内子彩あんどん

中でもひときわ目をひくのが「内子彩あんどん」です。内子の木工会社が企画開発しています。白木や古色塗りの枠に格子をはめ込んだものと、柿渋で染めた和紙に切り絵を施してはめ込んだものの2タイプがあります。

やわらかな光が和の空間をつくりだし、モダンなインテリアにもマッチします。切り絵タイプは、注文にも応えてくれてオリジナルデザインにも対応しています。

日本が誇るべき全国の地方産品Wonder500にも認定されています。平成21年度の21世紀えひめの伝統工芸大賞準大賞も受賞し、「えひめのすごモノ」にも選ばれています。

手しごとの体験

「うちこの和 手しごと職人の家」では、さまざまな手作り体験もできます。手作りキットがあり、丁寧に指導してもらえます。参加費は2,000円。柔かな光の行灯が完成します。

あんどん作り以外にも、

・木細工(木のへら、木のパスタへら)

・和ろうそくづくり

・燭台づくり

・切り絵

・ギルティング和紙

などなどさまざまな手しごとの体験があります。

また「内子あでカワプロジェクト」としてレトロな内子町並みを着物で街歩き体験ができる「着物着付け体験」も用意され、着物レンタルと着付けもしてくれます。フォトジェニックな街で素敵な着物写真が撮れますね。

「内子あでカワプロジェクト」

https://www.facebook.com/uchikoadekawaproject

「うちこの和 手しごと職人の家」をご紹介しました。職人さん達が伝統に則って作った和のグッズがたくさんそろっていろいろ欲しくなってしまいます。手づくり体験もここでしかできないものも多く価値があるので、ゆったり内子をまわる際に是非体験してみて欲しいものです。

内子の町並み保存地区は、こじんまりしている中に、歴史的な建築物があったり素敵なお店があってとても素敵なところです。愛媛にお立ち寄りの際は、ぜひ足を伸ばして内子にも訪れてみてください。

うちこの和 手しごと職人の家
住所: 愛媛県喜多郡内子町内子2899-2
電話番号:0893-44-7776
公式HP:http://u-tesigoto.sakura.ne.jp/

文・写真/あかつき

200年続く愛媛唯一の和ろうそく職人|内子町「大森和蝋燭屋」

【大福やボンタンアメに必須】求肥のレシピと歴史|お餅との違いは?

求肥とは

皆さん和菓子はお好きですか?

今回は和菓子によく使われている「求肥」について皆さんにご紹介したいと思います。

求肥は、餅粉に砂糖とお水を加えて火にかけながら練り上げて作ったものになります。時間が経っても硬くならない為、和菓子やアイスなどに使われています。

皆さんもよく御存知の、羽二重餅や、子どもの頃の駄菓子で御存知のボンタンアメや、雪見大福の外側のお餅の部分はこの求肥をアレンジして使われています。

求肥の由来・歴史


出典:写真AC

では求肥はどこから来たのでしょうか?

求肥が日本に伝わったのは、平安時代と言われています。平安時代に中国の唐の国から伝わり私達の嗜好品の材料として使われる現代に至っています。中国では祭礼の際に捧げられていた物だと言われ、当初伝わった求肥は、牛皮と言われていたとされています。

牛皮と言われる所以は、当時は砂糖を現代の様に白く精製する技術がなく、砂糖は黒砂糖が主だったため砂糖を入れた求肥の色が牛の皮のようだった為牛皮といわれたという説があったり、また他に、中国で用いられたお菓子の中に、砂糖と澱粉を混ぜて煮て練ったお菓子に牛皮糖というものがあり、そこから名前の由来が来ているとされる説など、求肥には様々な名前の説があります。

当時日本は仏教思想が広まっており、牛などの獣を食べることを良しとしなかった時代だった為、牛皮という文字が替わり、その後、求肥という字を当てたとされています。

求肥とお餅の違い

和菓子によく使われる、お餅や求肥ですが実はとても似ていると思いますよね。でも実際は違っているのです。お餅は皆さん御存知の通り、餅米をせいろや蒸し器で蒸したものを臼に入れ、杵でついてお餅に仕上げていきます。

つきたてのお餅は柔らかくとても美味しいものですが、時間が経つとお餅は固くなってしまいます。一方求肥は餅米をそのまま使用していくのではなく、一旦、餅粉にしてそれに砂糖や水を加えて作っていきます。

一度餅粉に糖類や水を加えたものを火にかけながら練り上げていくことで滑らかになり、水分を抱え込む糖の性質により時間が経っても、柔らかいままで食べることができるようになっているのです。

東京の花火大会おすすめ10選|2018年の日程や打ち上げ数を紹介

東京では毎年さまざまな花火大会が行われており、場所、規模、特徴などは花火大会によって様々です。ここでは東京で開催されるおすすめの花火大会10選をご紹介します。

東京の花火大会その1「足立花火大会」

古い歴史を持つ


出典:pixabay

足立花火大会は、東京都足立区で毎年7月に開催される花火大会で、正式名称を「足立の花火」といいます。開催日は例年、7月最終土曜日の2日前の木曜日です。会場は荒川河川敷の西新井橋と千代田線鉄橋の間です。来場者は約610,000人で、約12,000発が打ち上げられます。

足立花火大会の歴史は古く、明治時代に千住大橋の落成を祝い花火を打ち上げたのが起源といわれており、1924年に千住新橋が開通したのを記念して「千住の花火大会」として第1回が開催されました。

その後、第二次世界大戦により中断しましたが、1979年に復活し、それ以降夏の風物詩として東京都民に親しまれています。

2018年は7月21日(土)に開催され、打ち上げ時間は午後7時30分から午後8時30分です。 

東京の花火大会その2「葛飾納涼花火大会」

日本最古の花火が見られる


出典:pixabay

葛飾納涼花火大会は、7月の下旬に江戸川河川敷にある葛飾区柴又野球場で行われる花火大会です。約13,000発が打ち上げられ、来場者は約630,000人です。

観客席から打ち上げ場所までの距離が近いことや、日本最古の花火「和火」を堪能できることが特徴の、古き良き下町葛飾を象徴する花火大会です。

2018年は7月24日(火曜日)の午後7時20分から午後8時20分に開催されます。

東京の花火大会その3「隅田川花火大会」

打ち上げ総数2万発!東京最大規模を誇る花火大会


photo by Kentaro Ohno

隅田川花火大会は、大飢饉とコレラの流行によって、江戸で多くの死者が出た1732年に徳川吉宗が打ち上げた「両国川開きの花火」を起源とする花火大会で、日本で最古の花火大会といわれています。

会場の隅田川沿いで2万発以上の花火が打ち上げられ、約950,000人が来場する、東京で最大規模の花火大会です。

10社の花火業者が花火の美しさと技を競う花火コンクールも開催されます。 会場は桜橋下流から言問橋上流の第一会場と、駒形橋下流から厩橋上流の第二会場に分けられます。

例年7月の最終土曜日に開催され、2018年は7月28日(土)の午後7時から午後8時30分頃に打ち上げられます。

東京の花火大会その4「江戸川区花火大会」

エンターテイメント性に溢れる


photo by Xiaojun Deng

江戸川区花火大会は、東京都江戸川区で行われる花火大会です。対岸の千葉県市川市では「市川市民納涼花火大会」と称し、第10回目以降は同大会との共同開催となっています。

打ち上げ数は約14,000発で、2009年には江戸川区側と市川市側の合計で日本の花火大会で最高となる139,000人を動員しました。

オープニングでは5秒間で1000発の花火が打ち上げられ、趣の違う8つのテーマでプログラムが構成される、エンターテイメント性の高い花火大会です。

開催日は例年毎年8月第一土曜日で、2018年は8月4日(土)の午後7時15分から午後8時30分に開催されます。 

東京の花火大会その5「多摩川花火大会」

10月開催になった理由とは


photo by Xiaojun Deng

多摩川花火大会は、同日に開催される東京都世田谷区で行われる「世田谷区たまがわ花火大会」と神奈川県川崎市で行われる「川崎市制記念多摩川花火大会」をいい、「二子玉川花火大会」とも呼ばれています。

多摩川河川敷を挟んで、東京都世田谷区と神奈川県川崎市が同時に花火大会を開催します。

世田谷区側では世田谷区立二子玉川緑地運動場が、川崎市側では川崎市高津区諏訪・多摩川河川敷が会場となります。 約1万2,000発の花火が打ち上げられ、世田谷区側と川崎市側で合わせて約500,000人が来場します。

例年毎年8月に開催されていましたが、悪天候で中止になった2017年に会場で落雷があり9人が病院に搬送されたことなどから、2018年は10月13日(土)の午後6時から午後7時に開催されることが決まりました。

東京の花火大会その6「調布花火大会」

見逃せない!ノンストップ打ちっぱなしが見られる


photo by ume-y

調子花火大会は、東京都調布市の多摩川河川敷で行われる花火大会で、1982年から開催されています。8,000発から12,000発の花火が打ち上げられ、約28 ,000人が来場する、東京都内で4番目に人気の高い花火大会です。

会場は多摩川の京王相模原線鉄道橋付近の下流河川敷で、二ヶ領上河原堰堤を挟んで上流側の「京王多摩川会場」と下流側の「布田/国領会場」の2か所です。

スタートからフィナーレまで花火打ち上げが途切れない「ノンストップ打ちっぱなし」という密度の濃いプログラムが特徴です。

他の花火大会と異なり、日程が7月から10月まで流動的なのも大きな特徴です。打ち上げ時間は、夏に開催される場合は午後6時30分から午後7時30分ですが、9月、10月に開催される場合には1時間から1時間30分程度早まります。

2018年は10月27日(土)の午後5時30分から午後6時30分に開催される見込みです。