香り高き「宇治茶」を守る、時代を超え受け継がれる伝統の製法

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普段何気なく飲んでいる緑茶、そのなかでも宇治茶は抹茶にも使われる高級品質を保持し、いまなお、京都で栽培、加工されたものが最高の品質を誇っています。宇治茶の歴史や製法についてご紹介します。

実は京都だけではない 宇治茶の生産地

宇治茶は、京都、奈良、滋賀、三重で茶葉が栽培され、京都府内の業者が京都府内で加工した場合にのみ「宇治茶」と呼ばれます。また、なかでも京都で栽培、加工されたものは、特に優先して宇治茶を名乗ることができるのです。

主要産地は、京都と奈良にまたがっていて、それぞれの産地によって栽培されている茶葉や栽培手法に違いがあります。宇治市は宇治茶のなかでも高級品を栽培する土地として知られていて、抹茶の原料になる甜茶(てんちゃ)や玉露を主に栽培しています。

茶園を葦や藁で覆う伝統的な手法がいまも受け継がれているのも特徴のひとつです。その隣、宇治田原町は永谷宗圓という宇治茶の製法を発明した土地として知られていて、茶葉に寒冷紗という黒い布を被せて栽培しています。

宇治田原町の南側に位置する和束町は、宇治茶の栽培量では群を抜いていて、山間で作られる香りのいい煎茶が有名です。近年は甜茶の栽培にも取り組んでいます。

さらに南に下ったところにある南山城村は、京都府内で2番目に栽培量が多いことで知られ、茶葉を作る時に長時間蒸らす「深蒸し茶」が有名です。宇治茶を利用した紅茶栽培にも力を入れています。

これらの市町村の西側に位置する京田辺市も宇治茶の一大産地です。全国茶品評会では一等一席(農林水産大臣賞)を何度も受賞しています。「しごき摘み」という独特の手法で茶葉を摘むことでも知られています。

貴族にも気に入られた宇治茶の歴史

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宇治茶の歴史は13世紀に茶葉が栽培されたことに始まります。栄西という僧侶が中国から持ち帰った茶葉の種を、弟子である高山寺の明恵上人(みょうえしょうにん)が栂尾深瀬の地に撒いて栽培をしました。その後、茶の栽培に適した土地として山城宇治を選び、茶葉の木を移植したのが宇治茶の起源だと言われています。

土質や気候が宇治茶と非常に相性が良かったので、宇治茶の栽培が盛んに行われたといいます。14世紀も半ばになると、貴族の間で喫茶が楽しまれるようになり、宇治茶は特に優良な贈答品としても親しまれました。また、この頃、茶を飲んで茶葉の産地を当てる「闘茶(とうちゃ)」も行われました。

その後、茶の湯が誕生し、商人の間でお茶をたしなむ人が増えてきたのです。茶の湯では、お茶そのものだけでなく、茶室のしつらえや茶道具の鑑賞も楽しまれました。15世紀には宇治は栂尾に並ぶ茶葉の産地になり、16世紀には宇治独自の「覆い下栽培」という栽培法が誕生したのです。

そうして作られた茶葉は濃い緑色が特徴で、抹茶が作られるようになりました。そして、千利休が確立した茶では、この抹茶が使われ、文化として発展していったのです。また、1738年には永谷宗圓が茶葉を蒸して手もみして加工する製法を確立し、その手法がいまも引き継がれています。

宇治茶が全国に広まるきっかけとなった手もみ製法

宇治茶の製法を確立した永谷宗圓は茶農だったのですが、彼が開発した手もみ製茶の手法は、それまでに作られてきたどの茶よりも香りや味わいがよかったため、全国に広まりました。そして、時代が変わっても宇治茶手もみ製法は受け継がれ、宇治市の無形文化財にもなっています。

この製法は、まず摘み取った茶葉をセイロに入れて、蒸気の立った蒸し器で蒸すところから始まります。蒸した茶葉は扇子で仰ぎながら冷やされ、露を取り除きます。そして、茶葉を高さ30~40cmのところから振り落とし、露切りや葉を乾かす茶切りという作業を行います。

その後、横まくりといって、茶葉を回転させながらもむ作業に入り、塊をほぐす玉解き、茶葉を冷やして水分が均一にまわるようにする水上げなど繊細な工程をいくつも経て茶葉は作られます。最後の乾燥を除く全工程は9時間かけて行われ、宇治茶は完成します。

すべての工程が熟練の手作業によって行われる宇治茶。宇治茶手もみ製法を次世代に伝えていく保存会もあり、世代を超えて宇治茶の伝統は引き継がれています。機械ではなく、人の手によって作られた茶葉は温かみが感じられます。

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