能と狂言の歴史は奈良時代までさかのぼります。奈良時代に大衆に向けて行われていた「散楽」という芸能が唐から伝わって来たのが始まりとされています。
日本で独自の文化として根付き始めた散楽は次第に演劇的な要素が組み込まれていき、「猿楽能」へと進化を遂げていきます。
室町時代の三代目将軍である足利義満の頃には、観阿弥・世阿弥親子が義満からの支援を受ける形で、楽能に歌やリズム、そして舞を取り入れた、今までの楽能より一層と優雅で美しい新たな芸能である「能」を作り上げていきました。
「能」が盛り上がりを見せていく中、猿楽の喜劇的部分であった要素は、「狂言」として独立して盛り上がりを見せていくことになります。
そして、能の舞台において、能の演目と演目の合間に、喜劇である狂言が演じられるようになりました。
このような背景から分かるように、能と狂言が同じ舞台で入れ替わりで演目されているのには、能と狂言は、元々は同じ猿楽から始まっている、同じ流れの中で生まれてきた芸能だからというわけです。
能の特徴
出典:写真AC
能の特徴は、面をつけて演じるところにあります。
「おもて」と言われ、無表情に作られているその「面」は、演者が面に角度などを持たせることで影などを作らせて感情を表現しています。
能を象徴する面は「おもて」と呼ばれ一見、無表情ですが、演者は能面の影の角度などで巧みに感情を表します。
また、能は台詞を「〜にて候」という文語調で演じるところも特長です。 能では、主役のことを「シテ」と呼び、シテに対しての相手役となる「ワキ」、さらには「シテ」と「ワキ」の助演をする「ツレ」などと演出上の役割がさまざまあります。
また、役柄に対して演者も決まっていますので、「シテ」と「ワキ」の演者が公演ごとに入れ替わってしまうということもありません。 面をつけているのは「シテ」だけで、「ワキ」や「ツレ」は面をつけませんので、舞台を見ていて主役がどの演者だか誰でも理解できるようになっています。
能の演目は、悲劇的な話を取り扱うことが多く、多くの題材は歴史上の人物や物語といったところになります。
また、能の演出では鬼や幽霊などが登場することも多くなっています。さらに、能で使われている装束や小道具などは、京都の伝統工芸の技術を駆使して作成されているきらびやかなものが多数あり、道具一つとっても本当に見応えがある芸能といえます。
能の主役であるシテには流派があり、最大流派の観世流を筆頭に、金剛流、金春流、宝生流、喜多流と五つの流派に分かれています。
狂言の特徴
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一方狂言は、能とは違い面を使わず、演目のほとんどで素顔で舞台に立ち、演じます。
ですから、演者の表情がよく分かりますので、豊かな表情を楽しむことができるのも狂言の魅力といえます。 狂言が演じるのは喜劇で、台詞は「~でござる」という口語調を使用して演じます。また、狂言は「笑いの芸術」と言われ、庶民が何気なく送っている普段の生活を、面白おかしく描写することで見る人を楽しませています。
狂言では、主役を「シテ」と呼びます。そして「シテ」に対しての相手役となる「アド」がいます。さらに、狂言の演目進行と能の進行を円滑に進める助演役の「アイ」がいます。 狂言の流派は、大蔵流と和泉流の2派となります。