大川木工所
経済産業大臣指定 伝統工芸品 小田原漆器 木地部門 伝統工芸士
木地師 / 3代目 大川肇
<小田原漆器とは>
優れたろくろと彩色技術により美しい木目を際立たせた手作り漆器。ケヤキを主に使用しているので、堅牢でゆがみの少ないのも特徴のひとつだ。
小田原漆器の起源は室町時代中期に箱根山系の豊富な木材を使用し、木地の器物に漆を塗ったのが始まりとされている。その後、北条氏康が小田原漆器を発展させてるため塗師を城下に招き、様々な色の漆器をつくるようになった。
江戸時代には盆、椀などの日用品のほかに武具類にも漆を塗るようになり、江戸時代中期には継続的に実用漆器として江戸へ出荷するなど、漆器づくりの技術が確立されたのである。
神奈川県小田原市にある大川木工所。
小田急ロマンスカーに乗り、小田原駅で乗り換え、一つ隣の駅が最寄駅の箱根板橋駅だ。駅を降りると周りには山や川、そして南部は相模湾に面している。自然豊かな町が来た人の心を躍らせる。明治から昭和初期にかけて保養地として著名人にも愛されていてそうだ。
心を躍らせながら、徒歩10分ほどで大川木工所に到着。工房からは木の匂いを漂わせ、木の温もりも感じながら大川さんに話を伺った。
職人になったきっかけとは
「大学卒業してからこの世界に入ったんだけど、自然に入ったという感じかな。祖父の時代から機械に触れたり、のこぎり使って手伝いをしてお小遣いを10円貰ったり、子供の頃から慣れ親しんでいたからね」
大川さんは現在60歳。大学を卒業してから38年間小田原漆器と向き合ってきた。この38年間を振り返ってみて大変だったことを聞いてみた。
「最初の1年は大変だったなぁ。木地師の最初は、自分で使う道具を作ることから始まる。道具が作れて、初めて木地師になれるからね。その道具を使って仕事をするんだけど、はじめは刃物が回っているろくろに引っ掛かるんだよ。そうすると刃物が折れるか品物が折れるか。そうやって失敗を繰り返して覚えていく。それを3か月から半年くらいは繰り返すんだよ」
工房にはたくさん並んだ工具があった。木地師の証だ。大変な修行時代を逃げ出さずに乗り越えれた理由を簡潔に答えてくれた。
「モノづくりが嫌いじゃない、それだけだよ」
工房の隣には展示スペースがあり、茶碗やお皿など、様々な小田原漆器が置いてある。木の香りと色鮮やかな漆器に、取材中に訪れた観光帰りのお客さんも30分も見とれてしまっていた。そんな小田原漆器の魅力はどこなのだろうか。
小田原漆器は木地が命
「木目が綺麗なケヤキを使っていることだね。小田原漆器は木地が命。漆ってすごく正直で、塗ると分かるんだけど、木地が綺麗に挽けていないとその部分は黒くなる。塗りの場合は木地挽きがすごく大事」
”塗り”ではなく”木目”で勝負しているということ。
「そうだね。我々を木地師と呼ぶが小田原は木地師が長。他の産地は違う、塗り師が長。小田原だけだよ、木地師が長になれるのは。それだけ木地が大事で、技術がいるということ」
数をこなすほど、のめり込んでいく
木地師の魅力に虜にされた大川さん。大川さんが思う木地師としてのやりがいを聞いた。
「手仕事とはいえ数をこなさなきゃいけないんだよ。スピードも早くしないといけないし、綺麗に作らないといけない。やってくうちに技術が向上していくんだけど、それが身体でわかっていく瞬間はやりがいを感じるね。同じ時間だけど、作成できる枚数は増えていくみたいなことだね」
スピードを上げて質も担保していかないといけない。実際に削っているところを見せてもらったが、大胆に、そして丁寧な仕上がりだった。まさに匠のなせる業だと感じた。
小田原漆器の良さを見て触れて、知ってほしい
今後の目標を聞くと、若い人たちにも広めていきたいとの思いが聞けた。
「うちでは、漆ではなくてクリアな塗装でナチュラルな仕上げをしたり、お盆も縁の薄いお盆を作ったり、時代のニーズに合わせて作ってるよ。ケヤキの木目だとか、実際に見て触れてみて感じることで、小田原漆器の良さを少しでもわかってもらえるだけでうれしい」
インタビュアー後記
伝統的な技法は変えずに時代のニーズに合わせ製品を作り出しています。小田原漆器を扱っている人は5名ほどしかいないそうで、そのなかでも小田原初の伝統工芸士を生み出した大川木工所の3代目である大川さんから木地師体験として学べるということは非常に価値があると思います。体験を通じて一人でも多くの方に継承していただけるとうれしいです。
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