寿司の日って何?│意外と知らない寿司の豆知識

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日本を代表する食として最初に挙げられるのが、「寿司(SUSHI)」ではないでしょうか。

現在では寿司の日が存在するほど、寿司は古来から日本人に愛され続けてきました。現在は回転寿司という形になり、手軽に楽しめる和食メニューとして高い支持を得ています。

そんな日本人が大好きな寿司に、記念日があることを知っていましたか?実は、「寿司の日」というものがあるんです。また、寿司の日があること以外にも、寿司が実は東南アジア発祥であることや、寿司の業界用語の意味について正しく知っている人は意外と少ないのではないでしょうか。

今回は、寿司の歴史や寿司の日について紹介していきます。

なんで寿司の日は11月1日にあるの?


出典:写真AC

11月1日が寿司の日として発案された背景にはもちろん、実りの秋や収穫の秋といった側面が存在します。しかし実際には義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)という歌舞伎の狂言の中で登場する「酢(すし)屋の段」という作品が大きく影響していると言われています。

平家の総大将であった平維盛(たいらのこれもり)が都落ちし追手から逃れるために「酢屋の弥平」として大和国(現在の奈良県)吉野郡に潜伏します。吉野川の鮎を使った寿司を作る毎日の中、潜伏先の酢屋の娘と恋に落ち実の名を捨て寿司職人として生きることを決意します。

武将であった平維盛が武士としての名と地位を捨て寿司職人となったのが11月1日だと伝えられるために寿司の日が11月1日になったと言われています。

「寿司の日」制定まで紆余曲折!寿司の歴史

現在では代表的な和食として扱われ、「寿司の日」という記念日が制定されるほどポピュラーになった寿司ですが、そのルーツは遥か昔の東南アジアにあるようです。 東南アジア諸国の中でも内陸国であるラオスやベトナム、カンボジアの内陸部では魚醤という発酵食品が作り続けられ、現在でも庶民の食生活を支えています。

東南アジア発祥の魚醤作りのノウハウは中国を経て日本に伝来したと考えられています。 現代の感覚では寿司と言えば「握り寿司」をイメージしますが、弥生時代に稲作文化と共に中国から渡来した寿司文化は発酵食品を使用したもので現在の寿司のイメージとはかけ離れていると言えます。

現在でも関西地方に残される「なれ寿司」が日本の寿司文化の原型と言えるでしょう。

現在のような握り寿司は、江戸時代に江戸前寿司として発生しました。江戸前寿司をルーツとする握り寿司は全国的に受け入れられ、和食の代名詞となる寿司の文化を作り上げました。

そして、今や寿司の日がの食文化に成長したのです。

なれ寿司とは?

既述した通り、主に魚を塩と白米で乳酸発酵させた食品です。今現在の寿司は米に酢を混ぜた酢飯を用いますが、このなれ寿司は発酵によって酸を出しています。今でも各地で食べることができ、和歌山県では古くから伝わる郷土料理として親しまれています。なれ寿司は発酵させているため、独特の匂いと味があります。

寿司の日ってなんのための日?


出典:写真AC

さて、ここまで何度か記事に出てきた寿司の日ですが、正式名称は「全国すしの日」です。通称で寿司の日と呼ばれているというわけですね。

11月1日が寿司の日とされたのは今から約60年前の1961年のことでした。寿司店の業界団体である「全国すし商環衛連」の第4回大会のなかで「実りの秋や収穫の秋、収穫される米への感謝の日」として提言したのが寿司の日の起源です。

寿司の材料として欠かすことができない、日本人の主食である米。その米が収穫される秋に「味覚の秋に伝統の寿司文化を再確認してもらい、老若男女の隔てなく寿司を楽しんでもらう」ことを目的として11月1日を寿司の日としたというわけですね。

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