国民的アニメなった「ゲゲゲの鬼太郎」や「妖怪ウォッチ」などを代表として、妖怪が大好きな日本人。そのルーツとも言える「百鬼夜行絵巻」をご存知でしょうか。
今回は「百鬼夜行絵巻」についてご紹介いたします。
百鬼夜行絵巻とは?
百鬼夜行絵巻は、京都大徳寺真珠庵に所蔵されている1巻を代表作とした、室町時代の絵巻です。夜の闇に妖怪があらわれ、最後には日輪(太陽)が登場し、妖怪たちがあわてて退散する様を描いています。
絵巻の物語の筋を説明した詞書はなく、矛をかついだ青鬼や赤鬼をはじめとして、払子、沓、琴、琵琶、鳥兜、笙、扇といった怪物やおはぐろをつけている女、おかめのような化物、鍋、釜、銅鉢、弓、五徳などの器物の化物などさまざまなものが描かれています。
そんな恐ろしい妖怪ばかりが描かれていますが、どこかユーモラスにデフォルメされていて、作風の奔放さが感じられる絵巻です。
百鬼夜行絵巻の歴史
百鬼夜行絵巻のストーリーそのものは、平安時代の説話などにすでに登場します。しかし、絵画自体は鎌倉時代中期から室町時代にかけて描かれていたという記録が残っています。
百鬼夜行絵巻は、室町時代から明治・大正にわたって数多く制作されていますが、描き始められたころから数種類の絵巻が存在しており、模写や転写を繰り返して今日に伝わっています。
平安時代には人々に恐れられていた鬼や、異形の者が行列している場面が描かれていますが、江戸時代になると百年を経た道具は妖怪になるとされ、器物をモチーフにした妖怪たちが中心に描かれています。
最古の百鬼夜行絵巻?「真珠庵本」
出典:写真AC
百鬼夜行絵巻は、大徳寺真珠庵が所蔵している真珠庵本が最古の絵巻とされ、重要文化財にも指定されています。
描かれたのは室町時代と推測され、作者は土佐派の画家・土佐光信といわれていますが、確証はなく作者不明とされることもあります。
真珠庵本をルーツにしたと考えられる百鬼夜行絵巻もあり、その多くに似たような妖怪が似たような順序で描かれていますが、真珠庵本を模写したものかははっきりっとしておらず、真珠庵本もまた別の百鬼夜行絵巻を模写したものともされているのです。
しかしながら、百鬼夜行絵巻の研究においては、数ある絵巻の中でも真珠庵本とその模本が中心に行われてきました。
真珠庵と一休さんの関係
出典:写真AC
この真珠庵本が所蔵されている大徳寺真珠庵は臨済宗大徳寺の塔頭です。真珠庵本以外にも、国宝の大燈国師墨跡をはじめ多く重要文化財が所蔵されていて、方丈、庫裏、通僊院などの建物も重要文化財に指定されています。
また、この真珠庵は「一休さん」として親しまれている一休宗純ゆかりの塔頭でもあります。もともと、堺の豪商尾和宗臨が一休宗純の塔所として1491年に創建したもので、一休宗純和尚坐像、一休宗純像、木造一休和尚坐像、一休宗純墨跡など、一休さんゆかりの文化財も多く所蔵しています。
百鬼夜行絵巻に登場する妖怪たち
日本では昔、霊を宿した器物が夜になると動き出し、行列をなして練り歩くという怪奇現象が広く信じられており、その様子を描いたのが百鬼夜行絵巻です。
道具や器物などの生命のない物に精霊や霊魂が宿ったものを付喪神(つくもがみ)といいます。針供養や人形供養といった古道具の供養やお祓いを行う風習が残っているのはこのためです。
百鬼夜行には古くなって捨てられたさまざまな道具が描かれていますが、どこか憎めないユーモラスな印象で、下駄や風呂釜、枕、貝殻、さらには貨幣まであらゆるものが描かれています。
河鍋暁斎が描いた百鬼夜行絵巻
このように、百鬼夜行絵巻にはユーモアにあふれた作風のものが数多くありますが、まるで現代のアニメや漫画のようなタッチで描かれているのが河鍋暁斎の描いた百鬼夜行絵巻です。
河鍋暁斎は江戸幕末から明治時代にかけて活躍した絵師で、妖怪や地獄絵、戯画や美人画に至るまで、まるで何人もの絵師が描いたかのような多彩な作風の作品を数多く残しています。
その中でも暁斎が描いた妖怪画として有名な作品の一つが「百鬼夜行図屏風」です。百鬼夜行をユーモアたっぷりに描いており、遺作となった「暁斎百鬼画談」という版本にもこのタッチが踏襲されています。
妖怪画もいいけど、美人画もいいですよ。
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