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富山の鋳造メーカー「能作」の魅力|人気商品・工場見学・鋳物体験

株式会社「能作」は、富山県高岡市に本社を置く鋳造メーカーです。 創業以来手がけてきた茶道具や花器などの銅製品に加え、現在ではおしゃれなインテリア雑貨やエクステリア、照明、テーブルウェアなどの錫製品も人気を集めています。

今回は能作の歴史や商品など魅力をご紹介していきます。

株式会社能作とは

株式会社能作はもともとは、1916年(大正5年)に仏具製造のために設立されたのが始まりでした。 その後、事業拡大にともない1967年には有限会社、2002年には株式会社へと改組。その翌年からは、現在メイン商品のひとつとなっている錫の鋳物にも取り組んでいます。

伝統的な生型鋳造法だけではなく、独自のシリコーン鋳造法も取り入れるなど、ベストな製品を作り出すためにさまざまな手法を積極的に導入。さらに、NC加工や3Dプリントといった最新技術も取り入れたそのデザイン性は、とても高く評価されています。

日本デザインコミッティーのコレクションやニューヨーク近代美術館の販売品に選ばれるなど、その名声は広く海外まで届いています。

まさに、今最も注目を集めている鋳造メーカーのひとつといえるでしょう。

能作を産んだ、富山の鋳型文化


出典:Wikimedia Commons

今をさかのぼること、600年以上。すでに室町時代のころから、富山県では鋳造がさかんに行われていたといいます。

それを地域産業として確立させたのが、加賀藩主として入城した前田利長でした。 1609年に高岡を商工業の町として開くと、鋳物による産業を大いに進めていきます。

2年後の1611年には、礪波郡西部金屋村から金森弥右衛門ら7人の鋳物師を、現在の金屋町に招いています。 こうして、鋳物製作はこの地に根付いていきました。 始めのうちに作られていたのは、まず鍋や釜、鍬といった日用品や農耕具がおもなものでした。

やがて江戸時代も中ごろになると、灯籠や梵鐘などの鋳物も手がけるようになります。そして江戸時代末期、技術の発展にともなって、より芸術性の高い花瓶や仏具などが作られるようになります。

さらに、明治時代になると仕事を失った刀職人なども参加。伝統工芸品のひとつとして、製品が海外へも輸出されるようになります。

特に1873年のウィーン万博への出展は大いに評判を呼び、日本国内でも高岡銅器の名が知られるきっかけとなりました。 現在、じつに国内の銅器の生産額の約95%が高岡市によって産み出されています。

日本三大大仏のひとつ高岡大仏や、藤子・F・不二雄の出身地としてゆかりあるドラえもんのポストなど、町を歩けばそこかしこにさまざまな銅器や銅像を見ることができます。

能作が注目した「すずがみ」の性質

「すずがみ」というのは、錫を金槌で何回も叩いて伸ばして作る素材のことです。

錫の特性は、何といっても軟らかさ。それを活かしたすずがみは、特に力を入れなくても簡単に曲げ伸ばしができ、自由な変形を可能としています。 まるで紙のように折り曲げられることから、すずがみという名称が付きました。

たとえ既成品であっても、ちょっとしたアイディアで自分好みのアレンジを自由に加えられるのが大きな特長です。一度曲げても、これを使えばもとの平らな形に戻せるので、何度でも違う形を楽しむことができ、収納するのにも便利です。

折り曲がるときに鳴る、錫の分子がこすれ合う独特の音は「錫鳴き」と呼ばれ、情緒深さに彩りをくわえてくれます。

能作ではこの錫の柔らかさを活かし、「曲がる」シリーズを展開。美しい網目や模様をかたどった鋳物を折り曲げて、自分だけの花器やお皿として使うことができます。

次のページでは、能作の魅力的な作品を紹介します。

富山の伝統工芸「高岡漆器」その特徴と螺鈿体験を紹介 

加山又造|日本を代表する芸術家加山又造の歴史と魅力

加山又造とは

加山又造は日本画家、版画家であり、東アジア人の芸術家として国際的な評価を得ています。

一番の特徴としてあるのが、装飾的であることであり、美術の品において、見ることの楽しみを追求した芸術家であるといえます。

どうしても芸術は一見素人にはよくわからない、ということがあるのですが、加山又造の作品は分かり易い形での芸術の見栄えを重視した作風だと言われています。

加山又造の代表作を紹介①


出典:写真AC

愛猫家で有名だった加山又造の代表作ともいえるこの作品は小作でありながらも今でも多くの人々に愛されています。こちらは題名は「猫」ですが猫の目線の先には小さなカマキリがいます。

そのカマキリを食うでも遊ぶでもなくただ、きょとんと見つめる猫。まさにこの猫は加山又造であり、この作品には加山又造の小さな命を慈しむ心が表現されているといえるでしょう。

加山又造の代表作を紹介②

月光波濤

加山又造の代表作としてあるのが水墨の「月光波濤」になります。

これはエアブラシや噴霧器によって行われた染み色の手法を用いて作られており、夜の海の静けさ、波の生き物のような躍動のタイミングを素晴らしいほどに表現しています。

他にも「雪」「月」「花」、「黄山霖雨・黄山湧雲」、「横たわる裸婦 ’84(黒衣)」なども高い評価を受けているものとなっています。

加山又造の代表作を紹介③

黒龍


出典:写真AC

最後にご紹介する加山又造の代表作である「黒龍」は山梨県にある久遠寺で見ることができます。その迫力は目を見張るもので、金の黒龍として天井にそびえたっています。龍は法華経を信仰する者の守護神といわれています。

また、水を司る神ということで、火災除けの意味も持っています。こちらの黒龍は5本爪で玉は持っておりません。ぎょろっとした目に大きな牙を持っていながらどこか愛らしい表情をしています。

加山又造の作風・特徴を紹介


出典:写真AC

加山又造は装飾的な作風で知られており、ある意味でわかりやすい芸術といえます。誰の目で見ても格好がよい、というのは素晴らしいことです。

加山又造は、京都西陣の和装図案を生業とする家に生まれました。

まず、そもそも加山又造という芸術家は終戦直後の混乱と伝統絵画の危機に直面して、様々な海外の絵画を貪欲に見て、その技法を貪欲に吸収していき、日本画の伝統的な技法や意匠を基に現代のセンスで蘇らせたという特徴があります。

戦後の日本画の革新を担う人物として旧習の画法を維持しつつも、常に新しい画風を求めていた画家でした。

又造は、後年は水墨画にも取り組み、その活動は絵画のみならず、芸術という分野において幅広く活動をしていったという特徴があります。

芸術という分野において、様々なところからインスピレーションを受け、比較的新しい世代の人たちとも交流をしていき、その影響が見られることもあったりと常に進化を続けていった画家であるといえるでしょう。

作風はまさに無限大ともいえるような過去と現代の画法であり、そこが加山又造の魅力ではないでしょうか。

江戸時代を代表する浮世絵師・国貞と国芳のライバル関係

北海道の方言の特徴や魅力を紹介|これであなたも道産子になれる?

日本の全国各地には、それぞれの地域に根付いた方言があります。同じ日本語なのに方言で話すと、なかなか通じないことがあるほど標準語と方言の言葉にはかなりの違いが生じています。

そこで、今回は方言の1つである北海道で話されている方言についてご紹介していきたいと思います。

北海道の方言にある特徴

まず北海道弁の特徴を紹介します。

1つ目に小さい「つ」など促音を含む言葉や「ん」などの撥音が多いことが挙げられます。

2つ目に文末に「だべ」や「だべさ」などの表現が使われることが挙げられます。

3つ目に「びっこたっこ(ばらばら)」や「ほんずけない(意味がよく分からない)」など濁音を含む言葉が多いことが挙げられます。

このように北海道弁には様々な特徴があります。そこで、いくつか北海道弁の言葉の意味を例文も交えつつ紹介していきたいと思います。

北海道の方言①

「しったけ」の意味


出典:ぱくたそ

1つ目に紹介したい北海道で話されている方言は「したっけ」です。

「したっけ」は、「じゃあね」や「またね」といった意味を持つため別れ際の言葉として使われたり、「そうしたら」や「そしたら」、「じゃあ」など順接の接続詞としても使われていたりする北海道の方言です。

「したっけ」の使い方の例としては、

〇「したっけ、明日十時ね」=「じゃあ、明日十時ね」

〇「お疲れ、したっけね」=「お疲れ、またね(バイバイ)」

〇「したっけ、帰るね」=「じゃあ、帰るね」 といった感じで使われます。

また「したっけ」を道央では別れ際の言葉として使いますが、道南では別れ際の言葉としては使われていないなど地域によって方言は使い方や意味が異なっています。

北海道の方言②

「なまら」の意味


出典:ぱくたそ

2つ目に紹介したい北海道で話されている方言は、「なまら」です。「なまら」は、「凄い」や「まじで」などの意味を持つ形容詞として、いわゆる若者言葉のようなニュアンスでよく使われます。そのため年配の方はあまり使われません。

「なまら」の使い方の例としては、

〇「このドーナツなまら美味しい」=「このドーナツすごく美味しい」

〇「雪が降り積もっていてあたり一面銀世界が広がっていてなまら綺麗だ」 =「雪が降り積もっていてあたり一面銀世界が広がっていてとても綺麗だ」

〇「この小説はなまら面白い」=「この小説はすごく面白い」 といった感じで使われます。

このように「なまら」は、景色や物、人物に対する形容詞として使われます。

【名古屋名物ういろう】名前の由来やようかんとの違い|人気ういろう店4選

 名古屋の銘菓、ういろうとは

出典:写真AC

愛知県名古屋市は本州の日本海側にある中部地方にあり、現代の日本の工業の中心の街です。

古くは織田信長が本拠地としていたことでも知られている、古くからの伝統ある街で、今も日本経済の中心地の一つです。そんな愛知県には古くから愛され続けている銘菓があります。

それが「ういろう(外郎)」です。米粉と和三盆、黒砂糖を混ぜて蒸し上げたお菓子で上品な甘さがお茶によく合います。

ういろうは名古屋駅や商店街である大須商店街などで売られていて、地元の人に愛されて、名古屋みやげの定番の一つにもなっている和菓子です。名古屋ではういろうは小分けパック以外にも一本まるごとで売られていることも多く、家で切り分けて食べられ、定番のお茶菓子となっています。

ういろうの名前の由来


出典:写真AC

ういろうの由来は、ある日本に渡来してきた中国人の薬師に由来しています。

日本が足利家の治める室町幕府の時代、中国から日本に移住してきた礼部員外郎という役職の、薬関係の役人だった陳宗敬は日本で薬を売り始めました。

その息子である宗奇も、せきやたんに効くといいながら薬を売っていると、あるとき足利将軍家の3代将軍である足利義満に招かれて薬を作った時に、作った薬を父の陳宗敬の役職だった外郎にちなみ、ういろうと名付けました。

そして、この陳家が伝えた中国のお菓子も、この薬の「ういろう」によく似て黒く四角に作られていたので「ういろう」と呼ばれるようになりました。

そして、ういろうは古くとも1600年代中頃にはすでに名古屋で作られていたという古い歴を持つものでもあります。

ういろうとようかんの違い


出典:ぱくたそ

ういろうは米を挽いて作る米粉を使った甘い和菓子で、蒸し菓子という分類に含まれます。

ういろうは米粉に上等な和菓子用の砂糖である和三盆糖や、黒砂糖を加え、水で練り合わせたあと型枠に詰めてから、せいろで蒸し上げて作ります。その為食感は米粉由来のもっちりとした食感がします。

ようかんはつぶあん、こしあんに、砂糖と寒天を加え、冷やして固めたもので食感はなめらかで、寒天のゼリー状の部分が美味しいお菓子です。

ういろうは米粉を蒸すことで加熱して固めますが、羊羹は寒天の温めると溶けて、冷やすと固まるという性質を利用し、冷やして固めたお菓子です。

ういろうの味の種類

出典:写真AC

ういろうには、大きく2種類の味があります。古くから作られている白い色をした和三盆で味付けされた白いういろうと、黒砂糖で味付けされた黒いういろうです。

和三盆は古くから和菓子に使われている砂糖で、精製された白砂糖のため繊細な味がします。また、黒砂糖はサトウキビ由来の砂糖で精製度が低く、複雑な味が楽しめます。

名古屋ういろうは現在も色々なアイデアで新製品が作られていて、抹茶味、桜の花を練り込んだ桜味、柑橘系の柚味、それからマンゴー味なども作られていて、名古屋市内には季節ごとの特別な味を販売している店もあります。

次のページでは、ういろうを買うならおすすめしたお店を紹介します。

【染物との運命の出会い】名古屋・有松絞りまつりの魅力

和食器おすすめ6選|普段使いできる伝統工芸品・体験もチェック

「日用品」あるいは「什器(じゅうき)」という言葉を聞いたときに、なかには「食器」を想像する方もいらっしゃるのではないでしょうか。そのなかでも日本の伝統食器、いわゆる「和食器」は昔から日本人の食卓で馴染み深く使われてきました。

また、和食器は日用品としてだけでなく、芸術品としての側面も併せ持っています。食器というと陶器を想像される方が多いかもしれませんが、磁器や漆器の和食器もあります。焼き方や塗り方、仕上げ方により、その形は様々です。

最近は、敢えて和食器にイタリアンや中華の料理を盛り付けてSNSに投稿する方も増えていますよね。

今回は、そんな和食器のなかでも、日本を代表するものを6つ紹介していきます。

和食器その1「益子焼(ましこやき)」

江戸時代から使われてきた日用品


出典:写真AC

益子焼とは、栃木県益子町が産地である和食器の一つです。古くは江戸時代から制作されたといわれている陶器であり、土の質感が強く鉢など日用品として活躍の機会が多い陶器です。

しかし、それは以前までの話であり、現在は高級陶器としての側面を強めるために100年近く芸術性が高められてきました。益子焼に関わる著名人としては、濱田庄司や島岡達三などが挙げられます。

どちらも故人ではありますが、益子焼のブランド普及に大きく寄与した人物であり、芸術としての益子焼の歴史に欠かせない人物なのです。陶器の特徴としては、その製造方法から重たく割れやすい性質を持っており、その点から慎重に扱う必要があります。

栃木県益子町にある「益子焼窯元共販センター」では、益子焼の和食器が購入できることはもちろん、実際に益子焼を制作できる体験もあります。ほかにも、益子焼陶芸作家の作品展示が行われたりイベントも開催されています。

「益子焼窯元共販センター」基本情報

住所 〒321-4217栃木県芳賀郡益子町大字益子706-2
アクセス 「笠間駅」「宇都宮駅」よりバスで1時間
電話番号 0285-72-4444
営業時間 9:00~17:00
定休日 年中無休
サイトHP http://www.mashikoyakikyouhan.jp/

体験情報

体験内容 体験費用
手びねり体験 1600円
絵付け体験 450円~1200円
ロクロ体験 1時間コース 1600円
2時間コース 2200円

和食器その2「萩焼(はぎやき)」

日本を代表する焼き物


出典:写真AC

その名の通り山口県萩市で製造されていた和食器が萩焼です。

こちらは毛利氏の時代から製造されていた歴史を持ち、数々の歴史と縁ある萩市との切っても切れない関係であることは間違いありません。

国内からの評価は高く、代表的な和食器であると同時に人間国宝や名のある陶芸家を生み出してきた陶器でもあります。

また、主に茶器として有名な萩焼ですが、使い込むほどに茶器ごとの色味が生まれて味のある見た目になると有名でした。この点も茶器として高い人気を誇っていた理由の一つであり、いわゆる萩の七化けと呼ばれる言葉はここから生まれています。

近年では陶芸家の創造性により様々な萩焼も生まれていることから、和食器を代表とすることは間違いありません。

山口県萩市にある「萩焼窯元 元萩窯(げんしゅうがま)」では、萩焼を制作できる体験があります。こちらは、築100年以上の古民家を改築しており、様々な萩焼作品に触れることができます。

「萩焼窯元 元萩窯(げんしゅうがま)」基本情報

住所 山口県萩市川島14
アクセス 東萩駅から徒歩で25分
電話番号 0838-25-0842
営業時間 9:00~18:00
定休日 不定休
サイトHP http://www.hagishi.com/search/detail.php?d=700036

体験情報

体験内容 体験費用 体験時間
手びねり体験 2000円~ 約30分
ろくろ体験

和食器その3「波佐見焼(はさみやき)」

国内で広く普及している器


photo by ゆさ みずあ

長崎が発祥地の波佐見焼は、慶長3年(西暦1598年)に始まった陶磁器といわれています。

もともとは朝鮮陶工から伝わってきた陶磁器ですが、これを由来とし波佐見焼が製造されていた付近では現代でも食器、和食器製造が盛んな地域とされています。

波佐見焼の特徴としては、高級志向というよりも大衆志向の傾向が強く、窯も巨大なものが使われていたといわれています。この事から、波佐見焼とは知らずに普段使いの食器として家庭で使われている可能性もあり得るでしょう。

当初に限り青磁が使われていましたが、現在では白磁が主流となっている点も特徴的です。そのため、波佐見焼の特徴としては全体的に明るい色味が多く、この点も家庭で使いやすい大衆向けの特徴といえるでしょう。

長崎県波佐見町にある「くらわん館」では、波佐見焼の作品を購入できることはもちろん、波佐見焼の制作を体験することができます。

「くらわん館」基本情報

住所 長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2255-2
アクセス 波佐見・有田インターから車で5分・嬉野インターから車で15分
電話番号 0956-26-7162
営業時間 9:00~17:00
定休日 12/31~1/2
サイトHP http://kurawankashop.sakura.ne.jp/index.html

体験情報

体験内容 体験費用 体験時間
絵付け体験 850円~ 30分~45分
ロクロ体験 3,800円 45分~60分
手びねり体験 2,500円

【招き猫が呼ぶ縁と金運】浅草の地元住民に愛された「今戸神社」の魅力

今戸神社とは


photo by Roͬͬ͠͠͡͠͠͠͠͠͠͠͠sͬͬ͠͠͠͠͠͠͠͠͠aͬͬ͠͠͠͠͠͠͠ Menkman

東京を代表する下町として知られる浅草は、下町文化を楽しむ多くの観光客で毎日賑わっています。浅草のトレードマークである大提灯が目印の雷門、浅草寺は世界的に知られた観光スポットですが、浅草寺から隅田川沿いに徒歩約15分の場所に存在する「今戸神社」は知る人ぞ知る東京下町の穴場スポットです。

賑やかな観光スポットから少し離れた、地元浅草っ子の生活エリアの中に静かに佇み、落ち着いた雰囲気の中で参拝することができる今戸神社ですが、幕末に維新の志士に恐れられた新選組の沖田総司終焉の地であり、招き猫発祥の地とも言われ独特の絵馬のデザインが注目を集めるなどで、昨今は今戸神社への参拝者が増えつつあります。

今戸神社

住所:東京都台東区今戸1-5-22
電話:03-3872-2703
参拝時間:24時間(社務所受付時間09:00~17:00)
アクセス:浅草駅より徒歩約15分もしくは都営バス・北めぐりんバス(リバーサイドスポーツセンター前下車、徒歩約1分)
公式サイト:
http://imadojinja1063.crayonsite.net/

今戸神社の歴史


出典:Wikimedia Commons

今戸神社は今から約950年前の康平6年(1063年)、京都の石清水八幡宮が奥州討伐に出征する源頼義、義家親子によって現在の地に勧進され、今戸八幡として創建されたと伝えられています。

武運を司る武神を祀る八幡神社として、多くの武将たちが参拝する神社の1つであったようです。 幾度もの戦禍によって被災しますが、そのたびに再建されたのは武将たちの厚い信仰を集める神社であったからだと考えらえます。

時代が下り、昭和12年に隣接する白山神社を合祀し今戸八幡から今戸神社と呼ばれるようになります。現在残される社殿は昭和46年に造営されたものです。

今戸神社には應神(おうじん)天皇、伊弉諾尊(いざなぎ)、伊弉冉尊(いざなみ)、七福神の中で子宝や財産、長寿を司る福禄寿が祀られています。

今戸神社の御利益


出典:Wikimedia Commons

創建当時は武運向上のご利益がある神社として、多くの武将からの厚い信仰を集めましたが、今戸神社となった現在は商売繁盛や縁結びの御利益があると言われています。

偶然にも今戸神社の所在地が「今戸1-5-22」であることから、1-5-22を「良いご夫婦」に引っ掛けているのが、洒落っ気の強い浅草っ子らしいですね。

また金運向上の御利益もあると言われ参拝者の中には、宝くじの高額当選者が多く存在すると言われています。縁結びも金運向上も商売繁盛には欠かせない要素ですから、運気を招く招き猫の御利益が関係するのかも知れません。

今戸神社の招き猫

出典:写真AC

商売繁盛を招きこむ「招き猫」は日本全国をはじめ、現在では東南アジアにまで広く普及しています。招き猫発祥の地と言われる場所はいくつか存在しますが、今戸神社もその一つだと言われています。

今戸神社が位置する台東区今戸は古くから「今戸焼」と呼ばれる陶器の生産地でした。

「 江小戸時代に今戸に隣接する花川戸に住む貧しい老婆が、貧しさゆえに飼い猫を手放します。その後、夢に飼い猫が登場し「私の姿を焼き物の人形にすれば商売が繁盛します」と老婆に伝えたことから老婆が今戸焼で猫の人形を作り、売り出したところたちまち評判になり商売が繁盛した。」という伝説から、今戸神社が招き猫発祥の地であるという推理が行われたようです。

今戸神社の境内では、縁結びのご利益を招くというペアの招き猫の石像や、奉納された多くの招き猫が数多く存在します。

今戸神社のお守り

出典:写真AC

今戸神社では縁結び、総合運、開運・厄除け・金運、交通安全などのお守りを授与しています。

縁結びのお守りは角を立てないで縁を結ぶ意味合いで丸い形のお守りと、反射した光の中にペアの招き猫が現れる鏡のお守りがあります。 丸い形のお守りはデザインが可愛らしい上に、御利益も強いと女性の参拝者に人気が高く、開運を呼ぶ白、厄除けの黒、金運を呼ぶ金色の3匹の招き猫が繋がっているお守りも人気です。

表に鳩、裏には招き猫がデザインされた懐中お守りは一般的な形をしています。 今戸神社に参拝する際にはやはり、今戸神社らしい下町の洒落っ気のあるデザインのお守りを授かりたいものですね。

次のページでは、特殊な形をした今戸神社の絵馬を紹介します。

【グルメ天国】浅草でおすすめの食べ歩きグルメ10選

【素材の味を引き立てる】調理器具としての「石臼」の魅力|石臼豆腐も紹介

石臼の歴史

石臼の歴史は古く、紀元前3,000年頃古代エジプトにおいてサドルカーンという石臼で小麦を挽きパンを焼いていたとされます。

サドルカーンは、平面の石の皿に小麦の粒を入れ、その上から体重をかけて石で磨り潰すものでしたが、紀元前600年頃の古代オリエント時代には上下2段の石を回転させる回転石臼が考案され、より粒の細かい小麦粉を作れるようになりました。

日本には中国から約1400年前に石臼が伝わったといわれていますが、当初は権力や財力を持ったごく限られた階層の人々が保有するもので、一般庶民に普及したのは江戸時代中期のことだといわれています。

それ以前は、穀物を粉にするにはすべてつき臼を用いていたため、石臼が普及すると能率は格段に向上しました。

石臼の特徴


出典:写真AC

石臼は重量があり、原料をまんべんなく挽くことができ粒が揃うのが特徴です。また、石臼はゆっくり挽くので熱が発生しにくく、原料の栄養素を破壊したり、風味を奪ったりということがないという利点もあります。

このため、味やコク、香りを最大限に引き出すことができます。 石臼で最も重要なのは上臼と下臼の擦り合う、ふくみと呼ばれる微妙なすきまの調整と目立て作業です。

かつては「目とり」という石臼の目立てを行う専門の職人がいて、一つ一つ時間をかけて石臼の目立てを行っていました。 一般的に石臼に使用される石材は、安山岩系が多くこれは柔らかい石ですが、組成物が荒いためにほどよく結合部が剥がれることで、長時間の使用に耐えることができます。

一方、御影石のような硬く堅牢な石材を用いると、より細かく挽くことができますが、表面が滑らかなので頻繁に目立てが必要です。

石臼の使い方


出典:写真AC

石臼には中心から放射状に出ている8本の主溝と呼ばれる目が上臼と下臼に刻まれています。このように8つに分かれている石臼を8分画といい、主溝の本数によって6分画、5分画、7分画などがあります。

また、主溝に対して平行な溝を副溝といい、これらのパターンは上臼と下臼とも同様ですが、重ねると裏返しになるので、実際に粉を挽く際には交差した状態になります。

挽き方は、取っ手を持ち、通常上臼を反時計回りに回します。速く回しすぎると荒い粉になってしまうので、2秒に1回転ほどのスピードで回し、穀粒は穴の中で詰まってしまわないよう、入れすぎに注意します。

溝はいずれも石臼の外方向に向かって動き、石臼の中の粉がいっぱいになると上臼と下臼の合わせ目から粉が出てきます。このため、石臼は逆に回すと粉が出てきません。

石臼豆腐

豆腐を作る際、石臼を使う場合には、大豆を水挽きします。これを石臼豆腐と呼んだりしますが、水挽きではまず大豆を水に浸し8~24時間、十分水を吸わせてから、さらに水を加えながら石臼で大豆をすりつぶしていきます。これによりできた白い粥状のものを呉(ご)といいます。

そして、こし袋に入れ、圧力をかけ絞った乳白色の液体が豆乳、袋に残った固形物がおからです。その後、釜炊きをし、冷やしてにがりを打ち豆腐箱に入れて水抜きすると、豆腐ができあがります。

機械を使えばあっという間に作ることができる豆乳ですが、石臼を使う場合は、少しずつ大豆を投入し、じっくり挽き、絞りあげるのも手作業で時間をかけます。 こうして作られる豆腐は一見非効率ですが甘味がしっかり蓄えられた濃厚でえぐみのない、本来の豆腐の味を持っています。

家庭で再現できる郷土料理のレシピを紹介します。

沖縄の方言8選|沖縄の歴史が垣間見える、方言の意味と由来

沖縄県は、日本の最も南にある都道府県で、その立地条件から、琉球王朝の昔から中国や台湾、そして東南アジアとの貿易や交流があり、沖縄の人々は海を越え西太平洋の海上を移動し、文化や希少品をやり取りしていました。

そんな環境から、沖縄では東アジアの言葉をたくさん取り込んできた結果、独特の沖縄の方言が育まれてきました。その方言というものは、すぐ近くの鹿児島県や熊本県などの人にも理解できないほどで、その言語自体、古くからの伝統的な沖縄文化の代表の一つだと言えます

沖縄方言の特徴は、まず語尾が上がる特徴があります。また、沖縄の地名の多くは中国に近いこともあり、感じを音読みすることが多いです。また、沖縄の方言では会話の際にアクセントの高低が少なく話されています。

さらに離島が多いという沖縄の地理上、島ごと、集落ごとであっても、方言が少しずつ違っており、大きくは北部の沖縄北部方言と沖縄南部方言でそれぞれ大きく分かれています。

沖縄方言の一人称は「わー」か「わん」で「我」から来ています、二人称は「やー」と言います。

沖縄の方言①

ハイサイ


出典:写真AC

「ハイサイ」は、沖縄方言で、同じ意味で「ハイタイ」ということばもあります。これは挨拶の言葉で「やあ」とかそれくらいの軽い挨拶で、英語だと「Hey!」位の軽い挨拶ですから「Hello」とは違います。

なので、高齢者や会社での上司など社会的に見て偉い人には使う言葉ではありません。そして、ハイサイは男性が使う挨拶で、ハイタイは女性が使う挨拶です。

注意点は言う側の性別でハイサイとハイタイを言い換えるのであって、相手の性別で使い分けるわけではないという点です。

また、沖縄方言が面白いのは、このハイサイは、目上の人に使っても目下の人に使ってもいいという点です。もちろん軽い挨拶ですから、相手がある程度親しい間柄の場合です。

沖縄の方言②

でーじ しに

「でーじ」と「しに」は、使いやすい使える場面の多い沖縄方言の単語です。

でーじは、中国由来の単語で中国語の「頂級」という言葉からです。この単語の意味は適切に表すなら「トップレベル」という意味で、中国語の発音は「ディンージー」と発音し、「でーじ」は、これが沖縄で訛ったもので、意味は中国語と同じく「とても」とか「すごく」という意味です。

頂級もでーじも同じように使われていて、対象となるものの状態を表現するときに使います。でーじは語尾を伸ばすことも多く、例えば料理が辛い場合は「デージカラサンサ〜(すごく辛いよ)」とか、甘い場合は「デージアマサンサー(すごく甘いよ)」というふうに使います。

ちなみにでーじは、鹿児島県にも伝わっており、鹿児島では音が変化して「てーげ」に変化しています。

「しに」は死ぬ程とかすごいという意味の沖縄方言なのですが、死ぬ程という意味なので使い所は難しく、友人同士、学生同士など親しい間で使われています。

使い方は「しに最悪〜」とか言う様に感情を表すような時に使います。若者がよく使います。

次に紹介する沖縄の方言は「だからよー」です。

【ミンサー織】沖縄が生んだ伝統工芸・ミンサー織の体験スポット

【青森のお土産はこれで決まり!】青森のおすすめお土産7選

青森のおすすめお土産①

パティシエのりんごスティック


出典:ラグノオ

青森には、地元の特産品を活用したお土産がたくさんあります。

青森といえばリンゴを思い浮かべる人も少なくありませんが、パティシエのりんごスティックは蜜入りりんごをたっぷり使ったおすすめのお土産の一つです。

程よくシナモンをきかせたシロップ漬けのりんごを薄いパイ生地で包んで焼いたこのお菓子は、棒状の食べやすい形をしているので、女性や口の小さい子供でも手軽に食べられます。

1個ずつの包装になっていて、職場やサークル仲間などへのお土産にも向いています。そのまま食べても十分美味しいですが、オーブントースターなどで温めるとさらに風味が増します。

青森のおすすめお土産②

朝の八甲田

お土産の中でも定番商品として人気のチーズケーキは、青森でも探すことができます。

「伝説のチーズケーキ」といわれる朝の八甲田は、濃厚なチーズとクリーミーなミルク、青森産の卵をたっぷり使用したスフレタイプのチーズケーキです。

口に入れた瞬間にふんわりとチーズが香り、そのまま溶けていく繊細な味わいは何度でも食べたくなる美味しさです。

津軽りんごや抹茶をアレンジしたシリーズもあり、個包装されていますので、いろいろな味をお土産として持ち帰り、みんなで食べ比べるのも楽しいでしょう。

青森のおすすめお土産③

八戸せんべい汁


出典:写真AC

B-1グランプリで一躍有名になった八戸せんべい汁は、青森県八戸市周辺でよく食べられている郷土料理です。

せんべい汁専用の南部せんべいを鍋に入れて作るのが特徴的で、醤油やみそ、塩味のスープに鶏肉や豚肉、根菜類、キノコ類、ネギなどを入れて煮たてます。

青森以外でも手軽に食べられるお土産仕様の八戸せんべい汁は、せんべいとスープのみのセットもありますし、具材も付属しており、すぐに食べられる便利なものもあります。

青森の人でも満足できるようなこだわりのスープになっており、喜ばれるお土産です。

青森のおすすめお土産④

にんにくせんべい

にんにくせんべいは、ニンニクの産地ではよくお土産として販売されていますが、青森は中でも、ニンニクの生産量が全国一位ということで知られています。

中でも、田子産のニンニクは粒が大きく、甘みや香りが強いため、料理でも重宝されています。青森のお土産として販売されているにんにくせんべいは、この田子産のニンニクを使用した、一口サイズの揚げ海老せんべいです。

せんべいの表面にたっぷりと田子産ニンニクのパウダーがまぶされており、ニンニクの風味と海老の香りが軽い食感と共に立ち上ります。青森土産の定番として、あちこちの店舗で販売されています。

青森のおすすめお土産⑤

いちご煮


出典:写真AC

青森県八戸地方でよく食べられるいちご煮は、果物のいちごを煮たものではなく、ウニとあわびの薄切りを入れたお吸い物を指しています。

青森は海産物が豊富に採れますが、いちご煮に使うウニやあわびも地元産で、赤みの強いウニの色がいちごを連想させることからその名がつけられています。

汁は湯、もしくは出汁に塩とわずかな醤油を加えるだけで、ウニとあわびのうまみ、仕上げに入れる青じその千切りの香りのみで素材本来の味を堪能します。昔から上客をもてなすときの高級料理として伝わっているものですが、現在は缶詰にして、お土産として販売しています。

次のページでは青森の名産品「りんご」を使ったおすすめのお土産を紹介します。

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青森ねぶた祭りの2018年日程とアクセス|ねぶたの作り方も

青森ねぶた祭りとは?

青森ねぶた祭りの歴史は古く、始まりは享保年間にさかのぼります。

起源は定かではないものの、奈良時代に大陸より渡来した「七夕まつり」と、古来津軽地方に伝わっていた精霊送り、人形、虫送りなどの習俗が一体となってかたちになったという説が有力です。

青森ねぶた祭りは1980年に国の重要無形民俗文化財に指定され、日本の祭の中でも多く人が集まる大規模なお祭りとして知られています。

「ねぶた」とはもともと「灯籠」のことです。七夕である7月7日の夜に、無病息災を祈り俗世の穢れを清めるため、川や海に灯籠を流す禊の行事がありました。

「ねぶた流し」と呼ばれるこの行事は、現在の青森ねぶた祭りの海上運行にその面影を残しています。

「ねぶた」(一部地方では「ねぷた」)という名称についてもさまざまな説がありますが、東北・信越地方の「ねんぶり流し」や関東地方の「ねぶち流し・ねぼけ流し・ねむった流し」といった習俗がルーツになっているのではないかといわれています。

青森ねぶた祭りの2018年日程・アクセスを紹介


出典:写真AC

青森ねぶた祭りの開催日程は、毎年8月2日~7日の6日間です。曜日に関係なく、毎年同じ日程で開催されます。

8月2日・3日の夜が子どもねぶた(約15台)・大型ねぶた(約15台)、4日・5日・6日の夜が大型ねぶた、7日の昼が大型ねぶたの運行です。

そして祭のフィナーレを飾る7日の夜には、青森花火大会とねぶた海上運行が行われます。なお、青森ねぶた祭り前日である8月1日の18時~21時頃には、前夜祭として花火があがります。

青森ねぶた祭りの会場はJR青森駅から徒歩10分ほどの場所です。青森駅までのアクセスは新幹線か飛行機となります。

東京方面から東北新幹線なら新青森駅から奥羽本線で約6分、またはバスで16分ほどです。

空路で行く場合は、青森空港から飛行機の到着時間に合わせてバスが出ています。空港からのバスに乗れば、35分ほどで青森駅にアクセスできます。

青森ねぶた祭りの特徴・見どころ


出典:写真AC

青森ねぶた祭りの見どころはなんと言っても巨大なねぶたです。高さ5メートルほどの大型ねぶたは、遠くから見ても非常に存在感がありますが、間近で見るとさらに迫力満点です。

立体的に作られた人形の顔は生き生きとしていて、目が合うと思わずドキリとしてしまうほどの煌々とした光を放つねぶたは、観る者を圧倒するパワーがあります。

また、ねぶた同様、青森ねぶた祭りを盛り上げるのが「ハネト」と呼ばれる地元の踊り子さんたち。ハネトは、青森伝統のハネト衣装を身にまとい、「ラッセラー!ラッセラー!」というかけ声とともに勇ましくねぶたの周りを跳ね回る踊り子のことです。

祭期間中、ねぶた大賞を決めるコンクールが開かれています。審査の項目は細かく決められていますが、ねぶた、運行・跳人・囃子のそれぞれに対して点数がつけられます。

ねぶたの躍動感や見栄え、色使い、運行のまとまりやハネトの一体感、囃子のリズムやねぶたとの一体感など、300点満点で採点されます。

審査を行うのは、主催団体や報道機関、有識者から選出される審査委員と、一般公募の青森市民を含む一般審査員。

総合的に最も優れたチームを表彰する「ねぶた大賞」をはじめ、「知事賞」「市長賞」などの総合賞のほか、運行や囃子などが優れているチームに与えられる「運行・跳人賞」「囃子賞」、ねぶたの制作者に贈られる「最優秀制作者賞」「優秀制作者賞」などがあります。 

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