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「破竹の勢い(はちくのいきおい)」の意味や由来|例文も紹介

「西武ライオンズが開幕8連勝と破竹の勢い」「中国の自動車市場は破竹の勢い」などと、スポーツや産業界の記事においてしばしば使われる「破竹の勢い」という言葉。さて、その意味はご存知でしょうか?

特に考えることなく、それこそ勢いのまま使ってしまうことが多い熟語かもしれません。言葉というものは、きちんとした意味を理解していなくても、雰囲気で使えてしまうことが多いものですが、よく使う言葉こそ、しっかり理解をしておくべきではないでしょうか。

【意味】 激しく止めようのない快進撃のこと。
【由来】 三国志の呉平定で杜預(とよ)が放った言葉から。
【類語】 「旭日昇天の勢い」「旭日東天」「飛ぶ鳥を落とす勢い」「日の出の勢い」「昇竜の勢い」
【対義語】 「見る影もない」「面影もない」「斜陽」
【英訳】 with great vigour」「irresistible」

破竹の勢いの意味

破竹の勢いとは、激しく止めようのない快進撃のことを言います。

破竹の勢いの由来 ・言葉の背景


出典:写真AC

中国の歴史にルーツを持つ言葉を故事成語と言いますが、この「破竹の勢い」もその一つです。この言葉は日本人の大好きな三国志に由来を持っています。といっても、三国志が好きな人でもあまりカバーしていないと思われる時代の物語、三国志の終盤である「呉平定」のエピソードの一つです。

魏・呉・蜀三国のうち、蜀が晋に代わってから時代です。晋の将軍、「杜預(とよ)」が、呉を攻めることを主張するにあたり、以下のように例えました。

「我らの勢いは竹を裂くようなもので、刀を二三節入れれば、あとは手で割れる」。竹の節と、季節の単位である節を掛け、これまでの勢いのまま進軍すべきと主張したのです。

季節が夏になったことで、疫病を防ぐために一度軍勢を引くべきだという意見もありましたが杜預の意見が通り、竹の節のたとえを出して、一気に攻め込むことを決めたのです。この進軍により、晋が天下を統一します。ちなみにこの将軍杜預は、のちの大詩人「杜甫(とほ)」の先祖としても知られています。

破竹の勢いの使い方


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戦乱の時代であれば、地上の軍隊の勢いを指し示すために便利に使えた言葉でしょう。ですが現在では「破竹の勢い」は、スポーツや、特定の分野で急成長した企業グループについて使われることが多くなっています。

例として、「破竹の勢いで急成長するアマゾン」「セレッソ大阪は、リーグ王者川崎フロンターレをスーパーカップでも下し、破竹の勢いにあった」などです。

野球で言うなら、5連勝くらいではまだまだ破竹の勢いというのに適当ではないようで、圧倒的に他と異なる実力を見せつけた時にこそ、使うべきでしょう。

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大洗海上花火大会2018年の日程やアクセス情報|大海原に咲く花火

茨城県の東茨城郡にある大洗町では毎年会場での花火大会が行われます。それが「大洗海上花火大会」です。大洗サンビーチを舞台に毎年3000発以上の打ち上げ花火が上がり、10万以上の来場客がある大型花火大会です。砂浜で見る花火、これぞ夏の風物詩ともいえるのではないでしょうか。

今回は大洗海上花火大会の歴史やその魅力をご紹介します。また、海のリゾート地として注目されている大洗の魅力やおすすめスポットなどもご紹介します。

大洗海上花火大会 2018年の日程・アクセス


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大洗海上花火大会は毎年7月下旬に開催されています。19時30分頃から1時間かけて約3000発の花火が打ち上がります。開催場所である大洗サンビーチは電車の場合は大洗鹿島線大洗駅から徒歩15分ほどのところにあります。車の場合は水戸大洗ICから約15分です。

約7000台が駐車できる大型駐車場があり、車でのアクセスがおすすめです。このサンビーチは海水浴場にもなっており、昼に海で遊んでから夜、花火大会を楽しむという人が数多くいます。それ以外にもバーベキューエリアなども用意されており、夏のレジャーを楽しむには打って付けの茨木有数のスポットです。

大洗海上花火大会の歴史

大洗海上花火大会は10年以上の歴史がある花火大会です。大洗のまつり実行委員会が地元を盛り上げるために毎年開催しています。その規模は毎年大きくなっており、今年の花火にも注目が集まっています。

大洗海上花火大会の特徴・見どころ


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大洗海上花火大会の特徴はなんといっても海上で打ち上げるという点です。大海原を背にした花火はまさに圧巻の一言です。花火が海、そして砂浜を彩る姿はまさに日本の夏を表現しています。

それ以外にも音楽に合わせて花火を打ち上げる、ミュージックスターマインなどもあり新しい花火の表現にも挑戦しています。この花火を作っているのは茨城県の野村花火工業です。なんと内閣総理大臣賞を受賞したこともある、実力派の花火師が集まる会社です。

その野村花火工業のオリジナリティー溢れる花火にも注目です。10連発の大型尺玉から、海という広大な土地を活かしたワイドスターマインまで様々な花火を楽しむことができるようになっています。

ビーチで行われるために花火までは海水浴を楽しめるというのもいいですね。昼に海辺や海の家で全力で楽しんだ後に夜はゆっくりと花火を楽しむ、ここだけで夏を全力で楽しむことができるようになっています。

大洗おすすめ周辺スポット


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大洗町にはこれ以外にも見ておきたい観光スポットが多数あるのでその一部を紹介します。まずは大洗磯前神社です。856年から続くというとても歴史のある神社になっています。江戸時代中期には当時治めていた徳川綱條により改修が行われ、現在の姿になりました。

今もなお江戸建築の様式を残しており、茨城県指定の文化財にもなっています。大洗磯前神社には神磯の鳥居という海上の岩の上にそびえ立つ鳥居があります。波とともに見る鳥居はまた違った雰囲気に包まれています。元旦などには初日の出を見るために多くの人が集まるスポットでもあります。

そして大洗磯前神社の境内に併設されているのが「大洗海洋博物館」です。港町として栄えた大洗町の歴史や実際に漁で使われていた用具、当時の魚場の模型を観覧することができるようになっています。クジラの標本などもあり、参拝と同時に海や大洗に対する知識を深めることができる博物館になっています。

続いて紹介するのは「アクアワールド茨城県大洗水族館」です。海に面している大洗町ということで水族館の規模も大きく、全国トップクラスの広さがある水族館です。家族連れのイルカショーから、ここでしか見られないサメやマンボウなどの飼育槽があり様々な年齢層が楽しめる水族館になっています。

最後に紹介するのが町のシンボルタワーにもなっている「大洗マリンタワー」です。大人330円、子供160円で入場でき、地上60メートルから広大な海と、大洗町の景色を一望することができるようになっています。花火大会の際にはこちらのタワーから花火を鑑賞しても夜景と一緒に花火を綺麗に見られるようになっています。

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【熱気球の国際競技大会】バルーンフェスタの2018年日程や見どころ

バルーンフェスタとは

バルーンフェスタは佐賀県佐賀市で年一回秋に開催される、熱気球の国際競技大会です。正式名称を「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」といいます。佐賀平野を流れる嘉瀬川河川敷の上空に、多くのカラフルな熱気球が浮かび、水面に映るさまは正に壮観です。

スポーツの大会としてもアジア最大級のものですが、スポーツの枠を超えて、九州でも屈指の、観客の目を楽しませる大型イベントとして認知されています。バルーンフェスタはインスタ映えするフォトジェニックな催しでもあって、毎年80~90万人程度の集客があり、地元への経済効果も大変大きなイベントです。

嘉瀬川沿い、東側の細長い地域がメイン会場です。さらに競技によっては会場外の田んぼに熱気球が着陸することもあります。会場だけでなく、佐賀市内と周辺の広い地域から、競技の模様を眺めることができます。

バルーンフェスタ 2018年の日程・アクセス


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2018年のバルーンフェスタは、11月1日(水)から11月5日(日)の5日間に渡って開催されます。11月3日は文化の日ですので、後半は三連休に掛かります。11月2日はキッズデーとなっており、地元の幼稚園・保育園から園児が多数呼ばれイベントに参加します。

最終日の11月5日には、大いに盛り上がる「キー・グラブ・レース」が開催されます。「キー・グラブ・レース」では、観客の目の前を大型の気球が飛びます。これは柱につるされた鍵の模型を、搭乗者が手で掴むスリリングな競技です。

会場へのアクセスですが、JR長崎本線に臨時駅「バルーンさが」が、会場そばの嘉瀬川河川敷にオープンしますので、この駅を使うのが大変便利です。駅は大変混雑しますのでご注意を。

その他、お車のアクセスのため、周辺には臨時駐車場が多数オープンします。多くのバスも佐賀市内から走ります。会場では入場料を徴収せず、無料で楽しめるのも嬉しいですね。

バルーンフェスタの歴史


出典:写真AC

福岡県甘木市でひっそりと始まったバルーンフェスタは、3年後の1980年に現在の佐賀市に移りました。佐賀平野には、気球競技に最適な風が吹くとのことです。当時の参加機は14、観客動員は3万人でした。

1989年に、バルーンフェスタは熱気球の世界選手権として実施され、これが転機となりました。参加機が132、観客動員117万人の超ビッグイベントに成長したのです。その後世界選手権は2度おこなわれています。

バルーンフェスタの特徴・見どころ


出典:写真AC

熱気球というスポーツがわからなくても気にする必要はありません。カラフルな気球が徐々に膨らんで立ち上がり、空に浮かんでいく姿には誰でも圧倒されることでしょう。競技は早朝7時から始まりますので、その前から会場もオープンしています。

朝は風も安定していており、競技の中止も少ないために大変お勧めです。競技がイベントのメインですが、他にも数多くの催し物が用意されています。子供の喜ぶ、バルーンファンタジアでは、パンダやアニメキャラ、スターウォーズの登場人物などがふわふわ空を泳ぎます。

それから世界の一流ライダーが集まりデモンストレーションを見せるホンダトライアルバイクショー。日本夜景遺産に登録される「ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン」(夜間係留)、それからイベントステージや物産展の「うまかもん市場」などです。

イベントステージでは、ライブやトークショーなどが開かれ、2017年には「中村あゆみ&はなわ」「中越典子」などのタレントさんも来場しました。熱気球を夜間に係留し、バンド生演奏に合わせてバーナーの炎を灯す「ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン」は、大変幻想的で、最後には花火も打ちあがります。

そしてバルーンフェスタの開催中、地元の子供たちは、チームカード・バッジなどをくれるチームがあるため会場外の田んぼに着陸する熱気球を目指して自転車で駆け付けます。

【泥まみれの神様に追いかけられる】沖縄の奇祭パーントゥ・プハナの魅力

【泥まみれの神様に追いかけられる】沖縄の奇祭パーントゥ・プハナの魅力

沖縄の奇祭、パーントゥ・プナハとは?

 パーントゥ・プナハは、宮古島北部の平良島尻に伝わる祈願祭です。 祭りは一年間かけて、旧暦3月末から4月初め、5月末から6月初め、そして9月吉日の3回に分けて行われます。

一般的にパーントゥ・プナハとして知られているのは、最後に行われる厄払いの行事です。 厄払いは、2日間かけて行われます。 まず1日目は、集落に災厄が入り込まないように結界を張ります。

そして2日目。木彫りの仮面をかぶった泥まみれの神様「パーントゥ」に扮した3人の青年が、集落中の人々や建物など、あらゆるものに泥を塗りたくっていきます。 逃げまどう人々を、異形の神様が追い回すその光景はまさに奇祭そのもの。 この泥を塗られることで、人々は一年間無病息災で過ごせるようになるといわれています。 

パーントゥ・プハナ祭り 2018年の日程・アクセスなど

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厄払いの行事は、旧暦9月の戊の日から数日のうちに行われます。 ただし、集落の神職者が決定するまではその日程は分かりません。また、最近では大勢の観光客が訪れ、トラブルが頻発するようになったため、数日前まで公表されることはなくなりました。

そのため、パーントゥ・プナハ目的の観光旅行は難しくなっています。 だいたい10月の週末に行われることが多いので、どうしてもパーントゥ・プナハを体験したい人は、その時期を狙って沖縄や宮古島に長期滞在するのもよいでしょう。

島尻へのアクセスは、宮古島平良市街から車で北へ20~40分。指定の駐車場があるので、そこから集落の中心部へと向かいます。

パーントゥとは


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「パーントゥ」とは、宮古島地方の方言で「異様な形相のもの」。つまり、人ならざる鬼や妖怪、そして神様をあらわす言葉です。 その語源は、「パーン(食べる)」に「ピトゥ(人)」が合わさってできた、という説があります。

神様の出で立ちは異様そのもの。無表情な木彫りの仮面を着け、キャーンと呼ばれるシイノキカズラの蔓草をまとい、その身には灰色の泥が塗りたくられています。 この泥はただの泥ではなく、宮島小学校の東にある「ンマリガー」という神聖な泉から取ったものを使います。

かつて集落で生まれた赤ん坊は、かならずこの水を産湯に使っていました。 神様を演じるのは、地区のなかから選ばれた3人の青年です。 異様な姿で人々を追いかけ回す姿は恐ろしげですが、実は福をみんなに分け与えるとてもありがたい神様なのです。

パーントゥ・プナハ祭りの歴史


出典:写真AC

パーントゥ・プナハの起源は、百数十年前まで遡ります。 ある祭りの日、集落の海岸に、クバの葉に包まれた木彫りの仮面が流れ着きました。 その不気味さに人々は恐れますが、神女(ミズマイ)のお告げにより、それが海の向こうからやって来た神様だと知らされます。

神女は吉兆のしるしとして、仮面を大切に扱うよう指示しました。 その後、仮面を被った若者がンマリガーの泉の泥を全身に塗り、神様になったと言い伝えられています。 それ以来、パーントゥ・プナハは集落の祭りとして代々受け継がれてきました。

数十年前までは島尻の電灯は十分ではなく、暗がりに人々を求めさまようパーントゥの姿は、まさにこの世のものとは思えなかったといいます。 現在では、観光客でも気軽に参加できる、より開かれたお祭りとなりました。 ただし、日程や儀式の段取りなどは古くからの掟を守り続け、そのほとんどは集落の人々にさえ明かされていません。

また、その貴重さから、1993年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。 また、2016年にはUNESCOに無形文化遺産への登録を提案。2018年秋に、審議されることが決まっています。

パーントゥ・プナハ祭りの特徴・見どころ


出典:写真AC

パーントゥ・プナハの最大の見どころは、泥を塗りたくる神様から逃げ回る人々の姿です。 17時ちょうどにウマリガーから現れると、3体のパーントゥは奇声を上げながら人々のあとを追いかけ回します。 相手は、老若男女の区別もありません。

街中のあらゆる人が抱きつかれ、覆いかぶさられ、泥まみれになっていきます。幼い子供たちのなかには、泣きながら逃げまどう様子も。 もちろん、警察や観光客も例外ではありません。 家の中や車まで、誰彼かまわず泥で汚されていくその光景は、まさにお祭りでなければ見られないシュールさ。

神様と分かっていても、その異様な姿から、ついつい真剣に逃げ出したくなるくらいスリル満点です。 泥遊びや鬼ごっこのように、童心に帰って楽しめるのも特徴といえるでしょう。

参加する場合は、カメラの防水対策や、汚れてもよい服を着ていくのが必須です。レインコートを用意しておくのもよいでしょう。泥は匂いが強く数日間は残ってしまうので、その点は覚悟しておきましょう。 

国貞と国芳|江戸時代を代表する浮世絵師のライバル関係とは

「俺たちの国芳 わたしの国貞」展

出典:パブリックドメインQ

現代のようにテレビやグラビアなどがない江戸時代。

そんな時代に浮世絵は、最新のファッションやエンターテイメントを伝える唯一の手段でした。

この「俺たちの国芳 わたしの国貞」では、世界的に有名な浮世絵コレクションのあるボストン美術館により、幕末に絶大的な人気を誇っていた二人の有名浮世絵師である歌川国芳と歌川国貞の作品で江戸時代を体感してもらおうというのが目的です。

あえて対照的な2人の浮世絵を同時に展示することによって、彼らがどのように人々の要望に応えようとしたのか、創意工夫を凝らして浮世絵を描いたのかというのを知ることができます。

また、現代と当時の浮世絵をつなぐため、歌舞伎を通してタイトル構成をし、ポップなタイトルでわかりやすくしています。

国芳


出典:パブリックドメインQ

歌川国芳とは、江戸時代末期を代表する浮世絵師の1人です。

画想の豊かさ、斬新なデザイン、ユニークな発想、アイディアは奇想天外で確実なデッサン力をもっており、天才とも呼ばれました。

浮世絵という枠には収まらないような広い範囲の作品を世に残しました。ダイナミックで独創的な作品が多いのが特徴です。

1798年に江戸日本橋に生まれ、幼少期から絵を学んでいました。錦絵の「平知盛亡霊図」や「大山石尊良弁滝之図」によって人気を得ました。その後は大判揃物「通俗水滸伝豪傑百八人」という「水滸伝」のシリーズが評判となり、人気浮世絵師の仲間入りを果たしました。

売れ出したのは30歳からと比較的遅咲きの浮世絵師だったと言われています。長い下積み時代を経てデビューしたのです。

国芳の代表作・善知鳥安方忠義伝


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善知鳥安方忠義伝は山東京伝によって書かれた江戸時代の読本です。この読本を元に一場面を歌川国芳が浮世絵に仕立てました。

相馬の古内裏といいます。将門の娘である瀧夜叉姫が操っている巨大な骸骨、そして大宅太郎光圀らが戦っている場面を描いたものです。読本の中では数百もの骸骨と戦いを繰り広げることになっていますが、国芳はそれを巨大な骸骨に変えるという斬新な発想で書きました。

絵は三枚続きになっている大判錦絵ですが、絵の中からいまにも飛び出してきそうな骸骨に驚いてしまいます。三枚揃ってこそ楽しめる浮世絵です。

国芳はスカイツリーを予言していた?

歌川国芳の描いた浮世絵の中にスカイツリーと思われる建物が描かれた絵があります。

江戸時代の1831年に描かれた「東都三ツ股の図」という絵に隅田川で二人の職人が船の底を焼いており、そこから煙が上に上がっているという風景を描いた絵です。

この絵の左側をよく見てみると、二本の塔のようなものが描かれています。この塔の右側の塔がスカイツリーによく似ていると言われているのです。左側の塔は実在していた火の見櫓と言われています。

右側の塔に関しては、歌川国芳には予言の能力があったのでは?とも言われています。なんと実際にスカイツリーのある場所も似ているということです。一般的には井戸掘り櫓ではないかと言われています。

「うだつが上がらない」の”うだつ”って何?意味と由来を紹介

「うちの旦那は仕事を何十年もしているけれど、いつまで経ってもうだつが上がらないんだよね」皆さんはこんな話を耳にしたことがきっとあると思います。

この「うだつが上がらない」という言葉はどんな意味をもっているのでしょうか?

うだつが上がらないの意味


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この「うだつが上がらない」ということわざは、こんな意味を持っています。

先ほど例をお示ししたように、まさしく、仕事や社会で出世しない、成功しない、金銭的に裕福にならない、といったような意味をこの言葉は持っています。

うだつが上がらないの由来


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ではこの「うだつが上がらない」はどのような由来をもっているのでしょうか?”うだつ”というものを皆さんは見たことがあるでしょうか?

“うだつ”は歴史的な古い家が並ぶ、街並みにある家と家の間に作られている防火壁です。

江戸時代を背景とした時代劇などでは商家の街並みを写していることが多く見受けられるのですが、その中に”うだつ”は存在します。”うだつ”は平安時代から存在はしていたのですが、当時は瓦などなく、屋根もすべて植物性の材料で吹いていました。そのため当時のうだつは木製で作られていたのです。

その当時は防火壁というよりも、強風をよける壁としての役割や装飾の役割をしていたのですが、その後江戸時代に入り、瓦が開発され、木造の建築技術も大きく変わりました。漆喰と瓦と木で家を作る技術を得た江戸時代でしたが、木造の建築物が密集している街では大火がたびたび起こったのです。

その時代、火事が起こっても延焼を防ぐ役割として、”うだつ”が家と家の間に作られていきます。一階の屋根と二階の屋根の間から隣との壁に渡って壁がせり出したように作られた、一見すると袖壁の様な”うだつ”は、その上に瓦を乗せ、隣家で起こった火事を防ぐ役割を担っていたのです。

その後、江戸時代中期に入り、特に上方では商家が競って立派なうだつを建てていくようになりました。防火壁から財力や権力を周囲に占めす役割を”うだつ”に加えていったのです。それから今の「うだつが上がらない」という語源に発展していきます。

うだつが上がらないの使い方


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では「うだつが上がらない」という言葉はどんな状況で使われるのでしょうか?

「長年この商売をしているけど、いつまでたってもうだつが上がらないんだよ」という表現や、

「彼は本当にのほほんとしているから、彼の正体を世間はわかっていない様だけど、実際彼は本当に頭の切れる男なんだよ。でも世間はそんなこと知らないからうだつの上がらない男だと思っているだろうね。」といった表現など、いわゆる出世しない、といった意味合いで私たちは一般的に使っています。

うだつが上がらないの類義語・対義語


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ではこの「うだつが上がらない」という言葉と同じような意味を持つ言葉を見ていきましょう。おそらく皆さんは生活の中で見聞きしたことがある言葉だと思います。

こんな言葉を御存知ではないでしょうか?「鳴かず飛ばず」という言葉や、「芽が出ない」であったり、「今一つ成果が出ない」という表現はよく使うでしょう。

その反対に使われているのが、「引く手あまた」であったり、「ひっぱりだこ」というような売れっ子に対する表現や、「飛ぶ鳥落とす勢い」なども「うだつの上がらない」という言葉とは反対に成功を示す表現として使われることがありますね。

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【日本独特の美しさを表現】「わびさび」という言葉の由来や背景

『花が散り、葉桜となったその姿も美しい。わびさびを感じる景色だな』 春の訪れを知らせるように咲き誇り、あっという間に散ってしまう桜。そして散った後もまた違った美しさを感じる。

そんな儚い姿の移り変わりの「美」を表現する「わびさび」という言葉があります。

「わびさび」は昔からある日本独特の美しさを表現する言葉なのですが、皆さんは「わびさび」の意味をご存知でしょうか。

わびさびの意味


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「わびさび」とは美しさや日本人独特の芸術観を表現する言葉で、今は1つの言葉として認識されていますが、「わび」と「さび」それぞれの言葉に違った意味があります。

「わび」とは、気が落ちる・非嘆する・鬱々とするといった負の気持ちを表現する言葉で、「さび」とは、古びた・色褪せた・かれるといった見た目の負を表現する言葉とされています。

どちらも否定的な感情を表現している言葉ですが、一般的に劣化とみなされるものの織りなす変化が、独特で美しいことを「さび」、さびれを受け入れて楽しもうとする心を「わび」とし、日本独特の美意識を表した表現として使われています。

現在では「わびさび」と一括りで使用されることが多く、簡素の中にある落ち着いた寂しい感じや、枯淡の境地を表すと考えられています。

わびさびの由来・言葉の背景


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わびさびの由来・言葉の背景 を見ていきましょう。「わび」は漢字で「侘」・「侘び」と書き、動詞の「詫ぶ(わぶ)」が名詞となったものとされています。「わぶ」には、気落ちする、困って嘆願する、誤るといった意味があります。

「さび」は漢字で「寂び」・「然び」と書かれ、動詞の「さぶ」が名詞となったものとされています。本来は時間の経過によって劣化していく様子や、生命力が衰えていく様の表現を意味しています。

本来は良い概念ではなかった「わび・さび」という言葉ですが、「わび」は中世に近づくにつれて不足の美を美しいものと意識するようになり、鎌倉時代に日本に入ってきた禅宗の影響で積極的に評価され美意識の中に取り込まれて行きます。

「さび」は室町時代に俳諧の世界で重要視されるようになったのをきっかけに、能楽に取り入れられ、美を感じさせる言葉へと変化しています。 「わび・さび」は室町時代の後期に茶の湯と結びついたことで急発展しています。

江戸時代には千利休が茶道の世界と共に「わびさび」の思想を究極まで高めた後、松尾芭蕉に「わび・さび」の精神性が引き継がれ、ここでわびさびが表現する「美しさ」というものが確立されたと考えられています。この頃から「わびさび」を使用した言葉も多く用いられるようになります。

わびさびの使い方


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「紅い絨毯の真ん中で、枝のみが残るもみじの木が役目を果たしたように立ち並ぶ。まさにわびさびの美しさを感じる眺めだ。」 桜と同様、季節の節目に美しい姿と散ってしまった静寂さを見せてくれる樹々。朽ちていく中にも感じられる美しさを表現する際にも使用します。

「新緑生える庭にコケを身にまとった石。なんとわびさびを感じる庭なのだろう。」 長い年月を経て古いものの内側からにじみ出てくる美しさを表現する場面で使用されることもあります。

江戸時代を代表する浮世絵師・国貞と国芳のライバル関係

【盛岡さんさ踊り】県名にも深く関わる「さんさ踊り」の発祥と2018年の予定

さんさ踊りとは


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さんさ踊りとは、正式名称を「盛岡さんさ踊り」といいます。毎年8月初めに岩手県盛岡市で開催される、東北の夏を代表するお祭りの一つです。

さんさ踊りの主会場、県庁前の中央通では、「ミスさんさ踊り」や太鼓連、伝統さんさ踊りのパレードが行われ、サブ会場の盛岡市民ホールと盛岡駅前滝の広場では、地域によって異なるさんさ踊りを見比べることのできる「伝統さんさ踊り競演会」が行われます。

さんさ踊り期間中、夏空に響く太鼓に合わせ、たくさんの人たちが鮮やかな衣装をまとって踊り狂います。

2018年のさんさ踊り

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2018年のさんさ踊りは、8月1日から4日までの4日間、午後6時から9時まで小雨決行で開催予定です。

また、さんさ踊り1週間前(2018年の日程未定)には、三ツ石神社でさんさ踊りの奉納演舞が行われます。さんさ踊りの主会場となるのは盛岡市中央通、岩手県庁前~二丁目までの約1kmです。サブ会場として盛岡市民文化ホール(入場料必要)、JR盛岡駅前滝の広場が用意されています。

会場までのアクセスは、JR東日本盛岡駅で降りて約2km、徒歩22分(岩手県庁前まで)または盛岡駅からバスに乗り、県庁市役所前で降りて徒歩2分です。

サブ会場の盛岡市民ホールへは、JR盛岡駅で降りて徒歩6分で行けます。

車でお出かけの場合、東北自動車道の盛岡南インターチェンジで降り、盛岡西バイパス(国道46号線)を経由して約20分、周辺には小中学校を利用した無料駐車場4カ所があります。中央通会場には、1席2500円の有料観覧席も用意されます。

さんさ踊りの歴史

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さんさ踊り自体の歴史は、そう古くはありません。始まりは昭和53年、2018年で41回目となります。しかし、さんさ踊りのメインであるさんさ踊りの歴史は長く、岩手の名の由来にもなった盛岡市那須川町の三ツ石伝説がその起源とされています。

昔、鬼が現れて暴れた時、困った人々は三ツ石神社の神様に鬼退治をお願いしました。神様は鬼を捕まえて懲らしめると、もう二度と悪さをしないようにと岩に手形を押させて約束させたそうです。それが岩手の名前の由来です。

鬼が退治されて喜んだ人々は「さんさ、さんさ」と言いながら、三ツ石の周りで踊り、さんさ踊りの始まりとなりました。また、さんさ踊りに欠かせない太鼓は、鬼が二度とやってこないようにと響かせたのが始まりです。

ちなみに「さんさ」とは、踊りや民謡の囃子言葉ですが、さんさ踊りのかけ声は「サッコラ チョイワヤッセ」だそうです。

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さんさ踊りの特徴

【1度のゼンマイで1年動く】東芝の父が発明「万年時計」の仕組みや魅力

万年時計とは


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万年時計は、正確には万年自鳴鐘といいます。東洋のエジソンと称された田中久重が設計・製作した置時計で、その高い技術力や精密な構造は、国の重要文化財に指定されるほどです。

この時計は、太陽の動きによって時間を判断していた江戸時代末期に発明されていながら、1度ゼンマイをまけば1年間動き続けるという驚くべき機能を持っています。六角柱の形をした本体は、側面と上部に計7つの機能を配置しており、底部のゼンマイで連動して動くようになっています。

デザイン性にも優れており、京指物や木彫、京七宝、蒔絵、螺鈿などの様々な装飾が凝らされています。

万年時計の製作者「田中久重」

万年時計の製作者である田中久重は、「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と称された日本の発明家です。幼いころからからくり人形の新しい仕掛けを生み出すなど、発明家としての才能を発揮していました。

客の手前まで茶を運び、湯呑みを戻すとUターンして帰って行く茶運び人形や弓曳童子、文字書き人形などが代表作として知られています。30代のころには折りたたみ式の懐中燭台や灯油を自動的に補給する無尽灯という行灯なども考案しました。

50代のころ、1851年には万年時計を完成させ、その2年後には日本初の蒸気機関、蒸気船の模型を製造しました。70代のころ、1875年に電信機関係を制作する田中製造所を設立し、これがのちの東芝の基礎となっています。

万年時計の仕組み

万年時計の仕組みは非常に複雑です。当時、日本の時刻は昼夜の長さに応じて時刻が変化する不定時法でした。季節によって昼夜の長さが変化するため、正確にその時刻を表す時計を作ることは非常に困難だったのです。

万年時計は、虫歯車という往復回転運動をする独自の歯車を用いて実現していますが、この機構は世界中どこにも使われていませんでした。また、時刻と七曜を表示する盤は、時刻と曜日の変わり目に針がステップ状に動くようになっており、打鐘機構の一部でもあります。

月の満ち欠けは、黒と銀色に塗り分けた球体の回転で表されており、実際に月の状態が見えるようになっています。一方、洋時計に関する知識や技術は当時の日本では不十分だったため、フランス製と考えられている懐中時計がはめ込まれています。

これらの複数の機構をゼンマイで連動して動かすように設計し、簡単な操作で一年間、複数の動きが見られるようになっているのです。

万年時計の特徴

万年時計には、側面に6つ、上部に1つの機能が備わっています。上部には太陽と月の動きを正確に見ることができる天象儀が、そして側面には文字盤の位置を自動で変化させて不定時法に対応させた和時計、二十四節気、曜日と時刻、十干十二支、その日の月の満ち欠けを表す月齢、現代の一般的な洋時計がそれぞれに配置されています。

さらに油さしも自動、時間が来ると鐘の音まで出るようになっており、当時の日本の知識や技術力を考慮すると、実現不可能に近い仕上がりになっています。これらの1000を超える部品のほとんどが田中久重の手作りです。

万年時計と西洋時計の違い


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万年時計に見られる和時計は、西洋時計と比較すると正確な時刻を表示させるための機構が非常に複雑です。西洋時計は1日を24に等分して時間を図ることができますが、和時計では日の出から日没までを昼、残りを夜として、これをそれぞれ6等分します。

日の長い夏の間は昼の一時刻が長くなり、冬になると短くなるという不定時法を機械式の時計で正確に刻むというのは、現代の技術をしてもかなり困難といわざるを得ません。

元々は西洋時計を参考にして作っていましたが、万年時計が出る前は、不定時法を表すために、時間の速さを調整する棒天符の錘りを昼と夜で毎日掛け替え、さらに15日ごとに文字盤などを変更するなど、手間のかかる方法で時刻を表示していました。

次のページでは、実際に万年時計が見られる場所を紹介します。

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【渋くてかっこいい?】「いぶし銀」の意味や由来を紹介

「いぶし銀のようなプレイヤー」などと、スポーツ選手や俳優を指してしばしば言います。言われる人は、決して派手な人でなく、その道の通好みである場合が多いでしょう。

言葉というのは不思議なものです。なにかを例えている言葉であるのは明らかなのに、「健康のバロメーター」という言葉のバロメーター(気圧計)など、たとえがなんなのか知られていないものもしばしばあります。

「いぶし銀」というのもそういった言葉で、「いぶし銀」と例えられる人は現にいるのに、「いぶし銀」がなんなのかを知る人は少ないかもしれません。あなたは「いぶし銀」の意味をご存じでしょうか?

いぶし銀の意味


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いぶし銀とは、文字通り「いぶした銀」のことです。「燻す」という字は「燻製」などにも用いられています。食物に様々な種類の煙を浴びせて風味を変え、保存することを「燻製」といいますが、いぶすというのはこのように煙を立てることを言います。

今でいう蚊取り線香を「蚊いぶし」などというのもこれです。「いぶし銀」もまた、煙を浴びせていぶした銀のことで、これは硫黄のすすを用いておこないます。

いぶすと銀の光沢は失われてしまうのですが、銀は手入れせず放っておくと黒ずんでしまうものなので、あえていぶす価値があるのです。「派手さは消えたが、しみじみと渋さが感じられる」というのが、いぶし銀と評される人の特性です。

いぶし銀の由来・言葉の背景

硫黄のすすでいぶした銀は、貴重金属ならではの光沢を失ってしまい、くすんだ色となります。ですが、そこに普遍的な、新たな価値が生まれます。

ここから、俳優であれば貴重なバイプレイヤー、野球選手であれば小技が上手い、守備が安定しているなどの特性を持つ人が、いぶし銀と評されます。主役を張る人に対して使うのは妥当ではありません。

いぶし銀の使い方


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いぶし銀の用例です。

「彼の演技にはいぶし銀の存在感が感じられる」

「○○監督の現役時代には、ファンは彼をいぶし銀と呼んだものだ」

このように、言葉の由来を知らなくても、誰もが共通して「渋い」「主役ではないが欠かせない」というイメージを思い浮かべられるため、大変便利な言葉です。

いぶし銀の類語・対義語

「いぶし銀」は、もっぱら人に対する褒め言葉として使われます。類語は乏しいですが、意味的に似た言葉はあります。

例えば、役者・落語家など、表現者に対して使える似た種類の褒め言葉として「噛めば噛むほど味のある」「スルメのような」などという表現があります。「いぶし銀」と同様、最初の印象と異なる味が後からじわじわ出てくる様子を示しています。

いぶし銀の対義語としては、見かけは立派だが中身が伴っていないという意味の言葉が該当するでしょう。例えば、「見かけ倒し」であるとか「ウドの大木」などです。見た目が立派でないならば、そもそも妥当な悪口ではありません。

いぶし銀を英語で説明


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いぶし銀を英語でいうとどうなるでしょう。oxidized silverとなるのですが、これはいぶした銀そのものを指す直訳です。例えとして用いられる、渋い存在感を意味的に訳すとこのようになります。

<彼の演技にはいぶし銀のような味がある. His performance impresses us with a skill that is quiet and restrained rather than obvious.>

<いぶし銀のように光る演技a masterfully controlled performance>。

いぶし銀から学ぶ


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例えとしては、いささか紋切り型になるかもしれませんが、だからといって「いぶし銀」と評されて怒る人はあまりいないはずで、かなりの褒め言葉だといえるでしょう。

本当に目立たない人に使うのではなくて、主役ほどは目立たないという程度の、ある程度名を挙げた人に対して使うことが適切だと思われます。もっとも、誰が見ても常に主役だという人については、使わないほうがいいでしょう。いぶし銀という言葉は目を引くほどの華はないが、名を馳せた人に対して使う言葉です。

いかがでしたか?燻した銀から生まれた「いぶし銀」という言葉について関心が深まったでしょうか。

ぜひ、日常生活でも渋くてかっこいい褒め言葉「いぶし銀」という言葉を使ってみて下さい。