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【”気”で制する武道】合気道のルールや技の種類|特徴的な呼吸法とは

合気道の歴史・合気道の特徴・ルール

 海外でも人気のある日本の武道に合気道があります。 合気道には技術ももちろん必要ですがですが、他の多くの武道とは違い力や技を使って相手を倒すという攻めの武術ではなく気を使って相手を制するというどちらかといえば受けの武術であるといえます。

その目的も技術的に強くなって相手を倒すという事ではなく、自らの心の鍛錬を行う事を目指しています。 合気道の歴史はまだ浅く、大正から昭和初期にかけて植芝盛平翁を開祖として創始されました。 柔道や剣術などの日本古来の武術を学んだ後、植芝塾道場を開設し当初は合気武術と称していました。 

合気道の呼吸法


出典:写真AC

合気道は「気」を使って相手を制する武道です。 「気」とは心身を統一するためのもので、合気道の動きの特徴である円の運動の中心である人間の体の重心からほとばしるものとされています。

この「気」の力を上手く発揮できるように鍛錬する方法として、呼吸法というものがあります。 この呼吸法は立って行う立技呼吸法と座って行う座技呼吸法があり、どちらも体の重心から始動します。

物理的にはまず腰を動かしますが、掴ませた相手を力で押したり投げたりするのではなく、相手の力を利用して相手を崩し制することを目標とします。 相手を崩すときには漢字の「十」をイメージします。自分の両手が「十」の横棒で相手の体か「十」の縦棒です。手だけを動かすのではなく体全体で「十」の文字を動かすイメージです。

合気道の技の種類


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合気道には固め技、投げ技、座り技、返し技、当身技などがあります。 固め技とは相手を抑えて制する関節技の一種で、一教から五教まであります。一教は次に続く二教から五教の基本となっており、順に稽古することになります。 投げ技にもいろいろな技の種類がありますが、どの技もその名の通り相手を投げる技の事です。

合気道には立技以外にも座った状態で行なう技があります。しかし、座技というのは体の動きが制限されるので実際にはあまり使われていません。 返し技とは相手が仕掛けてきた技を利用して技を掛け返す技です。

これらの技の中でも当身技は重視されており、簡単に言えば急所を突く技なのですが相手を傷つける事を目的としない合気道では、急所を防御しようとする反応を誘って相手の動きを制するための技です。

合気道の護身術


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合気道は女性でも始めやすい武道だと言われています。その理由として特別大きな肉体が必要なわけでもなく、力が必要なわけでもないというのが大きいのではないでしょうか。

また、合気道は必ずしも1対1を想定しているわけではなく1対多、あるいは武器を持った相手を想定した武道です。 ですから合気道の技の中には護身術として応用できるものがいくつもあります。

物騒な世の中になってきていますので、想定していないトラブルに巻き込まれたりした時に自分の身は自分で守れるように護身術としての合気道も注目されています。 

合気道と柔道の違い


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合気道と同じような関節技(固め技)と投げ技の武道として柔道が挙げられます。 本来はどちらも総合武術であり、柔道は嘉納治五郎が柔術を元に競技としての講道館柔道を創りました。合気道も同じく古流柔術が基礎となっています。しかし、合気道は柔道にはない関節技や投げ技を主体とし、精神的な鍛練を中心にまとめられています。

また合気道には様々な流派があり、勝ち負けを争わない武道という理念を持っており、一部の流派を除いて試合が行われることはありません。試合をする流派も理念の違いから試合ルールが一本化されておらず、競技スポーツとして既に確立している柔道とは一線を画しています。

気の力を使う合気道

合気道は力と力のやり取りだけではなく、相手の力を利用して気の力で相手を制する武道です。 また、その理にかなった動きによって体の大きさに関係なく相手を制することが出来るために、護身術としても人気があり女性や年配の方にも始めやすい武道です。

基本的に試合をしない事から、体とともに精神を鍛えるために合気道を始める方も少なくないと言われています。 体を鍛えたい方もしっかり有酸素運動出来るので体のシェイプアップも出来ますし、自分のペースで鍛錬できるのも大きな魅力の一つです。

この機会に是非合気道を始めてみてはいかがでしょうか。

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【老若男女が取り組める】自身が成長できる少林寺拳法の考え方と発祥

少林寺拳法とは|歴史/教え/演武と評価方法などを紹介

少林寺拳法とは

「少林寺拳法」とは、日本発祥の武道の1つです。「少林拳」という中国の武術がありますが、少林寺拳法と少林拳は全く異なる別物です。少林寺拳法は、肉体と精神をバランスよく鍛えることを目的としていて、拳法という名でありながらその教育システムも少林寺拳法の一部に含まれています。

少林寺拳法の技法体系は護身術を基本としています。傷付けることよりもまず護ることに重きを置いているのが特徴です。精神面では、金剛禅という少林寺拳法独自の教えに基づいた修行方法を取っています。

金剛禅では、「自己確立」「自他共楽」「理想郷建設」を目的にしています。

しっかりした自分になること、そして他人との関わり合いを大切にしています。そのため武術の修行においても、組になっての修業が主となっています。

日本民族発展のため?少林寺拳法の歴史


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少林寺拳法の開祖は宗道臣という日本人です。 宗道臣は中国に渡った際に中国拳法の達人の元で弟子なりました。任務で長期的に満州を渡る最中に拳法の全ての技を習得します。その後、ソ連軍の攻撃に巻き込まれ、ソ連の支配下の満州で一年もの月日を過ごしました。

その生活の中で、法律や政の要は人の質であるということを悟ります。そして、無事に日本に帰還することができたなら、この教えを説き、日本民族の発展に繋げようと思い立つのです。

やがて、宗道臣は無事に帰国を果たしますが、当時の戦後の日本は宗道臣の思っていた状況とは違いました。若者たちは荒廃しきっていて、とても明るい未来を創造できるものではありませんでした。満州で得た気づきを広めようとするも全く浸透しませんでした。

そんな中で、宗道臣は菩薩達磨の夢を見ます。菩薩達磨はインドから中国に渡り、禅宗を広めたと言われています。宗道臣は達磨と同じようにして教えを説こうと思い立ち、少林寺拳法を開創しました。

少林寺拳法は、釈尊の自己確立・自他共楽の教えに、中国で学んだ拳法を再編成したもの、宗道臣が戦時下に体験したこと等が組み合されて行として体系づけられました。こうして出来た少林寺拳法の教えが「金剛禅」として現在でも説き続けられているのです。

礼儀を正して心を正す!少林寺拳法の考え方とは


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前述のように少林寺拳法の教えは釈尊の教えが元になっています。釈尊の説いた原始仏教では、肉体と精神は分けて考えることができないとされています。

つまり、肉体が整っていなければ精神的にも良い状態を導けず、精神が疲弊していれば肉体を思い通りに動かすことができないというわけです。

釈尊の教えを受け継ぐ少林寺拳法では、「霊」(脳の働きを指す)と「肉体」をバランスよく鍛える必要があると説いています。この教えは「挙禅一如」という語で教えられています。

他にも、「守主攻従」、「剛柔一体」、「力愛不二」、「不殺活人」という教えもあります。これらは「挙禅一如」と同じように「調和」を軸に考えられた教えです。 精神面の教えでは、「脚下照顧」、「合掌礼」というような普段の行いに関する教えがあります。

それぞれ、履物を脱いだら揃えること、礼儀を正して心を正すことなどが説かれています。これらの教えの背景には、やはり宗道臣がソ連の支配下にあって気付いた「人の質」の向上が背景にあるようです。

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【貴重な休日を知る】「祝日」と「祭日」の違いや「祝日」の制定方法を紹介

祝日と祭日の違いは?

 国民の休日には、「祝日」、「祭日」、「祝祭日」などといわれますが、どんな違いがあるかご存知ですか。

実は「祭日」や「祝祭日」は俗称で、正しくは「祝日」あるいは「国民の祝日」が正しい呼び方です。 これは、昭和23年(1948)に制定された「国民の祝日関する法律」に定められているもので、現在は「祭日」は存在しません。

また、祝日以外の国の定めた休日は「振替休日」と「国民の休日」がありますが、これも含めて「祝日」と呼ばれることが多くなっています。 この「振替休日」は祝日が日曜と重なったときにそれ以降の最も近い祝日以外の日を休日とするもので、「国民の休日」はその前後が祝日の場合、休日となる日のことです。

祝日を紹介


出典:写真AC

現在、「国民の祝日関する法律」に定められている祝日は以下の通りです。

・元日(1月1日)年の初めを祝う。
・成人の日(1月の第2月曜日)大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝います

・建国記念の日(政令で定める日)建国を偲び、国を愛する心を養う。
・春分の日(3月21日頃)自然を称え、生物慈しむ。
・昭和の日(4月29日)激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いを馳せる。
・憲法記念日(5月3日)日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。
・みどりの日(5月4日)自然に親しむと共にその恩恵に感謝し、豊かな心を育む。
・こどもの日(5月5日)子供の人格を重んじ、子供の幸福を図ると共に、母に感謝する。
・海の日(7月の第3月曜日)海の恩恵に感謝すると共に、海洋国日本の繁栄を願う。
・山の日(8月11日)山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。
・敬老の日(9月の第3月曜日)多年に亘り社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
・秋分の日(9月23日頃)祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ。
・体育の日(10月の第2月曜日)スポーツに親しみ、健康な心身を培う。
・文化の日(11月3日)自由と平和を愛し、文化を勧める。
・勤労感謝の日(11月23日)勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝し合う。
・天皇誕生日(12月23日)天皇の誕生日を祝う。
(内閣府HPより
http://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html) 

祭日を紹介


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祭日は、「国民の祝日関する法律」が昭和23年(1948)に制定されたことによって昭和22年(1947)に廃止されましたが、現在でも祝日となっている日があります。

・紀元節→建国記念の日
・春季皇霊祭→春分の日
・天皇誕生日(昭和天皇)→昭和の日
・秋季皇霊祭→秋分の日
・明治節→文化の日
・新嘗祭→勤労感謝の日

一方、廃止になった祭日は以下の通りです。

・元始祭(1月3日)
・新年宴会(1月5日)
・神武天皇祭(4月3日)
・神嘗祭(10月17日)
・大正天皇祭(12月25日)

祝日、祭日とハッピーマンデー制度との関係


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ところで、祝日に関わる制度で平成12年(2000)から実施されている「ハッピーマンデー制度」があります。この制度は、土曜・日曜の週休二日制が広く浸透したことから、月曜日を祝日にすることによって、三連休とし、余暇を過ごし易くする目的で導入されました。

これにより、「成人の日」は1月15日から1月第2月曜日、「海の日」は7月20日から7月第3月曜日、「敬老の日」は9月15日から9月第3月曜日、「体育の日」は10月10日から10月第2月曜日へとそれぞれ変更になりました。

ハッピーマンデー制度の導入は、外出し易くなり、観光客が増加するといった経済効果が認められる一方、祝日本来の意義が失われるといった声も聞かれ、現在でも議論の対象となっています。

江ノ島花火大会の2018年日程・アクセス|見どころや駐車場情報も

江ノ島花火大会とは?

 江ノ島花火大会とは神奈川県藤沢市で開催される花火大会で、夏に行われる「藤沢江の島納涼花火」と秋に行われる「ふじさわ江の島花火大会」があります。

「藤沢江の島納涼花火」は江の島マイアミビーチショーのイベントの一環として行われ、打ち上げ数は約1,200発、時間にして20分というこじんまりとした花火大会で、約2,000人の来場が予想されています。江の島マイアミビーチショー実行委員会が主催しています。

「ふじさわ江の島花火大会」の打ち上げ数は約3,000発とこちらも東京の大規模な花火大会と比べると少なめですが、来場数は年々増加しており、2016年には約85,000人が来場しました。

こちらは公益社団法人藤沢市観光協会が主催しています。 いずれも打ち上げ場所は海水浴場としても知られる片瀬海岸西浜で、湘南のシンボルともいえる江の島をバックに打ち上げられる色とりどりの花火が秋の夜を演出します。 

江ノ島花火大会|2018年の日程・アクセス


出典:写真AC

夏の藤沢江の島納涼花火は2018年8月21日(火)の19:00~19:20開催予定で、秋のふじさわ江の島花火大会は2018年10月20日(土)の18:00~18:45開催予定です。藤沢江の島納涼花火は通常8月中旬に行われ、雨天や荒天の場合は中止となります。秋のふじさわ江の島花火大会は毎年10月中旬の土曜日に行われます。こちらは荒天の場合は翌日曜日に行われます。

会場となる藤沢市片瀬海岸西浜までの鉄道でのアクセスは、小田急江ノ島線「片瀬江ノ島駅」から徒歩2分、江ノ島電鉄「江ノ島駅」から徒歩5分、湘南モノレール「湘南江の島駅」から徒歩6分です。車では東名高速道路厚木ICから約1時間40分です。

江ノ島花火大会の歴史


出典:写真AC

神奈川県の花火の歴史は古く、日本発の西洋花火大会は1877年(明治10年)に横浜公園で行われました。 しかし、江ノ島花火大会の起源がいつに遡るのかははっきりしません。

2010年までは「納涼花火大会」という名称で夏に1回開催されていましたが、同年に2010年日本APECが予定されていたことから、警備上の問題により秋の開催に変更になり、夏には規模を縮小して行われるようになったそうです。 

江ノ島花火大会の特徴・見どころ


出典:写真AC

ここでは、湘南の秋の風物詩ともいえるふじさわ江ノ島花火大会の特徴と見どころについて説明します。 ふじさわ江ノ島花火大会の特徴は、なんといっても秋に行われるという点です。

テーマパークなどで秋に花火を打ち上げることはよくありますが、関東で秋に開催される大規模な花火大会はふじさわ江ノ島花火大会くらいでしょう。夏に花火を見逃してしまった方や、涼しい秋の夜長に花火を楽しみたい方にお勧めです。

内容も豪華で、空中で直径約480mまで開く2尺玉を見られるのは湘南地方でふじさわ江ノ島花火大会だけです。鎌倉、江ノ電、新江ノ島水族館など、周囲に観光スポットも多いので、昼は観光を楽しみ、夜は花火を満喫するのも良いでしょう。

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寒川神社の歴史と魅力|人生の節目に訪れたい全国唯一の八方除け神社

寒川神社とは

寒川神社は1600年という非常に長い歴史をもつ神社で古くから八方除けの守護神として広く信仰を集めてきました。現在でも最も八方除けのご利益があるとされている正月から節分にかけて多くの参詣者が訪れます。

八方除けのご利益としては、地相・家相・方位・日柄・厄年などありとあらゆる苦難や困難、そして災難をも退け福徳開運をもたらします。

また視聴率祈願の神社としても有名なため、テレビ関係者が訪れることでもよく知られています。今回はそんな寒川神社の魅力をご紹介していきます。     

寒川神社の歴史


出典:写真AC

寒川神社がいつ創建されたのか公の記録に残っていないため明確な時期は分かっていませんが、『総国風土記』によれば1600年前ワカタケルと同一人物であるとされている雄略天皇の御代に幣帛を奉納し、727年に社殿を建立したという記述がみられこのことから大変長い歴史をもつ神社であることが分かります。

そして929年に編纂された『延喜式』には、相模国十三社のうち唯一の名神大社とされていて江戸時代には既に関東全域にまで知れ渡っていたようです。また寒川神社は古くから八方除けの神として知られ源頼朝や北条義時、武田信玄、徳川将軍家などから広く信仰を集めていました。

寒川神社のご利益


出典:写真AC

寒川神社のご利益として有名なのが八方除けです。八方除けのご利益としては地相・家相・方位・日柄・厄年など様々な苦難や困難、そして災難を退け福徳開運をもたらします。

この八方除けのご利益が最もあるとされている正月から節分のシーズンには多くの参拝客で賑わいます。また幸運を呼ぶ八方除けのお守りには金運上昇・仕事繁栄・縁結び・家内安全・開運招福・身体安全・目的達成などのご利益があります。また寒川神社は視聴率祈願の神社としても有名です。    

寒川神社の八方除けについて


出典:写真AC

そもそも八方除けとは、八方塞がりの年に受けるお祓いのことで厄除けとは異なります。八方塞がりの年は九星方位気学によって算出された星回りの年のことで9年ごとに巡ってきます。

数え年で19歳、28歳、37歳、46歳、55歳、64歳、73歳、82歳、91歳これらの年が八方塞がりの年だと考えられています。八方塞がりの年は運が良い時は絶頂というほど良いのですが悪い時はとことん悪いという落差の大変激しい年です。

そんな八方塞がりの年は八方除けを行うことで、星回りによって生じる苦難や困難そして災難を退け運気を上げることが出来ます。そして、寒川神社は国内唯一の八方除けの守護神であり正に八方除けをするに相応しい神社だと言えるでしょう。

【八方塞がりの年はいつまで?】八方塞がりの期間や過ごし方を紹介

【美脚効果が期待できる】草履を履くだけで健康になる?

草履とは


出典:ウィキメディア・コモンズ

 西洋文化である「靴」が入ってくる前の日本では、外へ出かけるときの履物といえば、「草履」や「下駄」でした。 特に、わら草履などは古代から一般的に履かれていた履き物です。

また、草履は下駄よりも格式が高いため、今でもあらたまった場面での和服には、草履を合わせて履くことが現在でも多くあります。 

草履の種類


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草履にはいくつかの種類があります。現在、最も普及している草履は「革草履」で、革や布、ビニールなどで靴底を小判型で覆い、そこに同じ種類の表をつけて鼻緒が据えられています。靴底の素材はウレタンの物が主流となっていますが、和装が衰退する前は良質なコルク材が使用されていました。

畳の原材料でもあるイ草が編み込まれている「畳表草履」は、歌舞伎の舞台や男性の草履として履かれているものの、今ではなかなか見かけない草履となりました。 また、「雪駄(せった)」は男性用の四角い草履で、あまり厚みのない靴底の裏にウレタンのゴムや牛革などを張り、鼻緒が据えられています。

最近は、「布ぞうり」というものもあり、これは、古くなった布地をリサイクルする目的と、室内での足腰の健康促進のために自分で制作するスリッパの代わりのような草履で、注目を集めている室内履きとなっています。 

草履の選び方


出典:写真AC

草履の選び方としては、草履の各箇所ごとにポイントがあります。 最初に鼻緒の選び方としては、和服と合わせる場合は、帯の色柄に合わせて鼻緒の色柄を選ぶのが、わかりやすく簡単な方法です。さらに、足の甲と草履が接触する部分が擦れて足を痛めないように、鼻緒は裏地が滑らかで太めのものを選びましょう。

次に草履のサイズですが、普段の靴のサイズは5ミリ刻みで用意されていますが、草履はS、M、L、LLの四種類で構成されています。踵がピッタリだったり、踵より靴底が大きなサイズのものを選ぶと、着物などの裾を下駄と足の間で挟んでしまう可能性がありますので、下駄の靴底から踵1センチメートルくらいはみ出るものを選ぶと良いでしょう。

つま先部分についても、つま先がはみ出ていると歩きにくいので、はみ出ないものを選びます。 礼装用の草履は、踵が高ければ高いほど格が高いと言われるのが一般的です。

草履台を何枚も綺麗に重ねることは熟練された技術が必要で、そういった意味合いからも、草履台の枚数が多い場合においても格が高くなります。 一般的には、普段履きの草履は踵は3センチメートルから4センチメートルと低めのものを選びます。

礼装用の草履は、踵の高さが5センチメートルから6センチメートルのもを選ぶのが基本と言われています。 草履台は草履のほとんどの面積をしめていますので、色々な草履を比べてデザインや生地など自分の気に入ったものを選びましょう。

草履を購入した後は、鼻緒の調節が必要です。草履の親指と人さし指で挟みこむ部分を手でよく揉みほぐし、左右に分かれていて台に接着している部分は上に引っ張り、自分の甲の高さや足の形などに調整しましょう。

履きなれていないと、雪駄はなかなか上手く歩けず疲れやすい方が多いことでしょう。そんな方におすすめしたいのが、浅草老舗和装履物辻屋本店さんの下駄です。いくら歩いても疲れない下駄やおしゃれで上品な下駄を作っています。

【浅草老舗和装履物辻屋本店】

住所:東京都台東区浅草1-36-8
アクセス:東京メトロ銀座線「浅草駅」より徒歩3分
URL:http://getaya.jp/

【今も続く伝統建築「漆喰」】漆喰の歴史や効果|ピラミッドにも使われた技法

漆喰とは

城や蔵など古くから受け継がれてきた伝統的な建築物の壁が、白い建材で作られていることに気付いている方は少なくないでしょう。

伝統建築に用いられている白い壁は、ペンキなどで着色しているものではありません。 白く見える城や蔵などの壁に使われているのは漆喰(しっくい)と呼ばれる建材です。

かつて運動場にライン引きで白線を引くのにも用いられた、消石灰が原料となっているので一般的な漆喰の壁は白くなります。 日本各地に点在する歴史的建築物の壁は、土壁を漆喰で仕上げたものが多いのが特徴です。

漆喰は外装材としても内装材としても使われる非常に便利な建材で、古くから日本国内だけではなく世界中で使われている優秀な建材が漆喰です。

漆喰の歴史


出典:写真AC

漆喰が用いられた最古の建造物だと考えられているのが、今から約5,000年前に作られたと言われているピラミッドです。ピラミッド以外でも古代ギリシャやローマ時代の建築物に漆喰が用いられていることが確認できます。 シルクロードを経由し漆喰の加工技術は中国にもたらされます。

高松塚古墳やキトラ古墳などの飛鳥時代の建造物に漆喰が用いられていることから、日本には約1,300年前に漆喰の加工技術が渡ったと考えられています。 その後、城郭建築に漆喰が用いられ多くの城の壁が漆喰で飾られます。漆喰を多用したものとして白鷺城と呼ばれる、兵庫県の姫路城などが代表的なものです。

高級建材である漆喰は富の象徴として、江戸時代には豪商や豪農の蔵や神社仏閣にも用いられるようになり、日本国内で独自の漆喰の技術が育まれます。

現在日本国内には本漆喰、土佐漆喰、既調合漆喰、琉球漆喰の4つの漆喰と、安価な上に漆喰の機能を有する漆喰関連製品と呼ばれる計5種類の漆喰が存在します。

漆喰の材料・作り方

既に紹介したように漆喰は消石灰を主原料として作られます。消石灰は石灰岩に塩を加えながら1,000度以上に加熱して作られます。この消石灰に水を加え麻や藁などの補強剤、海藻を焼いて作られた糊と呼ばれる接合剤を加えて混ぜたものが漆喰と呼ばれます。

雨の多い地方では鯨油や魚油、菜種油を練りこむことで防水性を高める加工も存在します。 屋根に使用する漆喰や壁の仕上げの前の中塗りと呼ばれる漆喰には川砂などの骨材が加えられるほか、近年では補強剤に天然素材ではないナイロン繊維やガラス繊維などの化学繊維を用い作られます。

また、接合剤を補強する水溶性樹脂メチルセルロースやアクリル樹脂、酢酸ビニル樹脂など様々な樹脂を用いて作られる漆喰も存在します。本来は白であった漆喰も、近年では顔料を加えることでカラーバリエーションを付けることが盛んに行われています。

漆喰の壁のメリット・効果


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かつて漆喰は優れた耐久性と防火性が認められ、城郭や蔵の建築に用いられました。近年の研究では、次に挙げるような漆喰の新たな能力が確認されています。

○消臭能力:京アルカリの消石灰で作られる漆喰には、匂いの原因となるカビや細菌の繁殖を抑制する能力があると言われています。

○化学物質の分解能力:漆喰の壁はハウスシックの原因であるホルムアルデヒドを吸着し分解すると考えられています。

○保温能力:漆喰は熱伝導率が低い、いわゆる断熱材としての働きを行います。外部の熱の影響を受けないことから冷暖房の効率を向上させると言われています。

○湿度調整能力:土壁は表面を仕上げる漆喰を通して、空気中の湿度が高ければ湿度を吸収し、低ければ湿度を排出する働きがあります。漆喰の仕上げをするだけでも室内の湿度調整をしてくれると言われています。

漆喰の壁のデメリット


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世界中で古くから用いられている顕在の漆喰ですが、新しい建材に比べると見劣りしてしまう点などもあります。漆喰の壁には次に挙げるようなデメリットがあると言えます。

○ひび割れしやすい:化学合成された糊や接着剤を使用しない漆喰は、衝撃を受けるとひび割れてしまうことがあります。

○施工が難しい:漆喰加工は高い技術力が必要となります。これは工期がかかることや、工賃が高くなることに繋がります。

○施工後に匂う:漆喰は海藻を焼いたものを繋ぎとして作られるために、施工後しばらくは独特の臭いを発します。

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【職人が丹精込めて作るおもちゃ】おすすめのご当地「こま」6選

こまの歴史

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こま自体は4000年前にできたと言われております。 日本で「こま」ができたのは、約1300年前に中国から長崎に伝わったものが始まりであり、平安遷都前の藤原京跡から出土されたものが日本最古のこまであるとされています。

そして日本の文献に初めてこまが登場したのは、平安時代初期の「和名類聚抄」になります。 こまは「和名類聚抄」では「独楽都玖利」と表記されており、「こまつむぐり」や「こまつぐり」と呼ばれていました。

ご当地こま①

神代ごま

神代ごまは、宮崎県の郷土玩具の1つです。 宮崎市佐土原町を城下としていた島津佐土原藩で、武士の内職として作られていたと伝えられています。

武家の子弟の玩具であり、端午の節句に魔除けとして贈られていました。 参勤交代の際にも、日向地方のお土産として欠かすことのできないものであったと言われています。

松の煙でいぶして暗褐色に色付けがされており、独特の光沢があることと、島津家の家紋である、丸に十の字がこまに描かれているのが特徴的です。 竹で作られ、胴体にうなり窓、もしくは風切り窓という仕掛けがある「うなりごま」と呼ばれるもので、日本で最も古いこまの形をしています。

廻すと「ブーン」と大きな音を出し、「古形鳴り独楽」「ブンゴマ」と言われることもあります。

ご当地こま②

佐世保こま

佐世保こまは、長崎県のご当地こまになります。 昭和24年に、昭和天皇が佐世保にご訪問された際に、献上品として贈られたことをきっかけに、玩具から伝統工芸品として創作されるようになりました。

ラッキョウ型と呼ばれる形状をしており、ブナ科の広葉樹を材料として作られています。中国「陰陽五行説」に影響された色付けを行なっており、青(緑)、赤、黄、白、黒の五色で色彩が構成されています。

この佐世保こまを廻す際には「息長商問勝競べ(いきながしょうもんしょうくらべ)」という掛け声があります。 これには、こまをどれだけ長く廻せるかを勝負しようという意味と、「証文(勝問とかけている)」を入れて勝負をしようという意味が込められています。

ご当地こま③

大吉ごま

大吉ごまとは、鳥取県の郷土玩具として残っているこまです。 大吉こまは八方こまと呼ばれるもので、寛文年間に丸木を八角形に削って作られました。 初めは中国で四角面ひねりこまとして登場し、その後に六角として日本で使われるようになり、続いて大吉こまも含まれる、八角のこまが登場するようになりました。

八方こまは、八角に削られたそれぞれの面に吉凶などを書いて、こまを廻して倒れた面で、占いを行なったり賭博を行なったりする為に使われました。

ご当地こま④

鳴りごま

 廻すと音がなるこまを、鳴りこまと呼びます。 横に開けた穴から空気がはいり、「ボー」という音が鳴るようになっています。 平安時代に中国から入ってきた「唐独楽」が元になっているとされています。 鳴りこまは、日本でも様々なところろで作られていて、 いくつか変わった鳴りこまを1つご紹介します。

奈良の鳴りこまである、東大寺大鐘こまというこまがあります。 大鐘こまは、昭和30年頃に奈良東大寺梵鐘・鐘守4代目の川邊巖氏によって発案されました。

大鐘こまは、東大寺の大鐘をモデルとして作られ、大きな鐘の形状をしており、非常にユニークな形をした鳴りこまになります。

大きさも、およそ3cm大のものから6cm大のものまであり、それぞれの側面に毛筆で細かい文字が書かれてあります。

また奈良の鳴りこまには、奈良大仏釣鐘コマと呼ばれるものもあり、 それには、側面に奈良大仏と釣鐘が描かれています。

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春の七草を紹介|七草粥の簡単レシピ/歴史/特徴/覚え方など

日本には人日の節句である1月7日の朝に七草粥を食べる風習があります。この七草粥に使われる野菜や野草を春の七草と言います。この記事では、春の七草の意味や歴史などわかりやすく紹介します。

春の七草とは?

 春の七草は芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・繁縷(はこべら)・仏の座(ほとけのざ)・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)です。

現在の名称では御形(ごぎょう)は母子草(ハハコグサ)、

繁縷(はこべら)は小蘩蔞(こはこべ)、

仏の座(ほとけのざ)は小鬼田平子(コオニタビラコ)、

菘(すずな)は蕪(かぶ)、

蘿蔔(すずしろ)は大根(だいこん)になります。

芹(せり)と薺(なずな)は現在の名称と同じですが、薺(なずな)はペンペン草とも呼ばれます。

春の七草の歴史・はじまり


出典:写真AC

古代の日本には年の初めに雪の間から芽を出してきた若菜を摘む「若菜摘み」という風習がありました。

また、古代の中国には旧暦1月7日に7種類の野菜を使った汁物である「七種菜羹」を食べて無病息災を祈る風習がありました。この「若菜摘み」と日本に伝わってきた「七種菜羹」が合わさって七草粥を食べる風習が生まれたと考えられています。 七草粥に使われる素材は時代によって異なっています。

平安時代中期の「延喜式」に登場する「餅がゆ」という七草粥には米・粟・きび・ひえ・みの・胡麻・小豆という7種類の穀物が使われていました。

現在のような七草粥が初めて登場する文献は1362年頃に書かれた「河海抄」で、江戸時代には庶民の間でも一般的になるほど定着していきました。

春の七草の意味

春の七草にはそれぞれ意味があります。

せりは「競り勝つ」

なずなは「撫でて汚れを除く」

ごぎょうは「仏体」

はこべらは「繁栄がはびこる」

ほとけのざは「仏の安座」

すずなは「神を呼ぶ鈴」

すずしろは「汚れのない清白」

という意味が込められています。

春の七草①

芹(せり)


出典:写真AC

春の七草に使われる野菜についてご紹介していきます。まず、ご紹介する芹(せり)は奈良時代から食べられてきたもので山野に自生しています。

三つ葉と似ているので見間違う方もいるかもしれませんが、三つ葉が3枚の葉に対して芹(せり)は、5枚の葉を持ちます。芹(せり)は2月から4月にかけてが旬の時期でビタミンCやミネラルが豊富なので老化防止や美容効果にも期待できます。

春の七草②

薺(なずな)


出典:写真AC

春の七草に使われている薺(なずな)は別名、「ぺんぺん草」や「三味線草」とも呼ばれています。春の七草で使用されるのは花が開いたよく見かけるものではなく、若い苗を使います。

時期は2月から6月にかけて花が咲きます。薺(なずな)は春の七草だけでなく薬としても用いられてきました。

春の七草③

御形(ごぎょう)


出典:写真AC

御形(ごぎょう)は本来の名を「ハハコグサ」といいます。こちらも薺(なずな)と同様に若い苗を食用とします。

今の草餅はよもぎが使われていますが、昔は御形(ごぎょう)を使っていました。御形(ごぎょう)は咳止めや内臓に聞く健康茶として親しまれていました。

春の七草④

繁縷(はこべら)


出典:写真AC

繁縷(はこべら)はすごく小さい花びらをつける植物でビタミンBとCが豊富です。昔は繁縷(はこべら)を炒った粉に塩を混ぜて歯磨き粉として使っていました。

この花は朝日が当たると開花するため「朝しらげ」とも呼ばれています。中国でも繁縷(はこべら)は止血、鎮痛作用に効くと薬として親しまれていました。

春の七草⑤

仏の座(ほとけのざ)


出典:写真AC

仏の座(ほとけのざ)はその名の通り、見た目が仏様の台座のように見えることからつけられました。

別名、「コオニタビラコ」と呼ばれます。春の七草では若葉を食べます。

【世界中で親しまれている凧】紀元前から続く「凧」の歴史や有名な凧揚げ大会

凧とは

凧というのは、木や竹で作った骨組みに、紙や布、ビニールなどを張ったものです。これを糸で引っ張って空中に揚げるのが凧揚げで、日本では正月の遊びとしてよく知られていますが、海外にもその国独自の凧が見られます。

日本で古くから作られていたものは、骨組みは竹で布の代わりに和紙を張っているものが多く、和凧と呼ばれています。

一方、海外製品に多く見られる、プラスチックや木材で骨を組み、ビニールなどを張ったタイプの凧は洋凧といわれます。娯楽用のものが一般的に普及していますが、過去には気象観測や空中撮影による学術調査などにもよく用いていました。

凧の歴史


出典:写真AC

凧の歴史は非常に古く、伝説では紀元前4世紀頃に中国で凧が作られたといわれています。また、日本では平安時代中期には凧に関する記述が見つかっており、この頃にはすでに、竹の骨組みや和紙を用いた伝統的な和凧が利用されていたと考えられています。

日本で揚げられていた凧は、角型の他に六角形や奴の形をしているものなど形状は様々で、安定して飛ばすために尻尾がついているものもあります。

鎖国の間は和凧ばかりが揚げられていましたが、14世紀頃になると、海外の凧が日本に持ち込まれるようになりました。これによって凧の形状もこれまでよりさらに多様化し、サイズも変化していきました。凧揚げは海外の影響もあってさらに広まり、江戸時代には大凧を揚げることも日本で流行るようになりました。

しかし、地方の発展に伴って電線が増えたり、凧による農作物や建築物への被害が問題視されたりしたことによって徐々に凧揚げは減少していったのです。とはいえ、今でも大会を開催している地域は多数あります。

凧揚げ大会①

白根大凧合戦


出典:写真AC

新潟県新潟市で行われる白根大凧合戦は、もともとは川を挟んだ住民同士が、凧を相手の土地に落としたことで農作物に被害を与えたことがきっかけといわれています。その歴史は古く、江戸時代の中頃に始まったといわれています。

この凧合戦は、中ノ口川の両岸の人が対立したことがきっかけとなっているため、相手側に向かって凧が揚がるように工夫されており、風の流れが良ければ、迫力ある合戦が繰り広げられます。

合戦は、相手の凧網を交差させて水面に落とし、川の流れを利用して相手の綱を切るというものです。これを期間中に行い、通算成績で順位が決まります。凧の性能と凧揚げの技術、チームワークが重要な合戦です。

白根大凧合戦HP
http://www.shironekankou.jp/tako/

凧揚げ大会②

浜松まつり


出典:写真AC

静岡県浜松市で行われる浜松まつりは毎年5月3日~5日の3日間に開催されます。夜には御殿屋台の引き回しや練りを見ることができ、昼には凧揚げ合戦が行われます。

凧揚げ合戦は自治会ごとにチームを作り、それぞれに自分のチームの凧印が描かれた大凧を揚げます。そして、対決する組同士で凧糸を切り合って競うという内容です。

この祭りで使用する大凧は、2~10帖近くありますが、このサイズは大きいものになると3m四方を超えているということです。

浜松まつりで使われている凧は、サイズが大きいだけでなく、正方形で細かい骨組みが組まれており、頑丈で重いのが特徴的です。この大会で使う凧の材料は浜松まつり会館で購入したものに限られており、糸を切りやすくする仕掛けなども禁じられています。

浜松まつりHP
http://hamamatsu-daisuki.net/matsuri/