「烏合の衆(うごうのしゅう)」の意味や使い方|例文も紹介

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烏合の衆という言葉は批判的で、相手を侮ったニュアンスが強いといえます。「大量に新規雇用を行ったライバル社は一見増強したかのように見えるが、増えたのは専門知識のない寄せ集めの烏合の衆のようなものだから問題ないだろう。」というように日常会話にも時々登場する言葉です。

他の組織や集団に対して言う側である場合は良いかも知れませんが、自分が所属する組織や集団が言われる側の立場にはなりたくないものです。

自分の所属する組織や集団を第三者から、烏合の衆と揶揄されないために、烏合の衆という言葉について紹介します。

烏合の衆の意味


出典:写真AC

烏合の衆とはただ集まっただけで、意識の統一や規律が存在しない、または存在しても希薄であり無秩序で集団の能力が高くないと見込まれる状態を指した言葉です。

手強い集団の特徴のひとつに、一定の規律が集団をまとめていることが挙げられますが、この規律が無い集団、効果的な集団行動を行うことができず、集団としてのメリットを発生することが、できていない集まりを表します。 共通の目的意識の下に能力の高い人間が集まり、規律が存在しない自由な組織もありますが、この場合は烏合の衆とは表現しません。

烏合の衆は、単独で能力の高い人間が集まって形成された集団を指すものでは無く、特別な能力を持たない人間が確固たる目的意識を持たずに集まっただけの集団を揶揄する表現ですから、批判的でネガティブな意味合いを持つ言葉だと言えるでしょう。

烏合の衆の由来・言葉の背景

一直線や、巨大な三角形、ひし形など一糸乱れぬ見事な編隊を組んで飛来する渡り鳥の群れを目にすることがあります。多くの鳥たちは、外敵から身を守るために編隊を組んで飛行すると言われ、近年では鳥類のコミュニケーションのメカニズムが少しずつ解明され編隊の形には、意味があるとも考えられています。

編隊を組んで飛ぶことのない烏(カラス)は、群れることはあっても秩序を持つことが無く、ただ群れている鳥として見られていました。近年ではカラスは鳥類の中でも、特に知能の発達した鳥であることが証明されてきていますが、腐肉をあさることなどからかつては、無秩序で意地汚い、頭の悪い凶鳥として扱われました。

カラスの群れは鳴き声が大きくて仰々しいものの、外敵が近づくとてんでバラバラに逃げまどってしまうことから、見掛け倒しの実力のない集団のことを烏の群れのような集まり、つまり烏合の衆と表現します。

烏合の衆という言葉は、今から約1,600年前に中国で記された「後漢書」の中で初めて登場したと言われています。

多くの敵兵と戦うことになった、東帝の劉秀(りゅうしゅう・後の光武帝)に対して部下が「今東帝無尺寸之柄,驅烏合之眾,跨馬陷敵,所向輒平。(敵は一見数は多いようですが所詮は烏合の衆、勝機は我が軍にあります。)」と励まして生まれた言葉だと言われています。

それ以来統率の取れていない軍勢や、群衆を烏合の衆とあざけるようになりました。

烏合の衆が使える場面


出典:写真AC

現代になると烏合の衆という言葉は、離党や党の再編を繰り返す政界を揶揄して使われることが多いと言えます。

「選挙前に離党した議員を集めただけの政党は所詮、烏合の衆であり政権に大きな影響を与えることはできない」などと使われます。 また、戦争をテーマにした映画のスクリーンの中でも「敵兵は金で雇われた傭兵や無理やり徴兵された農民ばかりの烏合の衆だから恐れるに足りない」などのセリフが登場します。

ほかには、「一見烏合の衆に見えたがあくまで戦略として装っていただけで、実に手ごわい相手だった」なども使われます。社会経験のない新入社員を揶揄して、「初めは烏合の衆と言っても過言ではなかったが、毎日の実務で実力を付け今ではすっかり頼もしい存在となった」という表現も可能です。

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