【1度のゼンマイで1年動く】東芝の父が発明「万年時計」の仕組みや魅力

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万年時計とは


出典:Pixabay

万年時計は、正確には万年自鳴鐘といいます。東洋のエジソンと称された田中久重が設計・製作した置時計で、その高い技術力や精密な構造は、国の重要文化財に指定されるほどです。

この時計は、太陽の動きによって時間を判断していた江戸時代末期に発明されていながら、1度ゼンマイをまけば1年間動き続けるという驚くべき機能を持っています。六角柱の形をした本体は、側面と上部に計7つの機能を配置しており、底部のゼンマイで連動して動くようになっています。

デザイン性にも優れており、京指物や木彫、京七宝、蒔絵、螺鈿などの様々な装飾が凝らされています。

万年時計の製作者「田中久重」

万年時計の製作者である田中久重は、「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と称された日本の発明家です。幼いころからからくり人形の新しい仕掛けを生み出すなど、発明家としての才能を発揮していました。

客の手前まで茶を運び、湯呑みを戻すとUターンして帰って行く茶運び人形や弓曳童子、文字書き人形などが代表作として知られています。30代のころには折りたたみ式の懐中燭台や灯油を自動的に補給する無尽灯という行灯なども考案しました。

50代のころ、1851年には万年時計を完成させ、その2年後には日本初の蒸気機関、蒸気船の模型を製造しました。70代のころ、1875年に電信機関係を制作する田中製造所を設立し、これがのちの東芝の基礎となっています。

万年時計の仕組み

万年時計の仕組みは非常に複雑です。当時、日本の時刻は昼夜の長さに応じて時刻が変化する不定時法でした。季節によって昼夜の長さが変化するため、正確にその時刻を表す時計を作ることは非常に困難だったのです。

万年時計は、虫歯車という往復回転運動をする独自の歯車を用いて実現していますが、この機構は世界中どこにも使われていませんでした。また、時刻と七曜を表示する盤は、時刻と曜日の変わり目に針がステップ状に動くようになっており、打鐘機構の一部でもあります。

月の満ち欠けは、黒と銀色に塗り分けた球体の回転で表されており、実際に月の状態が見えるようになっています。一方、洋時計に関する知識や技術は当時の日本では不十分だったため、フランス製と考えられている懐中時計がはめ込まれています。

これらの複数の機構をゼンマイで連動して動かすように設計し、簡単な操作で一年間、複数の動きが見られるようになっているのです。

万年時計の特徴

万年時計には、側面に6つ、上部に1つの機能が備わっています。上部には太陽と月の動きを正確に見ることができる天象儀が、そして側面には文字盤の位置を自動で変化させて不定時法に対応させた和時計、二十四節気、曜日と時刻、十干十二支、その日の月の満ち欠けを表す月齢、現代の一般的な洋時計がそれぞれに配置されています。

さらに油さしも自動、時間が来ると鐘の音まで出るようになっており、当時の日本の知識や技術力を考慮すると、実現不可能に近い仕上がりになっています。これらの1000を超える部品のほとんどが田中久重の手作りです。

万年時計と西洋時計の違い


出典:写真AC

万年時計に見られる和時計は、西洋時計と比較すると正確な時刻を表示させるための機構が非常に複雑です。西洋時計は1日を24に等分して時間を図ることができますが、和時計では日の出から日没までを昼、残りを夜として、これをそれぞれ6等分します。

日の長い夏の間は昼の一時刻が長くなり、冬になると短くなるという不定時法を機械式の時計で正確に刻むというのは、現代の技術をしてもかなり困難といわざるを得ません。

元々は西洋時計を参考にして作っていましたが、万年時計が出る前は、不定時法を表すために、時間の速さを調整する棒天符の錘りを昼と夜で毎日掛け替え、さらに15日ごとに文字盤などを変更するなど、手間のかかる方法で時刻を表示していました。

次のページでは、実際に万年時計が見られる場所を紹介します。

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