【百人一首の意味】紫式部と清少納言が書いた歌が表現するもの

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「百人一首」って習ったことありますか?小学校のころにかるたで覚えさせられたという人もいるのではないでしょうか。意味も分からず吸収してしまっていたかもしれませんが、百人一首はその意味をきちんと知ると、現代にも通じる驚くべき普遍性があることがわかりますよ。今回は百人一首の中でも言わずと知れた著名人、紫式部と清少納言の歌について解説します。

百人一首とは


出典:写真AC

百人一首は、100人にも及ぶ歌人の歌を集めたもので、「ひとり一首ずつ」の歌を集めているのが特徴です。一言で百人一首といっても、その種類は一種類ではありません。

百人一首の中で一番有名なのは、おそらく『小倉百人一首』でしょう。これは、天智天皇や順徳天皇などの歌が、100人から成り立っているものです。現代人にとっては、「歌がるた」と言った方が馴染みが深いかもしれません。

これ以外の百人一首で有名なのは『新百人一首』が挙げられます。他には、「武家」「女房」「道歌」「英雄」といった、様々な冠をつけた百人一首が作られているんです。そんな背景もあって、百人一首は歴史の勉強ができるアイテムとしての一面も持っています。それぞれの百人一首に、その時代を象徴した意味がたっぷり詰まっているのが面白いところです。

百人一首の決まり字とは


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決まり字は、百人一首が読まれた時に、最初のいくつかの文字を聞いただけで札を判断できる「頭文字」のようなものです。競技で百人一首をする場合は、誰よりも早く札を取ることが大事ですが、そのためには決まり字を覚え、聞き分ける能力が必要不可欠です。

例えば、一般的な競技かるたで使われている「小倉百人一首」で言うと、「い」で始まる札は3枚あります。「いにしへの」、「いまはただ」、「いまこむと」です。つまり、この場合の決まり字は、「いに」、「いまは」、「いまこ」ということになります。

このような決まり字が、「あ」「い」「う」・・・と、それぞれの仮名で存在しているのです。そのため、競技かるたの選手は、この決まり字を全て暗記しています。

百人一首の季語

季語の意味は、「季節を表す言葉」です。例えば「雪」という言葉を使えば、季節は冬であることがわかりますよね?季語は、百人一首にかかわらず連歌、俳諧、俳句などで使われていて、「春」「夏」「秋」「冬」を直接ワードに出さずに、いかに季節を感じさせるかが詩人の腕の見せ所となっているのです。

ちなみに、季語はひとつの歌の中に複数入れるのはナンセンス。一つで良いとされています。もし、この記事を読んでいるあなたが、歌を作る機会があった時には注意してください。

百人一首にも登場 紫式部ってどんな人?


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百人一首に含まれている歌人は、多岐にわたっています。その中でもっとも有名と言っても過言ではないのが、紫式部です。紫式部は、平安時代の中期に生きていた女性の作家で、「源氏物語」の作者とされています。

紫式部は、生年月日が不明なため、正確な年齢は把握されていません。また、いつ亡くなったのかもわかっていないのです。しかも、本名まで不明!したがって、現代でも様々な憶測が飛び交っていて、謎多き意味深な人物とされています。

紫式部の歌


出典:写真AC

紫式部の歌で有名なのが、こちらです。

「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな」。

現代風に意味を説明すると、「久しぶりに会うことができたのに、それがあなたかどうかわからないうちに帰ってしまうなんて。まるで、早々と雲に隠れてしまった夜中の月のようですね」といったところです。

この歌には、「久しぶりに再会した古い友人への思い」がこめられています。久しぶりに会うことができたのに、あまり喋ることができず、あっという間に時間が過ぎてしまった寂しさを、夜空の月に例えているんです。

百人一首にも登場 清少納言ってどんな人?


出典:れきし上の人物.com

紫式部と並び称される歌人が、清少納言です。清少納言は、平安時代の中期に活躍した女性の作家です。中宮定子の家庭教師も務めた才女でした。代表作は『枕草子』。これは国語の授業で習いましたよね。

ちなみに、清少納言は、有名な歌人の清原元輔の娘として知られています。百人一首には清少納言の歌も含まれており、父親の歌人としての才能をしっかり引き継いでいるのが見て取れるのです。

清少納言の歌


出典:写真AC

清少納言の歌で有名なのは、「夜をこめて鳥の空音は謀るともよに逢坂の関は許さじ」です。現代語に意味を直すと、「夜が明けてないのに鶏の鳴き声の真似をしてここを通ろうとしても、ばれてますよ」みたいな感じです。この歌ができた背景には、次のようなストーリーがあります。

清少納言には、夜遅くまでおしゃべりをするような宮中の友人がいました。能書家であった藤原行成です。しかしある夜、行成はおしゃべりの途中で帰ってしまいました。翌朝、行成は「昨日はニワトリの鳴き声に急かされて、早く帰ってしまった。

でも、本当はもっと話がしたかった」という和歌の手紙を送りました。清少納言はそれに対して、『史記』の故事になぞらえて「『ニワトリの鳴き真似で開けさせた』ことへのオマージュですか?」といった意味合いでこの歌を返したのです。

当時は女性が『史記』を学んでいるだけで珍しいものでした。書の達人である行成との掛け合いがおもしろい一句です。

百人一首、二つの歌の魅力

今回は、清少納言と紫式部の代表作に焦点を当ててみました。いかがでしたでしょうか?難しそうに思えますが、その意味を知ると、ぐっと惹きつけられますよね。

1000年ほど前に生きていた人物が、現代にも通ずる意味合いを持たせていたというのは驚きです。百人一首には、まだまだいろんな意味を持った歌があります。興味を持った方は、リサーチしてみてはいかがでしょうか?   

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