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「雀の涙(すずめのなみだ)」の意味と使い方|由来・類語・対義語

【意味】 ごくわずかな量しか無いもののこと
【由来】 スズメほどの体の小さな鳥が涙を流したとしても、ほんのちょっとの量しか流れないことから。
【類語】 蚊の涙・姑の涙汁・猫の額・片言隻語(へんげんせきご)
【対義語】 枚挙にいとまがない・広大無辺
【英訳】

「雀の涙ほどしか財布の中身が入っていない」。

このような言い回し、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。もしくは「使ったことがある」という人もいるでしょう。

「スズメ」という小さい鳥のナミダだなんて、どことなくかわいらしい雰囲気すら感じられます。あなたはこの言葉の正しい意味を知っていますか?

注目すべき点は、「スズメがナミダを流していて愛らしい」という意味ではなく、「スズメの流すナミダとは、一体どのようなものなのか」ということ。「涙」と言ってはいますが、文脈からあまり感情と関係なさそうなことは推測できますよね。

今回は、そんな何気なく使っている日本語の「雀の涙」の意味や使い方、例文、語源について解説していきます。

「雀の涙」の意味


出典:ぱくたそ

まずは、「雀の涙」の意味や使い方からみていきましょう。 この言葉がよく使われるのは、お金の話をするときや日常生活、ビジネスシーンなどと想定されます。実際使ったことがある人も、なんとなく聞いたことがある人も、みなさんは正しい意味を理解できていますか?もし、意味をはき違えて使っていたら、恥をかいてしまうかも…。

そうならないためにも、ここで一度正しい意味や使い方についておさえておきましょう。

「雀の涙」とは、ごくわずかな量しか無いもののことを指します。

つまり、「雀の涙ほどの財布の中身」とは、お金があまり入っていないような状態のことですね。お札がなく、小銭がバラバラと入っているようなイメージでしょう。言葉の意味を知ると、かわいらしいニュアンスに反して、なんともいえない哀愁が漂ってくる気がしますね…。

ちなみに、「鬼の目にも涙」など、「涙」が入っている言葉はたくさんありますが、「雀の涙」は感情とは無関係の言葉です。ここでいう「鬼の目にも涙」は、どんなに冷酷無比な人でも、時には心が動かされるという意味。

「雀の涙」のよく使われるシーンとしては、少ない金額を指すときに使われます。しかし、金銭関係に限らず、量や数の少なさに対して使う言葉だといえますよ。

「雀の涙」の類義語・対義語


Photo by Toshihiro Gamo

では、「雀の涙」に似た言葉は、ほかにどんなものがあるのでしょうか。

類義語には、「蚊の涙」という言葉があります。こちらも「雀の涙」の涙と同様に、ごくわずかな量のものを表すときに使う言葉です。

「姑の涙汁」ということわざも。これは、「姑は嫁に対して同情の涙をめったに流さない」ということからきていて、とても少ないことのたとえです。

ほかにも、「猫の額」という言葉があります。この言葉は、物量ではなく、とても狭いことを表すときに使います。「猫の額ほどしか庭がない」など、面積がごくわずかな状態のときに使えますね。

また、「片言隻語(へんげんせきご)」という四字熟語もあります。この四字熟語は、ほんのわずかで短い言葉という意味。言葉に対してのみ使える四字熟語で、「片言隻語も漏らすことなく書き留める」というように使います。

ほかの言い回しとして、「爪の先ほどの〜」「毛の先ほどの〜」という言葉があります。こちらも「雀の涙」と同じく、ごくわずかなものの量を表して使うんですよ。「毛の先ほどの〜」という言い回しの方が、「爪の先ほどの〜」という言葉より、さらに少ないようなイメージがありますね。

対義語には、「枚挙にいとまがない」という慣用句があります。この言葉は、量があまりにも多すぎて、数え切れない様子を指して使う言葉。

ほかにも「広大無辺」という四字熟語も。こちらは宇宙など、広々とした様子で果てしないものを指すときに使います。

また、「粒粒辛苦」という四字熟語もあります。この言葉は、農民たちがお米の一粒一粒を大切にするように、コツコツと努力を重ね続けることを意味していますよ。仕事でも勉強でも、雀の涙ほどの努力にならないよう、粒粒辛苦にがんばりたいものですね。

「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」の意味や言葉の背景|例文も紹介

「あの会社は全くもって慇懃無礼だ」、「○○さんってちょっと慇懃無礼で何だか付き合いにくいよね」なんて言葉を聞いたことはありませんか? 慇懃無礼とは、あまり良くない意味を持つ言葉なのです。

皆さんは慇懃無礼をどんな場面で、どういった相手に使うかご存知ですか? 知らないで使ってしまい、相手を嫌な気持ちにさせないように、これから解説する慇懃無礼の意味や言葉の背景などから言葉の本当の意味を学びましょう。

慇懃無礼の意味


出典:写真AC

慇懃無礼(いんぎんぶれい)とは一言でいうと、丁寧すぎるあまりそれが逆に嫌味な態度になっているという意味を持つ言葉です。 あまり良い意味を持たない言葉で、もしも誰かから「慇懃無礼ですね」と言われたなら、相手に悪い誤解を与えていることになります。

就職、転職の面接を受けた会社からやけに丁寧な不採用通知を貰ったとき、クレームを入れたら定型文のような返答をされたとき、嫌な気分になったことがある人もいるでしょう。

相手は礼儀正しく接しているつもりでも、心がこもっておらず表面上だけ丁寧な対応をされると、人は「馬鹿にされた」と思ってしまうのです。

よくあるのが敬語で、こちらが「~させていただきます」など丁寧な言葉遣いをしても、やりすぎると慇懃無礼だと誤解をされるのでしょう。 

慇懃無礼の由来 ・言葉の背景


出典:写真AC

慇懃無礼(いんぎんぶれい)の慇懃(いんぎん)は、礼儀正しい態度であるという意味です。 例えば文章にすると「上司は慇懃に挨拶を済ませた」や、「社長からはいつも慇懃な態度であるように注意されている」といったものになります。

一方で無礼(ぶれい)は礼儀がないという意味で、慇懃とは正反対の意味を持つ言葉です。 「全く、今年入ってきた新人は無礼な者ばかりだ」、「あの人はなんて無礼な態度なんだろう」といったような使い方をします。

礼儀正しい態度という意味をもつ言葉(慇懃)と、礼儀を欠いているという意味をもつ言葉(無礼)が1つになったのが慇懃無礼です。

つまり慇懃無礼とは、「本人は礼儀正しくしているつもりでも、傍からみるとその態度がやけにこちらを見下しているように見える」という言葉となります。 或いは、「わざとへりくだって丁寧に接することで、表面上では相手を立てつつも、心の中では相手を見下している」という言葉なのです。

慇懃無礼の例文を紹介


出典:写真AC

慇懃無礼は以下のような場面で使うことができます。

・相手からとても丁寧な対応をされたが、心がこもった態度ではないと感じた時

・相手のことを見下しているが、それを周りに悟られないようわざと丁寧な態度を取ったとき

・本人は心を込めた丁寧な対応をしたつもりでも、へりくだりすぎて相手に誤解を与えてしまったとき

1つ目の場合は、企業から定型文のような返ししかされなかった時に使うことが多いでしょう。 「○○社に問い合わせをしても、いつも慇懃無礼な態度で不快に感じる」というものです。

2つ目の場合は、わざと相手を怒らせたいときに使うことが多いと考えられます。 「クレームの多いお客さんにはわざと慇懃無礼な態度で対応しよう」などです。

3つ目の場合は、本人にはそのつもりがなくあくまで丁寧に接していても、受け取り手によっては無礼に見えるという時に使います。 「○○さんは慇懃無礼だが、こちらとしてはその態度が嫌味に思えて仕方ない」といったものです。

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「あながち」の意味と使い方|「必ずしも」との違い・類語・対義語


出典:写真AC

テレビニュースなどで評論家が、「彼が言っていることは、あながち間違いではない」と言っているのをよく耳にしますね。 ニュース以外でも、小説や随筆などの文学作品の中でも使われることが多いです。

上記の例文で使われている「あながち」という言葉の意味、皆さんはご存知でしょうか。 よく聞くことはあっても、詳しい意味を聞かれたら答えられないという方もいるかもしれませんね。

今回は、この「あながち」という言葉の意味や由来、使う場面、そして類義語・対義語など、深く掘り下げて見ていきたいと思います。

【意味】 (打消の語句を伴って)ものごとを断定しきれない気持ちや婉曲的な否定を表す。
【由来】 あながちの「あな」=「おのれ」、「あな」が勝つ状態、つまり自分が第一優先ということから。
【類語】 一概に、必ずしも、まんざら
【対義語】 絶対に~である(~ない)、必ず~である(~ない)
【英訳】 「 not necessarily 」「 not always 」「not altogether」「not wholly」

あながちの意味


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まず初めに、あながちの意味について、確認していきましょう。 あながちは、後ろに打消の語句(「~ない」など)を伴って、ものごとを断定しきれない気持ちや婉曲的な否定を表します。

例えば、 「この本は、あながちつまらないとは言えない」 と言った場合、この本は「少し面白い」ということになります。 はっきりと否定するのではなく、婉曲的に否定、もしくは少しの肯定を含ませるような言い方にするのが特徴です。

あながちの成り立ち


出典:写真AC

平安時代から、所謂古文では、あながちという言葉は、「あながちなり」という形で使われ、以下の5つのような意味を持っていました。

・一途でひたむきであるさま。

・強引であるさま、無理やりであるさま。

・いきすぎであるさま、異常なほどに過剰なさま。・必ずしも~~ない

・決して、無暗に

上の5つのうち、現代でも使われているものに最も近いのが4番目の意味です。

上代日本語のあながちは、ゆとりを持てない様子を表していた様です。 あながちの「あな」は「おのれ」という意味で、「あな」が勝つ状態、つまり自分が第一優先ということで、「あながち」という言葉が生まれたとされています。漢字で書くとあながちは「強ち」、「強いる」などと同じような意味になってしまうのもわかりますね。

現代のあながちの用法が生まれたのは中世以降であり、そこから婉曲的に否定する「あながち~ない」という表現が広まっていきました。

あながちの使い方


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あながちという言葉は、「相手の意見や考えに100%同意はできないが、概ね賛成している」ということを表現する際に使えます。 例えば、仕事上の会議の場面で、部下に対して 「君のプランはあながち悪くないね」 と言えば、部下に対してそれとなく賛成しているという立場を示せます。

婉曲的な表現なので、相手を強く否定・肯定することなく自分の意見を伝えられるのがこの表現の強みです。 ただし、あながちはどちらかというと、目上の立場の人が目下の人に対して使う言葉です。 同じ立場同士の人が使い合うこともありますが、目下の人が目上の人に面と向かって使う言葉ではありません。

例えば、職場の上司の意見に7~8割程賛同している際、部下が上司に対して、 「部長のおっしゃっていることはあながち間違ってはいないです」 と言うのは、現代の日本社会においては、「立場をわきまえていない」というレッテルを貼られてしまいます。 敬語を使う相手には、あながちを使わないでおくのが無難でしょう。

あながちの類語・対義語


出典:写真AC

あながちの類語は、「一概に、必ずしも、まんざら」などが挙げられます。 「まんざら」という言葉は、直後に打消の語句をつけて「まんざらでもない」という使い方もされます。 あながちの類義語は多岐に渡ります。部分否定の表現が多いというのは、ものごとの断定を避けるという日本人独特の気質の現れかもしれません。

あながちは、部分的に否定する言葉ですので、全体を否定する語句が対義語となります。「絶対に~である(~ない)、必ず~である(~ない)」などが主たる例です。

「あながち」と「必ずしも」の違いは?

出典:写真AC

上の項目であながちの類義語について紹介しましたが、「必ずしも」と「あながち」が完全に同じ意味かというと、そうではありません。それは他の類義語に対しても同じことが言えます。

そこで、混同しがちな「あながち」と「必ずしも」との違いについて見ていきたいと思います。

まず、必ずしもはものごとの部分的な否定を表すのに対し、あながちはものごとの断定を避ける際に用いられます。例文を使って見てみましょう。

「金を持っているからと言って、必ずしも偉くはない」

この文の「必ずしも」の部分を、「あながち」に置き換えたらどうなるでしょうか。

「金を持っているからと言って、あながち偉くはない」

下の文はなんだか違和感がありますね。実は、このような文であながちを用いると違和感が生じるのは、この文が「断定」の文だからです。この2つの文について解説してみましょう。

上の必ずしもを用いた文では「金を持っている→偉い」を部分否定しています。言い換えると、「金を持っている人間が、全員偉いわけではない。例外はある。」ということになりますね。さきほど述べたように、必ずしもはものごとの部分的な否定を示すため、このように断定をしている文でも使えるというわけです。

それに対し下のあながちを用いた文では、「金を持っている→偉い」の断定ができないということを示しているかのようです。この文は末尾「~ない」を見るとわかるように、断定の文なので、あながちを用いると意味が通らなくなるというわけです。

かなりややこしい違いですが、例文を使ってみると少しは分かりやすくなったのではないでしょうか。難しい使い分けですが、あながちと必ずしもを使う際には注意したいですね。

「一縷(いちる)」の意味と使い方|類語・対義語・由来もチェック!

【意味】 「ごくわずかな」「細い」
【由来】 「縷」の細かい糸と「一」の僅かなという意味が合わさったことから。
【類語】 「ひと筋」「ごく僅かな」「ひと筋の希望」「ひと筋の生命」「ひと筋の光」
【対義語】 「確実」「本命」「濃厚」「上手の手から水が漏る」「猿も木から落ちる」


出典:写真AC

「悲願のワールドカップ出場のため、日本代表はこの予選に一縷の望みを賭けた」

「クライマックスシリーズセカンドステージの初戦を落としたが、日本シリーズ出場のため一縷の望みを先発右腕に託した」

このような用例、特にトーナメント戦など負けられないスポーツにおいて、しばしば「一縷(いちる)」という言葉が使われます。では、この「一縷」とはどういう意味かご存知でしょうか。

「一縷の望み」というのはなんとなく意味は伝わりますので、かえってその先、「一縷」について深く考えることは少ないかもしれません。

一縷の意味

「一縷」は、「ごくわずかな」「細い」という意味です。「一縷の望み」といいますと、「ほぼ絶望的ではあるが、ごくわずかな希望がある」という意味になります。通常使っている感覚とは、特にずれていないでしょう。

一縷の由来・言葉の背景


出典:写真AC

もともと「一縷」とは何でしょうか。これは、糸のように細いものを指す言葉です。糸へんの漢字である「縷」は、細い糸のことです。この字もあまり使いませんが、「縷々」「縷言」「縷説」などの熟語があります

いずれの熟語にも意味が共通しているのは、「細かい」ということです。数字の一にも、僅かなという意味があります。二つの意味を合わせ、ごく僅かな、というのが一縷の意味です。

イメージとしては、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」です。主人公カンダタも、わずかな可能性だと思って糸を昇れば、地獄にまた落とされることはなかったのではないでしょうか。

一縷の使い方

「一縷」とくれば、だいたいその次は「望み」となります。ですが、これ以外の言葉とも繋がります。「ごく僅かな・細い」という意味で一縷を使うのであれば、決して不自然な用法ではありません。

例として、「一縷の生命」「一縷の光」「一縷の煙」などの用法もあります。光や煙であれば、単に物理的に細いという意味に過ぎませんが、希望や命に対して使うと、「細い」から転じて「ごく僅かな・消えかけた」という意味となります。

一縷の類語・対義語

一縷の類語といいますと、「ひと筋」が、ほぼイコールでしょう。これも、細さを意味する言葉であり、そこから転じて「ごく僅かな」という意味にも使えます。「ひと筋の希望」「ひと筋の生命」「ひと筋の光」なども、ほぼ「一縷」に代わって使えます。一縷と同様に、文学的なニュアンスも漂っています。

一方、一縷の対義語としては何があるでしょうか。「確実」「本命」「濃厚」など、ストレートに意味が伝わるものばかりです。

「一縷の望み」と対になる、ほぼ確実な状態を指すならば、その際の慢心を戒める格言がいくつかあります。「上手の手から水が漏る」「猿も木から落ちる」などです。

一縷と似ていますが用法が違い、場合によっては対義となる言葉に「一抹」があります。通常は「一抹の不安」としてセットで使います。一抹は、刷毛のひと塗りの意味から来ています。

一縷も一抹も、ほんの僅かという意味ですが、使えるシーンはかなり異なります。「一縷の不安」とはいいませんし、「一抹の希望」ともいいません。可能性の薄さの中でなおポジティブなのが一縷で、可能性が高い中でなおネガティブなのが一抹といえるかもしれません。

物理的な意味に限定して使うなら「一縷の煙」「一抹の煙」と両方有り得ます。ただ、細いのが一縷で、欠片のようなものが一抹という違いがあります。

一縷から学ぶ


出典:写真AC

今までは「一縷の望み」というフレーズを、何の気なく耳にし、ご自分でも使うことが多かったのではないでしょうか。これからはこのフレーズを聞いて、細い糸のような僅かな可能性という、さらに具体的なイメージが見えてくるとよいですね。

日本人なら知っておきたい国語の知識

「韋駄天(いだてん)」は神の名前だった?意味・由来・使い方

【意味】 足が速い人、あるいは、特別に速く走る様子。
【由来】 バラモン教の神の名より。
【類語】 「神速」「俊足」
【対義語】 「鈍足」
【英訳】

「運動会のリレーでは、アンカーの生徒が最下位からトップに躍り出ていた。まさに韋駄天(いだてん)のようだった」というようなときに用いられる、「韋駄天」という言葉をご存知でしょうか。韋駄天という単語自体は聞いたことがあっても、元々日本の言葉ではないということもあり、漠然としか知らないという方がほとんどです。

韋駄天という言葉は、普段文章に組み込んで使うことはあまりありませんし、それだけに、正確な意味や由来を知る機会もほとんどないでしょう。そこで、こちらでは、韋駄天という単語がどのような意味を持っているのか、また、その由来や使い方などについてご紹介していきます。

韋駄天の意味


出典:写真AC

韋駄天という言葉の意味は、足が速い人、あるいは、特別に速く走る様子を表しています。もともと、韋駄天という言葉は足が速い神の名前から来ていますので、漢字からこの意味を想像することは困難です。

もちろん、本来の意味で僧や寺院の守護神として用いることもありますが、文脈から足が速いという話の内容で、「韋駄天のように」や「韋駄天走り」など、例えとして使われている場合には、前者の足の速さを表す意味で用いられていると考えて良いでしょう。

韋駄天の由来 ・言葉の背景


出典:写真AC

韋駄天という言葉の由来は、バラモン教の神の名から来ています。韋駄天は破壊神シヴァの二男で、仏法に取り入れられてからは四天王である増長天に従う八代将軍の一角として、仏法や寺院を護る守護神になりました。

韋駄天の説話の中に、鬼が釈迦の遺骨(仏舎利)を盗んで須弥山に逃げた際、走って一瞬で仏舎利を取り戻したといわれています。ここから足の速い人を韋駄天、早い走り方のことを韋駄天走りというようになりました。その後、単純に韋駄天でも、走るのが速い様子を表すようになったのです。

韋駄天の使い方


出典:写真AC

韋駄天という言葉は、普通の足の速さ程度では使われることがありません。元々、韋駄天が仏舎利を取り戻した時は、一瞬で1280万kmを駆け抜けたといわれています。そのため、目を見張るような極端な足の早さを見せつけられた時に使うようにしましょう。

例えば、「昨日の陸上大会では、スタートの合図が聞こえたと同時に一人だけ頭一つ飛び出している選手がいた。しかも、並み居る強豪選手が相対的にカタツムリに見えるほど足が速く、堂々の一位だった。あれこそ韋駄天のような走りだ」というように用います。

また、走る様子を表すときに用いる場合には、「その男から逃げるため、彼女は持てる力を発揮して全力で逃げた。普段はそれほど足が速いとは思えなかったが、あの時の彼女の速さはまさに韋駄天(走り)だった」というように使います。

韋駄天の類義語・対義語


出典:写真AC

韋駄天は特別に足が速い様子を表していますので、正確な類義語というのはほとんどありません。ただ、意味合いとしては神のように(人外のレベルで)速いという意味である「神速」や、足が速いことを表す「俊足」などが近いといえます。

ただ、俊足は普通のレベルで足が速いという意味に使われることが多いですし、神速は走ることに限っているわけではありませんので、全く同じとは言えません。

一方、対義語は足が遅いことになるため、「鈍足」などが該当します。韋駄天の対義語となると、こちらも人外レベルで足が遅いという意味になりますが、こちらも正確な対義語はありません。

神の名である韋駄天


出典:写真AC

韋駄天という言葉からは、神のごとき特別な足の速さであることが窺えます。特にずば抜けた能力を持っていることを表すとき、一つの単語ではなかなか正確に表現することが困難ですが、韋駄天という言葉は神の名であるにもかかわらず、その背景から足の速さが飛びぬけていることがわかるのです。

このように、説明なしに独特の意味を持つ単語というのは、由来を知って初めて意味が理解できることが多いです。2020年に開催されるオリンピックではまさに韋駄天走りを目にすることができそうですね。

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「つつがなく」の正しい意味と由来|使い方・類語・対義語もチェック

【意味】 変わったことが起こらないことを喜ぶ言葉。
【由来】 病気や災難がないという「つつが」の意味から。
【類語】 無病息災
【対義語】 災厄・災難
【英訳】

「うさぎ追いしかの山」で始まるのは、あまりにも有名な唱歌「故郷」(ふるさと)ですが、この歌の2番は「いかにいます父母 つつがなしや友がき」で始まります。「友がき」は友達のことですが、それを補えば現代人にも、この歌詞の内容はわかるでしょう。

「(ふるさとの)友達はつつがなく過ごしているだろうか」という意味です。この「つつがなく」という言葉の意味は、もちろんだいたいは把握していることと思いますが、明確におわかりでしょうか?

つつがなくの意味


出典:写真AC

「つつがなく」は、「平穏無事で」という、変わったことが起こらないことを喜ぶ言葉です。漢字で書くと「恙なく」です。「恙」だけで「つつが」と読みますが、名詞だけだとワープロで変換されない場合が多いでしょう。

「恙」は、病気など災難を意味する言葉であって、災難がない状態を「つつがない」というわけです。そして「恙」だけで、ダニの一種「恙虫」(つつがむし)の意味もあります。「ツツガムシ病」を引き起こす、この虫の名前も、「つつがなく」という言葉に少し関係しています。

つつがなくの由来 ・言葉の背景


出典:フォト蔵

「つつがなく」の語源は、すでにご紹介したとおり、「つつが」つまり病気や災難がないという意味であって、ただそれだけのことです。ところが、つつがなくという言葉の誤った由来のほうが、なぜか広く知られているのです。

ツツガムシリケッチアを媒介して病気を引き起こすダニの一種「ツツガムシがいない」状態が、すなわち「つつがない」だというのです。この広く知られた誤解は、「つつが」自体に虫の名称以前の由来がある点からも、明白に間違っています。

ですが、語源というのは一筋縄にはいきません。多くの人が誤解しつつも、誤用のほうを腑に落ちる説明として理解している場合もしばしばあるからです。

ですから「つつがなく」という言葉についても、多くの人が「ツツガムシがいないのはいいことだ」という理解を、「つつがなく」という言葉に当てはめ理解してきたのかもしれないわけです。しかしながら、実のところはそうではありません

風土病として恐れられたツツガムシ病の原因がツツガムシにあると判明する以前は、病気は妖怪ツツガムシの仕業だと思われていたからです。この時点では、妖怪の姿は誰も知りません。19世紀になって、ダニによる感染症だと判明したのちに、その原因であるダニが、妖怪由来のツツガムシと名付けられたのです。

ですから「ダニがいない」という意味で「つつがなく」を理解していた人など最初からいないわけです。もっとも、妖怪ツツガムシがいないことを願う気持ちが言葉に含まれていたのだとしても、そこまでは誰も否定できないでしょう。

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「ほくそ笑む」の由来はダジャレ?|意味・使い方・類語・対義語

「予想していた通りの結果で思わずほくそ笑む」というような笑いを表現する言葉はいくつかありますが、「ほくそ笑む」という言葉の意味や由来をご存知ですか?

【意味】 自分が計画していたり、狙っていた通りに物事が進んだ時に、人知れず笑みを浮かべること。
【由来】 北叟(ほくそう)は、喜んでいる時も憂う時にも少し笑っていたという故事から。
【類語】 「ニンマリする」「ニヤける」「ニンヤリ笑う」
【対義語】 「愉快に笑う」「機嫌よく笑う」
【英訳】

ほくそ笑むの意味


出典:写真AC

この「ほくそ笑む」の意味は、簡単にいうと一人で「にやりと笑う」「こそこそ笑う」「ひそかに笑う」ということです。ただ、これは顔の表情の話で、この笑みの裏には心理的な要素が含まれています。

最初から自分が計画していたり、狙っていた通りに物事が進んだ時に、人知れず笑みを浮かべるというという行為が「ほくそ笑む」ということです。 感情的な要素が多く含まれており、無意識に表情に出てしまう笑みでもあります。

基本的には他人と同調して笑うということではなく、自分一人で笑う様子であり、声を出して笑うことはありません。 笑うという漢字が用いられていますが、実際には表情や態度を表す用語と考えた方が本来の意味に近いです。

ほくそ笑むの語源


出典:写真AC

ほくそ笑むの「ほくそ」は中国の「北叟」が語源と言われています。 北叟とは、中国の北方で砦に住んでいたとされる塞翁のことです。

北叟は、喜んでいる時も憂う時にも少し笑っていたという故事があります。そこから生まれたのが「ほくそう笑む」という言葉で、それが転じて「ほくそ笑む」になったとされています。 室町時代の「源平盛衰記」にも「ほくそ笑む」の例が見受けられます。

ほくそ笑むの使い方


出典:写真AC

自分の試験勉強が上手くはかどり、おまけにヤマが当たった時などは「テストの点数が予想以上の結果でほくそ笑む」という使い方が出来ます。

一方、友人が試験勉強もせずに遊んでばかりいて、結果としてテストの点数が悪かった時などは「勉強を怠った友人の点数を見てほくそ笑む」といった使い方も出来ます。

会社での業績によってもほくそ笑む場面は出てきます。自分の仕事ぶりや会社の業績がイマイチと思っていた時に「想像以上のボーナスで思わずほくそ笑む」ということもあります。

このように、ほくそ笑む場面としては物事が上手くはかどった時だけでなく、人の結果が悪い方向性に向いてしまった時にもほくそ笑む場合があります。また、結果が想像とはかけ離れたものになった時にもほくそ笑むことがあります。

ほくそ笑むの類語・対義語


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ほくそ笑む時には、基本的に自分の内面を素直に表現していない場合が多いです。 そんな笑みの類義語としては、物事が思い通りに進むときの表現として「ニンマリする」「ニヤける」「ニンヤリ笑う」などがあります。

また、相手をバカにするような時にも使用するため、「失笑する」「嘲笑する」といった言葉も類義語にあたります。 逆に対義語としては、自分の内面を素直に表現する「愉快に笑う」「機嫌よく笑う」などがあります。

ほくそ笑むから学ぶ


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ほくそ笑む表情には、その人の内面が表れています。多くの場合には一人で笑うため、他の人に気付かれることは少ないです。 長所としては、自分の進めている計画が上手くいった時に他言することなく、自分の中で満足できるという点です。

そのため、他人に自慢するような行為や発言が控えられ、周りとの調和を保つことが可能になってきます。 短所としては、他人の失敗を失笑することにもなるため、心の中で相手をバカにしてしまう心が生まれてしまうことです。

結果的に相手を見下すことになるため、いずれは周りに見抜かれ人間関係に悪影響を与えかねないこととなってしまいます。 どちらの要素でも無意識のうちにほくそ笑むことはありますが、自分の気持ちを他人の気持ちに当てはめたような生き方をしていくことで、素直な笑顔が生まれてきます。

また、ほくそ笑むにしても相手を蔑むような笑みは自然と出なくなって、良好な人間関係を保てるようになります。自分の中で満足しほくそ笑むことで良好な人間関係を築いていきたいものですね。

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「沈思黙考(ちんしもっこう)」の意味と使い方|類語・対義語・英訳

「沈思黙考」という四字熟語があります。「ちんしもっこう」と読み、「その問いについて沈思黙考した」「良いアイデアを求めて沈思黙考した」

「困難な状況に陥り、その解決策を見つけるために沈思黙考した」「彼は口数が少なく、考えの深い、沈思黙考タイプの人間だ」「彼女は沈思黙考していたが、やがて話し始めた」などと使いますが、皆さんはその意味をご存知でしょうか。

【意味】 「黙って深く考えること」
【由来】  ――――
【類語】 「熟思黙想(じゅくしもくそう)」「沈思凝想(ちんしぎょうそう)」
【対義語】 「あまり深くは考えないこと」「発言すること」
【英訳】 「sit in silent thought」「meditate」

沈思黙考の意味

沈思黙考は、「黙って深く考えること」を意味します。考えてみると、まさに文字通りの意味を持っている言葉だといえます。  

沈思黙考の由来 ・言葉の背景・語源


出典:写真AC

四字熟語には何らかの逸話から生じた言葉も多くありますが、沈思黙考の場合、そういった由来は特に明らかになっていません。

単純に文字通りの意味を持ち、それが語源となっています。 沈思が「深く考え込んだり、いろいろと思案したりすること」で、黙考が「黙って考えること」です。

漢字の組合せとしても、「沈黙」と「思考」から成り立っています。「沈んで(深く)思い考える」こと、「黙る」ことが、沈思黙考なのです。

沈思黙考の例文を紹介


出典:写真AC

沈思黙考がどんな場面で使われる言葉か、例文を2つ挙げ、説明してみましょう。 

1つめは、「あの作家は沈思黙考し、その後アイデアが浮かぶと、素早く一気に文章を書き上げた」です。作家のような仕事は、誰とも話さず、自分の頭の中でアイデアを生み出すことが多いものでしょう。

この例のように、良いアイデアが浮かぶまで、黙って深く考え込み、色々と思案したりする状況が、まさに「沈思黙考」だといえるのです。

2つめの例は、「あの受験生は、数学の難しい問題を解くために沈思黙考した」です。受験問題にも色々あり、単純に知識の有無を問われる場合も実は多いものです。そしてその場合は、知っているか、知らないかが、解答できるか否かの分かれ道になりますので、深く考えることはあまりないでしょう。

しかしこの例の場合は、丸暗記によって簡単に解答できる問題ではなかったのです。そして、この受験生が問題を解くために黙ってじっくりと考えていたその状況、それこそが、「沈思黙考」だったのです。  

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「袋小路(ふくろこうじ)」の意味と使い方|類語・対義語もチェック

「あの企業の経営は、確実に袋小路に向かっている」「バッティングフォームを崩してからというもの、完全に袋小路に迷い込んでしまった」 などといった形でニュースや会話でもよく用いられる「袋小路」という言葉。

皆さんは、その正しい意味や使い方をはっきりと把握しているでしょうか。意外と、ぼんやりとしたニュアンスで用いる人も多いと思います。 そもそも、袋小路とは何なのか。どのような場面で用いるのが適当なのか。ここでは、その由来や類義語などから詳しく見ていきましょう。 

【意味】 「解決策や打開策がまったく見いだせないこと」
【由来】 入口がひとつあるだけで、他に出口はない小路から
【類語】 「袋道」「立ち往生」「八方塞がり」「五里霧中」「暗礁に乗り上げる」
【対義語】 「抜け小路」「順風満帆」
【英訳】 「blind alley」「impasse」

袋小路の意味


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袋小路というのは、行き止まりになった道のことを表す言葉です。 それ以上先に進めないことから、実際の道だけではなく、何か物事が行き詰まって進展しなくなった状態も指すようになりました。

ただ進めないだけではなく、そこから抜け出すことができない、つまり解決策や打開策がまったく見出せないようなケースで用いられることが多くなります。

袋小路の由来 ・言葉の背景


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袋小路というのは、文字通り袋のようになった小路のことです。 袋には入口がひとつあるだけで、他に出口はありません。その形状に見立てて、通り抜けできない道のことを指しているわけです。

したがって、行き止まりといっても、川や崖などで道がなくなっているだけの場合には用いません。あくまで袋のように、周りをぐるりと建物や塀などで囲まれている場所をいいます。 小路というのは町中にある細い道のことです。

知らない町を歩いているうちに、いつのまにか行き止まりに出くわしてしまった。そのような経験が、皆さんにも一度や二度はあるのではないでしょうか。 そのような場所が、まさに袋小路なのです。

袋小路の使い方


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袋小路の例文には、次のようなものがあります。 「お互い意見が合わずに、夫婦の話し合いは袋小路に陥った」 これは、物事がそれ以上進まなくなってしまった状態をより強く表しています。

一方、解決策や出口が見つからないというニュアンスを強調すると、次のような例文になります。 「どこからも借金を断られてしまい、袋小路でどうしたらいいか分からない」 袋小路には単純に窮地に追い込まれただけではなく、それまでは順調に進んでいたという意味合いも含まれています。

「気がついたら大学の単位が足りなくて、袋小路に追い込まれていた」 このように、袋小路は様々な場面で使うことができます。 

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「融通無碍(ゆうずうむげ)」はお経から出来た言葉?|意味と使い方


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私達の生活の中には、様々な所以や謂れがあるにも関わらず、知らず知らずのうちに使われている言葉が多々あります。次のようなフレーズの中で「融通無碍(ゆうずうむげ)」という言葉を見聞きしたことはないでしょうか?

「彼がどんな仕事も融通無碍に対処をして、ちゃんと成果を出してくる事には感服するよ。」

「君の融通無碍な着想のおかげで、大ヒット商品を作り出すことができた。」

「融通」という言葉はよく使うという人でも、「融通無碍」はあまり使わないということが多いかもしれません。では、この「融通無碍」という言葉はどのような意味なのでしょうか?この記事で、みなさんと一緒に見ていくことにしましょう。

【意味】 価値観や考え方、行動に関わらず、どのような状況でも臨機応変に対処するさま、

どんな状況でもその時々で最善の方法で対処するさま。

【由来】 華厳経というお経の言葉から
【類語】 自由自在、臨機応変
【対義語】 自由自在、臨機応変
【英訳】 「tactful」「flexible」「 versatile 」

「融通無碍」とはどんな意味?


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融通無碍(ゆうずうむげ)という言葉は、価値観や考え方、行動に関わらず、どのような状況でも臨機応変に対処する、どんな状況でもその時々で最善の方法で対処する、という意味を表しています。

四字熟語として以外にも、「融通」という二字熟語を頻繁に使うという方は少なからずいるのではないでしょうか。現代の用法では、お金や日程の都合をつけたりなど、後程紹介する原義とは異なり世俗的な使い方をされることが多くありますよね。

今や二字熟語の融通のほうが広まってしまったように思えますが、もともとは融通無碍という四字熟語だったのです。

ちなみに、「融通」は滞りなく通ることで、「無碍」は妨げのないことです。融通無礙とも書きます。よく「無碍」は「無下」と誤った書き方をされることがありますが、「無下」とは取り立てて考慮する必要がないとして扱うことを指すので、まったく違った意味になってしまいます。融通無碍と書く際には、注意してくださいね。

「融通無碍」の由来は?


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ではこの融通無碍はどのような由来を持っているのでしょうか?

この融通無碍という言葉、実は華厳経というお経の言葉から来ていると言われています。仏教での融通無碍は、それぞれが溶け合い融合をする事で通い合っている、調和をする、という解釈を含んでいます。

この融通無碍の世界観が華厳経の思想を表しており、世界の中ではそれぞれが孤立しているのではなく互いに関係しあって調和を成し遂げている、それらが相まって、更に相乗効果をもたらしているというものだとされているのです。

仏教の中では「融通」という言葉は、別のものが融けあう事で双方が通い合い、助けあって、支え合うという他を思いやるという慈愛の心を指しているのです。現代の私達から見ると、ちょっと世離れした思想です。

先ほど説明したように、現代では少し世俗的な発想に立ち返って、金銭の都合をつけるという意味合いで融通と言う言葉がよく使われていますよね。

本来は仏教用語から来ているのですが、大きな視点で物事を見る融通無碍本来の言葉の意味合いは世俗的ではないため、個人の視点から都合がよいという意味合いで融通という言葉が使われているのでしょう。

「融通無碍」の由来、華厳経とは?

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華厳経とは、4世紀ごろに中央アジアで成立したといわれているお経のことです。正式名称を『大方広仏華厳経』といい、原典はサンスクリット語で書かれていたとされています。

もともとは短い経典がそれぞれ散らばっており、それらを束ねたものが華厳経といわれています。最初から長い経典として在ったわけではないというわけですね。

思想の内容としては、広い世界を包み込む「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」が、一切の衆生(人間)、万物とともにあり、さらに毘盧遮那仏は一切の衆生と万物を救済するという、一切即一(一即一切とも)という世界観を軸としています。

また華厳経は中国の唐の僧、杜順(とじゅん)が開祖である「華厳宗」の聖典でもあります。日本には奈良時代に唐から伝わってきたとされ、南都六宗の一つに数えられています。世界史や日本史で習ったという方もいるかもしれませんね。それに、奈良の東大寺が華厳宗の大本山であるという話は有名ではないでしょうか。