takeuchimaaya

「面映い(おもはゆい)」の意味と使い方|類語・対義語・語源・英訳

【意味】 「照れくさい」「きまりが悪い」
【由来】 相手の顔が輝き、眩しくてまともに見ることができないことから
【類語】 「照れくさい」「恥ずかしい」「気恥ずかしい」
【対義語】 「誇らしい」
【英訳】 「embarrass」「self-conscious」「bashful」「abashed」

面映いとは?


出典:写真AC

普段、口語的に聞くことは少ないかも知れませんが、テレビや小説などでたまにでてくる「面映い」という言葉。ドラマや小説の中であれば、面映いの意味は前後の脈から何となく意味を予想して読み進めたりスルーしたりしていたかも知れません。

もしかすると読み方すらわからずに何となくスルーしてた、なんていう方もいらしたかも知れませんね。 そんな方のために、まずは「面映い」の読み方ですが、「オモハユイ」と読みます。

面白い、の面=オモ、インスタ映えなどで使う映えるの映=ハ、あとは送り仮名のユイですね、これでオモハユイ、となります。

では「面映い」がどういったところで使われているか、例文を使ってお伝えしてみたいと思います。

例)私には初めての孫で、無心に笑いかけてくる表情を見ていると何とも言えず面映い。

使い方として例を挙げてみました。何となく文脈から意味が伝わるのではないかと思いますが如何でしょうか。文脈だけだとはっきりしないというか、照れているのか、喜んでいるのかなんだかよく分かりずらい感じもしますよね。すこし曖昧な言葉のようにも感じますが、一体面映いはどういう意味なのでしょうか?

面映いの意味


出典:写真AC

「面映い(おもはゆい)」の意味は「照れくさい」というのが一番当てはまると思います。 当てはまる、というのは、辞書などによっては、恥ずかしい感情きまりが悪いといった、感情についての表現になっていて、はっきりとした意味の表記ではないからです。

照れ臭くてバツが悪いとか、嬉しいのだけれど恥ずかしくて素直に喜べないという、シャイな日本人らしい意味を表している表現だといえますね。 

面映いの成り立ち


出典:写真AC

面映いという言葉は「おも(面)」と「はゆし(映し)」の2つの言葉から成り立っています。おも(面)は顔を表し、はゆし(映し)は眩しくて顔が向けられない様子を表しているのです。

面映いとは、相手の顔が輝き、眩しくてまともに見ることができないことからバツが悪いことやきまりが悪いなどの意味を持つようになりました。

面映いの使い方


出典:写真AC

では面映いを使った例文をいくつかお伝えします。

例)昨日は久しぶりに妻に食事を作りました。とても喜んでくれ、子供からも美味しいおいしい!と褒められて少し面映ゆかったです。

これは普段しないことをした夫が、妻からも子供たちからも褒められて、嬉しいんだけど照れ臭く、きまりが悪くなってしまった場面ですね。一言でその複雑な気持ちを表す事ができるので便利な言葉です。

例)日頃あまり人前で発表などしない、どちらかというとサボってばかりだった私は、この発表がみんなから褒められたことが面映ゆく、その場を無言で離れました。

これは日頃サボってばかりの「私」が、柄にもなく急に褒められることで、バツが悪くなってしまったことで照れ臭くなってしまったことを表現していますね。

このように面映いは照れくさくてバツが悪い、ちょっと柄にもなく褒められて恥ずかしい等の場面で使うことができます。

四字熟語の由来を知る

「土壇場(どたんば)」の意味や使い方|斬首刑を行う場所の名称だった言葉

皆さんは、「土壇場」という言葉の意味をご存知ですか?「土壇場で勝負がひっくり返る」「土壇場で契約を逃す」「土壇場に立たされる」「土壇場で逃げ出す」などと用いる言葉です。

また、近年よく使われる「ドタキャン」という言葉は、「土壇場でのキャンセル」を省略した言葉でもあります。  

土壇場の意味

土壇場という言葉は現在、切羽つまったギリギリの状況や、進退きわまる場面、最後の場面を意味して使われています。

一般的な用法として、「ピンチの場面」「決着の場面」の2つのニュアンスを持っているようです。みなさんも、一度は「土壇場に立たされた」ことがあるのではないでしょうか?  

土壇場の由来


出典:写真AC

「土壇場」とはそもそも、文字通りに、土を持って作った壇のことでした。ところがそれが江戸時代になって、その土壇場に罪人を横たわらせて刑を執行したことから、「斬首刑を行う場所」という意味を持つようになりました。

そしてさらにその意味が変化して、現在のような意味で使われるようになったのです。その由来から、「土壇場」の厳しい状況が想像できます。土壇場とはまさに、生死のかかった場所であり、状況だったのですね。  

土壇場の例文


出典:写真AC

それではここで、「土壇場」という言葉がどんな場面で使えるか、冒頭の2つの文を例として見ていきましょう。 まずは「土壇場で勝負がひっくり返る」。

例え話は何でも良いのですが、ここでは野球を例に挙げてみましょう。AチームとBチームの勝負が白熱し、Aチームの1点リードで、9回裏ツーアウトまで勝負は進みます。ランナーは1,2塁。

ここでBチームのバッターが凡退すれば、勝負は終了、Bチームは負けという状況です。Bチームはまさに、「土壇場に立たされた」状況なのです。しかし、1本ヒットが出れば同点、長打ならば逆転勝利です。

ですから逆の視点から、Aチームにとってもこの状況は、勝つか負けるかの「土壇場」であり、つまりこの場面は、両チームにとって勝負の「土壇場」だといえます。結果的に、この場面で長打が出てBチームが逆転勝利をおさめました。

そして、このような状況こそまさに、「土壇場で勝負がひっくり返る」と表現される状況なのです。 

次に、「土壇場で契約を逃す」です。ここでは、保険の外交員を例に挙げてみましょう。最初は嫌がられながらも、あるお客さんと何度も面会し、何とか話を聞いてもらい、自分の勧める保険に関心を持ってもらうことができた外交員Cさん。

そしてある日、とうとう勝負をかけ、実際に契約を強く勧めることに決めます。ここで契約してもらえなければ、もう見込みがありません。同時に、これまでの努力がすべて水の泡になりますが、Cさん個人としては非常に良い感触を持っています。

あとは最後の局面でうまくやれば、契約をしてもらえるだろうと考えていました。ところが、結局は契約を逃してしまいました。最後の最後で、話が駄目になってしまったのです。そして、このような状況こそ、「土壇場で契約を逃す」と表現される状況となります。  

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

「心頭滅却(しんとうめっきゃく)」の意味と使い方|類語・由来

【意味】 人間の心を無にすること。
【由来】 戦国時代の臨済宗の僧、快川紹喜の辞世の言葉より
【類語】 無念無想・明鏡止水
【対義語】 煩悩
【英訳】

「心頭滅却」という言葉をご存知でしょうか。この四字熟語は単体で使うことは少なく、その下「火もまた涼し」まで続けて用いるなら、比較的馴染みがあるでしょう。この慣用句は「心頭滅却」した結果を説明しているのであり、重要なのは、「心頭滅却」です。

心頭滅却の意味


出典:写真AC

では、心頭滅却とは何でしょうか。「心頭滅却」は「心頭」、つまり人間の心を無にすることです。「頭」は物理的な頭や脳みそのことではなくて、「~のあたり」の意味です。

そして滅却とは、何もない状態にすること。もともと仏教では、心を無にすることを大変重視します。禅宗ではとりわけ重要です。雑念だらけの心を空っぽにすることは決して簡単なことではありませんが、それに成功すればあらゆる苦しみから逃れることができるとされます。つまり解脱(げだつ)です。

今でも火の上を裸足で渡る荒行が、伝統行事として各地に伝えられていますが、火の上を渡っても火傷をしない理由として「心頭滅却」という言葉がいわれます。

一念により、体の機能まで支配できるのです。修行僧でなくても、念じて渡ってしまうことがあります。人間の体の力、心の力、さらに言葉の力もまた凄いものではないでしょうか。

心頭滅却の由来・言葉の背景


出典:写真AC

「心頭滅却すれば火もまた涼し」という慣用句は、戦国時代の臨済宗の僧、快川紹喜の辞世の言葉として伝えられます。ただこれには原典があります。唐の詩人、杜荀鶴の詩の一節です。それがなぜ日本の禅僧の言葉として伝えられているのでしょうか。

次のような故事に因ります。織田信長に追われた、武田方の人物をかくまった恵林寺住職・快川紹喜がその引き渡しを拒んだところ、織田勢に焼かれて亡くなったという話です。

焼かれたのは事実ですが、言葉のほうが事実かどうかはわかりません。ですが騒乱の時代に信念を貫き焼かれた僧の、末期の言葉として現代に語り伝えられているわけです。

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

心頭滅却の類語・対義語


出典:写真AC

「心頭滅却すれば火もまた涼し」は、戦乱の世に相応しい言葉かもしれませんが、現代人も使います。先の、火渡りの儀式だけでなく、草津温泉のような熱いお風呂や、熱いお灸を据えるときなどに思わずつぶやく人も多いのではないでしょうか。

それぞれ効能を得るための一時的な苦しみですから、仏教のいう苦しみとは些か異なるかもしれません。ですが、心の持ちようでもって、体をコントロールしようという意味においては、根底の発想には同じものがあるのではないでしょうか。

夏の暑さを逃れるために使うことも現代用法でしょう。ですが、心のコントロールという意味では誤用ともいえないように思います。 心頭滅却の類義語としては、「無念無想」「明鏡止水」などがあります。

いずれも、雑念に心を惑わされることなく、無我の境地に達した様を表す仏教用語です。無念無想は、「思慮のないこと」という悪い意味もありますが、元の意味は無心になることです。

明鏡止水の「明鏡」とは、曇りのない鏡を、「止水」とは、流れないで止まっている水のことを指します。ですので、「明鏡止水の心境」などのように使います。

他方、心頭滅却の対義語としては、心が無になっていないことを指すわけですから、「煩悩」が適当でしょう。人間は、煩悩によって苦しむわけで、これを克服することで悟りが開けるわけです。

心頭滅却から学ぶ


出典:フォト蔵

甲斐の恵林寺で焼け死んだ快川紹喜は、もちろん負け惜しみや腹立たしさから「心頭滅却」といったのではありません。

自分の信念を貫き、不当な権力にも負けない境地に達していたからこそ、死ぬことを恐れていなかったのでしょう。そして苦しみでもなかったのです。

その禅僧としての境地に、後代の人は尊敬を抱き続けてきました。私たちも快川紹喜には到底及ばないにせよ、何事も恐れず、惑わされない強い精神を持ちたいものですね。

「捲土重来(けんどちょうらい)」の意味や由来|例文も紹介

「若き経営者の失敗は無駄なものだったのか。捲土重来を期す」 このような表現があった場合、どのように受け取ればいいのか戸惑ってしまいませんか?

捲土重来はあまり使われない言葉ですが、短い言葉に込められた意味が強く、使い方によっては大きな説得力を持たせることができるのです。

捲土重来の意味


出典:写真AC

捲土重来(けんどちょうらい)の『捲土』とは人や馬などが走る際に土を巻き上げること意味しています。土が舞い上がるほどであることから、人や馬の速度が速く、勢いがあることがわかります。

『重来』は再び戻ってくるという意味で、同時に一度は去らなければならなかったことも意味します。

この言葉の組み合わせから、「捲土重来」の意味は一度敗北や失敗をした人や組織が、勢い良く巻き返す様を意味する言葉になっているのです。

「捲土重来を期する」という文になると「失敗後に勢い良く巻き返し、成功を期待する」という意味にすることができます。

捲土重来の由来

捲土重来は 唐の詩人杜牧(とぼく)の詩が由来になっています。秦末の武将項羽の自害を悼んだ詩「題烏江亭(うこうてい)」に捲土重来の記述があります。

『題烏江亭 勝敗兵家事不期 包羞忍恥是男兒 江東子弟多才俊 捲土重來未可知』

現代語訳をすれば戦で負けて自害した項羽に対し、「勝敗は兵法家であっても予想出来ないものであり、負けても恥辱に耐え、巻き返しを図るのが男児というものである。項羽の出身地には才能があるものが多い。もう一度砂を巻き上げる勢いで戦っていたらどうなったかわからない」というものになります。

この詩から、捲土重来に「敗北や失敗を乗り越えて勢いを巻き返す」という意味が込められるようになり、様々な場面で使われるようになっていったのです。

捲土重来の例文


出典:写真AC

冒頭の「若き経営者の失敗は無駄なものだったのか。捲土重来を期す」は、若き経営者が失敗をして学んだ教訓を生かし、巻き返しに期待するという意味になります。

重要なのは失敗を認めることと、その経験をバネに行動へとつなげることです。捲土重来を期すという表現から、この言葉が第三者から贈られたものであり、激励の意味が込められていることもわかります。

「過酷な競争の中A社が開発した新商品は、シェアを再び回復することができるのだろうか。捲土重来となるか注目したい」この場合は、A社が同業他社との過酷な競争でシェアを奪われていることと、新商品の投入でシェアの回復と奪還を図ろうとしていることがわかります。

捲土重来の表現があることから、A社に余裕がなく、追い詰められている可能性を匂わせることもできます。

また、文章を書いた人間が注目したいという言葉を用いていることから経済の流れを追う記者の視点が近く客観性が高い文章になっているのもポイントになっています。

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

「一日千秋(いちにちせんしゅう)」の意味や使い方|なぜ秋なの?

「一日千秋」という四字熟語を知っていますか?よく知っているという方もいれば、初めて聞く言葉だという方もいるかもしれません。使い方は、 「一日千秋の思いで彼女からの連絡を待った」 などといった使い方をします。

読み方は「いちにちせんしゅう」、「いちじつせんしゅう」のどちらも用いられます。 では、実際にはどんな意味で、どんな場面に使うのでしょうか。また、なぜ「春」ではなく「秋」なのでしょうか。 「一日千秋」の意味や由来、使い方などを見ていきましょう。

一日千秋の意味


出典:写真AC

一日千秋とは、「一日が千年先に思えるかのように待ち遠しくて仕方ない」という感情の例えです。つまり、目的の物事や人が早く来て欲しいと強く願うことを表わしています。

「春」ではなく「秋」という文字が用いられるのは、かつて農耕においては秋は稲穂が実り収穫の時期が訪れる重要な時期であり、もともと「秋」には「時」という意味も併せ持っていたためです。

このように、「千秋」とは秋が1000回巡ってくることを指し、すなわち1000年の間を過ごすように待ち遠しいといった様子のことを表わしています。 いずれにしても、人に対して使う場合には、待ち遠しくてたまらないという意味が込められた、情愛の念が非常に強い言葉であるといえます。 

一日千秋の由来


出典:写真AC

では、一日千秋の由来は、どんなものでしょうか。

「彼采葛兮 一日不見 如三月兮 彼采蕭兮 一日不見 如三秋兮 彼采艾兮 一日不見 如三歳兮 」

これは中国でつくられた詩経の「王風・采葛」という文章で意味は次のようになります。

葛を採るのにかこつけて、出かけてみたものの好きな人とは会えず、1日が3ヶ月のように感じられる。 蕭を採るのにかこつけて、出かけてみたものの好きな人とは会えず、1日が3度秋が巡ったように感じられる。 艾を採るのにかこつけて、出かけてみたものの好きな人とは会えず、1日が3年のように感じられる。

このように、「王風・采葛」では、草摘みをする乙女たちの恋する気持ちが歌われていて、この中の「一日不見 如三秋兮」つまり、「一日見わざれば三秋(さんしゅう)の如し」という一節の「三秋」が強調されてやがて「千秋」となり「一日千秋」となりました。

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」の意味や使い方|例文も紹介

「彼とはプロジェクト立ち上げの際に侃侃諤諤(かんかんがくがく)と議論を戦わせたが、結果としてプロジェクトを牽引する最も信頼できるパートナーとしての信頼関係を築くことができた。」

侃侃諤諤という言葉は日常会話でも登場する言葉ですが、どのようなニュアンスで使用するかをご存知でしょうか?

激しい口調で叱咤激励している場合や一方的に持論を述べているだけの場合、互いに罵り合っている様子は侃侃諤諤とは表しません。

一定の方向性の基に互いに持論を展開して繰り広げられるディベートであれば、例え抑えた声量であっても侃侃諤諤と議論を交わしたと言えるでしょう。今回は侃侃諤諤について紹介します。

侃々諤々の意味


出典:写真AC

侃侃諤諤は侃と諤の文字が繰り返されて構成されています。侃はノビノビとして怯むことのない強い性格を、諤は正論を遠慮することなく発言する様子を意味する文字です。

侃侃諤諤は持論を臆することなく堂々と発言し、一定の方向性の基に議論しあう状態を指している四字熟語です。 持論を展開しながら議論を行っている状態であれば、議論している人数に関わらず用いることができますが、声の大きさではなく議論されている内容が重要だと言えます。

意見が衝突している状態で、他を論破しようと交わされる激しい攻防が繰り返されている状態を侃侃諤諤と言って現します。

侃々諤々の由来 ・言葉の背景


出典:写真AC

侃侃諤諤を構成する言葉の意味は既に紹介しました。繰り返すことで意味を強調する手法は古くから中国でも使用され、侃々は孔子が記したと言われる論語の郷党の中で「朝與下大夫言、侃侃如也」という記述が見られます。

一方、諤々は司馬遷の記したと言われる史記の商君の中で「千人之諾諾、不如一士之諤諤」の記述が見られることから中国で生まれた言葉だと考えられます。

侃侃諤諤という四字熟語を中国語で表記すると「侃侃谔谔」と現されることから、侃侃諤諤は古代中国で生まれ日本に伝えられた四字熟語だと言えるでしょう。

侃侃諤諤の例文

結論の是非を別にして議論を進めるのにあたり方向性を共有することは、建設的な議論の絶対条件だと言えます。侃侃諤諤と交わされた議論は、現状で最善と考えられるものに落ち着くべきだと言えるでしょう。 例えば「閣僚たちが侃侃諤諤の議論を戦わせた結果、今国会で改訂法案が可決した。」などに用いることができます。

また「会社の経営方針をめぐり侃侃諤諤の議論が繰り広げられた。」などにも用いることができます。このような規模の大きな議論でなくても「侃侃諤諤の議論を戦わせた結果、お互いの認識の違いが炙り出され夫婦仲が改善された」などの当事者が少ない場合でも用いることができます。

侃侃諤諤の類義語・対義語


出典:写真AC

侃侃諤諤の類義語としては丁々発止(ちょうちょうはっし)や議論百出(ぎろんひゃくしゅつ)などが存在します。喧々諤々(けんけんがくがく)や喧々囂々(けんけんごうごう)は、一定の方向性を持たず賑々しく騒いでいる状態を指し、広義では類義語として考えても良いでしょう。

一方侃侃諤諤の対義語としては議論を交わすことなく自分で決定を行う独立独歩(どくりつどっぽ)や独立自全(どくりつじぜん)が適当だと考えられます。福沢諭吉の「独立自尊(どくりつじそん)」も含まれると言えるでしょう。

狭義では類語で紹介した喧々諤々や喧々囂々は一定の方向性を持たず議論をしている状態を指さないので、対義語として考えることもできます。

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

「唯々諾々(いいだくだく)」の意味と使い方|類語・対義語・英訳

唯々諾々

【読み方】いいだくだく

【意味】 他人の言いなりになる

【類義語】百依百順、付和雷同、従順謙黙

【対義語】不承不承、是々非々

【例文】 助教は教授に唯々諾々として逆らわないから、どんな理不尽も受け入れる。

唯々諾々とは?


出典:写真AC

「唯々諾々と上司の指示に従う」というような文で使う「唯々諾々」

唯々諾々は「いいだくだく」と読みますが、この四字熟語の意味はご存知でしょうか。今回の記事では、唯々諾々という四字熟語の意味や由来、類義語対義語、英訳などについて触れていきます。

唯々諾々の意味は?


出典:写真AC

「唯々諾々」または「唯唯諾諾」は、他人の言いなりになるという意味です。先の用例であれば、上司の命令が意味のないもの、理不尽なものだったとしても、疑問を挟まず従う様子を指して使います。

「唯々諾々」には、「承諾」の「諾」が入っていますので、「引き受ける」「応じる」といった意味だということはわかるのではないでしょうか。

ですが「唯々」はなんでしょう。「唯」は「唯一」など、「それだけ」や「タダ」という意味で用いる漢字ですが、「諾」と似ている「応答」の意味も持っています。

「唯々」はほぼ「唯々諾々」としてセットで使われますが、結局「唯々」も「諾々」も似ていて、他人に応じるという意味を持ちます。ですが似た言葉を重ねた分、単に応答するというだけではなくて「言いなりになる」という意味が含まれています。

唯々諾々の由来


出典:写真AC

組織の中で、人間関係を重視し、仕事をスムーズに進めることは大変重要です。少々理不尽に思っても、大局を見た上でぐっと堪えて指示に従うこともあるでしょう。ですが、現代における「唯々諾々」という言葉のニュアンスは、決して肯定的なものではありません

考えずに従っている人を批判するような使い方が多いと思われます。由来を見るとこの言葉は、権力者の立場から部下を指示に従わせることの重要性を説いたものです。現在のネガティブなニュアンスはここから当然生まれたものとも、視点が逆転してしまったものにも思えます。

唯々諾々という四字熟語も、中国の古典に由来する故事成語で、「韓非子(かんぴし)」に出てきます。韓非子は、春秋戦国時代の「百家争鳴」といわれる中国思想の全盛期に生まれた思想家・韓非の著作です。

韓非は儒家・荀子(じゅんし)に学んだ人です。性善説の孟子、性悪説の荀子については聞いたことがあるのではないでしょうか。性悪説は決して「人間は悪い者」と言う内容ではなく、法を重視します。

韓非もまた法を重視し、君主の権力を法により体系化しようとしました。これだけ聞くと、人々を苦しめる権力の強化について書かれたものかと思うかもしれませんが、戦乱の世において国の力を強化することは大変切実な問題でした。

韓非子のうち、八つの悪事と、悪事から権力を守る方法について述べた「八姦篇」に「唯々諾々」が初めて登場します。「八姦篇」の二番目、君主側近を利用する「在旁」(ざいぼう)という悪事について触れた箇所に記載があります。

側近はもともと、命令を受けない内から先回りして従う連中ですが、これら側近を利用した悪事を働かせないための対策が書かれています。それは、「側近を実際に働かせる。言葉通りの行動を求める。余計なことを言わせない」というものです。

ですから、「唯々諾々」という言葉は、側近たちを君主の命令通り確実に動かし、権力を保持するための重要な理念なのです。

唯々諾々の使い方


出典:写真AC

現代では、「唯々諾々」は、使われる身に視点が当てられています。ですので、

「親に唯々諾々として従う娘」

「教授に唯々諾々として逆らわない助教」

「きみは上司の理不尽な命令にも唯々諾々と従っているが、本当にそれでいいのか」

などと用います。原義と違い、現代では「考え無しに他人に盲目的に従う」といった意味で用いられますので、あまりいい場面では使われないようですね。

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

「中庸(ちゅうよう)」の意味と使い方|由来・類語・対義語

【意味】 両極端に偏ることなく中正なこと。また、正しく筋が通り調和がとれていること。
【由来】 孔子の「中庸の徳たるや、それ至れるかな」という言葉から。
【類語】 中位・適当・程良い・適度
【対義語】 極端
【英訳】

「何事にも中庸が大事である」みなさんはこの例文の意味が分かりますか。

あまり聞き慣れない方も多い、「中庸」という言葉の意味をご紹介します。

中庸の意味


出典:写真AC

「中庸」とは過大にも過少にも両極端に偏ることなく中正なことを意味し、正しく筋が通り調和がとれていることを意味しています。このことより、前述の例文「何事も中庸が大事である」とは「何事にも中立で正しく筋が通り、調和が取れていることが大事だ」という意味になります。

中庸の由来 ・言葉の背景


出典:Pixabay

「中庸」という言葉が初めて使われたのは、孔子が論語の中で「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と記述したことが文献初出と言われています。それからというもの、「中庸」という考え方は儒学の中心的な概念として伝統的に尊重されてきたと言われています。

また、「中庸」という考え方は、古代ギリシア哲学の中でもアリストテレスによって倫理学上の一つの徳目として重要視された概念でもあるようです。

アリストテレスは自身の著書である「ニコマコス倫理学」の中で、中間であることを意味する「メソラース」という単語を用い、人間の行為・感情における超過や不足を調整する徳としてこの概念を挙げました。

アリストテレスはこの両極端の中間を知ることが「思慮」であり、徳の中心であると主張しています。この「メソラース」というギリシア語を儒教用語である「中庸」を当て嵌め日本語訳としたと言われています。

一方、中庸の由来や概念として間違えられやすい語として、仏教用語の「中道」という語があります。中道は中庸と少し意味合いが異なり、苦と楽のいずれにも偏らないことや、相対的に対立した一方の概念などに執着しないといった「実践的」な意味を持っています。

「白河夜船(しらかわよふね)の意味と使い方|由来・類語・対義語

【意味】 グッスリと眠ってしまい何が起こっても気付かない状態。本当は知らないのに知ったかぶりをしている様子。
【由来】 ある男が知ったかぶりをした故事から。
【類語】 熟睡する・眠りこける・死んだように眠る・泥のように眠る/薀蓄もどき・能書きを垂れる・耳学問・訳知り顔
【対義語】 輾転反側(てんてんはんそく)・不眠不休・夜を徹して/「造詣(ぞうけい)が深い」や博識である・博学強記・博学広才・博学偉才
【英訳】

現代の日常会話で登場することが余りない言葉でも、会話に上手に織り込むことで会話がグッと締まったり、深みが出る粋な言葉や言い回しが日本語には存在します。白河夜船(しらかわよふね)もそんな言葉の一つだと言えるでしょう。

漢字では白河とも白川とも表記される言葉で、どちらを用いても問題ありません。「住まいの近くでパトカー数台が臨場する大きな捕り物があった様だが、私は白河夜船でご近所の噂話を耳にするまで全く知らなかった」や「海外各地を旅したと豪語する彼の話は白河夜船で聞いていられない」などの用い方ができる言葉です。

白河夜船の意味

白河夜船という言葉は「グッスリと眠ってしまい何が起こっても気付かない状態」を表す場合と「本当は知らないのに知ったかぶりをしている様子」を指す、2つの意味をもつ四字熟語です。

全く異なる意味を表す白河夜船ですが、この四字熟語が作られた由来を知れば2つの異なる意味を持つ四字熟語が生まれたユーモラスな経緯が判ります。

グッスリと眠ってしまい何が起こっても気付かない状態や、本当は知らないのに知ったかぶりをしている様子を、白河夜船という4文字で言い表した日本人の言葉に対する研ぎ澄まされた感覚や遊び心には感心すること然りです。

白河夜船の由来 ・言葉の背景

京都の賀茂川から東山の間の地域はかつて白河と呼ばれていました。

実際に訪れた訳でもないのに京都見物をしてきたと自慢げに嘘をついていた男に、ある人が「白河はどうだったか?」と訪ねたところ、男は白川という名前の川のことを聞かれたと勘違いし、咄嗟に「白川を船が通過したのは夜のことだったから良く判らない」と答えてしまい、嘘がバレてしまいます。

この故事から「グッスリと眠ってしまい何が起こっても気付かない状態」や「本当は知らないのに知ったかぶりをしている様子」を表す白河夜船や白川夜船という四字熟語が生まれたと伝えられています。

白河夜船の使い方


出典:Pixhere

異なる2つの意味を持つ白河夜船ですが、具体的には次のようなシチュエーションに用いることができます。

まずは一つ目のグッスリと眠ってしまい何が起こっても気付かない状態を表す場合は「ウチの子供は旦那に似たのか1度寝付くと白河夜船だから手が掛からなくて楽なものよ」や「家の鍵を落として帰宅したものの妻は白河夜船だから結局朝まで玄関先で過ごすハメになって参ったよ」などと用います。

次に、本当は知らないのに知ったかぶりをしている様子を指す場合は、「あの人の話は白河夜船だから当てにならない」や「彼から教えてもらった情報を当てにした旅行だったけれど、全くの白川夜船で旅先で苦労させられた」などと用いることができます。

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

白河夜船の類語・対義語

グッスリと眠ってしまい何が起こっても気付かない状態を表す場合の白河夜船に対する類語には、「熟睡する」「眠りこける」「死んだように眠る」「泥のように眠る」などの言葉が該当すると言えるでしょう。

対義語には寝付くことができず何度も寝返りと打つ「輾転反側(てんてんはんそく)」「不眠不休」「夜を徹して」などが存在します。

本当は知らないのに知ったかぶりをしている様子を指す場合の白河夜船に対する類義語は 「薀蓄もどき」や「能書きを垂れる」、「耳学問」、「訳知り顔」などネガティブな表現が多いのは致し方ないでしょう。逆に対義語には「造詣(ぞうけい)が深い」「博識である」「博学強記」「博学広才」「博学偉才」などが該当します。

2つの意味を持つ白河夜船


出典:Pixabay

白河夜船が表す2つの意味のうち、グッスリと眠ってしまい何が起こっても気付かない状態を表す物に対しては、睡眠という生理現象を心地良く満喫している状況が連想され何処かユーモラスな印象を受けます。

一方で本当は知らないのに知ったかぶりをしている様子を指すものに対しては、抵抗感を感じてしまいます。他人から白河夜船だと言われないように、知ったかぶるのは止めたいものですね。

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

「質実剛健(しつじつごうけん)」の意味と使い方|明治天皇由来が?

私達の生活の中で何気なく使われている言葉の中でも振り返ってみると、その言われや意味を意外とよく知らない言葉が沢山存在します。

今回は、質実剛健という言葉について紹介していきます。

例えば「彼はとても真面目で質実剛健な人柄だ。」といったような表現を聞いた事がないでしょうか。

さてこの質実剛健という言葉が私達の生活の中でよく耳にする表現です。ではこの言葉がどのような意味を持っているのでしょうか。

質実剛健の意味


出典:ぱくたそ

質実剛健という言葉は、人柄、人間の性質を表すときによく使われます。意味は「真面目で飾り気がなく、心身共にたくましい様子」を意味します。本質を大事にすることで、飾り気なく誠実な人として、本来あるべきとも言える姿を表しているのです。

質は斤二つに貝と書きます。斤は重さをはかる重りに使われた斤を示し、これが二つあるので、重さが等しいことを意味します。貝はお金のことで、古代は今の硬貨がなかったので、貝を貨幣の変わりに使用をしていました。

質は重さが等しい二つのお金を意味し、名目に値するだけの中身を持ち合わせているという意味でもあります。

質実剛健の由来

ではこの質実剛健はどのような由来をもっているのでしょうか?明治維新を遂げた日本政府は、長い鎖国の時代を経て日本が欧米列強に遅れている事に気づきます。

すでに産業革命を遂げて発展している欧米列強に追いつけ追い越せと、様々な分野での改革が始まっていくのですが、その折に明治政府が戊申詔書というものを発布します。その詔書にはこのような一文が中に添えられていたのです。

明治天皇が国民に対し、まさにその後の質実剛健の言葉になっていく「国民への期待」が述べられていたのです。

簡単にまとめますと、「国民は忠実に仕事に励み、勤勉に倹約をして生計を立て、自ら質実を重んじ自らを励み勉め続けなければならない」といった内容の期待が込められた詔書が発布されたのです。

この言葉の内容から、質実剛健という言葉が生まれたと言われています。

明治維新後、統治機構改革を遂げた日本は、従来の日本のあり方では世界に通用しないことを痛感します。国力を高めるには、日本人一人一人の能力を上げていくことが必要だと気づき、このような詔書を出したのでしょう。

質実剛健の例文


出典:ぱくたそ

そんな時代背景から生まれた質実剛健という言葉は、現代の私達にも普通に使われている言葉でもあります。

「彼の家庭は奥さんがしっかりしている。彼自身、質実剛健を旨としているからだろう」といった表現や、「贅沢はせず、質実剛健な生活を送っていくことが、私のモットーです」と言った内容の文章の中で使われることが一般的です。

どの四字熟語にも、由来があります。