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「画竜点睛(がりょうてんせい)」の意味と使い方|由来となった故事も紹介

上司から、「君の作った資料は画竜点睛に欠いていて、すごく見にくいよ。」と言われたらどうしますか。

どのようにその資料を直したら上司の方が満足すると思いますか?そもそも、画竜点睛とはどのような意味なのでしょうか?

お子様がいるご家庭の方は知っているかもしれませんが、日曜日の朝に放送していた番組では「画竜点睛!」という掛け声と共に変身する竜人のキャラクターがいました。

そのキャラクターが、もともとは不完全な状態での変身を余儀なくされていましたが、そのキャラクターが心身ともに成長した時、完璧な状態の変身が出来るようになりました。

その時から、変身するたびに画竜点睛と叫び続けていました。実は、この一連の流れが画竜点睛の本質を表しています。

画竜点睛の意味


出典:ぱくたそ

画竜点睛とは、物事の最後に加える大切な仕上げのことを指します。例えば、仕事でプレゼン用の資料を作っていたとします。文章は全て完成しましたが、大切な事がイメージしにくくて、文だけでは上手く伝わりません。

そこで、資料に図や表などを加えて資料を完成させました。これならば、相手の方にも伝えたいことがしっかりと伝わります。このように画竜点睛とは、なにかを完璧な状態にするために行う仕上げの事を指します。

画竜点睛の由来


出典:写真AC

そもそも、この言葉の由来はどこから来たのでしょうか?

実は画竜点睛は、「歴代名画記」という中国の物語から作られた言葉です。こういった、昔話に基づいて作られた言葉を故事成語と言います。故事とは昔の物語のことで、中国の話から作られた故事成語がとても多いです。

さて、この言葉の由来となったお話を紹介します。 昔々、中国がまだ梁という名前だった時代に張僧繇(チョウソウヨウ)が武帝の命令で、金陵にある安楽寺の壁に竜を4匹描いていました。

ですが、彼は竜の目を描くことはありませんでした。彼曰く、竜に瞳を入れてしまうと絵画の竜が本物になってしまい、どこかへ飛んで行ってしまうらしいです。

実際に2匹の竜に瞳を入れると、驚くべきことに雷鳴を轟かせながら、2匹の竜は空へと昇ってしまいました。

瞳を入れてない2匹の竜は、まだ壁に絵として残っています。瞳を入れるという最後の仕上だけで、それ程の差がついたのです。

画竜点睛は、この話に基づいて作られた故事成語です。

画竜点睛の例文


出典:ぱくたそ

画竜点睛はどういった時に使えるのでしょうか?

一般的には、「画竜点睛に欠く」という表現がよく使われます。

例えば、最初に出した「画竜点睛に欠けた見にくい資料」とは、肝心なことが抜けているかどこかずれていて、相手に主旨がうまく伝わらない資料の事を指しています。

他にも、学校でのテストで完璧に答えたのに名前を書き忘れてしまった時なども「画竜点睛に欠けた答案用紙」と使うことができます。 逆に、一般的には「画竜点睛がしっかりとした資料」「上手く画竜点睛が出来ている作業」というような使い方はしませんが、意味としては誤りではありません。

画竜点睛の類義語・対義語

類義語には、「推敲」という言葉があります。この言葉も中国の物語が元となっていて、文章をより良い表現に修正を重ねて完成させるという意味になっています。例えば、プレゼンに用いるパワーポイントの文章をより分かりやすい言葉へと直していく作業のことを指します。

物事を完璧に仕上げるという点ではどちらも似ている言葉ですが、推敲は作業の途中に使う言葉で、画竜点睛は作業のラストに行う仕上げという違いがあります。 対義語には、「仏作って魂入れず」という言葉があります。

画竜点睛とは逆に、何かをやる際に物事の最も大切な部分が抜けてしまい、不完全なものとなってしまうという意味の言葉です。例えば、手紙を送る際に切手を貼り忘れてしまい、送れなくなってしまう時のような事を指します。もう一つ、「蛇足」という言葉もあります。

こちらも中国の故事が元となっており、完成したものに余計な物を足してしまい、不完全な物にしてしまうという意味です。例えば、上司の前で丁寧な言葉遣いを意識するあまり敬語を余分に重ねてしまい、日本語としておかしくなってしまう時に使います。

どの四字熟語にも、由来があります。

「満身創痍(まんしんそうい)」の意味と使い方|例文も紹介

 「先日、嫌だと言ったのに野球に駆り出されて、車はパンクするし着ていた服は破れるし試合には負けるしでまいったよ」 「まさに満身創痍といえるね」

「満身創痍」という4字熟語、テレビなどのスポーツ中継などでは聞くことはあっても、なかなか日常生活では使うこともない言葉ですよね。

上記の例文で「満身創痍」と言われた人はまさに踏んだり蹴ったりの状態ですが、果たしてこの場合に「満身創痍」という表現は正しい使い方なのでしょうか。そういった部分も含めて「満身創痍」について解説していきます。

満身創痍の意味

「満身創痍」は「まんしんそうい」と読み、「満身創痍」という言葉は、「ひどく痛めつけられて非難をされること」、「手ひどく痛めつけられること」などの意味を表しています。

なので、「満身創痍」は「身も体も痛めつけられて踏んだり蹴ったりの状態」などという意味合いとして捉えれば間違いないでしょう。 

満身創痍の由来 ・言葉の背景


出典:写真AC

「満身創痍」という言葉の背景にはどういったものがあるのでしょうか。まず、体や全身の意味を表している「満身」に、どちらも傷という意味合いを備えている「創」「痍」が重ねて付け加えられています。

同じ意味の言葉を重ねて表現していることにより、全身に傷という傷を負っているという意味合いになり、「全身にこれでもかという傷を負った」ということになるわけです。

さらに、「満身創痍」には身体だけでの傷ではなく、内面的な傷を負ったという意味の表現も含まれておりますので、まさに体から心までボロボロという状態を表していることとなります。

また、「満身創痍」という言葉を使用する場合には、「自分で自分に対して行った行為でボロボロになった」場合ではなく、「誰かに傷つけられてボロボロになった」ということを表していることに気を付けましょう。

そのため、自分からの要望や要求で傷を負ったり精神的苦痛を味わったとしても「満身創痍」とは言わないでの注意が必要です。 

満身創痍の例文を紹介


出典:写真AC

では実際に「満身創痍」とはどういった場面で使うのが正しい使い方なのでしょうか。いくつか例文を上げていきます。

・「ピッチャーの彼は大きな得点差をつけられ満身創痍で投げぬいた」

・「思わぬ事故にあい、満身創痍な姿になってしまった」

・「たとえ満身創痍になっても、この状況を抜け出したい」

・「彼女の競技人生はまさに満身創痍だったといえる」

いずれの場合においても、自ら望んで苦境に立ち傷ついた場合は満身創痍になりませんので、そういった状況的背景も考慮しながら「満身創痍」という言葉を使用するように心がけましょう。

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「一期一会(いちごいちえ)」の意味や使い方|例文や対義語も紹介

「私は人見知りで初対面の人と過ごすのは緊張するが、一期一会を大切にして心をつくしたい」という時などに用いられる、「一期一会」という言葉をご存知でしょうか。

一期一会という言葉は座右の銘や文章の中の一説で耳にすることは少なくありませんが、実際に使うとなると四字熟語として大まかな意味だけを理解しているという人も多いです。そこで、こちらでは一期一会という言葉の意味や由来などについてご紹介していきます。

【意味】 相手と出会っているこの時間は、一生に一度の機会で二度と巡ってこないものであるため、今この時間を大切にして、誠心誠意をこめて相手をもてなすべきであるということ。
【由来】 自身が客をもてなす茶会において、これが一生に一度の会であるという戒めの気持ちをもってあたるべきであるという千利休の言葉から。
【類語】 千載一遇、合縁奇縁、袖振り合うも多生の縁
【対義語】
【英訳】 「Treasure every meeting ( encounter ), for it will never recur」「Live every day as through it were last」「once-in-a-lifetime meeting ( encounter, opportunity, chance )

一期一会の意味は?


出典:ぱくたそ

一期一会の意味は相手と出会っているこの時間が、一生に一度の機会で二度と巡ってはこないものであるため、今この時間を大切にして、誠心誠意をこめて相手をもてなすべきであるというものです。

元々茶会においての訓戒のような言葉でしたので、このような相手をもてなす意味合いとして使われることが多いです。

しかし他にも、普段から顔を合わせる相手でも、いろいろな事情があって、もしかしたら今後全く会えなくなる時が来るかもしれない。だから、そのつもりで相手といるこの一瞬を大切にして、共に過ごさなければならない、という意味合いで使われることもあります。

一般的に知られている一期一会という言葉は、どちらかと言えば出会いを大切にする後者の意味で用いられることが多いです。

一期一会の由来は千利休の言葉にあった!

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一期一会は、元は戦国時代から安土桃山時代にかけて茶の世界で活躍した千利休の言葉であると言われています。

ただし、千利休は自分で文章を残しておらず、利休の弟子であった山上宗二が記した「山上宗二記」という著書に、師匠利休の言葉として残されていたことが証拠となっています。

この著書には、利休の言葉として「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬ヒ畏ベシ」と書かれており、この一節「一期ニ一度ノ会」から一期一会という言葉が生まれています。

ここでいう一期というのは仏教用語で、人が生まれてから死ぬまでの一生を指しています。

また、会というのは会うという意味もありますが、茶人である利休にとっては茶会という意味もあり、自身が客をもてなす茶会において、これが一生に一度の会であるという戒めの気持ちをもってあたるべきであるという内容になります。

和包丁と洋包丁の違いは?|和包丁の種類や覚えておきたい手入れ方法

和包丁とは

料理には絶対欠かせない道具の1つに包丁があります。特に日本料理に携わる料理人にとって、「和包丁」はかけがえの無い命にも代え難い道具の1つです。

一般家庭などでよく使われている包丁は、1本で何種類もの食材を取り扱うことができる「洋包丁」と呼ばれているものがほとんどではないでしょうか。これに対し「和包丁」は、食材により包丁を使い分けることが必要となります。

また、両刃である「洋包丁」と違い、「和包丁」は片刃となります。

さらに、「和包丁」の特徴としては、食材を切った時に包丁に食材がついてくることはありません。そのため、刺身などの生ものを綺麗な切り口に仕上げてくれますので、鮮魚を扱う事の多い日本料理には無くてはならない料理道具と言えるわけです。

和包丁の歴史


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「和包丁」の製造の歴史を紐解いていくには日本刀の生産地を知ることが重要です。「和包丁」と日本刀には非常に強い関連性があるからです。

桃山時代まで日本刀の主な生産地は岡山県(備前)、神奈川県(相州)、京都府(山城)、奈良県(大和)、岐阜県(美濃)の5カ所となっていました。そうした中、江戸時代になると日本刀の需要が減ってきます。それに伴い日本刀の製造量も減る事となりました。

今まで日本刀を製造して生計を立てていた鍛冶屋は、日本刀の生産量が減少する中、刃物に対する知識と経験を活かして包丁や鎌や鍬などの製造に力を注ぐようになりました。そして日本刀の切れ味などを活かした「和包丁」が生まれていくことになりました。そのため初期の「和包丁」は日本刀に近い形だったと言われています。

和包丁の種類


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「和包丁」は食材に合わせて使い分ける事を基本としていますので、非常に数多くの「和包丁」の種類が存在しています。「出刃包丁」は魚を捌くために使われる包丁で刃先が鋭く作られています。

また、野菜を切るために四角く作られている「薄刃包丁」や鮮魚の切断面を美しく見せる「刺身包丁」、その他には菜切包丁(なきりぼうちょう)や鰻裂き(うなぎさき)、鱧切り(はもきり)、鮪包丁(まぐろぼうちょう)、麺切包丁(めんきりぼうちょう)、寿司切り、餅切り、豆腐切り、寒天切り、西瓜切り、菓子切りなど実に様々な「和包丁」が存在しています。

和包丁の良さ・メリット

多くの種類が存在する「和包丁」ですが、その特徴はどの「和包丁」でも変わりません。それは、食材を切った時に包丁に食材がくっついてこないため、包丁に伴う動作が素早く行う事ができることがあります。また、食材を切断しても断面の組織を崩すことはありませんので食材の断面は美しさを保ちます。

和包丁の手入れ方法


出典:写真AC

「和包丁」の切れ味が衰えてきたとしても、しっかりとした手入れを行う事で元の切れ味を取り戻すことができます。 まずは、濡れた布の上に水に浸した砥石をセットします。

そして、砥石に対して「和包丁」を45度に置きます。切刃の角度を保ちながら砥石に「和包丁」をのせ、少し峰を起こし、刃の上に左手の指を3本添えながら一定のリズムで砥石で研いでいきます。 ここで大切なことが、「和包丁」を一気に研いでいくのではなく刃元から先まで4回に分けて研ぐことです。

刃先を指の腹で触ってカエリと言われている金属のザラつきが確認できたら、研ぐ場所を変えていきます。 これを表面と裏面で行い、仕上げに砥石の裏についている木台に「和包丁」の刃を当てて軽く引くことで細かいカエリをとり除いていきます。そしてカエリが綺麗に取れた「和包丁」を水洗いして乾かせば終了です。

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「一蓮托生(いちれんたくしょう)」の意味と使い方|仏教の思想を表した言葉

私達が普段生活している中で使用している「日本語」。コミュニケーションツールとしては、非常に大切なもので、人と人を繋ぐ重要な文化です。言葉なくして文明の発達はありえませんし、もっと言えば人間の進化にもかかわること、と言っても過言出はないでしょう。

そんな言葉ですが、普段の生活ではあまり使わないような四字熟語などがあります。では、まず以下の文章をお読みください。『今日の試合は、惨敗だったね。とても勝てる気がしなかったけど、大丈夫かな?この先不安だよ。』『大丈夫、まだ新しい体制になって初の試合だし、これから一蓮托生で、もっとがんばって行こう』

この文章の中で今回取り上げるのは「一蓮托生」という言葉です。この文章を読んで「一蓮托生」の意味を掴むことはできましたか?

これからこの「一蓮托生」という四字熟語について、その意味や使い方、例文、由来などを説明していきます。

一蓮托生の意味


出典:ぱくたそ

「一蓮托生」の意味ですが、運命やこれから先のことを仲間と共にすることです。

つまり、運命共同体のようなものです。この四字熟語を分解して解説します。「一蓮」は、1つの蓮の花を表します。「托生」は、命を預けるという意味があります。

結果、どうなっても行動や運命を共に歩んで行こうということです。もう1つは、仏語で「死後、極楽の同じ蓮華の上に生まれること。」を意味します。

一蓮托生の由来

「一蓮托生」は、元々は仏教の考えからきています。『生きているうちに良い行いをした人は、あの世へ行っても極楽浄土で同じ蓮の上に生まれ変わることができる。』という仏教の思想から生み出された。こうして考えてみると、「一蓮托生」という言葉1つの重みも感じますね。

一蓮托生の例文


出典:ぱくたそ

ここでは「一蓮托生」の具体例をあげて、どんな時に使えるのかを、説明致します。

「この戦いには、絶対負けられない。どんなことがあっても、死ぬ時も生きる時も全員一蓮托生だ。」

スポーツの試合での絶対に勝たなければならない重要なゲームにおいて、一致団結して死ぬ気で頑張ろうと、メンバー全員の意思統一と気持ちを1つにまとめる場合などに使えます。

「君と僕は夫婦なんだ。夫婦とは、一蓮托生で困難にも、向かっていかなければ、ならないんだよ。」

夫婦というのは、互いに命を預けて支え合いながら、共に歩んでいかなければならない存在であるということです。生計と生活を共にし、一生寄り添って生きる夫婦は、まさに運命共同体と言える関係です。

その他には、以下のような文例があります。

「旅行の途中に巻き込まれた事故で、それまで知らないもの同士の他人が、一蓮托生で助け合い、難を逃れた」

知らない者同士の間でも、一致団結さえすれば、一連托生にはなれるのです。上記3つのような文章で、一蓮托生という言葉は使うことができます。ぜひ機会があれば、忘れないためにも積極的に使ってみてください。

一蓮托生の類義語・対義語

「一蓮托生」と似ているような意味を持つ類義語としては、以下のようなものがあります。

・同腹一心(どうふくいっしん) 同腹一心とは、「志を同じくすること」「一致した心を持つこと」「連帯責任」などを意味します。

・運命共同体 前述の例文でも、度々登場した言葉です。意味は、運命を共にする人々ということです。夫婦や、同じ会社に属する人、グループや団体などです。

・一致団結 たくさんの人が1つの目的のために集まることです。

「一蓮托生」の対義語としては以下の者があります。

・分崩離析(ぶんぽうりせき) これは組織などがバラバラになることを意味します。

どの四字熟語にも、由来があります。

「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の意味と使い方|薪の上で寝て、肝を舐める?

2018年に行われた平昌オリンピック。日本の選手は素晴らしい活躍を私たちに見せてくれました。

その中でも小平奈緒さんの活躍は素晴らしいものでした。金メダル候補と言われながらも、なかなか金メダルを取れなかった彼女は、様々な試行錯誤と努力の末金メダルを勝ち取りました。

まさに彼女の金メダルは臥薪嘗胆の末に獲得できた素晴らしい成果だと言えるでしょう。

さて、この様な文章の中で使われる臥薪嘗胆という四字熟語は実際とのような意味をもっているのでしょうか?

臥薪嘗胆の意味

上の例でもおおよそ検討がつかれているかもしれません。この臥薪嘗胆は「目的を果たすために、様々な苦労をして必死で努力をすること。」を意味しています。

臥薪嘗胆の由来


出典:ぱくたそ

さてこの臥薪嘗胆という言葉は、中国の故事から生まれてきているのを御存知でしょうか?

その故事をひも解いていきたいと思います。今から2500年ほど前、中国には呉と越という二つの国が激しく争っていました。

ある時その呉と越が激しい戦いをし、その戦いで呉の王様が傷を負い、死んでしまいます。

王様に夫差という息子がいました。夫差は父の死を悲しみ、父の敵を討つと心に固く誓います。そしてこの夫差、父の死の無念を晴らすため悔しさを忘れぬように、その後は薪の上で寝て、体に痛みを与えるともに日々を過ごしていきます。

そんなある日、父の敵を心に固く誓った夫差に父を死に追いやった越王と戦うチャンスが訪れます。夫差はこの戦いで越王に見事勝利します。

しかし、戦いに敗れた越王は、とても悔しく戦いに敗れたその日から獣の肝を嘗(な)めて、その苦味で敗戦の口惜しさを忘れぬように日々を過ごしていきます。再び時が流れ、攻勢を盛り返した越王は夫差に戦いを挑み、見事戦いに勝利します。

臥薪嘗胆という言葉にはこんなエピソードが隠されていたのです。

臥薪嘗胆の例文

臥薪嘗胆という言葉は以下のような文章の中で使われます。

「目標の大学に入学をするため、必死に辛い勉学に励み臥薪嘗胆の思いで合格をした」という文章だったり、「会社で自分の提案した事業案は、他人の批判を受けたけれど、様々な苦労の末壁を超え、臥薪嘗胆の思いで実現にこぎつけた」などチャレンジ精神あふれるシチュエーションで使われます。

臥薪嘗胆の類語、対義語


出典:ぱくたそ

同じような言葉として使われるのが、汚名返上や名誉挽回といった言葉が一般的にも皆さんの生活でよく使われるのではないでしょうか?

いずれも逆境の中努力をして、目的や成果を果たすという意味合いで使われます。全く反対の意味合いを持つ言葉としてよく知られているのが、「漁夫の利」や「濡れ手に粟」といった言葉です。いずれもあまり苦労をせず成果を得る、といった意味合いでよく使われます。

どの四字熟語にも、由来があります。

「曖昧模糊(あいまいもこ)」の意味と使い方|国語から学ぶ人生観

「彼の言うことはいつも曖昧模糊としていてハッキリしない」など、しばしば会話や文中に登場することがある「曖昧模糊(あいまいもこ)」という言葉は、なんとなく知っているし、意味も理解している方は多いと思います。

しかし、曖昧模糊の意味をしっかりと説明せよと言われると、多くの方は意味を掴めていないのではないでしょうか?

漠然と、ボンヤリとしか判らない、まさに曖昧模糊とした理解しかしていない方は少なくないでしょう。 そんな曖昧模糊とした「曖昧模糊」という言葉を掘り下げて紹介します。

曖昧模糊の意味


出典:ぱくたそ

四字熟語である曖昧模糊は「曖昧」と「模糊」の2つの言葉が重ねられています。

双方ともハッキリしない、ボンヤリとしているという意味を持ち、繰り返すことで不明確さを強調しています。

曖昧という言葉は常用語として現在でも良く使われる言葉ですね。漠然としていてハッキリしないことを表します。

「一体どっちなの?そんな曖昧なこと言っていちゃ判らないでしょ!」という会話は耳にしたことがあると思います。

一方、模糊という言葉は現在ではあまり使われることのない言葉です。この言葉は、ボンヤリとしてハッキリしないイメージを伝えます。「この模糊とした事件の真相が解明されるには時間が掛かりそうです。」というような使い方をします。

曖昧模糊の由来

中国にも曖昧模糊という漢語が存在します。読み方は「Àimèi móhú:アイメイ・モゥフゥ」、曖昧を構成する曖も昧も薄暗い状態を意味し、ハッキリと判別できない状態を指します。

模糊は、「刹那(せつな)」に代表される、仏教独特の時間の単位の1つとして存在します。また、雲や霧、霞が立ち込めてハッキリしない状態を指す「雲煙摸湖」という言葉も有るように、やはりフォーカスが合わずハッキリしないような状態を指します。

曖昧模糊という言葉は、中国から漢字や仏教と共に、日本に伝わったのではないかと考えられています

曖昧模糊の例文


出典:ぱくたそ

物事や状況がハッキリしない状態や、明確でない意見に対して使用する曖昧模糊という表現は、生活を送る上で様々なシチュエーションにおいて登場します。

例えば仕事の打ち合わせ中には、「提示情報がこれだけ曖昧模糊としている状態では、決定することができない。」というやり取りが交わされることもあるでしょうし、カップルや夫婦の間では、「あなたの話すことはいつも曖昧模糊としていて理解できない。」という会話がある場合もあります。

「議員の答弁はいつも曖昧模糊としていて全く核心に触れることがない」や「記者会見での発表は曖昧模糊としていて、真実が明かされることがなかった」などでも曖昧模糊という四字熟語が使われます。

曖昧という言葉に置き換えることも可能ですが、曖昧模糊という四字熟語は同じ意味を繰り返すことでハッキリとしていない状況をより強調しますので、ネガティブな意味合いがより強くなると言えるでしょう。

曖昧模糊の類語・対義語

曖昧模糊という四字熟語と同じや、似た意味を持つ類語として挙げられるのは次の言葉です。

・朦朧模糊(もうろうもこ)
・雲煙摸湖(うんえんもこ)
・有耶無耶(うやむや)

どの言葉もハッキリと明確でない状態を表します。

逆にハッキリと明確な状態を表す曖昧模糊の対義語は、広義では明々白々(めいめいはくはく)や事理明白(じりめいはく)があります。狭義では一目瞭然(いちもくりょうぜん)などがあります。

どの四字熟語にも、由来があります。

「竹馬の友(ちくばのとも)」の意味と使い方|類語・対義語・由来

「彼は竹馬の友だ」といった文章がありますが、これがどのような友人を表すのかをご存知ですか?

こうした言葉を明確に、そして的確に使うことができるようになるには、意味はもちろんのことその成り立ちを知っておく必要があります。このような故事成語を正しく使うことかできるようになると、文章が引き締まりますね。

【意味】 昔から一緒に遊んでいた友人
【由来】 桓温(かんおん)という中国の英雄が殷浩(いんこう)という人物に対して放ったセリフから。
【類語】 親友・旧友・知己・知音・刎頚(ふんけい)の友
【対義語】 宿敵・怨敵
【英訳】 childhood friend

「竹馬の友」の意味


出典:写真AC

竹馬の友という言葉の意味は、簡単に言うと「幼馴染」です。つまりは、昔から一緒に遊んでいた友人ということです。仲の良さの程度に関しては特に関係はありませんが、基本的には仲がよい幼馴染のことを指す場合が多くなっています。

現代の日本では間違いなくそう使われていることになります。「友」とついている時点でそれなりに好意的な関係であることは分かりますね。

「竹馬の友」の由来


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竹馬の友の由来ですが、これは故事が元になっています。

竹馬は「ちくば」と読み、「たけうま」のことになります。子供のころに今でも遊ぶことがあろう竹馬です。

その故事は、桓温(かんおん)という中国の英雄が殷浩(いんこう)という人物に対しての評価として言ったことであり、「殷浩は私は子供の頃によく竹馬で遊んでいたが、いつも私が捨てた竹馬に乗っていたのが、殷浩だった」という桓温のセリフが由来になっています。

今でこそ竹馬の友は「仲のよい幼馴染」という意味になっていますが、元々の意味合いでは、自分の後塵をいつも拝していたやつだった、という意味になります。

その元々の意味合いというのは、現代では知られていませんし、そのような意味で使われていることはありません。

竹馬の友というのは仲がよい幼馴染の友人ということになります。

「竹馬の友」の使い方


出典:ぱくたそ

竹馬の友とはどのような場面で使うことができるのでしょうか?

まず、相手に友達を紹介するときなどに使うことができます。「こいつは竹馬の友の○○です」という紹介をすることができます。

さらには、人の紹介文としても使えるでしょう。例えば結婚式のスピーチでその人を紹介するときに、次に竹馬の友として付き合いがある~、という風に使うことが可能です。

四字熟語の由来を知る

「和魂洋才(わこんようさい)」意味と使い方|歴史的背景もチェック


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日々私達が何気なく使っている日本語は、様々な意味や、時代背景や歴史的な由来を持って今に至っているのを皆さんは御存知でしょうか?

今回ご紹介する言葉も、実は様々な時代背景をもって現代の私達に使われているものなのです。

「彼は海外で料理の修行をしてきたのだけど、日本に帰ってきた彼の料理はそんな彼の背景をうまく映し出した、和魂洋才のお料理に仕上がっているね。」とこんなフレースを耳にされたことはないでしょうか?今回皆さんにご紹介するのは、「和魂洋才」という言葉です。

【意味】 日本の良き精神を残しつつ、西洋の優れた部分を加味させ、それらを融合させてより優れたものを作り出す、もしくは相乗効果でより良いものにすること。
【由来】 明治時代の自分たちのアイデンティティを大事にしつつも、欧米の優れたところを取り入れて、より優れたものを生み出そうとする動きから。
【類語】 「和魂漢才」「和洋折衷」
【対義語】 「中体西用」
【英訳】

和魂洋才の意味


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では、この「和魂洋才」と言う言葉はどのような意味を指しているのでしょうか?

「和魂洋才」と言う言葉は、日本の良き精神を残しつつ、西洋の優れた部分を加味させ、それらを融合させてより優れたものを作り出す、もしくは相乗効果でより良いものにする、という意味を持っています。

和魂洋才の成り立ち


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ではこの「和魂洋才」はどのような歴史的背景や由来を持っているのでしょうか?この「和魂洋才」という言葉が生まれたのは明治時代になります。

江戸時代の鎖国政策により、日本は海外から閉ざされた国でした。そこへ江戸末期に、皆さんも御存知のペリーが来航することにより日本は開国を迫られ、日本は尊王派(そんのうは)と攘夷派(じょういは)と2つに分かれて争うという事態に陥ります。その後、大政奉還を経て明治政府が出来上がり、日本は一気に体制と政策を転換していきます。

開国を遂げた日本は、様々な知識層が欧米へ勉学に出て行きます。海外の発展を目の当たりにし愕然とした彼らは、追いつけ追い越せと必死に海外で学び日本へ欧米の技術を持ち帰ります。その後日本は大きく近代化を進めていくことになります。

その様な中で、自分たちのアイデンティティを大事にしつつも、欧米の優れたところを取り入れて、より優れたものを生み出そうとする動きが現れます。その明治時代の彼らのスピリッツを示した言葉として「和魂洋才」という言葉が生まれました。

この言葉の由来は、それより時代の遡ること、平安時代の学者である菅原道真公が同じような意味の言葉を残している事から来ていると言われています。学問の神様としても知られる菅原道真公が生きた時代は、明治の時代とある意味似たところがありました。

当時は大和の国の中に、中国の学問と文化が流入してきており、菅原道真は大和の国の精神も大事にしつつ、中国の優れた学問を取り入れることの重要性を説いています。

後の世に、そんな菅原道真公の精神を表した言葉として和魂漢才という言葉が江戸時代の世に広まりました。こういう背景から取ったのでしょう、和魂洋才と言う言葉ができたとされています。

「博覧強記(はくらんきょうき)」の意味と使い方|類語・対義語

 

【意味】 幅広く多くの書物を読んでいて、知識が豊富であるさま。また、物事をよく知っており、

記憶力も優れているさま。

【由来】 劉邦軍のほかの兵士がすぐに目につきやすい金銀財宝を奪っていったのに対し、この家臣はその貴重な書物の山を見て「宝の山だ」と叫びました。そして彼は、のちに他の家臣が遠く及ばないほど、多くの知識を身につけたことから。
【類語】 博聞強記、博学多識、博学、碩学、博識
【対義語】 寡聞浅学、浅学菲才
【英訳】 「encyclopedic knowledge and strong memory」「extensive reading and tenacious memory」

「博覧強記」とは?


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「あの人は一度聞いたことは良く覚えているし、何を聞いてもすぐに答えられるし、まさに博覧強記の人物だ」といった時に使う「博覧強記」という言葉をご存知ですか?

博覧強記という言葉は、日常会話ではそれほど頻繁に耳にするものではありませんが、類義語を聞けばその意味がすぐに思い当たる人も多いのではないでしょうか。

類義語の多いこの博覧強記という言葉ですが、それぞれの類義語ごとに少しずつ意味が異なってくるということがあるので、詳しい意味をきちんと調べた上で使いたいですね。

あまり馴染みのないこの博覧強記という言葉、要所要所で使えると周りから一目置かれる存在になれるかもしれません。

この記事では、博覧強記という言葉の意味や由来、適切な使い方などをご紹介していきます。ぜひ参考にしてみてください。

博覧強記の意味とは


出典:写真AC

博覧強記の意味は、幅広くたくさんの書物を読んでいて、知識が豊富であること。または、物事をよく知っており、記憶力も優れているというものです。

博覧強記の博覧という言葉は、古今東西数多くの書物を読んでいるということで、知識が豊富な様子を表します。

一方、博覧強記の強記という言葉は記憶力に優れている、物事をよく覚えているということです。

意味としては、博識で記憶力が良いということを褒めているように感じられます。

しかし、近年では、知識が豊富な一方で柔軟な考え方ができない、実用的に想像力や決断力が乏しい「頭でっかち」という意味で使われることもあるため、用いる際にも意味を考える際にも注意が必要です。

博覧強記が原義どおりのポジティブな意味で使用されているか、あるいはネガティブな意味で使用されているかは、前後の文脈で判断するしかありません。

博覧強記の成り立ち


出典:ぱくたそ

博覧強記という言葉は、中国の故事に由来しています。その昔、中国の戦国時代に、劉邦(りゅうほう)という人物がいました。この劉邦はのちに漢という一大帝国を建国します。

劉邦の軍が相手の城に攻め込んだ際、同行していた家臣が多数の書物を見つけ出したのです。この当時は活版印刷の技術もなく、文字を手書きで写すことしかできなかったため、書物は非常に貴重なものでした。

劉邦軍のほかの兵士がすぐに目につきやすい金銀財宝を奪っていったのに対し、この家臣はその貴重な書物の山を見て「宝の山だ」と叫びました。そして彼は、のちに他の家臣が遠く及ばないほど、多くの知識を身につけたのです。

このような先見の明や、得た知識を忘れずに覚え、自分のものにした才覚を称賛して、博覧強記と言われるようになったのです。

博覧強記という言葉の、知識だけがあっても自分のものにしたとは言えないという否定的な意味合いは、最近になって広まってきたといわれています。記憶力だけは良くても、単に覚えているだけで実学としては役立てていないという人が増えてきたということがあって、本来の意味から変化してきたと考えられています。

どの四字熟語にも、由来があります。

博覧強記の使い方をチェック


出典:写真AC

博覧強記という言葉を使う時には、その人物のことをどう感じているか、相手にきちんと伝わるような文脈でいう必要があります。

例えば、その人の記憶力の素晴らしさを褒めるつもりで使っても、聞いている相手は頭でっかちという意味に受け取らないとも限りません。

そこで、相手を褒めるときには、

「先日出会った人は、いろいろな分野に興味を持っていて、詳しく調べるのが好きらしい。しかも、それを自分のものにして、さらに新しい研究や考察を進めるのでとても感心した。ああいう人を博覧強記というのだろうね。」

などのように、前後の文脈から褒めていることがわかるように使いましょう。

また、さりげなく相手に意見するときなどは、

「君は博覧強記で感心するけれど、せっかくの知識をもっと活用すればさらに素晴らしい研究になると思うよ。」

などのように使えば、どちらの意味でも嫌味に感じられることはないでしょう。

文脈によって意味が変わってしまう言葉というのはなかなか使いづらいところがありますが、博覧強記は使いこなせれば会話の表現の幅がぐっと広がる言葉ですので、積極的に使ってみましょう。