takeuchimaaya

「三寒四温(さんかんしおん)」の意味と由来|使い方や例文も紹介

うららかな春の陽気を感じますが、まだまだ寒さを感じる日もある春先。

そんな寒暖差を感じる春先にぴったりな四字熟語があります。一週間の間に暖かい日や、肌寒い日が交互に繰り返される春先を、四字熟語で「三寒四温」といいます。三寒四温は手紙の時候のあいさつとしてよく使われる言葉です。

それでは使い方の例を1つ挙げてみましょう。

「三寒四温といいますように、春先はしばらく寒暖差の激しい日々が続きますので、どうかお体ご自愛下さい。」

このように相手の体を気遣うための言葉として使うことが出来ます。

三寒四温の意味


出典:ぱくたそ

前述したように三寒四温の意味とは、一週間の中で暖かい日と寒い日が数日ごとに交互に訪れる春先を指します。

ですが、実は三寒四温は元々の意味としては春先を指す言葉ではありませんでした。本来は冬に使われる言葉でしたが、地球温暖化やシベリア高気圧などの気圧の影響で、冬に三寒四温が訪れることはあまりないので、近頃では冬ではなく春先の寒暖差のある時期を指す言葉として使われるようになりました。

つまり時代や地球温暖化や気圧の影響による気候の変化に応じて、三寒四温を指す時期が変わっていったのです。

三寒四温の由来


出典:ぱくたそ

ここでは三寒四温の由来について紹介していきましょう。

三寒四温の由来は、朝鮮半島や中国などの大陸で、シベリア高気圧の影響により真冬の寒暖差のある時期を指す言葉として使われていました。

そして前述したように、冬の寒暖差のある時期を指していた三寒四温が、いつしか日本でも使われるようになります。

最初は中国や朝鮮半島同様冬の寒暖差を表す言葉として使われていましたが、日本ではあまり冬に見られなかったので、次第に時期をずらし春先を指す言葉として浸透していき、2月の手紙の時候のあいさつとして使われるようになりました。

もともと三寒四温は日本の気候を指す言葉ではなく、気候も異なっていたため日本の気候に合わせて本来の意味とは異なる時期に使われるようになったのです。

寒い日に最適、石狩鍋のレシピ

「千変万化(せんぺんばんか)」の意味や使い方|類語対義語も紹介

「花鳥風月(かちょうふうげつ)」の意味と使い方|能楽師・世阿弥の言葉

「公明正大(こうめいせいだい)」の意味と由来|例文も紹介

「あの人は、公明正大な人だ」「その裁決は、公明正大だ」など、ざっくりいえば「正しい」という意味で何気なく用いられている「公明正大」という言葉ですが、正確にはどのような意味があるのでしょうか?

公明正大の意味

「公明正大」は、「公明」と「正大」という二つの熟語からなる熟語です。 「公明」とは「公平で、不正や隠しだてがないこと」。

「公」という字は「おおやけ」とも読み、「広く世間一般」を指します。

公明とは「広く世間一般に対して、明らかにオープンにされている」という意味なのです。

一方「正大」は態度や行動が正しく、堂々としていること。正しく、かつ自信をもって大きな構えでいることです。

公明正大の由来


出典:ぱくたそ

前述したように、「公明」と「正大」という二つの語から慣用的に成立した四字熟語です。ちなみに、このような成り立ちであるため、ときどき見かける「公正明大」という言葉は誤用となります。辞書にも載っていません。

「公正」といえば「公平で偏っていないこと」を示すれっきとした熟語ですが、「明大」とすると「明治大学の略称」となってしまいます。気をつけましょう。

同様に「公明盛大」「高明正大」「高名正大」などと書いても誤りになります。間違われやすい単語ですが、「公明正大」が正しい表記となります。  

ここで、語源についてもうひとつ深く掘り下げてみましょう。 「公」という字のもとは「大宅(おおやけ)」つまり「大きな家」を表わします。

家族や集落といった小さな単位で住む「小さな家」に対して、大きな単位である「皇居」「天皇」「朝廷」さらには「政府」「官庁」そして「公共機関」を表わす意味に転じた語が「公」なのです。

公明正大の例文


出典:ぱくたそ

「公明正大」はどんな場面で使えるのか?用例を紹介致します。  

上記のように「公」という字が「政府」「官庁」そして「公共機関」を表わすことから、「公明正大」という言葉は、公的機関の正式な文書などでも広く用いられています。

使い方の例としては「その裁判の判決は、公明正大だ」。

裁判というのは基本的に傍聴席を設けてオープンな環境で行なわれることが定められている営為であり、被告人の人生を左右しかねない重要な場面ですから、「公明正大」でなくては困りますね。  

樋口一葉の『この子』という作品の中でも、次のように使われています。

「此裁判の判決次第で生死の分け目に成りますなどと言つて、原告だの被告だのといふ人が頼み込んで來たも多くあつたれど、それを私が一切受附けなかつたは、山口昇といふ裁判官の妻として、公明正大に断わつたのでは無く、……」  

司法を受け持つ裁判のみならず、立法、行政、いずれの立場でも「公明正大」な決議を出してほしいものです。

どの四字熟語にも、由来があります。

「五月雨(さみだれ)」の意味と由来|五月の雨ではありません

五月雨という言葉の意味をご存知ですか?「さつきあめ」と読むこともありますが、ここでは「さみだれ」です。

その昔、松尾芭蕉が「五月雨を集めて早し最上川」という句を詠みました。芭蕉が最上川を舟で下っていたとき、五月雨の大量な雨水を全てひとつに集めたかのように感じて作った句です。

雨という漢字が使われているくらいですから、五月雨とは文字通り「雨」です。それでは一体、どんな雨のことを指しているのでしょうか。

五月雨の意味


出典:ぱくたそ

一番間違えられやすいのが、雨の降る時期です。五月の雨とは書きますが、実際には5月に降る雨を指しているのではありません。旧暦の5月の雨です。

つまり、新しい現在の暦では、梅雨の時期に当たります。 「だらだらと降り続く梅雨の長雨」という意味だとしたら、芭蕉が大量の川の水を「五月雨」に例えたのも頷けますね。

また、そこから転じて、梅雨の長雨のようにいつまでもだらだら続いていく様子を例えて使われることもあります。「五月雨式」という言葉を耳にしてことはありませんか?

五月雨の由来


出典:ぱくたそ

意味を確認したところで、次は「五月雨」という言葉の由来を見てみましょう。このまま読むと、「ごがつあめ」とで読んでしまいそうですが、実際の読み方は「さみだれ」です。

「さ」は「皐月・五月(さつき)」や「早苗(さなえ)」という言葉に共通しており、古語では「神に捧げる稲」を表します。「みだれ」とは「水垂れ(みだれ)」のことです。

つまり、雨が降るという意味の言葉だと言われています。 梅雨に降る雨であるため、梅雨と同じ意味で使われる場合もあります。しかし、季節を意味する梅雨に対して、五月雨は長雨そのものを示しています。

どの四字熟語にも、由来があります。

「明鏡止水(めいきょうしすい)」の意味と使い方|類語・対義語

「あと少しで優勝できるという欲が出てきたら、集中力が途切れて負けてしまった。次の機会には、明鏡止水の心境ですべての試合に挑みたい」などのように使われる、「明鏡止水」という言葉をご存知でしょうか。

この言葉は耳にすることも多く、漠然としたイメージを持っている人も少なくありませんが、正確な意味については案外知らない人もいます。

そこで、こちらでは、明鏡止水の意味や由来、使い方などについてご紹介していきます。

【意味】 「鏡のように明らかで穢れがなく、水が止まっているように静かである」
【由来】 荘子の『徳充符』にある「明鏡」・「止水」という2つの話から。
【類語】 「心頭滅却」「虚心坦懐」
【対義語】 「疑心暗鬼」「意馬心猿」
【英訳】

明鏡止水の意味とは?


出典:ぱくたそ

明鏡止水という言葉の意味は、「鏡のように明らかで穢れがなく、水が止まっているように静かである」というものです。

つまり、明鏡止水は単に邪心や悪意がないというだけではなく、静かで落ち着いているというだけでもありません。

例えば、気持ちが澄み切っている人でも焦りや戸惑いがあれば明鏡止水とは言えませんし、同様に、冷静沈着な人物でも、そこに欲があればこの言葉は使えないのです。

明鏡というのは曇りや汚れがついていない澄んだ状態の鏡のことで、止水というのは波紋や流れなどの動きが見られない、静止している水のことです。

明鏡止水の成り立ち


出典:ぱくたそ

明鏡止水という言葉の由来は、2つの話から成り立っています。

出典は同じで、荘子の『徳充符』に「明鏡」「止水」の2つの話が見られます。

「明鏡」の方は立場の異なる二人の人物が同じ師から学んでおり、一方が見下した発言をしたときに、もう一方が「素晴らしい人に長く師事していれば、鏡の曇りが取れるようによこしまな気持ちは消えていく」と反論したという話です。

一方、「止水」は刑を受けた人物の元に多くの弟子が来るという状況について、孔子が「止水のように穏やかな人は周りにも安らぎを与えてくれるため、人が集まりやすい」と説明したという話です。

「三々五々(さんさんごご)」の意味と使い方|由来や英訳もチェック

「三々五々」という四字熟語をご存知でしょうか?  

例えば、「三々五々集まる」「三々五々帰っていく」など 漢数字を二種類、漢字を四つつなげただけの非常にシンプルな四字熟語ですが、どのような意味が込められているのでしょうか?

ちなみに「々」という字は正確には漢字ではなく、「繰り返し」を表わす記号です。その形から「ノマ文字」とか、前に同じという意味で「どう」とも呼ばれます。

なのでパソコンで打ち込む際には「のま」と打っても「どう」と打っても「繰り返し」と打っても、変換候補に「々」が出てきます。  

ですから記号で省略せずに「三々五々」を「三三五五」と書いても、誤りではありません。 むしろ「三々五々」は「三三五五」と書くほうが省略していない正確な書き方で、実際に『大辞林 第三版』で引いてみると、見出し語は「三三五五」となっています。

【意味】 あっちに三人こっちに五人というように、人が行く、居るさま。または物が散在するさま。
【由来】 中国・盛唐期の詩人李白(りはく/701~762)の漢詩「採蓮曲(さいれんきょく)」より。
【類語】 離散・散開・ばらばら・散り散り
【対義語】 「時間ぴったりに勢ぞろいする」「一斉に解散する」

三々五々の意味


出典:写真AC

「三々五々(三三五五)」の意味は「あっちに三人こっちに五人というように、人が行く、居るさま。または物が散在するさま」です。

あちらこちらと、まばらに人が散在することを表した四字熟語が「三々五々(三三五五)」なのですね。本当に日本語とは奥深く、興味深いものです。

三々五々の由来


出典:写真AC

「三々五々」がなぜ「二々四々」や「四々六々」でなく、「三々五々」なのかは定かではありませんが、出典は、中国・盛唐期の詩人李白(りはく/701~762)の漢詩「採蓮曲(さいれんきょく)」に求めることができるようです。

その一部に「三三五五垂楊(すいよう)に映ず」というフレーズがあります。現在、列記とした日本語として成り立っている熟語ですが、元は漢詩なのですね。

とはいえ、中国から入ってきた語に日本人が深い意味を見出し、こなれた形に洗練していったことは事実です。

ちなみに「三」という数字は、古くから日本が神聖視してきた数字でもあります。歴代の天皇が皇位のしるしとして受け継ぐという神器は、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の「三種の神器」となっています。

徳川家康が、自分の子を祖として立てた尾張家、紀伊家、水戸家の総称が「御三家」。三組の杯を使って、一つの杯で三度ずつ酒をすすめる神事の儀式を「三三九度」。これは現在、神前式の結婚式で行なわれていますよね。  

ことわざも沢山あって、「三度目の正直」「仏の顔も三度まで」「石の上にも三年」「三つ子の魂百まで」などなど。挙げればキリがありません。  

ほかにも、日本人は「日本三大○○」という形で名所や名物をまとめることを好んでいます。 「三」は奇数であり、平安時代から続く陰陽思想においても区切りがよく、縁起がよいとされてきました。

「三々五々」にも、そういった日本人の心性が表われているのかもしれませんね。二でも四でもなく「三」は、多すぎず少なすぎず、ちょうどいい数字なのです。

どの四字熟語にも、由来があります。

「一衣帯水(いちいたいすい)」の意味や使い方|例文、類義語対義語

 「A社とは一衣帯水の関係、相手が困っているなら協力するべきだ」というように、小説や演説中では一衣帯水という言葉を使うことが多々あります。

普段は滅多に聞くことのない一衣帯水とは一体どのような意味を持つ言葉なのか、由来や類語、対義語も併せてご紹介します。 不意に上司などから「一衣帯水」という言葉を聞いたときに「それってどういう意味?」とならないよう、しっかり学んでおきましょう。 

一衣帯水の意味


出典:写真AC

一衣帯水(いちいたいすい)とは、まるで1枚の帯のようにとても細くそして長い川、あるいは海峡のことです。 一は1つの、衣帯は着物の帯のことで、水とはこの言葉では長い川や海のことを指します。

例えばA村とB村の間には、細くそして長々と続く川があるとしましょう。 それはちょっとジャンプするとすぐにお隣の村へと行けるくらいに細い川です。 細い川(あるいはちょっとしたこと)が隔たりとなっているだけで、そのくらいA村とB村は近接している、深い関係にあるという意味を持つ言葉なのです。

一衣帯水の由来/言葉の背景/語源


出典:写真AC

一衣帯水という言葉がどこから生まれたのか、それは李延寿の南史陳後主紀のある文が由来となっているともいわれています。

それは「我為百姓父母、豈可限一衣帯水、不拯之乎」という文章です。 これを簡単に現代語訳にすると、「私は民衆のトップに立つ存在。揚子江という隔たりを理由として民を救わないなんて決めてはいけない」となります。

陳の君主がとても悪い政治を行ったことで、そこに住む人々は苦しめられていました。 そうした状況を見た隣の国の文帝が「困った人を助けたい」という気持ちから「我為百姓父母、豈可限一衣帯水、不拯之乎」と発し、陳を成敗したのです。

つまり一衣帯水とは、物理的な距離は近く、その両者の間には隔たりがあるという言葉といえます。 「日本と○○(他の国)は一衣帯水、これからは協力関係にならなければならない」など、国と国の関係を表す言葉としても用いられることがあるでしょう。

一衣帯水の例文を紹介


出典:写真AC

一衣帯水は以下のようなときに使用します。

・A国にとってB国は一衣帯水の隣国、それなのにどうしていつも争っているのでしょう。

・A社と弊社は一衣帯水、困ったときはお互いさまです。

・我々は一衣帯水であるということを胸に、これからもより会社を盛り上げていかなければなりません。

一衣帯水は日常会話で使うよりも、演説などで用いられることが多いでしょう。 ちょっと難しい言葉のように聞こえますが、要は「AとBは近くて深い縁をもつ者同士ですよ」ということです。

住んでいる場所が違ったり、役職が違ったりもするけれど、あなたと私はとても密接した関係にありますよ、ということを表す言葉なのです。 

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

「大義名分(たいぎめいぶん)」の意味と使い方|政治の場でよく使われる言葉

皆さんは「大義名分」という言葉をよく耳にされたことがあると思います。次のようなフレーズで使われるのを聞いたことがないでしょうか?

「今度の選挙は首相にとって大義名分がない選挙になっていますね。」テレビの番組でコメンテーターの方や解説者の方が、政治の話になるとよく使うあの言葉です。

コメンテーターやニュースの解説者だけではなく、政治家もよく使っているのを耳にしたりしますよね。

ではこの大義名分という言葉は本来どのような意味をもっているのでしょうか?

大義名分の意味


出典:ぱくたそ

大義名分という言葉は、「その行動を起こすために正当な根拠や理由」を指します。

大義名分の由来

さてこの大義名分という言葉が一体どこから生まれた言葉なのでしょうか、紹介していきます。

古代中国に春秋という年代記があり、五経の一つとされている史書があります。

この春秋という歴史書はその時代に起こった事象や政治などの記載がされていました。

その春秋に儒教思想家であった孔子が、解説や批判などを書き加えて完成したのが「春秋の筆法」と言われています。

この春秋の筆法は歴史の厳しい批判書ともされており、その中でも「大義名分の書」というものが書かれています。大義名分という言葉は、その書から由来をしているのですが、その書の中でこんな言葉が書かれています。


出典:ぱくたそ

「非理法権天」という言葉です。この言葉は次の様な内容を指しているとされています。「非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は時の権力に勝たず、時の権力も天には勝てない」。この一文の中の「天」という文字が「大義名分」を指します。

孔子による厳しい歴史批判にも耐える「道理」という意味で、大義名分という言葉は生まれました。

時代が遡り、その後日本にも儒教思想が入ってきます。戦国の反乱の世から安定した江戸幕府による統治がなされた江戸時代では、戦が必要ではなくなったことから統治機構を文治政治へと切り替えていきます。

その文治政治の中では、儒教をベースにし、統制を取るために上下の秩序などを謳った思想が大義名分論と使われています。

その後時代を経て、江戸末期になり大義名分論は尊王論へと変化をしていきます。この思想が明治維新の起爆剤となり「江戸幕府を倒す為の大義名分」と変化し、この言葉は後世に残っていくことになります。

政治家がよくこの言葉を好んで使うのは、こんな歴史的背景もあるのでしょうね。

大義名分の例文

さてこの大義名分はどのようなシチュエーションで使われるのでしょうか。よく耳にするフレーズなので知っている方も多いかもしれません。

今や政治の世界だけでなく、サラリーマンの間でも普通に使われていますね。

例えば、「今回の法案を何としても通すためには、それなりの大義名分が必要だ」と言ったフレーズや、「会社の大胆な経営改革を推進していくには、肝心な大義名分がいる」と言ったように、とても重要な場面で使われているのが一般的です。

大義名分の類義語・対義語

では大義名分という言葉と同じような意味を持つ言葉はどんな言葉なのでしょうか。

「大義滅親」という言葉は「大義名分」と似たような意味合いで時々使われます。また反対を意味する言葉としては「大義名分がない」や、「正当性がない」と言った表現が一般的にはよく使われます。

どの四字熟語にも、由来があります。

「金科玉条(きんかぎょくじょう)」の意味と由来|お金は関係ありません

「彼女の強い意志は、まるで自身の中に金科玉条を持っているかのようだった」

このように使われる金科玉条(きんかぎょくじょう)という言葉を知っていますか。

四文字熟語の一種ですが、あまり使われることもなく、字を見ても意味が想像しづらい言葉の一つです。ここでは金科玉条の意味やその由来、類語対義語など詳しく紹介していきます。

金科玉条の意味

金科玉条は、絶対に守らなければいけない規則やルール、それ以外にも信念等を表現した言葉です。それぞれの漢字に意味があり、金と玉は金塊や宝石などの宝物を表しておりそれだけ大切、重要なという意味が込められています。

そして科と条には法律や条約といった破ってはならない大切な決まりという意味があります。つまり金塊のように大切な決まりごとというのが金科玉条の意味となります。

本来は真面目な人や意思が強い人を褒める場面などで使われる言葉ですが、一方で決まりごとにとらわれて融通がきかないような人にも使われる場合があります。この様に金科玉条は色々な意味が込められている言葉でもあります。

この言葉が出た時にすぐに意味が理解できるようにしておくことで円滑に物事を進められる場合もありますので、覚えておいて損はありません。

金科玉条の由来

金科玉条の由来はとても古く、中国南北朝時代に昭明太子が残した文選という書物が由来だと言われています。

日本に伝わったのは奈良時代、このように金科玉条はとても昔から使われてきた言葉だったのです。この時代の金や玉、宝石などはとても貴重なものです。

それほどまでに大切な規則はこの時代から存在していたということが伺えます。

由来では規則が元になっていますが、現代ではそれだけなく信念や誰かの言葉などに金科玉条が使われることもあります。

金科玉条の例文

金科玉条という言葉は学校や会社など規則があるような場面でよく使われる言葉です。

どのように使われるか例文で見ていきましょう。

「上司からその資料を金科玉条にするようにと言われた」

このように使いやすいのはビジネス面です。

その資料がどれだけ大切なものかを伝えるという場面で使われています。人が集まるような場所には必ず規則などが存在しています。そういった場ではよく使われる言葉です。もう一つの例文を見てみましょう。

「部長は就業規則を金科玉条のように守るので、一部の社員からは融通の効かない頭の固い人物だと思われている」

このように人物像を表す場合に使われることもあります。その場合は真面目ないい人という意味合いから、例文のように融通の効かない人といった意味まで、良い意味とも悪い意味ともとれる言葉になります。

周りの言葉からどちらを表現しているのか読み取れるようにしたいですね。

どの四字熟語にも、由来があります。

「快刀乱麻(かいとうらんま)」の意味や使い方|中国の故事が由来の言葉

「長年の間、旧友と関係がこじれて関わりを断っていたが、つい先日親しくなったばかりの人物が快刀乱麻のごとく我々の仲直りを実現させてくれた」というときなどに使われる、「快刀乱麻」という言葉をご存知でしょうか。

快刀乱麻という言葉は、耳にする機会が比較的多い四字熟語ですが、正確な意味を知っている人は意外にもそれほど多くはありません。

そこで、こちらでは快刀乱麻という言葉の意味や由来、使い方などについてご紹介していきます。

快刀乱麻の意味


出典:写真AC

快刀乱麻という言葉の意味は、もつれた糸のように絡まっている難問を、いとも鮮やかに解決してみせるというものです。単純に手際が鮮やかであったり、悩み事がすっきりしたりするだけでなく、眼前にある問題を解決するというプロセスも必要ということです。

快刀というのは切れ味の鋭い刀で、乱麻というのはもつれた麻糸を指しています。こんがらがった麻糸をよく切れる刀で切るという内容が、もつれた問題をすっぱり解決するという意味に転じているのです。

快刀乱麻の由来


出典:写真AC

快刀乱麻という言葉の由来は、中国の故事からきています。元々は「快刀乱麻を断つ」という言葉でしたが、これを省略して快刀乱麻でも同じ意味を持つようになりました。

その内容は、南北朝時代の中国で、北斉の高祖であった高歓という人物が自分の子供の能力を試そうとしたことから始まります。

高歓は、子供たちそれぞれに、もつれてほどけなくなった糸の塊を渡して、元に戻すように言いました。ほとんどの子供たちが糸をほどこうとする中、二男の高洋だけが「乱れたものは斬るべきだ」といって糸の塊を刀で切ったというものです。

父はこの素早い判断力と行動力を褒めました。そして、高洋は後に文宣帝として国を統治し、その能力をいかんなく発揮したということです。

快刀乱麻の例文


出典:写真AC

快刀乱麻という言葉は、目の前のトラブルや問題を鮮やかに解決する様子を表していますので、

「わが社はクライアントの不興を買ってしまい、契約を打ち切られる寸前だった。重役たちもお手上げの中、一人の新入社員が快刀乱麻のごとくこのトラブルを解決してしまった」

などのように、まずトラブルや問題を提示して、それが解決される様子を表す際に用います。また、本来の言い方のように使うこともできます。

例えば、「私たち夫婦は離婚まで秒読みというところまで関係がこじれてしまったが、義母が快刀乱麻を断つが如くに二人の仲を仲裁してくれた」という使い方ができます。

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

「一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)」の意味と由来|例文も紹介

「今日のお客様は大変に礼儀に厳しい方なので、おもてなしをするときには一挙手一投足に至るまで、細心の注意を払わなければならない」などという時に使われる、「一挙手一投足」という言葉の意味をご存知でしょうか。

「一挙一動」という言葉はよく使われますが、「一挙手一投足」はそれほど高い頻度で耳にする言葉ではありませんので、意味を取り違えている人も少なからず存在します。そこで、こちらでは、一挙手一投足という言葉の意味や由来、使い方などについてご紹介していきます。

一挙手一投足の意味


出典:写真AC

一挙手一投足という言葉の意味は大きく分けて二つあります。一つ目は、一度だけ手をあげる、足を動かすなどの非常にわずかな動作の一つ一つを表すときに用いる場合です。二つ目は、このようなわずかな動きに費やす努力、つまりほんの少しの努力という意味で用いる場合です。

元々は、二つ目の意味であるわずかな努力という意味で用いられていましたが、近年では、どちらかといえばわずかな動作という意味で用いることが増えています。

一挙手一投足の由来


出典:写真AC

一挙手一投足という言葉の由来は、中国の唐の時代に韓愈という詩人が著した『応科目時与人書』という書物にちなんだものです。当時、25歳の韓愈は官吏の登用試験である科挙の進士科を受け、難易度の高い試験であるにもかかわらず合格しました。

彼は非常に努力家で、貧しい出自ながらも苦学の末に勝ち取った合格でしたが、最終的に合格するためには推薦者も必要だったのです。しかし、名門の出ではなかった彼を推薦する人物はおらず、韓愈は試験官に推薦を依頼する手紙を書きました。

その手紙では、自分のことを水があれば大きな力を得られる怪物になぞらえており、「もしもあなた(試験官)が私を水辺まで運んでくださるとしても、それは一挙手一投足の労にすぎません」と記したのでした。ほんの少しの努力を得られなければ、自分はこのまま力を失ってしまうと嘆願した韓愈のこの言葉が、一挙手一投足の由来です。

一挙手一投足の例文

一挙一投足という言葉は、ほんのわずかな動き、少しだけの努力というときに使うことができます。ただし、動きに焦点を置いた場合には、体全身の動きというよりは、手足の動き、自分の意思で動かす動きという意味合いで使うことが多いです。

「彼女の舞は非常に優美で、一挙手一投足に至るまで、一幅の絵を眺めているようだった」というように使うとよいでしょう。また、わずかな努力という意味合いで使うときには、「あの人は本当に自分のことしか大切にしない人間で、他人のためなら一挙手一投足の労さえ惜しんでいる」などのように用います。

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧