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浅草でおすすめの食べ歩きグルメ10選|揚げ饅頭や人形焼き

日本には様々な観光地がありますが、浅草はもはや説明不要の人気ぶりです。古きよき江戸の街並みの雰囲気を残している街であり、外国人にも人気の見所が数多くあります。

浅草散策では様々なところを見て回ることができますが、同時に楽しめるのが食べ歩きになります。浅草でおすすめの食べ歩きグルメを紹介します。

浅草食べ歩きの魅力


出典:写真AC

浅草には多くの食事処があり、たくさんの美食を楽しめます。それだけでなく、片手でつまめるスナックや甘味を販売している店にも困りません。観光を楽しみつつ、手軽に食べられるおやつを求めてさまよい歩くのも乙なものです。隅田川やスカイツリーなどの風景もいっしょに楽しむことができます。

特に浅草寺へと続く仲見世通りには、気軽に食べられるグルメを売る店がたくさんあり、食べ歩きにもってこいです。観光前に軽く腹ごしらえするのにもちょうどよいでしょう。

浅草食べ歩きグルメ①

人形焼:本家 梅林堂


出典:写真AC

浅草は人形焼が有名です。最も有名なのは「本家 梅林堂」です。人形焼は1個50円から販売されています。こんがりした焼き色にしっとりした歯触り、リーズナブルな値段が特徴です。

見た目にもかわいらしい小ささで、そのままパクっと一口で食べてしまえます。雷おこしでも有名なお店で、一枚250円から購入することができます。こちらもあわせてチェックしたいですね。

浅草食べ歩きグルメ②

きび団子:浅草きびだんごあづま


出典:写真AC

きび団子といえば岡山ですが、実は浅草にも有名なところがあります。それが「きびだんごあづま」です。もちもちと心が弾む噛み心地に、きなこの香ばしさが味わいを添えます。

「あづま」のきび団子は歴史が古く、なんと江戸時代から浅草で販売されています。江戸時代に仲見世に実在した「きびだんご」を再現して、実演販売しています。できたてのきびだんごが5本で300円、お土産用が10本で525円というお手ごろ価格です。

お土産用のきびだんごは家で作ることができ、熱湯で茹でるとすぐに熱々のきびだんごを食べることができるようになっています。お店で食べて、気に入ったら持ち帰りに購入するとよいでしょう。

浅草食べ歩きグルメ③

揚げ饅頭:金龍山浅草餅本舗


出典:写真AC

「金龍山浅草餅本舗」は揚げ饅頭が有名です。仲見世を入って歩いていくと、伝法院の目の前にお店があります。

揚げ饅頭は6個入りで790円、10個入で1310円になります。さっくり揚げられた饅頭は意外にもあっさりとしており皮も柔らかく、餡もシンプルな甘さが特徴になります。ふんわりとした歯触りを楽しむことができ、ほっこりした温かさにお腹も満足です。

【萬古焼】急須や土鍋にぴったり!「萬古焼」の魅力

萬古焼とは、三重県の四日市市で生産されている陶器のことです。

萬古焼の「萬古」という名前の由来は、不変性を保ち万古不易(ばんこふえき)であるようにとの願いから、陶器に萬古あるいは萬古不易の印を押したことからきているとされています。

そんな萬古焼きで有名な陶器には、土鍋や急須があります。まず土鍋は国内シェアの8割を占め、ご飯鍋・陶板・蒸し鍋・タジン鍋・多機能鍋・煮込み鍋などバラエティーに富んでいるのが特徴です。

次に急須、萬古に使われている紫泥はお茶の渋みを出すカテキン成分を適度に吸収することで、旨味を引き出し、まさに緑茶を飲む名器と言えます。

また使っていくうちにツヤや光沢が出てくるので、見た目も味わうことが出来るのも魅力の陶器です。

萬古焼の歴史


出典:写真AC

萬古焼が生まれたのは、およそ270年前に桑名の商人沼波弄山が京焼の陶工として知られる尾形乾山に釉薬(耐水性を強化し、また色付けとしての役割も担っていた)の製法を教わり、桑名の藩領であった三重郡朝日町小向に窯を製作したのがきっかけです。

次第に萬古焼は人気を集めるようになり、時の将軍・徳川家治も窯の見学に来たとされています。

しかし、その名声も長くは続かず後継者がいなかったことから一時衰退してしまうのでした。しあkし、そんな萬古焼を救うべく森与五左衛門(森有節)が立ち上がり再興を果たします。

彼の活躍によりパリ万国博覧会など国内外の博覧会を通じて、萬古焼は世界へその名を知らしめるのでした。ちなみに弄山の陶器が古萬古と呼ばれる一方、五左衛門の陶器は有節萬古と呼ばれています。

それから有節の作った陶器に惹かれた四日市で村役をしていた山中忠左衛門によって萬古焼の量産法が編み出され、今日まで四日市の地域産業として根付いてきました。

萬古焼の特徴

萬古焼の特徴を、一例として急須について説明していきましょう。

萬古焼の1つ目の特徴は伝統工芸品として指定されていることです。2つ目の特徴としては、成形方法が水ゴテ・排泥鋳込み・圧力鋳込み・型萬古と様々で、中でも型萬古(木型に和紙や布を巻いて型を取る方法)は森有節によって編み出されてから100年以上引き継がれています。

3つ目の特徴は焼成方法です。実は萬古焼の急須は土に応じて焼く方法を変えています。例えば紫泥も朱泥もどちらも鉄分をよく含んだ土ですが、紫泥が還元焼成で焼かれ、酸素が尽き濃い紫がかった青色になるのに対し、朱泥は酸化焼成で焼かれ酸素がくっつくことで赤色になります。

また朱泥の急須は使っていくうちに虹色が表れるのも特徴です。

「土鍋なら萬古焼」の理由


出典:写真AC

萬古焼の土鍋の良さは3つあります。

1つ目は、耐熱性に優れている点です。従来の土鍋は急激な温度変化に弱く、ヒビ割れが生じやすいのに対し、萬古焼の土鍋は熱に強いペタライトを入れることによって、耐熱性に優れヒビ割れが生じにくくなっているのです。

2つ目に遠赤外線効果があります。土鍋などの萬古焼の陶器に熱を加えると遠赤外線が発生します。遠赤外線は食べ物を能率的に温めてくれるため、お米の芯が柔らかく艶やかとした美味しいご飯を炊くことも可能です。

3つ目に種類の豊富さがあります。前述したように土鍋には様々な種類があり、それぞれ調理法や料理に応じて使い分けることが出来るのです。例えばリゾットやパスタなら陶板鍋で、牡蠣のどて焼きならタジン鍋とそれぞれにあった萬古焼の鍋で調理することでさらに美味しく味わうことが出来ます。

萬古焼のHARIO(ハリオ)炊飯用土鍋

萬古焼の土鍋を長く使うためには?


出典:写真AC

萬古焼の土鍋を長く使うためのお手入れの方法は3つあります。

1つ目のお手入れ方法は、目止めです。目止めは土鍋に使われている粘土が粗く、吸水性に優れているため汚れや匂いが取れにくく、またヒビ割れを起こすのを米のとぎ汁や片栗粉などを煮ることで粘土の表面の隙間を埋める方法です。

そして目止めをする際には注意点として、萬古焼の土鍋は耐熱性に優れてはいますが、必ずしもヒビ割れを起こさないというわけではないので火加減に気をつけましょう。

2つ目のお手入れ方法は、洗い方です。土鍋を洗うのは水が好ましいですが、洗剤で洗っても大丈夫です。しかし洗剤で洗う際には念入りに洗い流すことが必要になります。

お手入れ方法の3つ目は、匂いの取り方です。もし土鍋の匂いが気になる場合は、一度洗った後にお湯とレモン汁、あるいはお酢などを土鍋に入れて8時間ほど置いたら水で洗い乾かします。そうすることによって、萬古焼の土鍋についた嫌な匂いを消すことができるのです。

萬古焼の祭典・四日市萬古まつり

四日市萬古まつりは、萬古焼をより多くの人々に知ってもらうのを目的に、毎年5月の第2土曜日と日曜日の2日間に萬古神社周辺や、ばんこの里会館で開催されているお祭りです。

このお祭りの魅力は萬古焼の体験などが充実し、大人だけでなく子供も楽しめ、また萬古焼を安く手に入れることが出来る点です。

萬古焼職人を育成する塾

「やきものたまご創生塾」とは、萬古陶磁器工業協同組合で萬古焼の伝統を継承する職人を育成するために行なわれている研修です。

万古不易を体現する萬古焼の姿

萬古焼は江戸時代沼波弄山によって作り出されて以来、一度は衰退したものの進化し変化を遂げてきました。いまは成形方法の主流はろくろですが、昔ながらの成形方法型萬古も廃れることなく引き継がれています。

これは萬古焼が目指した姿、万古不易が反映されていて、その精神こそが長く愛され続ける秘訣なのでしょう。

萬古焼のHARIO(ハリオ)炊飯用土鍋

日本三大妖怪の生みの親とは?妖怪が生まれた理由・三大悪妖怪

日本では古くから、種々の妖怪の存在が信じられてきました。 その姿は様々な創作の中で描かれたり、地方の伝説・伝承として口伝されたり、神社や神木など信仰の対象になっていたりとさまざまです。

人間にははかりしれないもの、自分たちの力ではどうすることもできないものの象徴である妖怪は、どのようにして生まれたのでしょうか。日本に伝わる妖怪たちを解説します。

日本における妖怪の起源


出典:CALEND-OKINAWA

日本では妖怪はさまざまな書物や創作の中に著されてきました。多くの妖怪たちの起源になったのは「自然現象」です。 嵐や日照り、疫病の発生など、現代では原因が解明されている現象も、科学力の乏しかった時代の人々にとっては唐突に降りかかってくる災厄だったのです。

人は原因の分からない災厄を「妖怪の仕業」とし、恐れました。 また日本は四方を海に囲まれており、山地も多いため、自然現象による災害が発生しやすい国です。 日本の環境が、多くの妖怪を生み出すひとつの要因になったのでしょうと。

妖怪という概念がいつの時代に生まれたのか、はっきりとは分かりません。 とはいえ、平安時代に成立した『今昔物語集』には既に鬼などの妖怪が行列をなす「百鬼夜行」の存在を確認できます。 少なくとも平安時代には、異形の妖怪という存在が認識され、恐れられていたことが分かっているのです。

現世にあまねく溢れかえる妖怪の中に、「日本三大妖怪」として語られるものが存在します。 ここでは日本三大妖怪について解説していきます。

日本三大妖怪その1「鬼」


出典:さいたま市

鬼は、日本三大妖怪に数えられる迷信の一つです。大きな角や牙を持ち、顔は憤怒の表情で、超人的な怪力と金棒をもつ…というのが鬼の一般的なイメージです。節分や桃太郎などで畏怖の象徴として非常にメジャーな存在ですが、一方で「泣いた赤鬼」などの童話では心優しく、人を助ける存在として描かれていたりもします。

実は元々鬼には決まった姿がなく、「鬼」という言葉は本来「目に見えず、この世のものではない存在」を示していたそうです。 この世のものではない…というイメージが、次第に怨霊や、人に危害を加える存在へと変遷していき、現在の鬼の姿に収束したと考えられます。

日本三大妖怪その2「河童」


出典:イバラキノート

次に日本三大妖怪に数えられるのは河童です。

水辺に棲んでいて、頭に皿があるという特徴的な見た目のイメージは、全国共通のものです。きゅうりや茄子や相撲を好むといった性質も一般的で、人間の子供と遊んだり人の手助けをしたりするなど、善良な妖怪と伝えられることも度々あります。悪戯好きといった愛嬌のある描写も少なくありません。

河童が水神様として祀られている地域も多々あり、善良なイメージはこういった信仰からくるものと考えられます。 一方で、川に人を引きずり込み、尻子玉(架空の臓器)を抜くなど、人に危害を加える内容の言い伝えも各地に残されています。

また河童は「水神が落ちぶれて妖怪化したもの」といわれることもしばしばです。 聖なる神としての姿と、落ちぶれた妖怪としての姿。これらが同時に存在することで、善良なイメージと恐ろしいイメージに二分されたと考えられます。

日本三大妖怪その3「天狗」


出典:高尾登山電鉄

最後の日本三大妖怪は、天狗です。 赤い顔に高い鼻…というのが一般的なイメージです。 山伏に似た格好に一本歯の下駄をはき、空を飛んだり、木の上に立っているといった姿も有名です。 山に関わる伝承などに登場することが多く、山で起こる神隠しなどの不思議な現象は天狗によって引き起こされるものと伝えられています。

人をさらう、人肉を食べるなど恐ろしい存在として描かれることが多く、性格は傲慢で慢心も見えるといいます。「天狗になる」という慣用句もここから生まれました。 一方で山の神様として祀られる存在でもあり、働かない怠け者に罰を与えたり、子供の病気を治したりとするとも言われ、広く信仰を集めています。

気になる職業チェック!「兼業農家」の平均収入やメリット・デメリットは?


出典:Pixabay

農家は大きく分けて2種類あります。農業を中心に生計を立てている「専業農家」と、農業とほかの仕事の両立して生計を立てている「兼業農家」です。

近年、農業に挑戦したい人が増加の傾向にあります。それも本業としてではなく、兼業農家のスタイルを取る人が増えているのです。会社に勤めながら、週末などを使い農業ビジネスを行うことを「副業農業」と呼ぶこともあります。

今回は、最近の気になる職業「兼業農家」について解説していきます。どのくらいの収入が見込めるのか、メリットとデメリット、兼業農家になるのはどうすればいいのかについてみていきましょう。

農家になるには?現状と将来性・安定性・適性・体験をチェック!

兼業農家とは

出典:ぱくたそ

兼業農家というのは、世帯員のうち何人かが、農業以外の収入を得ている農家のことです。農業の収入がそのほかの収入より多い農家を「第1種兼業農家」、農業の収入の方が少ない農家を「第2種兼業農家」といいます。現在では、専業農家よりも兼業農家の方が割合が多くなっているのです。

第二次世界大戦後、日本の工業化が進むにつれて兼業農家の割合は増加し、第2種兼業農家が第1種兼業農家を追い越しました。その差は、年々大きくなっています。一方、兼業農家は、農業生産性の低さ・耕地の狭さなどによる季節出稼ぎが一般化・長期化していることから、政治的・社会的な問題にもなっています。

兼業農家のスタイルをとっている人のなかには、農業の仕事が減少する時期に合わせて出稼ぎに行くケースも。また、普段は会社勤めをしており、週末や長期休暇中に農業をするケースもあります。ほかにも、世帯の中で農業以外の仕事に従事している人がいるケースも多くみられますよ。

仕事と農業の割合は?


出典:フォト蔵

仕事と農業との割合は、農地の規模や作物の種類、どのような経営体制で農業を行っているかによっても異なります。

例えば、平日はサラリーマンをして、休日に農業に勤しんでいるスタイルの場合。休日がほとんどない状態で働き続けることになるでしょう。農業は、生き物を相手にしているので「今週は疲れたから休もう」とないがしろにすることもできません。別の仕事をこなしているからこその大変さが、兼業農家にはあるのです。

【そうだ、農業しよう】農業の気になる収入事情を徹底解説

兼業農家の気になる収入

出典:ぱくたそ

兼業農家の年収は、育てる作物や販売方法、管理する農地の広さによってかなり上下のブレがあります。一概にいくらと収入を決めるのは難しいでしょう。

平均値で見た場合、専業農家の年収が600万円前後であるのに比べ、兼業農家では400〜500万円前後となっています。

この兼業農家の収入は、農業での収入プラス勤めている仕事の収入が加算されたものです。そして、この収入のうち農業による収入は50~100万円程度で、ほとんどは農業以外の仕事による収入となっています。

兼業農家になるには


出典:ウィキメディア・コモンズ

実家が農業をしている世帯ならば、家族が働きに出るだけで兼業農家になります。

一方、会社員が兼業農家になりたいのであれば、やはりまずは農業のノウハウを学んだ方がよいでしょう。もともと、家族や親族が農家をしているのであれば、多少の知識はあるかもしれません。

しかし、農業に携わるにあたって政府が定める管理基準や農業に関する法律など、最新の情報が必要になることもあります。特に、国や自治体の補助金や制度は、よく調べておくことをおすすめします。国には「農業次世代人材投資資金」や就農・定住者向けに自治体が行っている促進事業など、さまざまなサポート体制ができているのです。

一度も自分で農業を経験していない人は、まず弟子入りして農家の勤務体系やノウハウを学びましょう。流れが理解できてから、雇われ農家になるか、経営者になるかを判断してくださいね。

また、各都道府県に「新規就農相談センター」というものがあります。そこへ行って相談してみるのも、ひとつの方法でしょう。実際に、サラリーマンをやめて農家に転職したり、農家をやりながらウェブ系の仕事をしたりする兼業農家の人が増えています。

定期的に開かれている「新・農業人フェア」のような就農イベントに参加するのもおすすめ。全国の主要都市を中心に開催されていて、全国の自治体や農業法人が多数出展しています。助成制度や求人情報を紹介してくれるほか、個別に相談にも乗ってくれるので、情報収集も兼ねて一度参加してみるといいかもしれませんね。

農家と一言にいっても様々な業界があります。茶農家もその一つです。そこで、緑茶コンテストで金賞を受賞した茶農家を紹介します。

【株式会社茶來未】

住所:神奈川県足柄上郡松田町寄3259
アクセス:小田急線「新松田駅」
URL:http://www.chakumi.com/

【完全保存版】湘南でおすすめのエリア別観光スポット集

関東の旅行・観光スポットとして根強い人気を誇るのが湘南です。四季を通してさまざまな景色や歴史情緒ある街並みを楽しむことができ、常に観光客で賑わっています。湘南でおすすめの観光スポットを、エリアごとに紹介していきます。

湘南観光の特徴

多くの歌や物語、映画やテレビドラマなどの舞台としても数多く登場する湘南。マスコミに取り上げられる華やかな一面を持つ一方で、歴史的建造物や史跡が数多く残される「歴史の町」としての観光スポットも数多く存在します。 華やかな「動」の観光地と、心に語りかけてくる「静」の観光地、湘南が持つ2つの顔を紹介していきます。

湘南でおすすめの観光スポット

江の島エリア①江島神社


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観光スポットとして高い人気を誇り、湘南のトレードマーク的存在とも言えるのが江の島です。 この江の島に位置する江島(えのしま)神社は、今から約1,500年近く前に江の島の南の洞窟に宮を建てたことが始まりと伝えられています。

歴代の鎌倉幕府将軍・執権や領主から崇敬を受け、江戸時代には庶民の「江の島詣で」が手軽な観光として人気を集めたことをきっかけに賑わいを見せました。

江島神社は海や水の女神を祀った辺津宮、中津宮、奥津宮の3社で構成されています。辺津宮には日本三大弁財天の“裸弁財天”妙音弁財天が奉安されており、中津宮、奥津宮は恋愛成就のご利益があるとして、女性に人気の湘南の観光スポットになっています。

かつては修験道の開祖・役小角、弘法大師空海、日蓮聖人などが洞窟に籠り修行したと伝えられる江の島の豊かな自然の中を、島の山頂に向かって点在する江島神社を巡りながら満喫するのがおすすめです。

湘南でおすすめの観光スポット

江の島エリア②江の島参道散策

次はブラブラと観光しながら楽しめる「湘南・江の島グルメ」で食べ歩きを楽しみましょう。

名物!丸焼きたこせんべい

「あさひ本店」は、観光客に人気の行列店として知られています。 この行列に並んででも食べたいのが名物の「丸焼きたこせんべい」。 新鮮なタコに本来の旨みをいかす薄味で味付けし、粉をまぶして185℃の高温と約1トンのプレスができるプレス機に並べます。

2分間で、丸焼きたこせんべいの出来上がり。 焼きたての香ばしさがたまらない、湘南・江の島グルメとして観光客はもちろん湘南っ子にも人気です。

魚介とパンの不思議なコラボ!しらすパン

湘南・江ノ島を代表する特産物の「しらす」を始めとする新鮮な海の幸が食べられる人気店「しらす問屋とびっちょ」の店頭で販売されているのが、カリッと揚ったモチモチパンの中にチーズとしらすが入った「しらすパン」です。 食べ歩きには嬉しい小ぶりなパンが3個セットで売られています。

湘南でおすすめの観光スポット

江の島エリア③しらす丼を食べる

しらすパンで紹介したように、「しらす」は湘南・江ノ島を代表する特産物です。 食べ歩きにはパンがピッタリですが、美味しいしらすだからこそ、お米と一緒に楽しみたいものですね。 「しらす丼」はガッツリとしらすを楽しめるおすすめのメニューです。

美味しいしらす丼が食べられる「江ノ島小屋」

漁港跡にたつ「江ノ島小屋」は網小屋を改装して作られており、豪快な造りの木製のテーブルが並び落ち着いた雰囲気のなかで新鮮な海鮮料理を楽しめます。 観光客が多く訪れる有名店で、デッキ席は海を挟んで江の島を眺められ、ロマンチックなムードが漂います。

魚介に対するこだわりは非常に強く、毎月石川県まで足を運び、漁場で神経締めして鮮度を保つ漁法の「鹿渡島定置網」を地元漁師と一緒に体験し、そこで得た知識や経験を調理に生かしています。

朝食・ランチには漁師汁定食、釜あげしらす丼、小屋のまかない丼、地魚フライなどのパワーフードが並びます。 ディナーでは小屋の定番コース、小屋の厳選コースのコースメニューのほかに、焼き物、揚げ物、煮物、橋休め、ご飯物が豊富に用意されています。

釜あげしらす丼は朝食・ランチ、ディナーの両メニューに掲載されています、さらにディナーでは黄金しらす丼も用意されていますから、1日中しらす丼を楽しむことができます。湘南観光の際のごはん処として、ぜひ立ち寄りたいですね。

【営業時間】平日(08:00~15:00、17:00~22:00)土日祝日(08:00~15:30、17:00~22:00)

【定休日】12月31日、1月1日・その他従業員研修等で不定休

【住所】神奈川県藤沢市片瀬海岸2-20-12

【電話】0466-29-5875

【アクセス】小田急線片瀬江ノ島駅下車徒歩約2分

建築士になるには|気になる年収・メリット・デメリット・資格

マイホームを建てようと思うとき、ハウスメーカーや工務店に建ててもらうこともできますが、できれば自分たちだけのために設計された家がいいと思う人もいるでしょう。そんなとき頼れるのが「建築士」です。

ハウスメーカーなども建築士が必ずいますが、独立した建築士に依頼するとコストを考えながら土地と依頼内容にあった最適な家を設計してくれます。

マイホームだけでなく、ビルや街を含め多くの建築を設計することができます。建築士のなり方や年収など、気になる職業事情を紹介します。

建築士とは


出典:写真AC

建築士とは建築物の設計及び工事管理を行う職業で、建築士法の国家資格に定められた一級建築士、二級建築士のことをいいます。

一級建築士は建物に制限がなく、二級建築士は一級建築士に比べて、設計できる規模と構造に制限があります。 二級建築士でも木造建築物の設計では、3階建が基本になります。

建築士になるには?資格は必要?


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建築士になるには、建築士の国家資格を取得する必要があります。公益財団法人の建築技術教育普及センターでは、建築士の種類と業務範囲についてこのように述べています。

一級建築士:全ての構造・規模・用途の建築物について、設計・工事監理を行うことができます。
二級建築士:比較的小規模な建築物についてのみ、設計・工事監理を行うことができます。
木造建築士:より小規模な木造建築物についてのみ、設計・工事監理を行うことができます。

では、それぞれの資格について詳しく見ていきましょう。

一級建築士

一級建築士の受験資格は、4年制大学卒業に加え2年間の実務経験、又は2年制大学・2年制専門学校の卒業と4年間の実務経験、または2級建築士と4年間の実務経験で受験ができます。

一級建築士ともなる都市圏の難易度は非常に高く、実務経験や学歴が足りていても製図試験などで落とされてしまうことが多いので、対策は必須になります。

受験資格一覧

建築に関する学歴・資格 必要経験年数
大学で指定科目を修了し卒業した者 卒業後2年以上
3年制短期大学で指定科目を修了し卒業した者 卒業後3年以上
2年制短期大学・専門学校で指定科目を修了し卒業した者 卒業後4年以上
二級建築士 二級建築士として4年以上
建築設備士 建築設備士として4年以上
その他国土交通大臣が認める者 所定の年数以上

一級建築士の試験では、学科と設計製図が出題されます。学科の出題科目では、計画(20問)・環境設備(20問)・法規(30問)・構造(30問)・施工(25問)の5科目が獅子択一で出題されます。

設計製図では、事前に課題として公表される建築物についての設計図を6時間30分で作成します。昨年の合格率としては、10.8%と低めです。

二級建築士

二級建築士は、主に住宅関係の設計が可能となる資格になります。

二級建築士は、大学や専門学校で建築に関わる勉強をした人が受験できますが、実務を経験していないと受験できません。短大や専門学校で建築を学んだ人は実務経験0~2年以上で、建築過程卒業であれば実務経験なしで受験できます。

学歴がなくても実務経験があれば受験できますが、7年以上の実務経験が必須になるので、大学か専門学校で学ぶ方が近道になります。

受験資格一覧

建築に関する学歴・資格 必要経験年数
大学・専門学校で指定科目を修了し卒業した者 0年
高校・中学校で指定科目を終了し卒業した者 卒業後3年以上
建築設備士 0年
その他都道府県知事が特に認める者 所定の年数以上
建築に関する学歴なし 7年以上

二級建築士の試験では、一級建築士試験と同様に学科と設計製図が出題されます。学科の出題科目は、建築計画・建築法規・建築構造・建築施工の各25問が出題され、計6時間の五肢択一式テストになります。

設計製図では、事前に課題として公表される建築物についての設計図を5時間以内に作成します。昨年の合格率は24.3%と一級建築士よりは高めとなっています。

木造建築士

木造建築士は二級建築士よりは設計できる範囲が狭まり、木造のみの住宅に関する設計が可能な資格となります。受験資格は二級建築士と同じです。

木造建築士の試験では、学科と設計製図が出題されます。学科の出題科目は、二級建築士と同様に建築計画・建築法規・建築構造・建築施工の各25問が出題され、計6時間の五肢択一式テストになります。

設計製図では、事前に課題として公表される建築物についての設計図を5時間以内に作成します。昨年の合格率は40.1%で建築士に必要な資格の中では比較的取りやすい資格となっています。

左官職人の仕事を紹介|気になる年収や将来の可能性は?

「左官職人」をご存知でしょうか?コテなどを使って壁を塗る職人のことです。「壁を塗るだけ?」と思われるかもしれませんが、まっすぐ水平に塗るのはなかなかどうして大変です。奥深い技を極め、リフォームや建築の仕上げを飾る左官職人の仕事を紹介します。

左官職人とは

出典:写真AC

左官職人とは一般的に、建物の壁や床を専門のコテを使ってきれいに塗り整える専門職のことをいいます。 語源は、平安時代に宮殿の建築や修理をすることを許可された人を属(さかん)と呼んだことにあります。

左官職人の仕事内容


出典:ウィキメディア・コモンズ

左官職人の仕事は、素材を壁に塗るというシンプルな内容です。実際の工程では下塗り、中塗り、仕上げ塗りと分かれているのが一般的です。

依頼者の要望によって、珪藻土(けいそうど)や炭といった自然素材を使い分けます。 基本的には水平でムラのない仕上がりをよしとするため、職人の腕が試されます。 また塗り壁の他にも、タイル張りやレンガ積みをすることもあります。

左官職人の気になる年収

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年収はおおよそ300~400万円です。良くも悪くも生活できる程度に収入が安定しているのが左官職人の特徴です。

勤務体系は一般的な職業とおおよそ同じで、朝の8時から午後の5時くらいまでとなっています。ただし左官より前の工程が遅れたり、雨が続いて仕事ができなかったりすると、埋め合わせで残業をする場合もあります。

会社は数人レベルと小さなことが多いので、そういったところでは福利厚生はあまり期待できません。保険などの備えが気になる人は会社の規模に注意しましょう。

左官職人のメリット・デメリット


出典:写真AC

左官職人のメリットは第一に学歴が必要ないことです。求められるのは壁をきれいに塗って整えられるかどうかなので、学力は求められません。数学や英語が苦手でも十分対応できる可能性があるのです。

また芸術が関係している仕事の中で比較的需要が多いほうなので、芸術家や建築や職人に興味がある人が現実的になりやすい職業という特徴があります。

デメリットとしては個人で行う場合営業が必要なことです。仕事の性質上、信頼関係のない相手から頼まれることは少ないので、こちらから存在を示していかなければなりません。 コミュニケーションが苦手で最終的に独立を考えている人は、この点について注意が必要です。

左官職人に向いてる人、向いてない人

左官職人の仕事は建物の表面に関する仕上げなので、見た目を大きく左右します。当然職人には高い技術が求められるので、もともとの芸術的な感覚や手先の器用さがあったほうがよいでしょう。

また、長時間壁と向き合いながら集中して同じ作業を続けるので、体力があることはもちろんそれを苦にしないような、物事の仕上げに対するこだわりがある人が向いています。

逆に、単調な作業そのものがつまらないと感じる人は左官職人には向いていません。

左官職人は男性が働いているイメージが強い方が多いのではないでしょうか?有限会社原田左官工業所は、女性も左官職人として活躍しています。

【有限会社原田左官工業所】

住所:東京都文京区千駄木4丁目21−1 ハラダビル
アクセス:JR「西日暮里駅」より徒歩9分
URL:https://www.haradasakan.co.jp/

左官屋の歴史と魅力|シンプルこそ最高の技術

美しい漆喰塗の壁を持つ日本家屋。その壁を塗る仕事をしているのが「左官屋」と呼ばれる職人です。日本の左官技術は海外からも注目されるほど高く、その秘密は長く続く左官屋の歴史の中で生み出されてきた道具や技術にあります。

今回は、左官屋という職人の仕事について紹介します。

左官屋とは


出典:写真AC

左官屋とは、代々受け継がれてきた伝統技術を用いて建築に携わる職人を指す言葉です。例えば建築に携わる職種のひとつに大工がありますが、左官屋と大工の仕事内容は全く異なっています。大工は組み立て作業を請け負っているのに対し、左官屋は仕上げ作業を請け負うのが基本です。

左官屋が行っている主な作業として、左官壁の塗り上げがあります。左官壁とは漆喰・土壁・聚楽壁・小舞壁(竹を組んだもの)などのことで、断熱性に優れ温度を一定に保ち、湿度を調整するという長所を持っています。この左官壁を専用のヘラや鏝(こて)を使って塗り上げていくのが、左官屋最も有名な仕事のひとつです。

左官屋の歴史


出典:写真AC

左官屋のルーツは非常に古く、縄文時代にまで遡ることができます。縄文時代に壁の材料として土が使われたのが飛鳥時代になってさらに技術が進歩し、安土桃山時代になると茶室に聚楽壁という壁が使われるようになりました。

江戸時代には漆喰が登場し、また壁を仕上げるための建築技術だけなく、鏝を使った鏝絵が描かれるなど芸術としての価値も高めました。

左官屋が使う道具


出典:写真AC

左官屋の代名詞ともいえるのが鏝。実は海外にも塗り壁という技法は存在しているのですが、日本の塗り壁とは大きく異なっている点があります。それは、鏝の種類の豊富さです。

海外に比べて日本の鏝は種類が非常に多く、塗りつけ鏝・角鏝・仕上げ鏝・木鏝・面引き鏝・切り付け鏝など11種類の鏝を壁の材料や場所、工程などに応じて使い分けているのが特徴です。

例えば先端が細く尖っている笹刃鏝や柳葉鏝は細かい部分を塗るのに向いていますし、目地鏝(外丸・内丸・丸棒)はタイルやブロックなどの目地を塗るのに最適です。さじ鏝(面引き・ラオ面・玉鏝・耳かき)は鏝絵や漆喰に彫刻を施すことができるなど、芸術的な趣向を凝らすのに向いているものもあります。

そして、左官屋が使う道具の2つ目に練り鍬があります。練り鍬とは土や珪藻土など左官壁に使う材料を混ぜ合わせるために使う道具で、重いものは使いにくいが時間がかからず、反対に軽いものは使いやすさはあるが時間がかかるのが特徴です。

左官屋の現状


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左官屋は多くの伝統産業と同じように担い手を確保することに苦戦しているため、築業界の中でも特に高齢化が進んでおり、大変厳しい状況に置かれています。左官としての技術を継承する担い手不足の課題を改善するために、左官業界は従来の育成方法を見直し、現代にあった育成法であるモデリングを導入しました。

また以前は肉体労働のイメージが強く持たれがちでしたが、最近では漆喰の彫刻や鏝絵など芸術性の高さもクローズアップされてきています。こうした育成方法やイメージの変化に伴って、芸術志向の若い世代や女性などの新たな人材の獲得を実現しつつあるのです。

左官屋の魅力

左官屋は長い歴史を持ち、技術が進歩する過程で漆喰・土壁・聚楽壁・小舞壁などが生み出され、高い技法の上に芸術と伝統を築き上げています。ただ壁を塗るだけの地味で面白みのないぢごとに思われるかもしれませんが、左官としての技術を習得するためには10年単位の長い年月をかけなくてはいけません。それほど高度な技術を要求される仕事なのです。

一朝一夕に習得することができないからこそ後進が育ちにくくもありますが、なにか一つのことを極めて信頼を得る仕事がしたいと思う人には左官屋はもってこいです。日本人ならではの芸の細やかさを随所に感じながら仕事をすることができ、海外からも瞠目される日本の左官技術の高さを誇りに思えることでしょう。

職人気質な仕事がしたい、伝統文化を伝えられる仕事がしたいという人は、左官屋を目指してみてはどうでしょうか。

左官職人の技術を体験してみよう!

今回、左官屋についてご紹介しました。そこで、大人の職場体験予約サイト「ココロミル」では左官職人の仕事を体験できるプランを掲載しています。

他ではできない体験となっているので、是非チェックしてみてください!

業界初!漆喰作りから学ぶ左官職人体験|大人の職場体験予約サイト「ココロミル」

【粋なフォント】江戸文字の流派や魅力を紹介

「江戸文字」ってご存知ですか?落語の席、寄席、浅草雷門の提灯などさまざまなところで見かける極太の毛筆の書体が江戸文字です。実は暮らしのいろんなところに隠れている江戸文字、全部同じ書体ではありません。

ルーツを知るほどに愛嬌が出て可愛らしく見えてくる、そんな江戸文字についてご紹介します。

江戸文字とは

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江戸文字とは、書いて名の如く、江戸時代に盛んに使用されていた用途の違う数種類の文字の総称です。 もともと江戸時代に使用されていた文字は、使用される用途や書体によって、何種類も別々の名称が使われていました。

江戸文字と呼ばれるようになった由来はいくつか伝えられており、ややこしいからまとめて江戸文字と呼ぶようになったという説や、徳川幕府が書簡の違いなどから争いがおきるのを避けるため公用文字として、文字の統一をはかったという説もあります。

日本らしさを伝える江戸文字のデザイン①

江戸文字にはいくつも種類があります。

【勘亭流(芝居文字)】


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歌舞伎でお馴染みの文字です。安永8年(1779)、中村座春興行「御贔屓年々曽我」の絵看板で、岡崎屋勘六が中村座の依頼で生み出したのが勘亭流の始まりと言われています。

勘亭流のデザインは、太い筆に墨をしっかりとしみこませて、文字を内側に巻き込むようにして枠いっぱいに描かれています。はじめて見た方が感じる「なんて読めばいいんだろう?」と面食らう感じこそが、まさに勘亭流の魅力です。芝居通の遊び心が文字にでも出ているんですね。

日本らしさを伝える江戸文字のデザイン②

【相撲字(根岸流)】


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こちらも、名前の通り相撲の番付で使用されている文字です。江戸の相撲番付は最初の頃は庶民にわかりやすい一般的な文字が使われていました。しかし、根岸兼吉によって相撲字が生み出されてからは行司の必須文字にもなりました。

相撲字のデザインは、直線的な肉太の線で力強く書かれており、隙間は作りません。相撲字の魅力は、文字が相撲を現している点です。隙間なく埋め尽くされた文字が、力士たちを現しているように見えてきませんか?

日本らしさを伝える江戸文字のデザイン③

【寄席文字(橘流)】


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起源となっているのは、ビラ文字です。寄席のビラやポスターに書かれ、宣伝に使われていた文字です。寄席文字のデザインは右上がりの筆勢で、墨をたっぷりと使用して書き上げます。この時一気に書き上げるのが特徴です。寄席文字は、お客さんが文字のように一杯入るようにという意味がこめられており、余白が少ないのが魅力です。

日本らしさを伝える江戸文字のデザイン④

【籠字】

大きな看板や、提灯にかかれている文字です。一筆で文字が書きにくいため、ぼこぼこした提灯などに使用しますが、文字の輪郭を書いてから中を塗り込むといった手法が使われています。千社札で使われているのも、この籠字です。

文字を読ませることよりも複数の文字を抱いて一文字に造形するデザインを使っており、絵のような仕上がりになります。まさに、読ませるというよりも遊び心と洒落っ気がいっぱい詰め込まれているのが籠字の魅力でしょう。

江戸文字の書き方、体験、習える場所

江戸文字を体験する方法は今もあります。もっとも手軽なのは、通信教育でしょう。見本の文字をなぞっていくといった勉強法になりますが、江戸文字の書き方を実地に習得できます。

勘亭流を学びたい人におすすめなのは「江戸文字ワークショップ・勘亭流教室」です。見学も可能で、入会後は月2回程度稽古を受けることができます。東京都台東区にある生涯学習センターで受講できます。

橘流寄席文字を学びたい人には「橘流寄席文字勉強会」で開催されている教室がおすすめです。東急セミナーBE自由が丘・田中金華堂で行われているので、チェックしてみてください。

他にも住んでいる地域などで変わってきますが、ホームページで調べると意外にも情報は豊富に出てきます。

江戸文字を使った商品

江戸文字を使った身近な商品でもっとも手に入れやすいのは、千社札です。千社札を自分の名前で作ることもできます。他にも、お茶漬け海苔や「きんつば」など身近なものにも使われていることもあります。

ふるさと納税で、江戸文字を使用した名札を購入することもできるようです。意外と身近に使われている江戸文字、ぜひ探してみてはいかがでしょうか。

江戸文字職人さん

現役の江戸文字職人さんを紹介します。

江戸文字職人・鶯春亭梅八さん。「江戸文字職人梅八のブログ」を配信している職人さんです。あの「笑点」の文字もこの鶯春亭梅八さんが書いたんです。茨城県稲敷市切通し町の「えどさき笑遊館別館・蔵(くら)」にいらっしゃいます。

 

江戸文字職人・大石智博さん。アトリエ創藝館の親方を務める職人さんです。

 

江戸文字職人・加藤木さん。江戸文字デザイン展などで活躍している職人さんです。他にも現在江戸文字職人を目指して修行している若い人も多くいるため、これからどんどん増えていくかもしれませんね。

江戸文字の魅力

いかがでしたでしょうか。ご紹介した江戸文字はどれも遊び心があり、使う場所の魅力をしっかりと伝えてくれる文字ばかりです。街を歩いていても、なんとなく目をひかれる看板も江戸文字が多くあります。

そんな江戸文字の魅力にひかれて、習い始める人も少なくありません。ぜひ、興味のある人は江戸文字を勉強してみてはいかがでしょうか。現代では珍しい、素敵な特技になることでしょう。

海外へも多大な影響を及ぼした「伊万里焼」の魅力

伊万里焼とは?

伊万里焼とは、佐賀県の有田周辺で生産される磁器のことです。 今から400年ほど前、豊臣秀吉の命により朝鮮からその技術を持ち帰り、佐賀県の有田周辺にて磁器づくりを始めたのが始まりです。

朝鮮から持ち帰った磁器の技術から始まり、中国の技術、そして陶工の努力を重ね合わせ、焼き物の品質や見た目も向上していきます。

伊万里焼が出回ったのは1624~1643年ごろで、関西地域にて庶民の間で広まり、その後1661年ごろから他の地域へも広がり始めていきます。

「伊万里焼」と呼ばれる理由ですが、当時は国内の他の地域へ運びだされる時は、船を利用するのが一般的でした。 そのとき利用した港が「伊万里港」であったため、その陶器は伊万里焼と呼ばれるようになりました。

始まりは朝鮮の技術、そしてそこから陶工が努力を重ねて独自でつくりだしたのが伊万里焼です。

元は同じだった伊万里焼と有田焼


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国内で有名な陶器といえば伊万里焼と有田焼ですが、実はもともとは同じものです。 伊万里焼は上記のように、運搬の際に伊万里港から運びだされるために「伊万里焼」と呼ばれるようになりましたが、この陶器を作っていたのは有田周辺地域です。

の後明治時代に鉄道が整備されると、船ではなく輸送手段として鉄道を利用するようになったため、有田周辺地域の中でも有田で生産されるものは有田焼、そして伊万里で生産されるものは伊万里焼と分けて呼ばれるようになりました。

有田焼と伊万里焼は発祥やもともとの技術は同じですが、作られている地域が違うことから別の名前で呼ばれるようになったのです。

伊万里焼の特徴

伊万里焼の特徴は、なんといっても繊細な絵付けです。 素地は乳白色や薄い青が用いられることが多く、絵柄は青や赤、緑や黄色など一色で彩られたものから、多彩な色使いをしたものまで様々です。

よく描かれる模様は幾何学、動物、草や花で、皿や壺、花瓶などの作品があります。 絵柄につかわれる色味が薄くモダンな印象であり、深く優しい印象を与えます。

白磁が美しく、ガラスのように手触りもなめらかであり軽いのも特徴です。 磁器なので陶器よりも薄くて軽いですが、耐久性もあるので日常的に使うことにも適しています。

伊万里焼の海外への影響


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国内で有名になった伊万里焼は、その後海外へも輸出されていきます。 当時の日本は鎖国されていましたが長崎だけは貿易が許されていたので、そこから諸外国へと渡っていきました。

特に外国の中でもヨーロッパでの人気が高く、当時の貴族はこぞって磁器を集めるようになりました。 ドイツのザクセン選帝侯アウグスト2世は、磁器の収集館を建築するなど、多くの人々を魅了していきます。

現在西洋で磁器のトップと称されるマイセンですが、そのマイセンも伊万里焼の影響を受けています。 伊万里焼が輸出された当時はまだ西洋の磁器の技術は高いものではありませんでしたが、各国が競うように磁器製造を行うようになりました。

このように伊万里焼は国内だけではなく諸外国にも輸出され、その後の磁器製作に大きな影響を与えています。

伊万里焼を伝える鍋島藩窯公園


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鍋島藩窯公園は、佐賀県の伊万里市の大川内山にある公園です。

伊万里焼の歴史や伝統を伝える公園として有名であり、伊万里駅からバスで15分の位置にあります。 山に囲まれた景観となっていて、道をすすんでいくと古壺跡などの文化遺産があります。

緑や川など自然に囲まれており、遊歩道も設置されているので、散策するだけでも十分に楽しむことができます。 道を進んでいくとオブジェや陶工の家などがあり、歴史を感じることができます。当時の陶工が使っていた道具なども見学することができます。

どんなことに使う道具なのかの説明も書いてあるので、単に見学をするだけでなく学ぶこともできます。 そのまま道を進んでいくと広場や展望台もあり、緑にかこまれた街並みを一望することもできます。

鍋島藩窯公園

磁器の橋、伊万里焼の橋


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伊万里は磁器の町として有名ですが、そんな伊万里では市街地を歩くと多くの伊万里焼に出会うことができます。

その中には磁器で彩られた橋もあり、伊万里焼のオブジェが設置されている橋、欄干に陶板がはめこまれた伊万里焼の橋など、歩くだけでも伊万里を堪能することができます

青や赤、多彩な色でつくられた美しい橋は見もので、 磁器で装飾された橋やオブジェはあちこちにあるので散策してみても良さそうです。

龍や花が描かれた陶板、鳥や壺のオブジェなど、橋によっても個性があるのでいくつ見ても飽きることなく見学することができます。

伊万里焼の深い美しさ

伊万里焼は伝統的な日本の文化です。 その歴史は古く、400年前も昔にさかのぼります。

伊万里焼ならではの繊細な色使いは見ているだけで落ち着く、優しい色合いをしています。 食器として日本の暮らしに広まり、外国人をも魅了していきましたが、その技術は今もなお伝承されています。

日本には昔から伝えられている素晴らしい文化や技術がありますが、伊万里焼もその中の1つです。

長く伝承されるだけあってとても美しく、眺めるだけでも感動します。 鮮やかですが派手ではなく、つい見とれてしまうような深い美しさが大きな魅力となっている磁器です。

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