「一日千秋」という四字熟語を知っていますか?よく知っているという方もいれば、初めて聞く言葉だという方もいるかもしれません。使い方は、 「一日千秋の思いで彼女からの連絡を待った」 などといった使い方をします。
読み方は「いちにちせんしゅう」、「いちじつせんしゅう」のどちらも用いられます。 では、実際にはどんな意味で、どんな場面に使うのでしょうか。また、なぜ「春」ではなく「秋」なのでしょうか。 「一日千秋」の意味や由来、使い方などを見ていきましょう。
一日千秋の意味
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一日千秋とは、「一日が千年先に思えるかのように待ち遠しくて仕方ない」という感情の例えです。つまり、目的の物事や人が早く来て欲しいと強く願うことを表わしています。
「春」ではなく「秋」という文字が用いられるのは、かつて農耕においては秋は稲穂が実り収穫の時期が訪れる重要な時期であり、もともと「秋」には「時」という意味も併せ持っていたためです。
このように、「千秋」とは秋が1000回巡ってくることを指し、すなわち1000年の間を過ごすように待ち遠しいといった様子のことを表わしています。 いずれにしても、人に対して使う場合には、待ち遠しくてたまらないという意味が込められた、情愛の念が非常に強い言葉であるといえます。
一日千秋の由来
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では、一日千秋の由来は、どんなものでしょうか。
「彼采葛兮 一日不見 如三月兮 彼采蕭兮 一日不見 如三秋兮 彼采艾兮 一日不見 如三歳兮 」
これは中国でつくられた詩経の「王風・采葛」という文章で意味は次のようになります。
葛を採るのにかこつけて、出かけてみたものの好きな人とは会えず、1日が3ヶ月のように感じられる。 蕭を採るのにかこつけて、出かけてみたものの好きな人とは会えず、1日が3度秋が巡ったように感じられる。 艾を採るのにかこつけて、出かけてみたものの好きな人とは会えず、1日が3年のように感じられる。
このように、「王風・采葛」では、草摘みをする乙女たちの恋する気持ちが歌われていて、この中の「一日不見 如三秋兮」つまり、「一日見わざれば三秋(さんしゅう)の如し」という一節の「三秋」が強調されてやがて「千秋」となり「一日千秋」となりました。