目次 写経の効果ってこんなにすごい!心がすっきりする秘密 写経の効果で、忙しいあなたにも優しい時間を 毎日の習慣に写経を!ココロの余裕が生まれる効果あり? 写経を習慣に!初心者でも始めやすいステップ 写経を続けるコツ!習慣化で心にゆとりを 写経習慣を楽しむアドバイス 東京編「写経体験できるお寺7選」貴重な夜開催も 京都編「写経体験できるお寺7選」 写経の効果ってこんなにすごい!心がすっきりする秘密 写経(しゃきょう)と聞くと、どんなイメージを持ちますか?仏教の経文を丁寧に写すことから始まるこの習慣は、実はただの作業ではありません。写経には、心を整える不思議な効果があると言われています。 まず、写経をすることで集中力が高まります。細かい文字を写す必要があるため、心が一点に集中し、日々の雑念(ざつねん)(余計な考えや心配事)を忘れさせてくれるんです。これが、心がすっきりする秘密の一つです。 さらに、書くという行為自体がもつリラックス効果も見逃せません。リズミカルに筆を動かすことで、ストレスが軽減され、心が穏やかになるとされています。書き続けるうちに、心が整っていく感覚を実感できるでしょう。 そして、書いた後の達成感は、さらなる心の余裕を生み出します。一枚の写経が完成すると、自分で何かを成し遂げたという満足感があり、それが自信につながるんです。 このように、写経はただの文字を書く作業ではなく、心が整うための素晴らしいツールです。試してみたくなりませんか?次の段落では、忙しいあなたにもできる写経の取り入れ方をご紹介します。 写経の効果で、忙しいあなたにも優しい時間を 忙しい毎日の中で、ほんの少しの時間を自分だけのために使う。そんな贅沢な時間が、写経にはあります。写経は、短時間でも心を落ち着ける効果が期待できるのです。 たとえば、朝の忙しい準備の前や、夜、一日の終わりに10分だけ筆を取ってみる。そんな小さな習慣が、一日のストレスから解放してくれるかもしれません。一筆一筆に心を込めることで、自分自身と向き合う時間を持つことができます。 そして、写経はどこでも始められるのも魅力の一つです。特別な道具がなくても、筆ペン一本あれば始められます。自宅でも、公園のベンチでも、あなたが落ち着ける場所ならどこでもいいんです。 写経を通じて見つけることのできる、ゆったりとした時間。それはまるで、忙しい一日のオアシスのよう。少しの時間を投資するだけで、心に大きな効果をもたらしてくれるはずです。次の段落では、写経によってもたらされる心の余裕について掘り下げてみましょう。 東京編「写経体験できるお寺7選」貴重な夜開催も 東京編「写経体験できるお寺7選」貴重な夜開催も 京都編「写経体験できるお寺7選」 京都編「写経体験できるお寺7選」 毎日の習慣に写経を!ココロの余裕が生まれる効果あり? 毎日のルーティンに、ちょっとした写経を加えてみるだけで、私たちのココロにはどんな変化が現れるのでしょうか?実は、写経には習慣として取り入れることで得られる効果があります。 書く、という単純な動作が、脳を活性化し、集中力や記憶力の向上に役立つとされています。これは、特に忙しい現代人にとって、大きなメリットです。日々のちょっとしたスキマ時間を活用して、写経を楽しむことで、日常生活にもプラスの効果をもたらすでしょう。 また、定期的に写経を行うことで、自己管理能力の向上やストレス耐性の強化といった精神的なメリットも。ココロに余裕が生まれると、人間関係や仕事の効率も良くなることが期待できます。 では、実際に毎日の習慣として写経を取り入れるには、どのように始めれば良いのでしょうか?次の記事で、写経を生活に取り入れるための具体的なステップをご紹介します。そこでは、初心者でも簡単に始められる方法をお伝えするので、ぜひご覧ください。 写経を習慣に!初心者でも始めやすいステップ …
-
-
常滑焼と聞いてまず何を思い浮かべるでしょうか。 ほんのりと朱色をまとった急須の姿ではないでしょうか。常滑焼は、常滑焼と言えば急須と言われるほどに、急須が有名な焼き物です。 今回はなぜ急須が常滑焼の代名詞となったのかと共に、常滑焼の魅力や楽しむことのできる喫茶店などを紹介します。 常滑焼とは 出典:写真AC 常滑焼は愛知県常滑市を中心に古くから製造されている焼き物であり、常滑を中心に知多半島の丘陵地に多くの窯があります。 唐津焼や美濃焼などのようにその知名度は極端に高くはなく、焼き物といえば?という質問において最初にくるようなものではないかもしれません。 しかし、実は急須のシェアが一位になっており、急須といえば常滑焼と言われるほど、よく製造されており、多くの人に親しまれています。今現在、一般的な急須のイメージを作り上げたのが常滑焼であり、身近に使われている焼き物となっているわけです。 常滑焼の歴史 常滑焼は平安後期から作られたものであり、当時から日用品、小皿などが多く製造されており、高い品質で愛されていました。 江戸時代においては、常滑村・瀬木村・北条村の三か村で焼かれるものが常滑焼と総称されるようになりました。現在、日本において急須の焼き物として、常滑焼が最も有名となったのは中国の朱泥に近い色を出すことができたからです。 今でも赤い色味を持った急須をイメージする人が多いと思いますが、それを作り出すことができたのが常滑焼になります。 常滑で初めて急須を作ったとされるのが、杉江寿門堂であり、安政元年に常滑の医者で急須の収集家でもあった平野忠司が指導をしつつ、今の赤い急須の原型が出来たとされています。 常滑焼の特徴 出典:写真AC 急須の朱色からもわかるように常滑焼の特徴としてあるのが、原料に含まれている鉄分を赤く発色させるところです。これが極めて特殊な技法であり、常滑焼の大きな特徴になっています。 酸化鉄を多く含んだ陶土を用いることによって、お茶を煎れたときに酸化鉄と茶のタンニンが反応して、渋みがよくとれるようになります。 その反応により、お茶の渋みが良く取れ、丁度良いまろやかな味わいでお茶を楽しむことができるようになっています。そこがまさに常滑焼の急須が長く親しまれている焼き物になった要因とも言えるでしょう。 単純に色が中国の朱泥に近いという理由だけで急須に用いられるようになったわけではなく、純粋に美味く煎れることができるようになっている、という特徴があるわけです。 明治時代に入るとそのままの伝統技術は継承しつつ、西欧技術によって機械化が革新的に進んでいき、焼酎瓶や煉瓦タイル、衛生陶器なども高い品質で作るようになりました。 常滑焼といえば急須 急須といえば常滑焼、常滑焼といえば急須と言われるほどですが、その要因となったのはやはりその朱色です。 原料に含まれる鉄分と陶土に混ぜこまれている酸化鉄によって赤く発色しているわけですが、これは非常に耐水性にも長けています。水を吸わないので急須に最適です。 また常滑焼は、基本赤色ですが最近では釉薬をかけることによって、様々な色を出すことができるようになっています。 常滑焼を楽しめる喫茶店 出典:写真AC 常滑焼を色々と楽しめる飲み方ができる喫茶店があったりします。そうしたサービスを提供しているのが、Cafe 常観堂というカフェです。 この店では急須で珈琲を楽しむことができます。急須で珈琲を煎れてもらい、湯飲みで楽しむ、という和テイストのカフェとなっているのです。 さらには常観堂では、初心者から上級者まで楽しむことができる焼き物体験サービスがあります。常滑焼の職人と作家と連携して、本物の陶芸体験ができるようになっています。 …
-
城や蔵など古くから受け継がれてきた伝統的な建築物の壁が、白い建材で作られていることに気付いている方は少なくないでしょう。 伝統建築に用いられている白い壁は、ペンキなどで着色しているものではありません。 白く見える城や蔵などの壁に使われているのは漆喰(しっくい)と呼ばれる建材です。 かつて運動場にライン引きで白線を引くのにも用いられた、消石灰が原料となっているので一般的な漆喰の壁は白くなります。 日本各地に点在する歴史的建築物の壁は、土壁を漆喰で仕上げたものが多いのが特徴です。 漆喰は外装材としても内装材としても使われる非常に便利な建材で、古くから日本国内だけではなく世界中で使われている優秀な建材が漆喰です。 漆喰の歴史 出典:写真AC 漆喰が用いられた最古の建造物だと考えられているのが、今から約5,000年前に作られたと言われているピラミッドです。ピラミッド以外でも古代ギリシャやローマ時代の建築物に漆喰が用いられていることが確認できます。 シルクロードを経由し漆喰の加工技術は中国にもたらされます。 高松塚古墳やキトラ古墳などの飛鳥時代の建造物に漆喰が用いられていることから、日本には約1,300年前に漆喰の加工技術が渡ったと考えられています。 その後、城郭建築に漆喰が用いられ多くの城の壁が漆喰で飾られます。漆喰を多用したものとして白鷺城と呼ばれる、兵庫県の姫路城などが代表的なものです。 高級建材である漆喰は富の象徴として、江戸時代には豪商や豪農の蔵や神社仏閣にも用いられるようになり、日本国内で独自の漆喰の技術が育まれます。 現在日本国内には本漆喰、土佐漆喰、既調合漆喰、琉球漆喰の4つの漆喰と、安価な上に漆喰の機能を有する漆喰関連製品と呼ばれる計5種類の漆喰が存在します。 漆喰の材料・作り方 既に紹介したように漆喰は消石灰を主原料として作られます。消石灰は石灰岩に塩を加えながら1,000度以上に加熱して作られます。この消石灰に水を加え麻や藁などの補強剤、海藻を焼いて作られた糊と呼ばれる接合剤を加えて混ぜたものが漆喰と呼ばれます。 雨の多い地方では鯨油や魚油、菜種油を練りこむことで防水性を高める加工も存在します。 屋根に使用する漆喰や壁の仕上げの前の中塗りと呼ばれる漆喰には川砂などの骨材が加えられるほか、近年では補強剤に天然素材ではないナイロン繊維やガラス繊維などの化学繊維を用い作られます。 また、接合剤を補強する水溶性樹脂メチルセルロースやアクリル樹脂、酢酸ビニル樹脂など様々な樹脂を用いて作られる漆喰も存在します。本来は白であった漆喰も、近年では顔料を加えることでカラーバリエーションを付けることが盛んに行われています。 漆喰の壁のメリット・効果 出典:写真AC かつて漆喰は優れた耐久性と防火性が認められ、城郭や蔵の建築に用いられました。近年の研究では、次に挙げるような漆喰の新たな能力が確認されています。 ○消臭能力:京アルカリの消石灰で作られる漆喰には、匂いの原因となるカビや細菌の繁殖を抑制する能力があると言われています。 ○化学物質の分解能力:漆喰の壁はハウスシックの原因であるホルムアルデヒドを吸着し分解すると考えられています。 ○保温能力:漆喰は熱伝導率が低い、いわゆる断熱材としての働きを行います。外部の熱の影響を受けないことから冷暖房の効率を向上させると言われています。 ○湿度調整能力:土壁は表面を仕上げる漆喰を通して、空気中の湿度が高ければ湿度を吸収し、低ければ湿度を排出する働きがあります。漆喰の仕上げをするだけでも室内の湿度調整をしてくれると言われています。 漆喰の壁のデメリット 出典:写真AC 世界中で古くから用いられている顕在の漆喰ですが、新しい建材に比べると見劣りしてしまう点などもあります。漆喰の壁には次に挙げるようなデメリットがあると言えます。 ○ひび割れしやすい:化学合成された糊や接着剤を使用しない漆喰は、衝撃を受けるとひび割れてしまうことがあります。 …
-
ガラスやプラスチックとはまったく違う、特別な質感と重みをもった焼物。日本には長い歴史と伝統文化の中で練り上げられてきた特別な焼物が数多く存在します。工芸品としても人気の高い焼物は、旅先などで陶芸体験を通して気軽に作ることができます。時間を忘れ作陶に没頭する時間は、日々の忙しさを忘れさせてくれることでしょう。焼きあがった作品が手元に届くまでの時間も、旅の記憶を思い起こすことができていいですよね。今回は旅先で人気の、気軽に参加できる陶芸体験をご紹介します。 陶芸体験①萩焼(萩焼会館) 山口にある萩焼会館の陶芸体験では、上品で繊細な萩焼の伝統と技を体験できます。絵付け、手びねり、ろくろの3つからコースから体験内容を選ぶことができ、料金は30分1,200円から。陶芸の体験が初めての人も、やさしい指導で安心です。憧れの萩焼を自分の手で作ることができます。 2名からの受付ですが、当日でも申込が可能です。萩焼会館の売店のスタッフに、陶芸体験希望と伝えると申込できます。10名以上は予約が必要になりますので、電話またはFAXで申し込みましょう。 150人まで受付可能なので、グループや団体で楽しむこともできます。 【料金】 絵付け 1200円から(税抜送料別) 所要時間約30分 手びねり 2000円から(税抜送料別)所要時間約60分 ろくろ 4000円から(税抜送料別) 所要時間約30分 【体験時間】 午前9時から11時半 午後1時半~3時半の30分ごと(作品の焼成完成まで1~2ヶ月) 【予約電話】 0838-25-9545 【予約FAX】 0838-25-8159 【営業時間】 午前8時から午後5時 【定休日】 年中無休 【アクセス】 自動車 中国自動車道美祢東JCTから小郡萩道路絵堂ICを出て、約30分 バス 萩循環まぁーるバス東回り萩焼会館前で下車、徒歩1分徒歩 JR東萩駅から徒歩10分(約800メートル) 陶芸体験②伊豆白浜焼(ほけきょ庵) 出典:陶芸体験ほけきょ庵 伊豆旅行に行く際に外せないのが、ほけきょ庵の陶芸体験です。ほけきょ庵最大の特徴は、経済産業省経営革新認定の伊豆の風景や名物を模した工房オリジナルの焼き物。「伊豆白浜焼き」「伊豆の桜と菜の花焼き」「恋人岬 夕日焼き」などの「伊豆の焼き物体験」ができることです。名前の響きから、他の焼物とは一味違いますよね。 粘土の量、作品の数、作陶時間の制限なく陶芸体験をすることができ、気に入った物を焼き上げるスタイルです。伊豆高原の森林に囲まれた工房で自然を堪能しながら陶芸体験を楽しむことができるので、リフレッシュにも最適です。予約無しで気軽に体験することができるので、家族や恋人、友達との想い出作りにいかがですか? 【料金】電動ろくろ 3500円から(1名様) ※フリードリンク込ドッグラン無料。粘土約2.5キロと、1個焼成の価格となります。粘土の追加は約2.5キロごとに500円。焼成の追加は1個焼くごとに1000円~。作品の焼成完成まで約90日前後。 【申込方法】 基本的に予約なしでOK、8名以上の団体の場合3日前までに、コース料金を振り込んで予約します。 【予約電話】 0557-54-0770 【受付時間】 午前10時~午後5時 …
-
佐藤賢吉さん(@ken_tatamiya_sendai_)がシェアした投稿 – 10月 26, 2017 at 11:25午後 PDT かつて、日本家屋が一般的だった時代には、畳の敷いてある和室がどこの家にもありましたが、建築様式の多様化とともに洋室のほうが多くなり、フローリングの部屋だけという家やマンションの部屋も多くなりました。 しかし、畳の香りやごろんと大の字になって寝転んだ時の気持ちよさは、フローリングでは得られないものがあります。今回は、そんな日本の畳文化についてお話しします。 古事記にも記載が残る畳の歴史 仏教とともに中国から伝来した文化が多く見られますが、畳は日本固有の文化で古事記に「菅畳八重」「皮畳八重」と記されています。その頃は、現在のような畳ではなく、コモを敷き重ねていたと考えられています。 奈良時代に使われていた畳が正倉院で保管されているのですが、これが現存する最古の畳になります。聖武天皇が使用した「御床畳」(ごしょうのたたみ)と言われるもので、真薦(まこも)を編んだものを5、6枚重ねて土台にして、その上にい草の薦がつけられ、錦の縁が施されています。 そして、現在使われている畳の形に近くなってきたのが平安時代のことで、貴族の家屋が寝殿造りになってから、板敷きの上に畳を敷いて座具や寝具として使っていました。また、畳の厚みやへりの部分の柄や色は、身分によって変わったそうです。しかし、当時は畳を敷き詰めるのではなく、寝所など必要な場所に畳を家具のように置いて使っていました。 鎌倉時代から室町時代にかけて、書院造という建築様式に変わると、畳を敷き詰めるようになったそうです。しかし、まだまだ畳は贅沢品で貴族や武士の屋敷にしか使われていませんでした。やがて、江戸時代に入ると、数寄屋造りの家や茶道文化が発展し、それとともに徐々に庶民の暮らしにも畳を敷く文化が入ってきたそうです。江戸後期になると畳職人も現れますが、本格的に畳が一般化したのは、明治維新以降、柄などの規制が解かれてからのことでした。 畳はなぜ心地いいのか Kazuhaさん(@ippachan)がシェアした投稿 – 10月 26, 2017 at 1:22午前 PDT フローリングのほうが安価だということもあり、畳のない家も増えましたが、やはり畳には畳の良さがあります。い草はストローのような形状になっているため、中に空気が含まれています。そのため、夏はその空気が熱気を遮断し、冬は外の冷気を遮断することができるのです。 断熱材のような役割を果たすと同時に保温機能も優れているため、夏は涼しく、冬は温かいという理想的な温度を保つことができます。また、畳の香りを嗅ぐと、ほっとした気持ちになりますが、これは畳のい草には森林浴をした時と同じくらいの鎮静効果があるからです。 そして、い草の色は、最初は若草色をしていますが、年月が経つにつれ飴色に変化し、それはそれで味わい深いものになります。また、い草は湿度調整にも役立ち、湿気が多いときにはそれを吸収し、乾燥している時には水分を空気中に放ちます。そして、抗菌性にも優れていることから、医薬品や食品へのい草の応用について研究が進められているのです。 畳の種類 須藤聖さん(@buyon4)がシェアした投稿 – …
-
世の中には様々な職業があり、誰しも何かしらの仕事をしています。そんな職業の中で皆さんは「宮大工(みやだいく)」という職業をご存知ですか?プロフェッショナルの職人さんのイメージがある職業ですね。今回は知られざる「宮大工」という仕事に焦点をあてて、詳しく説明いたします。 宮大工とは 出典:ウィキペディア 「宮大工」とは、「神社仏閣の建築や補修に携わる大工」さんのことです。現代の日本で「宮大工」は、非常に貴重な職種であり、現在では宮大工の継承者は、わずか100人ほどと推定されています。 昔の宮大工は、師匠から弟子への技術の継承という形で成り立っていましたが、現代では会社員として雇用することで、宮大工の後継者断絶を防ごうとしている実情があります。 宮大工と大工の違い 大工の建築技術は宮大工の建築技術とは違い、組み立て型のオートメーションであり、コンピューターでの設計や機械によるパーツの生成などを行う新しい技術が主流となっています。しかし、宮大工の世界では、殆ど使わなくなった槍鉋(やりがんな)を用いるなど独特の技術、技法を使うため、その継承や習得が難しいとされています。 国内の国宝・重要文化財級の建築物修復を行えるの宮大工は、全国にたったの5社ほどしか存在していません。 具体的な大工と宮大工さんとの違いを解説します。まずその違いは工法の違いです。現在主流となっているのが、「在来工法」です。在来工法の特徴としては、機械で加工された木材を使用して、釘や補強金物を使いながら作業を進めます。その為工期の短縮や、コストの削減などを行えることによりも大幅に抑えることができるメリットがあります。 一方、宮大工の仕事となる神社仏閣などの日本古来の建築物では、「木組み工法」と呼ばれる工法で建てられています。こちらの場合は、使用する木材も全て手作業での加工となる為、工期もコストもかかってしまうのです。つまり宮大工は木組みの技術を習得している大工であります。 宮大工の仕事内容 出典:ぱくたそ 宮大工の仕事ですが、主に神社や仏閣の建築、修繕を行います。新築工事でだけでなく、改修工事や解体などにも携わります。また定期的な修繕やメンテナンスも仕事のひとつとなります。 前述した「木組み工法」には、手間と時間と技術を要します。木材の加工も現場にて、宮大工自身が行います。見習いの宮大工は、現場の掃除、刃物研ぎ、木材のカンナかけなどを主に行います。これらは基本的な作業ですが、宮大工にとって「木組み工法」は必要不可欠な作業となります。 宮大工の一日 宮大工の一日ですが、基本は明るい時間でしか作業はできません。過酷な現場では、特に日中の作業は体を酷使することになります。安全に集中して作業を行う為、休憩時間はこまめにとるようで、10時・12時・15時の3回休憩を取るのが宮大工では一般的なようです。 朝は7時頃から現場に赴き、季節にもよりますが陽が沈む16時30~17時半に作業終了が一般的で、作業終了後の工具の手入れなどを行うのも大事な仕事ととなります。 宮大工にとって命とも言えるのが道具です。道具の手入れが悪いと木材に影響してしまいます。その為、「腕のいい職人は刃物の研ぎにかける時間が違う」と言われているのです。 創業50年を誇る「有限会社織戸社寺工務所」では様々な社寺建築の修繕や改築を行っています。「神仏の心を我が心とし、世界唯一の「匠の技」を未来に継承していくこと。さらには、神社仏閣を中心とした地域の活性化、地域発展にまで寄与する」この精神を掲げて活動を行っています。 【有限会社織戸社寺工務所】 住所:千葉県習志野市茜浜1-2-7 アクセス:京葉線「新習志野駅」より徒歩14分 URL:http://www.orido.co.jp/
-
アイドルのダンスなどが流行し、動画サイトなどで多くの人が振り付けを真似して投稿するようになるなど、ダンスが社会現象を引き起こすことが、昨今たびたび見られます。 時に大きな影響力をもつのがダンスです。そしてその振り付けをするのが振付師という仕事です。社会現象を起こすこともあることから、現代において振付師は社会に大きな影響を与えることのできる仕事ともいえます。 今回はそんな振付師という仕事を、気になる年収なども含めて詳しく紹介していきます。 振付師とは https://www.photo-ac.com/ 振付師というのは芸能人やアイドルが踊る時に指南することが仕事になります。なので多くの人がイメージしている振付師と実際の振付師の仕事に、大きな違いはありません。 また、実際に振付師になるために特別な資格は必要ないですが、振付師になるためにはダンサーの経験がないといけないという現実があります。 振付師の仕事 実際に振付師がどういう仕事をするのかというと、その名前の通り歌手や芸能人などに踊りを教えるのが仕事となります。したがって振付師として仕事をしようと思った時は、振付師本人にはダンスや振り付けの才能が必要不可欠です。 また振付師というのは、テレビに出ている芸能人だけにその踊りの振り付けをするだけでなく、劇団や日本舞踊、PV、CM等々いろんな踊りを教えるのが振付師になります。 したがって、振付師の仕事は色々な業界で活躍できる仕事になります。しかし、そのためには自分自身も優れた踊り手である事は必須です。なのでどの業界で活躍する振付師は、その世界で一目置かれる存在が現役を退いてからなることが多いという現実があります。 振付師の年収/勤務体系/福利厚生 https://www.photo-ac.com/ 振付師として働こうと思った時に、気になる事に年収の問題があります。 誰を相手に踊りの指導をするかでもかなりその年収に差が出てきます。また、振付師のとしての能力でも変わり、一般的にインストラクターやダンサーも兼任しているという状況があります。 平均的な年収は大体400万円。もちろん、同じ振付師でも年収数千万円という人もいます。そういう人は稀ですが稼いでいる人は稼いでいるのが振付師です。 また、実際に振付師として働きたいけど安定もほしいので、どこかに雇ってもらいたいという人もいるかもしれません。 しかし、振付師という仕事の性質上、個人事業としてやっていく事になるのがほとんどです。なので福利厚生も期待はできないですが、その分能力があればいくらでも稼いでいけるのが振付師になります。 振付師のメリット、デメリット 振付師としてやっていくメリットは、それまでダンスが好きでやってきた人が年齢によって自分で満足のいくパフォーマンスができなくった時に、若いダンサーや芸能人に自分の踊りを教える事で、自分の代わりに考案した踊りを世の中に広めていく事ができるということです。 また逆に振付師として働くデメリットとしてあげられることは、いくらダンスの才能があっても、良い振り付けができても、それがそのまま収入に直結しないというのことがあります。 つまりどこでどういう人を相手に振り付けをするかでも収入にかなり違いが出てくることがあるという事です。その点はサラリーマンのように、みんな同じくらい稼げるという事はないです。 振付師に向いてる人、向いてない人 https://www.photo-ac.com/ どういう人が振付師に向いているのかというと、もちろん大前提には踊りが好きでないといけません。そして人に振付指導をする才能があるかという点も重要になってきます。 この2つが揃っていれば振付師に向いているという事になります。 逆に振付師に向いていない人は、振り付け指導をする際に必要になってくるコミュニケーション能力が低いという人です。人に振り付け指導を行う以上、ただ踊りが好きなだけでは不十分です。 振付師の将来性 振付師の将来性はどの程度あるかという問題ですが、決して甘い世界ではないのですが、小中高の体育の授業でダンスが必修化されるなど、徐々にダンスが一般的になってきています。一般家庭の子供もダンススクールに通う機会が多くなってきたので、振付師の需要はこれから先も一定数あるのは間違いないです。 少なくとも振付師の仕事がなくなるような事は予想されません。 …
-
具体的に各季節を表す季語を5つずつ紹介しながら、その季語を詠んだ俳句を紹介します。 ・春の季語・俳句:陽炎、春雨、桜貝、紅梅、彼岸 「春雨や ものがたりゆく 蓑と傘(与謝蕪村)」 ・夏の季語・俳句:夕立、風鈴、夏草、氷室、炎天 「夏草や 兵どもが 夢の跡(松尾芭蕉)」 ・秋の季語・俳句:鰯雲、落鮎、朝顔、名月、湯豆腐 「朝顔に つるべ取られて もらい水(加賀千代女(かがのちじょ))」 ・冬の季語・俳句:北風、熱燗、神無月、雪、蒲団 「いくたびも 雪の深さを たずねけり(正岡子規)」 季語を指定する季節のお題、俳句の季題について 出典:写真AC 和歌や短歌、俳句などには季節を表す季語とは別に季題と呼ばれるものが存在します。季節を詠む季語に対し、季題は和歌や短歌、俳句を詠む際にお題として季節を表す季語を指定することを指します。 平安時代後期までに五箇の景物と呼ばれる花・郭公(時鳥)・月・紅葉・雪などが和歌を詠む際に季節に関する題目として定められました。 詩を詠むことが貴族階級の娯楽であった時代に生まれた雅な習慣だと言えます。 主に和歌を詠む際に、季題が示されます。俳句は自由に句を詠むことを主題として考えられているので、句を詠むことを楽しむ句会などで難易度を高めるために用いられることがある以外では、季題を設定することはないと言えます。 季語を使わない俳句、無季俳句とは? 既に紹介したとおり俳句を詠む際に季語を用いないという考え方が存在します。無季俳句と呼ばれる手法で、季語を用いずに俳句を詠むことで古い伝統から放たれた新しい俳句が生まれると言う考え方です。 無季俳句の存在は江戸時代の松尾芭蕉の時代から存在し、様々な議論を醸しましたが現在でも結論に至っていません。 近代では夏目漱石の「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」を世に送り出したことで知られる俳句雑誌ホトトギスの主宰者が、花鳥諷詠を俳句の本質として唱えて無季俳句を排斥したことで、俳句は季語を含むべきものとする考えかたが普及しました。 しかし有名な俳人の作品の中にも次のような無季俳句が存在します。 「歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな(松尾芭蕉)」 「亡き母や海見る度(たび)に見る度に(小林一茶)」 「襟にふく風あたらしきこゝちかな(与謝蕪村)」 日本の豊かな四季の移り変わりを表す、俳句の季語 出典:写真AC 世界最短の文学を称され、世界中で愛され高い評価を受ける日本の俳句の魅力の1つは日本人の持つ独特の季節感ではないかと考えられます。 季節の移り変わりを敏感に感じ、それを端的に表した季語は、伝統的に日本人に受け継がれている独特な美意識の賜物ではないかと感じます。そして季語は俳句をつくる重要な要素でもあります。 空調が整い年中美味しいものを楽しめる現代では、少しずつ日本人の季節感や美意識が失われつつあると言えるでしょう。 不意に日常生活において感じたことを17語で表してみると、意外な自分の一面に気づくかもしれません。ハードルの低い俳句にチャレンジしてみるのも良いではないでしょうか。 伝統的な日本人の美意識を取り戻すために季節を敏感に捉える俳句を嗜んでみることは悪いことではないのではないでしょうか。 …
-
生音を響かせるピアノですが、これらの音は全て、ピアノのメンテナンスを行う職人「ピアノ調律師」によって調律や修理されています。 今回はそのピアノ調律師について、気になる収入やなり方・資格などご紹介します。 ピアノ調律師について、イメージが付いている方には 下記のインタビュー記事をオススメします。 100点のない仕事|ピアノ調律師/渡辺順一 ピアノ調律師とは 出典:写真AC ピアノ調律師とは、ピアノの音を調律・修理する職業です。ギターやベースなどは自分の手でチューニング(調律)できるように作られており、チューナーという音を合わせるツールも存在するので、誰でも容易に音を調整することができます。 しかし、ピアノはハンマーが弦を叩くことによって音が鳴るため、内部構造が複雑となっており、ピアノの弦は200本以上にも及ぶため、ピアノ調律師による専門の技術力が必要となります。 また、ピアノは温度や湿度などの多少の環境の変化でも音色に影響してくるとても繊細な楽器です。年数がたてば、弦が緩んでくるため音程が狂ってしまったり、ペダルや鍵盤が動かなくなってしまうこともあります。 ピアノの調律師というのは「ピアノの専門家」でもあり、その守備範囲は広く調律以外の修理に至る部分まで請け負うことがあります。 ピアノ調律師の仕事内容 ピアノ調律師が具体的にどのような仕事を行うか見ていきましょう。 まず、88もある鍵盤を一つ一つ何回か叩きながら音のずれや響きを確認していきます。1オクターブ違う音があっているかもチェックしていきます。 もしも音がずれていたり響きが鈍い場合は、チューニングハンマーと呼ばれる道具を使って弦のチューニングピンを回して音のずれを直していきます。 また、ハンマーのフェルトや硬さによって音色に変化をつける”整音”と呼ばれるものも調律師の仕事です。奏者の要望に合わせて、軽やかな音色や柔らかい音色、重みのある音色などを”整音”によってつくっていきます。 ピアノは打楽器なので、鍵盤を押したときにハンマーが弦を叩き音が鳴ります。この鍵盤からハンマーに力が伝わる部分を調整することで、鍵盤のタッチの感覚がなめらかになり弾きやすくなるのです。 よりリアルな仕事内容を知りたい方には、下記のインタビュー記事がオススメです。 元社会科教師からピアノ調律師という職人の道へ ピアノ調律師の年収・福利厚生 出典:写真AC では、気になるピアノ調律師の年収や福利厚生について見ていきましょう。 ピアノ調律師の年収 ピアノ調律師は、長期の修行によって会得した技術力を発揮して手作業で調律していく一種の「職人」です。 その待遇は小規模な会社と同じくらいのところが多く、大抵は見習いから入るので初めのうちは給与が20万円を超えないところが多いです。 年収にして200〜300万円となるでしょう。 しかし、年収が1,000万に届くケースもあります。 ベテランになり技術が高く有名になれば月に50件以上の仕事をこなすため、年収が1000万円近くなることもあるようです。基本的にピアノ調律の料金は、1回1万円ほどが相場なので、件数を多く獲得できるかが年収に直結してきます。 ピアノ調律師の福利厚生 会社勤めであれば、その会社によって福利厚生が受けられたり手当が発生します。しかし、フリーランスなど会社に所属せずに働く場合には、もちろん福利厚生はありません。 …
-
1分で読める要約 雪舟(1420-1506年頃)は、日本を代表する水墨山水画家で、その卓越した才能から「画聖」とも呼ばれました。現在6点の作品が国宝に指定されており、日本美術史上極めて重要な画家として評価されています。 岡山県の武家に生まれた雪舟は、10歳頃から京都の相国寺で禅の修行をしながら、当時の名手である天章周文に絵を学びました。1467年には明に渡り、約2年間滞在して本格的な水墨画を学び、大陸の広大な自然に触れたことが後の作風に大きな影響を与えました。 雪舟の画風の特徴 ・力強い筆致と安定感のある構図 ・輪郭線の強調 ・広大なスケールの空間構成 ・繊細な線の使い方 代表作には「秋冬山水図」「四季山水図巻」「破墨山水図」などがあります。その影響は後世の画家たち、特に長谷川等伯や狩野探幽らに強く及びました。 幼少期のエピソードとして、寺で柱に縛られた際に涙で鼠を描いたという逸話が有名です。これは彼の並外れた画才を象徴する物語として今日まで語り継がれています。 日本画に多大なる影響を与え、今もなおその作品は国宝として崇められている、日本を代表する水墨山水画家である「雪舟」(せっしゅう)。 その特出した才能から「画聖」という名前でも呼ばれることのある「雪舟」は、水墨山水画を描きに日本の各地に出向いたと言われています。 また「雪舟」が当時描き、現在に残されている作品においても、他の画家では例の見ない6点もの作品が国宝とされているなど、日本国内で最高級の評価を受けています。 500年以上も前に、数々の名作を世の中に残した「雪舟」の魅力とはいったいどんな所にあるのでしょうか。 雪舟の生い立ち・人物像 出典:Wikimedia Commons 雪舟は1420年に現在の岡山県総社市で産声をあげました。武家の家で育った雪舟は、当時は禅僧が文芸や学問を教えていた事もあり、近くにあった宝福寺という寺院にて修行することとなります。 10歳頃になると雪舟は、京都にある相国寺において、後に五山僧としては最高峰の地位まで登り詰めた「春林周藤」に師事し禅の修行を積むこととなります。それと同時に、画家として足利家の御用を務めていた、室町時代の水墨画の名士「天章周文」に絵を習いました。 雪舟は1454年頃には、現在の山口県山口市で「画室雲谷庵」を構えることとなります。そして、1465年頃になると、今まで「拙宗」としていた名を「雪舟」と名乗るようになりましたただし、この説には確たる証拠が存在せず、二人が描いた画の特徴を比べてみた結果から、同一人物であったと言われています。 そして1467年に雪舟の作画を決定づける出来事がありました。それは遣明船で明に渡り、約2年間もの間、明で本格的な水墨画を学び、大陸の広大な景色を感じたことです。 日本の仏教とも関係が深いとされる天童山景徳禅寺で、雪舟は「四明天童山第一座」という位を授かることとなります。 島国の日本とは違い、広大な景色と自然をもつ大陸の姿は、後の雪舟の作風に大きな影響を与えることとなります。それを示すかのように雪舟はこの頃に、風景こそが最大の師だと悟ったと言われています。 風景画に魅入られた雪舟は、中国各地の風景を写生します。なお、この風景画は今でも中国各地に残っています。 1469年に中国から多くを学び日本に戻った雪舟は、精力的な創作活動を行うこととなり、数多くの名画を描きあげることとなるわけです。 雪舟の没年については確かな記録などが残されていません。しかし現在考えられている中で比較的有力なものとして、87歳となる1506年に没したとされる説が多く言われています。また、命日についても8月8日や9月16日など諸説があります。 出典:写真AC 雪舟の才能を表す有名な話があります。雪舟は幼い頃、宝福寺で禅や絵などを修行し学んでいましたが、あまり禅の修行には身を入れず絵をよく描いていました。それを良しとしない住職が、雪舟を本堂の柱に縛り付けます。 夕方になり住職が柱に縛られた雪舟を見に行くと、雪舟の足元に大きな鼠がいることに気が付きました。 住職はその鼠をどこかに退かそうとしますが、鼠が動く様子はありません。それもそのはずです、なんとその鼠は、雪舟が足の親指に床に流れ落ちた涙を使って描いた鼠だったのです。それを目にした住職は痛く感心してしまい、それ以降は雪舟が絵を描くことに理解を示したと言います。 …