「天然氷」という言葉を聞いたことがあるでしょうか? 夏場も近づくとテレビでかき氷の特集の際にこの言葉がよく使われます。 一体天然氷とは何でしょうか?普通の氷とどの様に違うのでしょうか? 天然氷とは、元々は「自然の場所で採取された氷」を指します。 つまり、湖や池、山などから直接採取したものをそのように言うのです。 しかし、いわゆるかき氷の銘店で使われる「天然氷」はもっと深い意味があります。 それは単純に「天然物」という意味にとどまりません。 素材の品質を最大限に活かすために、様々な工夫をして出荷された職人技の結晶なのです。 手間暇かけて作りあげる!天然氷の作り方を紹介 出典:写真AC 高い品質を持つと言われる「天然氷」。 それでは具体的にはどのように作られるのでしょうか? 天然氷は、まず透明さが均等で、ムラがない状態が好ましいとされています。 そのためには、低温で少しづつ生成していく必要性があり、最低でも2週間以上の時間がかかります。 急速に機械的に氷結させるのではなく、自然の力を用いて凍らせていくのです。 なので、氷結は原則野外で行われます。 しかし、そのままにしておくと氷の中にチリが入ってしまいます。 なので、常にゴミが入らないように昼夜問わず管理する必要があるのです。 そして、ムラの出来た部分は破棄したり、かき混ぜて均等になるように常に細かな調整をします。 折角氷結したものの大部分を破棄してしまうことも多いとのことです。 また朝夜の気温の変化や雨などによっても影響を受けてしまうので、都度調整します。 緻密な衛生管理の検査なども日々行われます。 そうして綺麗に氷が張ると、かき氷器の規格に格納出来るような綺麗な四角形に切り出し出荷されます。 また切り出し後の温度管理も非常に大事で、これを怠っても上質な天然氷は作ることが出来ません。 昔ながらの氷保管方法で、「氷室(ひむろ)」と言われる場所で寝かしてから出荷します。 氷室は必須の施設ではありませんが、天然氷の貯蔵の為には最も優れた方法と言われており なんと全国に6件しかありません。 その手間と管理の難しさから、天然氷を製造している業者は全国でも10箇所以下となっています。 少数精鋭の業者が、プライドを持って日々職人技を磨きつつ製造しているのですね。 ここは絶対はずせない!超有名店!天然氷のかき氷屋さん① …
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巫女というのは、主に日本の神に仕える女性です。最も古い巫女は古事記まで遡り天岩屋に閉じこもった天照大神を外に出すために、岩の外で舞を披露した天細女命であるといわれています。そのため、巫女は舞を奉納したり祈祷したりすることで神の言葉を託宣するという位置づけでした。 明治時代に入ると神官の補佐という立場に法律で定められ、占いや託宣よりも、現在のような舞の奉納や参拝客の対応、神官のサポートなどが主な仕事となっています。巫女の装束は歴史が長いことからそれほど大きな変化は見られず、白衣に袴という組み合わせが主流です。 巫女の装束の仕組み photo by DavideGorla 巫女装束の仕組みは、いくつかの衣装を組み合わせて、普段用と巫女舞や神楽用を分けるようになっています。普段の装束は白衣と緋袴、襦袢、掛け襟、草履とされていますが、巫女舞や神楽を舞うときには千早を羽織る他、水干や裳を身に着けることもあります。 また、儀式ではかんざしや切枝などの頭飾りを身に着け、採り物と呼ばれる小道具を手に持ったり、結婚式などで酒器を捧げ持ったりします。巫女装束は薄着になるため、寒冷地では羽織を装束に重ねることもできます。 装束の袴は大きく分けて2種類あり、古くから伝わる長いスカートタイプの切袴は、平安時代の装束である捻襠袴を原型として作られたものです。現在では動きやすさや着脱のしやすさから、キュロットスカートタイプの行灯袴が普段の装束の主流となっていますが、舞を奉納する時などは未だにマチありの切袴を使う神社も多いです。 巫女装束の着方 photo by m_nietzsche 巫女装束の着方は、通常の和服とそれほど大きな違いはありません。但し、神に仕える者ということで、きちんとした着こなしが求められます。 着る順番としては、まず半襦袢を、衿を抜かずに着て、その上に白衣を重ねます。帯位置は胸のすぐ下あたり、通常より高めになります。次に袴をはいて前側の紐を背中で交差させ、前で交差させてから後ろのなるべく高い位置で蝶結びをします。結び目の上に袴の後ろ側をのせ、後ろ紐を右が上になるように前側で交差させてから本結びをすると完成です。 巫女の装束の歴史 巫女の装束の歴史は古く、平安時代の年中行事絵巻にはすでに装束が描かれていました。平安時代には袴の色が好みで選ばれており、緑や紫などの袴を穿いていました。 しかし、室町時代初期になると御伽草子でも紅や紅梅の袴を身につけた巫女ばかりになっており、この頃には赤い袴が徐々に一般化していたと考えられています。 さらに、明治時代になると政府による神社祭祀制度の見直しがあり、巫女装束についても白衣と緋袴が定着しました。袴は動きやすさを考えて徐々に改良が重ねられていきましたが、明治時代になると教育者であった下田歌子が女学生用の行灯袴を開発した結果、従来の袴よりも動きやすく、着脱も楽であったために巫女装束にも取り入れられるようになったのです。 巫女の袴が赤い理由 photo by m_nietzsche もともとは好みの色の袴を穿いていたにも関わらず、なぜ巫女の袴は赤が定着したのでしょうか。これには諸説ありますが、巫女の起源である天細女命が舞を披露したのが、太陽神である天照大神だったからという説があります。緋色は女神であり、太陽神でもある天照大神を象徴する色と考えられていたため、徐々に緋色が正当な装束の色と定着していったというものです。 また、巫女装束の袴の色は年齢によって変化していたという説もあり、未婚女性が緋袴だったことからこの色が定着したともいわれています。この他にも、冠位十二階で制定されている位の高い色として、紫、青に次いで赤が挙げられています。神に仕える女性の色として、高貴な色を割り当てたという説もあります。 巫女の仕事を紹介|気になる給料や巫女仕事で身に付くスキルとは? 神前式の挙式スタイルは?当日までの流れや、新婦新郎の衣装種類 この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
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羽二重餅は福井県の銘菓のひとつです。お土産に選ばれることも多いですが、一口に羽二重餅といっても、厚みがあって歯ごたえがあるものや、柔らかく口に入れるととけるような食感のものなど、お店によってさまざまです。 今回ご紹介するのは、くるみ入りの羽二重餅です。洋風の趣もあるユニークな羽二重餅で、ほどよく甘く、しっかちとした食感も味わえるため、人気のお菓子です。 福井土産に迷っているという人に、ぜひおすすめしたい一品です。 福井のくるみ入り羽二重餅といえば、「金花堂はや川」 유미카さん(@yumika_61)がシェアした投稿 – 8月 8, 2017 at 5:07午前 PDT 福井県で有名な、くるみ入りの羽二重餅といえば、「金花堂はや川」が販売している、『羽二重くるみ』です。 名前の通り、羽二重餅の中にくるみが入っていて、しっとりしたシュークリームの生地でサンドした一品です。 @__asuka1106がシェアした投稿 – 5月 8, 2017 at 7:32午前 PDT 柔らかくほんのり甘い羽二重餅に、煮詰めた和くるみが練り込まれています。外側がシュークリームの生地になっているおかげで、フワッとバターの香りも広がり、洋菓子のような趣もあります。 お茶以外に珈琲、紅茶ととも相性ピッタリです。比較的厚みがしっかりあるのと、生地の食感が加わり、歯ごたえもあるしっかりした食べ応えです。 甘すぎない味わいと、絶妙な食感に、ついつい一つ、二つと手が出そうなおいしさです。実際、福井帰りのお土産として購入する、リピーターも多いのだとか。1つ110円、箱入りは6個から販売されています。 羽二重くるみの日持ちは5日間!地方発送もOK 磯B和Oさん(@bebedeco)がシェアした投稿 – 11月 8, …
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↑なかなか根気のいる作業です! ⑧表側を5色の釉薬で色付けしていく。裏引きと同様叩くようにして、慎重に! とても細かく、繊細な作業です!集中力と忍耐力が必要になってきます。 ↑我ながら綺麗な色合い~ やっと塗り終わりました!世界に一つだけのブローチができると思うとワクワクしますね~!焼いたらどんな風に仕上がるのでしょうか…。 ⑩800~850度で焼成する。 どのように出来上がるのかドキドキです…!炉から出すとだんだん色が変化していきます。その様子がとても幻想的で思わず目を奪われました。 ↑素敵な色に焼きあがりました! ⑩側面のバリ(触ったときに引っかかる部分)をやすりで削り取る。 ↑味のあるオリジナルブローチができました! ⑪ブローチの金具と表面にスワロフスキーを付けて完成!(別料金です) 世界に一つだけのブローチができあがりました。 七宝焼きでは2度と同じ色は出せないのだそうです。そう思うとより一層愛着が増しますね。 七宝焼きはお皿や壷、時計やアクセサリーなど様々なものが作れます。プレゼントで七宝焼きを差し上げたら喜ばれること間違いなしですね!皆さんも是非、世界に一つだけの作品が作れる七宝焼きを体験してみてはいかがでしょうか? 体験先情報 桂七宝研究所(埼玉県) 住所:埼玉県さいたま市南区沼影1-6-27 アクセス:JR埼京線・武蔵野線「武蔵浦和駅」より徒歩5分 体験時間:10:00 ~ 16:00 (6.0時間) 体験料金:9000円
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秋田県大仙市大曲町で行われる大曲花火大会は日本三大花火大会の1つに数えられ、正式名称は全国花火競技大会という花火大会です。2018年大会が第92回大会となる伝統のある花火大会で、正式名称のとおり観客が花火を観賞する目的よりも花火師が技術を競い合う競技大会として催されています。 2018年に開かれる大曲花火大会の第92回大会では、約18,000発の打ち上げが予定されています。西ドイツやハンガリー、韓国などの多くの海外の花火大会での打ち上げを成功させた花火師が技術を競う点でも、国内屈指の権威ある花火競技大会として大曲花火大会は知られています。 また、人口約4万人弱の大仙市大曲地区に、大曲花火開催時には約75~80万人もの観客が押し寄せ大きく賑わいます。 そして、花火の町として知られる大曲を会場として、2017年に第16回国際花火シンポジウムが開催されたことを記念し「大曲の花火・春の章」が2016年から催されています。2018年は約8,000発の打ち上げを予定しておりこの催しは2020年まで毎年開かれる予定です。 大曲花火大会 2018年の日程・アクセス 出典:写真AC 第92回大会となる2018年度の大曲花火・全国花火競技大会は8月25日の土曜日に開催される予定です。昼花火は17:30開始、夜花火は18:50開始となります。また、大曲の花火・春の章として2020年まで開催される花火大会は2018年5月12日土曜日19:00~20:20の予定で開催されます。 年々観客動員数を伸ばしていることから、大曲花火大会事務局では2004年から自家用車の使用は自宅から最寄の公共交通機関までとなっており、目的地には公共交通機関を利用するパーク・アンド・ライドを呼びかけ、交通渋滞の緩和を試みていますが、2018年の大曲花火大会も大きな混雑が予想されます。 大曲花火大会会場に最も早く到着する方法は大曲駅から徒歩で会場に向かうことですが、混雑のために会場までは30分程度かかることを覚悟して下さい。 大曲花火大会へのアクセスでおすすめできるのは既に紹介したパーク・アンド・ライドです。 大曲花火大会の会場となる大曲近郊に用意された無料駐車場に車を駐車し、会場へはJRを利用して向かいます。神宮寺駅近くの神岡支所、刈和野駅近くの西仙北支所、羽後境駅近くの協和支所、羽後長野駅近くの中仙支所の4つのパーク・アンド・ライド基地を利用することができます。 自家用車を利用する場合は秋田自動車道、大曲ICから通常約10分でアクセスできますが、大曲花火大会開催当日は時間が読めなくなると考えて下さい。 大曲花火大会の歴史 出典:写真AC 大曲花火大会は今から108年前の1910年に大曲地区にある諏訪神社祭典の余興として「第一回奥羽六県煙火共進会」として催されたのが始まりと伝えられています。1915年から花火師の技術向上のために技術競技大会として生まれ変わり、名称も現在の全国花火競技大会に改められられました。 第二次大戦中は休止したものの、終戦と共に復活しました。大きな転機となったのは1964年に開発され発表された創作花火です。現在日本国内だけではなく世界中の夜空を美しく彩る、多くの創作花火の歴史は1964年の大曲花火大会から始まりました。 大曲花火大会が現在のような日本有数の大規模な花火大会に成長したのは、秋田新幹線の開通やテレビで全国放送されたことが大きく影響していると考えられます。大曲花火大会の知名度が上がると共に年々観客動員数は伸び続け現在に至ります。 この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
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実家を離れて生活している人が帰省すると「上げ膳据え膳」の好待遇が実家で待ち受けているものですが、お客さん扱いは最初の3日間だけだと言われます。現代ではお膳で食事を摂る訳でもないのに、上げ膳据え膳と言われてもピンとこない人もいるのではないでしょうか。 座っているだけで美味しいものが目の前に出てくる状態をイメージさせる据え膳という言葉ですが、いくつかの意味を持ち合わせています。上げ膳据え膳に代表されるように、受け身の状態を指していると思われる据え膳という言葉を紹介します。 【意味】 もてなしの準備が十分に整っている状態で迎え入れる状況。または、自分では何もせずに人の世話になるだけでいる人のこと。 【由来】 食事は一人膳と呼ばれる一人用の小さなお膳で取っていたことから。 【類語】 「至れり尽くせり」「下にも置かない扱い」 【対義語】 「上げ膳」「独立独歩」「自給自足」「己の頭の蠅を追え」 【英訳】 ー 据え膳の意味 出典:写真AC 現在でも温泉旅館などでは、すぐに食事を始められるように食膳を整えたものが据えられます。完全な形で準備し、食事を摂る人の前に据えることから、もてなしの準備が十分に整っている状態で迎え入れる状況が据え膳と呼ばれています。 また、客人はサービスを受けるだけの状況であることから、自分では何もせずに人の世話になるだけでいる人のことを皮肉って「据え膳でいる」と揶揄する場合もあります。やはり据え膳には良きにつけ悪しきにつけ、受け身の状態であるという意味合いがあります。 有名な言葉として「据え膳食わぬは男の恥」という言葉があります。本来は「準備された食事を食べられないほど食の細い、好き嫌いがあるのは男性として恥である。」という意味を持っていたようですが、転じて男性に好意を持っている女性と、関係を持たないのは男の恥という意味を表しています。 据え膳の由来・言葉の背景 出典:写真AC 日本に、テーブルやちゃぶ台と呼ばれる食卓が存在しなかった時代、食事は一人膳と呼ばれる一人用の小さなお膳で取っていました。現在でも料亭や部屋で、食事を提供している旅館などに残されています。 料理が盛り付けられた、お膳を配膳する行為を据え膳と呼びます。食事後の片づけは「膳を上げる」と呼ばれることから、一般的には配膳の据え膳と片づけの上げ膳が対となって「上げ膳 据え膳」と呼ばれます。 現在では旅先で家事労働から解放された家族がのんびりとくつろげる環境を指していることもあると言えます。 据え膳の使い方 出典:写真AC 据え膳の一般的な使われ方で紹介したものは「3泊4日の旅行中は上げ膳据え膳で心の底からくつろいだ時間を楽しめるわ!」という家事労働を担当する傾向が強い女性目線で料理の準備や提供を指すものがあります。 当然「いつも家事をこなしてくれる妻には、旅行中だけでも上げ膳据え膳を満喫してもらいたい」という男性目線での使い方もできると言えます。 また、情事に関する表現の場合は「彼女相当君のことが気に入っていたのに口説かなかったのか?据え膳食わぬは男の恥というのに」という表現が現代でも男性の間では交わされているという事実があります。 女性の立場からは「せっかく据え膳になってやったのに、意気地のない男でガッカリしたわ!」と、女性目線からの発言でも考えられます。 上記にもある通り、据え膳は旅館からできた言葉です。そこで、「たまには据え膳でゆっくりしたい」という方におすすめの旅館を紹介します。 …
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出典:写真AC 「大晦日」という言葉は、毎年何の気なしに使っている言葉ですが、当然その意味は毎年の終わり、つまり12月31日を指します。 大晦日の語源は晦日に由来し、晦日とは年末年始に限らず月末日を指す言葉です。そんな晦日に年末の特別な日を印象付けるために「大」を付け、大晦日となったのです。 また、月末日は必ずしも30日とは限りませんが、29日で終わる月末日は晦日ではなく九日晦日と呼ばれていました。ちなみに、晦日というのは三十日の当て字になります。 年越しの過ごし方① 除夜の鐘を聞く 出典:写真AC 年越しの過ごし方として一般的なのは、やはり除夜の鐘つきです。直接除夜の鐘を突きに行く倍もありますし、自宅や近場で除夜の鐘つきの音を聞く場合もあります。どちらにしろ、年越しと除夜の鐘は切っても切れない関係にあります。 年を跨ぐようにして鐘つきが行われるため、実際には年越しをする前から各地のお寺から鐘つきの音色が聞こえてくるはずです。 仮に除夜の鐘を突きながら年越しをするのなら、回数制限のないお寺を選ぶと便利です。煩悩を精算する108回の鐘つきが一般的ですが、多くのお寺ではより多くの人に鐘つきをしてもらうために回数制限を撤廃しています。 年越しの過ごし方 除夜の鐘の意味・由来 除夜の鐘はお寺で行われることからも分かるように、仏教に由来する年越しの行為です。 人の身に宿っている様々な煩悩を打ち払うための年越しの過ごし方ですが、108回というのは諸説ありますが、人間が持つ煩悩の数といわれています。また、来世や前世というような、仏教的考えもここに関わっているのも特徴です。 詳しい内訳の説明はかなり複雑なので、1つ1つ覚えるよりも今年1年を振り返る良い機会くらいに考えておいた方がいいかもしれません。 また、僧以外が除夜の鐘に参加できる理由としては、本来なら厳しい修行を経ていれば除夜の鐘は必要ないとされています。そうした修行を積んでいない人向けの儀式だからこそ、多くの人にその場所が開かれているのです。 年越しの過ごし方② 年越し蕎麦を食べる 出典:ぱくたそ 年末年始の過ごし方で最も簡単なのは、やはり年越しそばを食べることでしょう。 最近ではカップラーメンなどで代用する過ごし方を選んでいる方も多く、どんな形であれ年越しの過ごし方として欠かせない行為となっています。 基本的には食べるタイミングは任意ですが、多くの地方では年越し前に食べることが多いようです。自宅でそばを楽しむ過ごし方を選ぶ家庭も多いので、家庭内のルールによって決まっている場合もあります。 使われる具材に関しては地方色が強いことが多く、各地方の特色を活かした年越しそばを楽しめます。 年越しの過ごし方 年越し蕎麦の意味・由来 古くは江戸時代から続いているといわれている年越しそばによる過ごし方ですが、そばは長寿を表していると伝えられています。 細く長い蕎麦を人生に見立てて、この蕎麦のように長く生き続けようというゲン担ぎが発端となったといわれています。 ただし、これは最も主流な考え方なので、他の説もいくつか提唱されています。どちらにせよポジティブな理由から、この過ごし方が始まったことは間違いありません。 次のページからは、年越しにしてはいけない注意点を紹介します。 この記事が気に入ったら …
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国道163号線、京都府南部に位置する道の駅『みなみやましろ村』は、2017年4月に京都南端部の南山城村に新しくオープンした道の駅で、南山城村の暮らしや生活を五感で体験できる道の駅です。 南山城村は人口わずか2600人という村の魅力をたっぷり詰め込んだ道の駅『みなみやましろ村』を紹介します。 道の駅『みなみやましろ村』店舗情報 住所 619-1411 京都府相楽郡南山城村大字北大河原小字殿田102 アクセス JR「月ヶ瀬口駅」より徒歩10分 電話番号 0743-93-1392 営業時間 村民百貨店 9:00~18:00 村のもん市場 9:00~18:00 村茶屋 9:30~17:00 つちのうぶ(食堂) 11:00~16:00 駐車場 大型車:15台 普通車:116台 道の駅『みなみやましろ村』の絶品メニュー 出典:写真AC 道の駅「みなみやましろ村」には、「村風土食堂 つちのうぶ」という食堂があります。つちのうぶとは、漢字混じりで「土(つち)の産(うぶ)」と書き、この土地で生まれたものを使っていることを表しています。 つちのうぶでは、村周辺で採れる野菜を使った「村定食」が人気で、村の生活を体験できるよう、小鉢は村のおばあちゃんにレシピを聞くほど徹底しています。 お弁当も人気で、商品名は「おかん弁当」。名前の通り、村のお母さんたちが一つ一つ手作りをして提供しています。 道の駅『みなみやましろ村』で人気のスイーツ 出典:写真AC 道の駅「みなみやましろ村」で人気のスイーツは、抹茶ソフトクリーム。それも、ただの抹茶ソフトクリームではなく、一番茶を使っている抹茶ソフトクリームです。 …
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伊勢茶とは三重県の旧伊勢国で古くから産出している三重県産100%の緑茶です。(三重県内のお茶の生産量は全国3位)。伊勢茶の起源としては、平安時代に僧侶の玄庵が茶の木を植え、空海直伝の製茶法を伝承したのがはじまりとされた記録があります。 また室町時代の書である「背書国誌」においては、明の恵上人が伊勢の川上に茶樹を分植するとの記録もあることから、伊勢茶には古い歴史があることがわかります。 その後も豊臣秀吉の時代に茶の年貢を収めた記録、江戸時代にも多くの茶税が収められた記録もあることから栽培が盛んであることもうかがえます。 伊勢茶の特徴 出典:写真AC 伊勢茶は南北に長い三重県全域において栽培が広がっています。主に栽培されているのは煎茶ですが、北勢地域と南勢地域で特徴が大きく異なります。 北勢地域では「かぶせ茶」、南勢地域では「深蒸煎茶」をそれぞれ栽培しています。新茶が収穫される時期は4月下旬~5月中旬ごろで、二番茶までしか摘採しないので、葉肉が厚く、コクのある味わいのお茶になります。 煎茶のさっぱりした味、かぶせ茶のまろやかなおいしさ、深蒸煎茶の渋みの少ないコクのある味や香りは高い評価を得ています。ただ、伊勢茶の知名度は静岡県のものや宇治茶、狭山茶と比べるとやや劣ります。 これは戦後の茶栽培の立て直しが滞ったためであり、結果として静岡茶、宇治茶の原料茶となってしまいました。しかし、加工用原料茶(アイスクリームなどに使われる)としてのシェアは全国1位の82%を占めています。 伊勢茶の一種、かぶせ茶とは 「かぶせ茶」は広義としては煎茶に属していますが、栽培方法が煎茶や玉露と異なります。最大の違いは、その遮光期間や栽培方法です。 藁などで茶の木を覆う方法は玉露と同じですが、玉露は茶園全体に遮光幕をかぶせるのに対し、かぶせ茶は木そのものに直接遮光幕をかけて栽培します。茶木に直接遮光幕をかぶせる栽培方法が「かぶせ茶」という名前の由来です。 また遮光期間も3~10日程度と玉露の20日よりも短くなっています。直接日光を遮って栽培するため、渋みのもとであるカテキンが通常の煎茶よりも少なく、旨味のもとであるテアニンが多くなります。 茶葉の色も煎茶より鮮やかになり、幕で覆うことで玉露のような覆い香も発生します。このかぶせ茶の生産量が三重県では1位であり、三重県全体の生産量の約24%を占めるので、伊勢茶はかぶせ茶を代表するお茶といっても過言ではありません。 おかげ横丁の伊勢茶のお店「翠」 出典:翠 当然観光スポットでも伊勢茶の販売は数多く行われています。伊勢神宮そばのおかげ横丁には伊勢茶の製造販売を行っているお店や、伊勢茶ソフトを売っているお店などがありますが、その中でもお茶と抹茶スイーツのお店「翠」を紹介します。 有名なものに伊勢茶の山盛り詰め放題があります。1,050円でお茶の缶に詰め放題(種類は煎茶、かりがね茶、深蒸茶のいずれか)、フタさえできれば詰め放題です。大人は喜び、お子さんもお菓子の詰め放題のようにトライしてくれるので親子で参加するのも楽しそうです。 もちろんスイーツ商品も伊勢茶をふんだんに使用したフロートやソフトクリームがあります。季節によってメニューが異なるので、季節が変わるたびに訪れてもいいかもしれません。 【最も親しまれている茶】煎茶の美味しい入れ方や日本人に長く愛されてきた理由 香り高き「宇治茶」を守る、時代を超え受け継がれる伝統の製法 【わびさびを伝えるお茶の世界】茶道を代表する流派「裏千家」の歴史や魅力 【衝突を避ける日本人の賢い生き方】「お茶を濁す」の意味と由来 この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
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ハイカラという言葉の響きに懐かしさを感じる方は少なくないのではないでしょうか。漠然と目新しい物事を意味する言葉であることは感じるものの、具体的にどのような使い方をするべきなのかや正確な意味合いが掴み辛い言葉だともいえます。 ハイカラはかつて時代の最先端だと考えられていた西洋文化を模倣した服装や生活習慣に始まり、趣味や思考に至るまで全般的なものを指す広い意味を持つ言葉です。西洋風であることが目新しくお洒落であると考える風潮が強い中で生まれた日本固有の造語だと言えるでしょう。 明治から大正にかけての文明開化は洗練された文化的なもの一般をハイカラと呼び、ハイカラであることが持て囃された時代であったといわれています。 西洋的なものが一般的となった現代では、本来ハイカラの意味する西洋的なものが目新しくなくなり、お洒落であるや先進的という意味を指すように変化したと言われています。しかし、日本の近代化が進んだことでハイカラという言葉は次第に使われる機会が少なくなってきたといえるでしょう。 ハイカラの由来・語源 出典:写真AC 西洋的で洒落ていることを意味するハイカラという言葉は、鎖国政策が解かれ西洋の文明や文化が急速に持ち込まれた明治の文明開化の時代に生まれたと言われています。この時代の西洋文化に対する日本人の憧れは非常に強く、服装や生活習慣、趣味や思考に至るまで西洋的であることが良しとされていたといっても過言ではなかったようです。 洗練された西洋文明、文化の象徴のように捉えられていたのが紳士服で、スーツは急速に日本各地に広まり文明開化の時代に非常に多くのスーツ姿の日本人が生まれたと伝えられています。 スーツを着用する際に用いられるワイシャツの襟は高襟と呼ばれ英語でhigh collar(ハイ・カラー)と呼ばれることからハイカラーを捩りハイカラという言葉が生まれました。スーツを着用するのは西洋的でお洒落であるという価値観から、ハイカラはお洒落な物事を指す意味を持つ言葉として広まったと言われています。 ハイカラという言葉が使われた時代背景 出典:写真AC 幕末の維新活動により265年にも及ぶ江戸時代が終わりを告げ、明治時代が始まると江戸幕府の鎖国政策によって長く制限されていた西洋諸国との交流が、活発に行われるようになります。 西洋諸国との交流が始まることで、西洋の文明や文化に触れた日本人は日本が国際的に進む近代化に日本が大きく遅れを取っていたことを知り、近代化を推し進めるために西洋の文明や文化の模倣を行います。西洋の文明、文化の模倣は服装や生活習慣、趣味や思考にまで及び西洋至上主義とも言えるほど急速に日本中が西洋に傾倒した時代であったと言われています。 非常に多くの日本人が西洋の文明や文化に対して強い憧れを持つ時代に、西洋的で洒落ていることを意味するハイカラという言葉が生まれ広く普及したことからも、いかに当時の日本人が西洋の文明や文化に熱狂していたかが理解できるといえるでしょう。 ハイカラな服装とは 出典:写真AC 西洋的な洗練されたという意味を指すハイカラな服装と言えば映画化もされた「ハイカラさんがとおる」のマンガの中に描かれているものを思い浮かべる方も少なくないでしょう。男性は既に紹介したスーツにステッキ、山高帽を着用する場合や和装の袴を着用した場合でも足元はブーツ、頭にはベレー帽などを着用するのがハイカラな服装だとされてました。 ブーツを愛用したことでも知られる幕末の志士・坂本竜馬はハイカラな日本人のはしりだったと言えるでしょう。 一方女性には洋服や日傘がハイカラなアイテムとして広まりました。また男装に用いられていた袴を女性が着用するようになったのもこの時代からだと言われています。 西洋的というハイカラの意味合いからは外れてしまいますが、男性の装束であった袴に西洋から伝わった編み上げのブーツを合わせるスタイルは、ハイカラな女学生に広く受け入れられ全国的に広く普及したと伝えられています。 大正時代の服装の特徴は和×洋?|学生服や貴族、庶民の服を紹介 【別子飴】カラフルでレトロな可愛さ!愛媛土産にオススメの「別子飴」 伝統工芸・城崎麦わら細工がレトロでかわいい この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう