株式会社田中製簾所
東京都伝統工芸品「江戸簾(すだれ)」の東京都伝統工芸士
五代目 田中耕太郎/簾職人
明治初期 初代田中仁助、本所若宮町ですだれの製造を始め、明治38年浅草へ移転。大正元年現在の場所へ。創業以来すだれ一筋に五世代にわたり百余年。伝統の技を受け継ぎ、東京都伝統工芸品「江戸簾」の東京都伝統工芸士は、田中製簾所の2名だけが知事認定されている。
四代目 田中 義弘 五代目 田中 耕太朗
江戸すだれとは
すだれの歴史は古く、平安時代の中期、清少納言によって書かれた『枕草子』の中にも記載あり、宮廷生活の中にすだれが溶け込んでいたことがわかる。江戸すだれの特色は、竹、萩、御形、蒲、よし、などの天然素材の味わいをそのまま生かしているところ。現在では生活の中に風流の心をもたらす粋なインテリア用品として見直されるなど、新たな発展への契機が芽生えつつある。田中製簾所では江戸時代から300年あまりにわたり継承されてきた技術を基礎に、現代の生活様式に合致したデザインと優れた品質の製品をつくりだす努力を続けている。
浅草駅を降りて徒歩10分ほどにある田中製簾所。明治初代から続く”江戸すだれ”の老舗である。”すだれ”と描かれた簾がとても印象的な門構えである。
門をくぐると、竹の匂いとシュッシュッっと音がする。その方向を見ると、竹を削っている田中さんがいた。こちらに気づくとすぐに笑顔で出迎えてくれた。
さっそく、現在五代目として技を磨くすだれ職人の始まりを聞いてみた。
手伝いはしてたけど、継ぐ気はなかった
「この仕事を始めたきっかけは、家業だからというのが大きいですね。ほんとはあまりやりたくなかったんですけどね。僕は五代目で、学生の頃から手伝いをしていましたが、改めて自分がこれを仕事にするのかって考えたときに、つまらなさそうだなと思っていたんですよね。でもそれは手伝っている部分しか見えていなくて、客観的に見たときに、一貫して全部のことを自分自身でできるのはすだれ職人の世界だなと思ったんですね。それは性に合っていました」
ニーズにあった物を作る
すだれは昔から室内のしきりや日よけなどに使用されていた。
田中さんは時代とともにすだれの使い方も変化してきているという。
「うちでは基本的にお客様からオーダーを受けてから制作しています。しきりや日よけでも今はひとりひとり寸法や使う場所も違いますよね。時代とともにインテリアとして使われるようになって、今ではランチョンマットやコースターなどの需要もあります。だからある程度はお客さんの希望に合わせて作らせてもらっています」
江戸すだれの伝統的な材料である、竹、萩、御形、蒲など。これらを用途やデザインによって使い分け、加工方法や編み方を工夫しているとのこと。
最も驚いたのは材料に対する知識の量。
耐久性や防虫性、どんな加工が向いているのか、育った場所の違い・・全てを知り尽くした上で、材料そのものの魅力を編んだ姿に描きだすそう。
そんな田中さんにも苦労している点があるとのこと。
「自分ではどうにでもできない問題が増えたこと。一つ目は地球温暖化。寒い時期がなくなってきていて、昔より竹の伐採時期が短くなってきていますね。二つ目は関連会社が減ってきていること。金具屋やメッキ屋などがなくなってきている。こういった根っこの産業が減ってきているのは、僕ら職人にとってもダメージが大きいですね」
この話だけを聞くと単純に需要が減ってきているように聞こえるが、田中さんの考え方は違った。
ニーズのある仕事=技術力
「あるものを買ってきて売ろうとしているだけではダメ。実際の需要は違うものなんですね。もちろん、需要のある仕事をしなくてはいけなくて、でもそれをやるには技術力がないとできないし、みんなやらないですから。僕がすだれ職人として食べていけてるっていうことはそういうこと」
田中さんはお客さんの要望にできるだけ応えることを意識している。そうすることで常連さんにいいねと褒められたり、ほかのお客様を紹介してくれたりする。
それ以前にお客様自身が喜んでくれることがやりがいにも繋がっているとのこと。
ちゃんとしたものを、ちゃんと作る
作業場の奥に大きな掛け軸があり、そこには「ちゃんとしたものをちゃんと作る」という文字が描かれていた。
「それはうちのポリシーです。使う人のことを考えて、手でやったほうがいいものは手でやる。ぜひ体験希望の方にもモノづくりの楽しさを一緒にやって感じてみたいですね」
インタビュアーの感想
職人の育成に対し、ものすごく考えられていて、イメージしていた職人像ではなく、常に謙虚な姿勢でした。その姿勢から「ちゃんとしたものを、ちゃんと作る」が生まれていくと感じました。
職人としての生き方に触れるために、一度体験をしてみてはいかがでしょうか。