和傘といえば番傘が有名ですが、「蛇の目傘」もあるのはご存知ですか?そうです、あの「雨あめふれふれ…」の歌にある「蛇の目」とは雨傘のことです。
和傘の文化は洋傘の普及以来、急速に下火になりましたが、伝統的な蛇の目傘の生産は今も続いており、クオリティの高い商品が日夜生み出されています。
今回は、蛇の目傘の魅力について紹介します。
蛇の目傘の歴史
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蛇の目傘は、平安時代に中国より傘の文化が渡来してきて広まったとされています。この頃の和傘は現在のように開閉できるものではなく、常に傘の部分が開いたままのものでした。さらに、傘を使うのは、皇族のような身分の高い人が主で、今のように一般的に普及してはいなかったようです。
その後、江戸時代の中期になり手工業が発達すると同時に、和傘の文化も市民に広まっていくようになりました。この広がりと共に姿を現したのが、蛇の目傘となります。
蛇の目傘が登場した頃は、定紋と呼ばれる模様をつけるのが女性の間で流行し、蛇の目傘の流行を促したとされています。江戸時代後期には、現在の蛇の目傘のように細身のものが出てきて、細傘として親しまれたといわれています。
蛇の目傘の特徴
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蛇の目傘は、和傘の一種です。和傘は私たちが普段使っている洋傘と違い、竹や木、和紙などの天然素材で作られます。さらに、特徴的な違いが骨組みの数です。
通常の洋傘は骨の数が大体8本ですが、和傘は30本以上あり、多いものになると70本も骨の数があります。このため、和傘は洋傘と比べ頑丈にできており強風に強い作りとなっています。
蛇の目傘は、和傘の中でも細身の作りになっており、江戸時代には女性向けに作られていた傘となっています。特徴としては、柄の部分が細めで、傘を開いたときに蛇の目などの模様がついているものが多いです。
傘の部分の和紙を組み合わせて、華やかな色合いや模様になっているものが多いことも特徴の一つです。
蛇の目傘の産地
蛇の目傘は、洋傘の発展と共に産地が減っていきました。それでも、伝統産業として今も全国で作られています。
有名な産地は、岐阜和傘で有名な岐阜県や京和傘で有名な京都があげられます。特に岐阜県は和傘の生産で有名で、昭和の最盛期には年間1500万本もの生産を行っていたようです。
岐阜県のデパートや和傘販売店では今でも、たくさんの蛇の目傘の販売を行っています。色とりどりの蛇の目傘が一堂に会している風景は大変綺麗で見ごたえがあります。
京和傘は歌舞伎や舞妓の小道具用に作られているものが多く、日常品として使うものは減ってきています。今でも生産を続けているお店はどれも古くから続いている老舗が多く、非常に質の高い蛇の目傘を作ります。
蛇の目傘の作り方
蛇の目傘は、和紙、竹、木、柿渋、亜麻仁油、漆といった自然にできた素材を用いて作られます。その作業の工程は、下事(したご)やまくわりといった大きく分けても10数工程、細かく分けると2~30以上の工程にも及ぶ作業となります。
この長い工程を、傘づくりの職人が各工程に分かれ数週間にかけて手作業で作成にかかります。
専門の職人は、蛇の目傘の骨組み部分を担当する「竹骨職人」、傘の和紙の貼り付けなどを担当する「和紙職人」といった細かく分けられており、それぞれが繊細で芸術的な作業を行なっています。
蛇の目傘の魅力
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蛇の目傘の魅力は、何といっても内側の装飾にあります。代表的な和傘の種類である番傘と違い、蛇の目傘は内側の小骨の組み方や小骨のかがり糸まで装飾が施され芸術的に仕上がっていることが多いです。
このような装飾は、洋傘はもちろん、和傘でも珍しい蛇の目傘ならではの魅力となります。
さらに、傘の部分に使われている和紙も、様々な色合いのものを折り重なっていることが多く、外側からも美しい造形となっています。傘として利便性だけでなく、ファッションや芸術性の高さも兼ね揃えていることが蛇の目傘ならではの魅力といえます。
ぜひ色とりどりの蛇の目傘の姿を手に取り、魅力に触れてみてください。