庵治石とは
庵治石(あじいし)は、香川県の庵治地方で採掘される花崗岩の一種です。 花崗岩は、マグマがゆっくりと冷えることで生成される火成岩です。その中でも、特にきめ細かな結晶でできているのが庵治石です。 主な成分は石英と長石で、そこに黒雲母と角閃石が混じっています。黒雲母が模様を作ることから、地質学では「黒雲母細粒花崗閃緑岩」と呼んでいます。
日本三大花崗岩の1つに数えられ、「西の横綱石」や「墓石のダイヤモンド」と称されるほど高価な石材でもあります。その評判は日本にとどまらず、世界中で銘石として扱われています。 目の細かさや色合いによって分類され、きめが細かく黒色が強いほど、価値が高くなる傾向があります。
庵治石の特徴
出典:写真AC
庵治石最大の特徴は、表面に浮かぶ「斑(ふ)」という模様です。 磨けば磨くほどツヤが出て、そこに美しい濃淡が生じます。かすれた模様は、まるでたなびく雲か、舞い散る桜の花びらのようにも見えます。
中でも、模様が二重になって奥行きがあるものを「斑が浮く」といいます。 これは、黒雲母が含まれるからこそ見られる現象です。世界中のどの石材にも見ることができない、庵治石だけが持つ性質です。
そしてもう1つ、庵治石の大きな特徴がその硬さです。 モース硬度7というのは、実に水晶と同じ数値です。その頑丈さから、数百年を経ても変わらず色やツヤを保つことができます。 また、細かく加工しても崩れず、芸術性の高い自由な彫刻を施すことができます。
庵治石の歴史
出典:写真AC
石清水八幡宮の記録によれば、1339年の再建時に庵治石が石材として用いられています。 遠く京都にまで伝わっていたことから、おそらく平安時代後期にはすでに加工が始まっていたと考えられます。 義経四天王の一人、佐藤継信の墓は江戸時代初期に庵治石で建てられました。
300年以上経った今もなお、当時と変わらぬ姿で観光スポットとなっています。 庵治石の加工が大きく発達したのは、江戸時代後期のことでした。1814年に讃岐東照宮屋島神社の造営のため、和泉国から優秀な石工が集められました。彼らはそのまま移住して、讃岐の地に根づき技術を広めていったのです。
その後、大正から昭和にかけて多くの石彫品が作られ、庵治石の名前は全国に知れ渡るようになりました。 戦後は、墓石としての需要も急増し1960年頃に石材切削機が導入され、その後は研磨機、切削機と次々に機械化が進んでいきます。 現在では、こうした技術の発展に加え、職人の自由な発想で様々な製品が手がけられています。
庵治石の産地
出典:写真AC
庵治石は、香川県高松市の五剣山で採石されています。 五剣山は、四国八十八箇所の八十五番霊場「八栗寺」があることでも有名です。標高375メートルで、五つの峰が剣のようにそびえ立つことからその名がつけられました。
ただし、1つは1707年の大地震で崩れ落ち、現在は四つの峰となっています。 五剣山は山全体が花崗岩からなっていて、その層は広く平野や瀬戸内海の島々まで続いています。その麓に広がる庵治町と牟礼町庵治町と牟礼町は、古くから庵治石の産地として栄えてきました。
採石を行う丁場は50箇所ほどありますが、神聖な土地として一般人は立ち入ることができません。 2006年には、両町とも高松市と合併。しかし、現在でも庵治町地域には石材組合があり、牟礼町地域に多くの石材加工業を見ることができます。