八丁味噌とは?|歴史や作り方、老舗会社(カクキュー/まるや)など

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八丁味噌とは?

豆味噌とは、原料に米を用いず、大豆と塩と水だけで作るものをいいます。八丁味噌というのは、その中でも特に愛知県岡崎市岡崎市八帖町で生産された味噌のことを指しています。

色の濃い赤味噌ですが、塩分濃度は11%と塩味はそれほど強くありません。むしろ、他の味噌と比べても薄いといえるでしょう。また、米を使用していないので糖分も少なく、甘味も控えめです。

最大の特徴は、大豆の旨味をぎゅっと凝縮したコクのある味わいです。酸味や渋みなども程よく混ざって、八丁味噌ならではの独特の風味を形作っています。東海地方では、味噌汁をはじめ、多くの名古屋飯に用いられている味噌です。

戦国時代に誕生していた?八丁味噌の歴史


出典:写真AC

八丁味噌の産地である岡崎市八帖町は、岡崎城から西に八丁(約870m)の位置にあることからその名前がつきました。もともとは、八丁村と呼ばれていました。

矢作大豆や吉良地方の塩、天然水などを入手しやすく、すでに戦国時代には豆味噌が作られていたと考えられます。

また、川に囲まれ湿度が高く、食べ物が腐りやすいことから、保存の利く味噌の製法がより発達しました。徳川家康が長寿だったのも、この豆味噌が理由だともいわれています。

兵食としても注目され、これに目をつけた大田弥治右衛門と早川久右衛門は、同時期に味噌の製造を始めました。これが、八丁味噌の起源です。

八丁村は陸路と水路の交わる要衝で、八丁味噌は各地へ輸送されるようになりました。江戸時代後期には、その出荷量の3分の1近くが江戸に送られていたといいます。

やがて、明治時代になると早川家の八丁味噌は宮内省の御用達ともなります。このことからも分かるように、当時は八丁味噌は高級品として扱われていました。しかし、戦時下には価格等統制令によってほとんど原価と変わらない公定価格をつけられることになります。

さらに大豆不足もあり、八丁味噌を作っていた両社は1940年に休業へ追い込まれてしまいます。それでも、戦後には営業を再開しました。1960年代後半には、海外への輸出も始まります。

さらに、1980年代にアメリカの有機食品認証を取得。オーガニックフードとして、現在では国内のみならず海外でも広く受け入れられるブランドとなっています。

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