鵜戸神宮の美しい景色を楽しむ|古事記にも登場する由緒正しい神社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

JR九州日南線の油津駅から約30分バスに揺られると、宮崎県日南市の日向灘に面した鵜戸崎(うどざき)岬に到着します。岬の断崖中腹にポッカリと口を開けた岩窟の中に位置するのが、鵜戸(うど)さんの呼び名で地元の人々から親しまれ信仰を集めている鵜戸神宮です。

眼下に打ち寄せる荒波によって作り出された芸術作品ともいえる鵜戸崎岬の奇岩、怪礁が折り重なる姿を見下ろし、その先にはどこまでも広がる雄大な太平洋が一望できる断崖に、設置された鮮やかな朱塗りの本殿が美しくも神々しく見えます。

空と海の青、岸壁に力強く根を張る植物の緑、そして楼門や柵を彩る鮮やかな朱のコントラストは見る者の心を震わせます。

岸壁の岩窟内に存在する珍しい神社というだけでなく、鵜戸神宮には古事記に登場する豊玉姫神(とよたまひめ)がこの地で出産を行ったという神話が残されています。非常に格式の高い神社として鵜戸神宮は古くから信仰の場所として尊ばれてきたと言えます。

鵜戸神宮の由緒


photo by Ray Swi-hymn

鵜戸神宮の創祀の年代を正確に記す資料は存在していませんが、「第10代天皇の崇神天皇によって創祀された」と鵜戸神宮の社伝では伝えられていることから、鵜戸神宮の歴史は約1750~1800年の歴史があるのではないかと考えられます。

782年には第50代天皇、桓武天皇の命によって天台僧が別当としてこの地に赴いたことで鵜戸神宮は鵜戸神社から鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺(うどさんだいごんげんあびらさんにんのうごこくじ)に改められます。平安時代以降は修験道の修行の場として、西の高野と呼ばれるほどに栄えたと言われています。

時代が下っても領主や藩主などの有力者から手厚い保護を受け、1560年に鵜戸神宮の社殿が再興されたのちは、必要に応じて社殿の修復、造り替えが行われました。明治維新を迎えると寺院を廃し再び鵜戸神社として信仰を集め、後年鵜戸神宮に昇格し現在の形となりました。

鵜戸神宮の御利益


photo by Ray Swi-hymn

鵜戸神宮には主祭神として豊玉姫神がこの地で出産したと伝えられ、初代天皇、神武天皇の父であるといわれる日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)が祀られています。

また天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)そして神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)こと神武天皇も祀られています。

鵜戸神宮には豊玉姫命が子供のために、両乳房を残して行ったと伝えられる「お乳岩」があることから安産、育児の御利益受けられるといわれ、念流、陰流の剣法発祥の霊地の伝説から漁業、航海の守護神として海上安全の御利益を受けられるといわれています。

また日南市には新婚夫婦が結婚を神に報告する習慣があり、馬に赤い緋毛氈を背負わせ鵜戸神宮に参拝する習慣があったことから、鵜戸神宮では縁結びの御利益を受けられるとも言われています。

鵜戸神宮から見える景色


photo by Ray Swi-hymn

鵜戸神宮から受けられる御利益もさることながら、断崖に立つ鵜戸神宮からの眺望は参拝者の目には非常に魅力的に映ると言えるでしょう。鵜戸神宮境内の至る所からどこまでも広がる太平洋を見ることができ、自然の雄大さを感じられます。

また鵜戸神宮の南側には日向灘に面した岩場があり、鵜戸千畳敷奇岩と呼ばれる観光スポットとなっています。本殿前から見下ろす景色も美しさと力強さを兼ね備えた素晴らしい自然を堪能することができることから、時間が過ぎるのを忘れて見入ってしまう参拝者も少なくありません。

そしてこれらの自然の中に凛とした佇まいを見せる鵜戸神宮の朱色の本殿は、自然と共存しながら生きる人間の信仰の強さを感じさせてくれる素晴らしいアクセントとして存在感を放っています。この地を訪れる参拝者や観光客は、自然と人間の力強さを感じざるを得ないと言えるでしょう。

神社で写真を撮る際のマナー|撮影可能範囲はどこまで?

熊野古道のおすすめコースは?|散策後入りたい世界遺産の温泉も紹介

代々木八幡宮は芸能人も集うパワースポット|お祭りや御朱印も紹介

四国のお遍路はどう巡る?服装・費用・日数など基礎知識も紹介

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連するキーワードから探す