歌舞伎役者の屋号とは?│意味や由来・掛け声のマナーや決まりも紹介

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400年以上の歴史を持つ歌舞伎は日本の伝統芸能の一つとして今も継承され続けています。1965年には重要無形文化財に登録され、幅広い客層から親しまれています。

歌舞伎の演舞中に「よっ!○○屋!」という掛け声が客席から上がります。では、この「○○屋」とはいったい何でしょうか?今回は、歌舞伎役者の屋号の由来やルーツを見ていきましょう。

屋号とは?

屋号とは、名字を名乗ることが許されていなかった商人や農民が、名字の代わりに名乗る家ごとにつけられた呼び名のことで、その多くは地名や職業に「〜屋」をつけたもので、「紀伊国屋」や「越後屋」、「鍛冶屋」や「紺屋」、「油屋」などが挙げられます。

歌舞伎役者は江戸時代のはじめごろまでは、河原者とさげすまれた身分でした。人気の高まりとともに地位も上がり、やがて幕府によって商人と同じように表通りに住むことが認められるようになると、歌舞伎役者でも屋号で呼ぶならわしが定着していきました。そうして、民衆の間でもその呼び名が広まり、歌舞伎役者にとっては看板ともいえる大事なものとなっていったのです。

今回は、歌舞伎役者の屋号の由来やルーツを見ていきましょう。

屋号の由来・ルーツ①成田屋


出典:写真AC

成田屋の当主は代々、市川團十郎の名跡を受け継いでいます。 平成25年(2013)に十二代目市川團十郎が亡くなってからは、息子である十一代目市川海老蔵が当主をつとめており、その活躍は歌舞伎のみならず、大河ドラマの主演をはじめ、数多くのテレビドラマや映画、CMなど多岐にわたり、現代の一大スターとなっています。

初代市川團十郎は、現在につながる歌舞伎の様式を確立したといわれています。 その初代が成田山新勝寺に子宝祈願をしたところ、見事に二代目團十郎となる子供をさずかりました。その感謝をあらわすため、元禄八年 (1695)に「成田不動明王山」を上演。これが大当たりとなり、客席からは多くの賽銭とともに「成田屋」の掛け声が飛びました。

これが成田屋をふくめ、歌舞伎の屋号のすべての始まりとなっています。 このような歴史から、成田屋は市川宗家としてもっとも権威ある屋号となっています。

屋号の由来・ルーツ②高麗屋

高麗屋の九代目松本幸四郎は、現代劇のドラマ主演をはじめ、ミュージカルなどにも幅広く出演する名優です。

息子の七代目市川染五郎も、数多くのドラマや映画で一般にもよく知られた存在で、平成30年(2018)には息子に名跡を譲る形で、それぞれニ代目松本白鸚と八代目幸四郎を襲名しています。

松本幸四郎は市川團十郎の門弟にあたり、高麗屋も成田屋の弟子筋となっているため、七代目幸四郎の息子が養子として十一代目團十郎となるなど血縁関係もあり、九代目幸四郎と十二代目團十郎はいとこ同士の間柄です。高麗屋の当主が代々、松本金太郎、市川染五郎、松本幸四郎と襲名していくのも、その関係の深さからきています。

屋号の由来は、初代幸四郎が「高麗屋」という商店に丁稚奉公していたことから。それにちなんで、二代目幸四郎が高麗屋と名乗るようになりました。

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