津軽三味線とは津軽地方(現在の青森県西部)で確立された、三味線の演奏法を指します。地元に根付いた民謡の伴奏として発生しましたが、優れた演奏法が注目され三味線の独奏を指して、津軽三味線と呼ぶケースが多くみられます。
和楽器である三味線を用いて演奏されますが、非常に力強くかつ高速で演奏されることから、津軽三味線の音色は他の三味線と比べると大音量で、またその曲調は日本の民謡とは思えないほどの激しさがあることから、多くのファンに強く支持されています。
一般的に若い世代の和楽器離れが進み、和楽器の愛好家は減少傾向にあると言えますが、ダイナミックな津軽三味線の演奏に憧れ、三味線を手にする若者は一定数存在するため、津軽三味線に関しては若手の演奏家が充実していると言えるでしょう。
津軽三味線の歴史
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中国から渡来した弦楽器が三味線として完成したのは、江戸時代の中期だと考えられています。三味線は和楽器の中では比較的新しい楽器だといえるでしょう。完成後日本各地に広まり、民謡などの郷土芸能に取り入れられますが、その一方で遊女や瞽女(ごぜ)にも普及します。
津軽地方の民謡は、かつて大いに栄えた海運業である北前船によって伝えられた、多くの日本海沿岸地域の民謡の影響を受けながら、確立したと伝えられています。
その中で津軽三味線は新潟地方を中心とした、瞽女の三味線がルーツであると言われ、津軽民謡に用いられたほか坊様(ボサマ)と呼ばれる盲目の旅芸人たちの門付け芸としても取り入れられました。
祭りが催されると多くの坊様が会場に集まり、より多くの祝儀や施しを得るために音の大きさや、速弾きなどの技を競いあったのが、津軽三味線の演奏方法を確立して言ったと伝えられています。
独特の演奏法で奏でられる津軽三味線は、当時「津軽もの」と呼ばれていましたが、昭和後期に起こった民謡ブームの中で、津軽三味線と呼ばれるようになりました。
津軽三味線の特徴
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既に紹介したように、高度な演奏力を駆使しながら力強く奏でられるのが、津軽三味線の魅力であり特徴です。この独特の演奏法を実現するために津軽者三味線は、一般的な三味線とは異なる独特の進化を遂げたと言えるでしょう。
撥(ばち)を激しく叩き付けるように弾くことで大きな音を引き出し、かつ速弾きするために津軽三味線の演奏に使われる三味線には、太棹(ふとざお)が用いられています。
一般的な三味線には細棹(ほそざお)や中棹(ちゅうざお)が用いられ、津軽三味線以外で太棹が用いられるのは、浄瑠璃の伴奏をする義太夫三味線や浪曲三味線などです。
また津軽三味線の醍醐味である速弾きを行うために、津軽三味線の演奏に用いられる撥は、素早く正確に操ることができる小型の撥が用いられます。「弾きまくる」という表現がピッタリとくる情熱的な津軽三味線の演奏には、演奏法に適した道具が必要ということですね。
独特の進化を遂げた津軽三味線の演奏法で奏でられる音色は、吹きすさぶ津軽の地吹雪や燃え盛る炎のような力強さ、ハラハラと舞い落ちる粉雪のような繊細さ、軟らかく降り注ぐ太陽のような暖かさなどの、津軽地方の大自然を連想させる様々な顔を持つことが高く評価される要因となっています。
津軽三味線の流派
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かつて、津軽ものと呼ばれていた津軽三味線が昭和末期の民謡ブームによって「津軽三味線」として確立したことは既に紹介しました。津軽三味線の知名度が上がるにつれ、津軽三味線の演奏者人口は増加し、津軽三味線に家元制が導入されるまでになりました。
現在全国各地に家元が存在し、様々な流派が存在します。 津軽三味線の流派は叩き三味線と弾き三味線の2つに分けられます。力強い演奏法が津軽三味線の魅力だと考える叩き三味線は小山流、沢田流、高橋流などが有名で、全国に多くの教室が存在します。
一方、津軽三味線と言えど、三味線は弾くものであると考え繊細でよりテクニカルな演奏に軸足を置いているのが弾き三味線です。こちらは竹山流が唯一全国的に認知されている流派だと言えるでしょう。