歌舞伎役者の屋号をチェック!│意味・由来・掛け声のマナー・ルール

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屋号の由来・ルーツその6【成駒家・山城屋】


出典:ウィキメディア・コモンズ

成駒屋は関西の屋号で、四代目中村鴈治郎と弟の三代目扇雀が中心となっています。鴈治郎の息子の壱太郎は女形として、扇雀の息子の虎之助もCMに出演するなど、それぞれ若手の有望株として注目されています。

成駒家の表記は、通常の屋号とは違い「屋」ではなく「家」を用いています。 もともと成駒家では、江戸の成駒屋との混同を避けるために、「成駒家」という字を使っていた時期がありました。平成27年に襲名した四代目鴈治郎は、それをきっかけに、ふたたび表記を戻したのだといいます。

また、鴈治郎と扇雀の父親である四代目坂田藤十郎は、襲名をきっかけに山城屋へ屋号をあらためています。現代歌舞伎の最上位ともいえる重鎮で、「曾根崎心中」のお初役では日本中に一大ブームを巻き起こしました。その功績から、人間国宝にも選ばれています。

屋号の由来・ルーツその7【萬屋】


出典:写真AC

萬屋は、女方を得意とする五代目中村時蔵、二枚目を得意とする弟の二代目中村錦之助、そして時蔵の長男である四代目中村梅枝がおもに活躍しています。

一般的には、ドラマや映画に数多く出演している二代目中村獅童がもっとも有名でしょう。 ほかにも、中村隼人が新作歌舞伎やテレビドラマ、バラエティに出演するなど若手として注目されています。

萬屋は、昭和46年に初代中村錦之助が播磨屋から独立する形ではじまった屋号で、由来は、三代目中村歌六の妻である小川かめの実家が、芝居茶屋「萬屋」だったことから。 これは萬屋が独立したさいに、五代目歌六も屋号をあらためたことにちなんでいますが、現在では播磨屋に屋号を戻しています。

屋号の由来・ルーツその8【成駒屋】


出典:ウィキメディアコモンズ

成駒屋の六代目中村歌右衛門は、歌舞伎と舞踊のみに芸を注いだ歌舞伎役者でした。その女形はほかにならぶものがないと称され、人間国宝にも選ばれています。

しかし、平成13年に亡くなってからはその名跡は途絶えています。 歌右衛門に次ぐ名跡の三代目中村橋之助は、時代劇から現代劇まで幅広くテレビドラマに出演する有名俳優です。平成28年には、八代目中村芝翫を襲名。同時に、三人の息子も四代目橋之助、三代目福之助、四代目歌之介を襲名したことで話題となりました。

歌右衛門はもともと、初代と三代目は出身地にちなんで加賀屋、二代目は蛭子屋という屋号を名乗っていましたが、初代が四代目市川團十郎から成駒柄の衣装を贈られた逸話にちなみ、四代目以降は成駒屋と屋号をあらためています。

屋号の由来・ルーツその9【松嶋屋】


Photo by na0905

松嶋屋は、人間国宝の十五代目片岡仁左衛門が中心となった関西の屋号です。

十五代目仁左衛門は歌舞伎だけではなく、時代劇から現代劇まで、さらにドラマや映画、舞台でも幅広く活躍。その見た目の美しさからも、大いに人気を集めました。襲名以前は本名の片岡孝夫を名乗り、39年間にわたって使用しつづけていたため、今でも孝夫の名で呼ぶファンは少なくありません。

息子の片岡孝太郎や、兄の二代目片岡秀太郎も人気役者として活躍しています。 近年、テレビドラマで注目を集める六代目片岡愛之助は、一般人の出身という異色の経歴を持っています。子役としてテレビで活躍していたところを、十三代目仁左衛門に見出され部屋子となり、現在は二代目秀太郎の養子となっています。

歌舞伎には、ほかにも「松島屋」という屋号もあります。これは、七代目片岡仁左衛門の門弟だった初代片岡市蔵が、宗家に遠慮して一時だけ変えたものです。

屋号の由来・ルーツその10【大和屋】


photo by Jun K

十代目坂東三津五郎は、テレビドラマや映画に数多く出演していました。

平成27年(2015)に亡くなったあとは、息子の二代目坂東巳之助が継承。ドラマやバラエティにも出演して、若手俳優として人気を集めています。 女形として人間国宝に選ばれた五代目坂東玉三郎も、大和屋のひとりです。

屋号の由来は、初代坂東三津五郎が養子に入った初代坂東三八の実家が、大和屋と名乗っていたことから。 また、岩井半四郎はもともと雑司ヶ谷屋という屋号を名乗っていましたが、四代目が二代目松本幸四郎から大和屋という屋号を譲られ、そちらにあらためました。

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