大久野島がうさぎの島と呼ばれる理由|アクセスや宿泊施設も紹介

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大久野島は、瀬戸内海に浮かぶ、面積が0.7㎢、周囲約4kmの小島です。広島県竹原市にあるこの島は、第二次大戦中の負の歴史でも知られており、今でも軍事遺構がたくさん残されていますが、現在では「うさぎの島」として国内外から人気を集めています。

1000羽の野生うさぎ(アナウサギ)が生息するこの島が世間で大きく取り上げられるようになったのは、うさぎ年であった2011年のことでした。近年では訪日外国人にも人気のスポットであり、島にある休暇村も大変賑わっています。

大久野島の魅力


photo by merec0

大久野島はうさぎの楽園で、餌やりができることでも人気を集めています。「餌やり放題」という情報も出回っていますが、あくまでも野生動物で、人間になついているわけではありません。餌やり放題という誤解は持たずに行きましょう。

大久野島は、人口22人(すべて休暇村の従業員です)に対してうさぎが1000羽(古い資料では、700羽と書かれています)いますので、主たる住民はうさぎなのです。島の主役であるうさぎは、島内至る所で見かけることができます。スーパーの袋をガサゴソさせると、うさぎは餌だと思ってダッシュしてきます。

そんなうさぎたちは、人間に慣れているように見えますが、あくまでも野生であり、そして臆病です。うさぎに詳しくない方は、眺めて楽しむのを基本にしましょう。それだけでもとても楽しいものです。

大久野島にうさぎがたくさんいる理由


photo by merec0

この小さな島に、なぜうさぎがたくさんいるのでしょう。諸説ありますが、元は小学校で飼いきれなくなった8羽のうさぎを、この島に棄てに来たのがきっかけだったようです。

事実ならば、教育機関にあるまじき行為により、うさぎの島が生まれたわけですが、国民休暇村のマスコットになることを期待して意図的に放したものかもしれません。大久野島は、第二次大戦の負の歴史から「地図から消された島」だとして、戦後もしばらく人が寄り付きませんでした。

外敵のいない楽園で、うさぎたちはたくましく、大量に増えていったのです。ちなみに、戦中毒ガス工場があった時にも実験用うさぎがいたのは事実ですが、それが逃げて繁殖したというロマンチックなお話もありますが事実ではありません。

大久野島の歴史


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大久野島は、古くは村上水軍の跋扈する海賊の島でした。島に住んでいたのもその末裔のようです。昭和になって、この島には陸軍の毒ガス工場が作られ、島民は退去させられました。国民から存在を秘された毒ガス工場からは、実際に大陸において使われたガスが製造されました。

この暗い歴史は、島内にある毒ガス資料館において知ることができます。平和教育に熱心な広島県らしい、貴重な資料館にも是非立ち寄ってみましょう。

大久野島に持っていきたいもの

大久野島ではうさぎの餌は売られていませんので、餌をやりたい人は自宅から持っていきましょう。忠海港でもうさぎ用ペレットが売られています。野菜は、ニンジンやブロッコリーなど、それから小松菜、チンゲン菜、大根の葉、サラダ菜などの青物が向いています。

キャベツ、レタス、白菜は、水分が多過ぎますので、与え過ぎはあまりよくありません。青物野菜も、カルシウムが多いため、与え過ぎると結石の原因になります。じゃがいもの芽と皮、玉ねぎ、ねぎ、ニンニク、にら等は、多くの動物と同様、うさぎにとっても猛毒ですから絶対与えてはいけません。

大久野島の芝生広場


photo by merec0

島の宿泊施設、休暇村の本館前には芝生広場があり、ここには、うさぎがたくさんいます。うさぎたちは、明け方と夕方には特に活発です。芝生広場でも、うさぎに餌をやって構いません。芝生広場ですので、フリスビーやバドミントンなどで遊ぶのは一向に構いませんが、うさぎには注意しましょう。

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