お手玉の歴史
お手玉の起源は諸説ありますが、最古のものは紀元前5世紀ごろ、リディア人からギリシアへ伝達された「アストラガリ」だと言われています。
後にシルクロードを通り、インドや中国へ伝わり、ヨーロッパやアジアなど世界中に広まったと考えられています。
日本に伝わったのは奈良時代の頃です。水晶や石を使っており、「石名取玉」という名前で親しまれていました。聖徳太子が使用していた石は、現在東京上野の国立法隆寺博物館で見ることができます。
お手玉の材料
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そのような歴史を持つお手玉ですので、材料は時代や場所によって様々です。 日本もっともポピュラーなのは小豆です。
ほかには、まるだいず、とうもろこし、そば米などが使われることがあります。珍しいものでは、巻貝やシジミの貝殻を使ったものもあり、独特の心地よい音を出します。
海外をみると、中国では日本の大豆より大きい、茶の実が使われます。ハワイではフクビという花の実を使います。最近では、ペレットというプラスチックを加工した粒が使われ、特に虫食いの心配のない球形ペレットは、世界中で使用されています。
お手玉の種類
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お手玉の形は、大きく分けて四つあります。 一つ目は「ざぶとん」型。底面が広く、安定した形状が特徴です。江戸末期~明治にかけて普及したもので、現在の日本で最も普及しているものです。
「お手玉大会」で使用されるのも「ざぶとん」型です。二種類の布を組み合わせるので、カラフルでかわいらしいお手玉です。 二つ目は「かます」型。穀物の入れ物である「かます」の形をしたもので、最も作りやすく、最も歴史の古い形です。
三つ目は俵型。日本人の主食であるお米を入れる俵をかたどったものです。江戸時代後半から流行りだし、現在のお手玉と同程度の重さ(40~50g)になりました。
四つ目が枕型。同じく江戸時代後半に、作られるようになりました。当時中に入れられていたのは、主にそば、ひえの実です。
お手玉の起源に関する諸説
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お手玉には、「振り技」と「拾い技」と呼ばれる遊び方があります。いくつかを上にあげて遊ぶのが振り技。お手玉を床に撒き、一つだけを上げながら、残りを寄せ集めたり手をくぐらせるのが拾い技です。
お手玉の歴史で見た通り、その起源には諸説があります。 冒頭で紹介したのは、元京都大学教授の藤本浩之輔氏による「紀元前5世紀説」です。古代アナトリア半島(現トルコ)のリディア人からギリシャへ伝えられた「アストラガリ」は、拾い技だったといわれています。
アストラガリは、現在の布袋に代わり、羊のかかとの骨を使って遊んでいたとされ、そのような痕跡を欧州各地の博物館で見ることができます。アジアに伝わった際には、骨の代わりに小石を使いました。
この遊びは「石なご」と呼ばれ、日本でも同様に石を使っていたと考えられています。 また、アメリカのマサチューセッツ工科大学の研究によれば、最も古いお手玉遊びは古代エジプトにあるとされます。
約4,000年前の古代エジプト壁画に、お手玉のような遊びをする様子が描かれています。 現代の日本では、「日本お手玉の会」により、1992年に9月20日がお手玉の日と制定されました。この日、愛媛県で全国お手玉遊び大会が初めて開かれ、日本のお手玉遊びの文化の継承に大いに貢献しています。