2gの金を畳一畳まで薄く伸ばした金箔は、建物や装飾品には欠かせません。また、食料品にも多く使われています。
日本における金箔製造は、100%近くが石川県金沢市でなされており、金沢の名産品の一つです。それでは、なぜ金箔製造が金沢で発達したのでしょうか?
理由は一つではなく、さまざまな要因が複合したものとされています。
「雨の多い金沢の気候が、湿度・温度の点で箔の製造に適している」「水質が良い」「職人気質がはぐくまれており、みな忍耐強い」などが考えられます。
金沢の金箔の歴史
出典:写真AC
金沢で金箔製造が盛んになったことには様々な要因がありますが、加賀百万石で知られる加賀藩藩主の前田家が厚く保護してきたことが最大のものでしょう。
金箔製造が金沢でいつから始まったのか不明ですが、戦国時代にはすでに製造していたことは記録が残っていて間違いありません。
天守閣から調度品、すべてを輝かしく彩る金箔は、秀吉の黄金の茶室にも見られるように、まさに権力の象徴でした。
江戸時代には、経済統制を強める徳川幕府によって、金沢の金箔製造はその一切が禁止されてしまいます。しかし加賀藩が主体になって、幕府に背いて金箔が作られ続けてきました。
「九谷焼」「輪島塗」「加賀蒔絵」などは、いずれもこの時代に発展を遂げた伝統工芸で、金箔の製造なしには成り立たないものです。
そして、浄土真宗の盛んなこの地では、藩により仏壇の所有も奨励されていました。そして仏壇・仏具には金箔が必ず使われています。
ひそかに続けられた金箔製造が公認のものとなったのは、実に幕末の1845年でした。その後江戸幕府が倒れたことにより、統制のなくなった金沢金箔は一気に栄えます。体制が大きく変わる中で、江戸箔が途絶えたことも大きかったようです。
さらに第一次世界大戦により、欧州最大の金箔産地であったドイツが大打撃を受けたことにより、金沢の金箔が一躍クローズアップされることにもなりました。その後、第二次世界大戦の厳しい時代を経て、現在の発展があります。