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「お歯黒」という言葉は、誰しも1度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?その名の通り、歯を黒く染めることです。お歯黒は、女性の身だしなみの一つとして盛んに行われていましたが、時代によっては男性も歯を黒く染めていた時があります。
実は、身だしなみ以外にも「むし歯予防」の効果もあったそうです。お歯黒をした人の歯は普通の人の歯より、むし歯が少ないといった研究結果がでています。歯を染めるための鉄とタンニンがむし歯の予防や進行を抑える効果があったといわれています。
また、このお歯黒の原理が1970年から歯科医療に使われている「フッ化ジアミン銀製剤」にも用いられているのです。
お歯黒の意味・由来
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お歯黒は女性の身だしなみの一つといわれていますが、お歯黒の意味は時代とともに変化していきました。はじめは「成人した証」として歯を黒く染めていました。お歯黒は、「いつでも結婚できます」というサインでもありました。
一方男性のほうは「ファッション」として流行したという説や武士が忠誠の証として、お歯黒をしていたという説もあります。時がたつと、男性のお歯黒は衰退。女性のお歯黒は「既婚者」の証へと変化していきます。
一貫していえることは「お歯黒」はいつの時代も「身だしなみの一つ」だったいうことです。
お歯黒の歴史
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お歯黒は、4世紀末から5世紀初頭の天皇である、応仁天皇の時代から存在していたといわれています。古墳からお歯黒をしたハニワが見つかったことからこう言われています。女性の身だしなみとして広まったとされるのは「平安時代」以降です。この頃から成人の証としてのお歯黒がはじまります。
お歯黒は、貴族の17~18歳くらいの女性がしていました。時代が移り変わることによって、どんどんお歯黒を始める年齢が下がっていきました。室町時代では13~14歳で、戦国時代は政略結婚のため8~9歳でお歯黒をするのが一般的だったようです。江戸時代に入ると、貴族だけではなく、庶民の間でもお歯黒が流行します。
13歳になると、11月15日はお歯黒の日とし、この日を境にお歯黒にしていました。しかし、歯を染める染料を作るのが大変でとても手間がかかりました。時が経つのにつれ、お歯黒は婚約や結婚を済ませたタイミングでするというのが一般的になっていきました。そして、男性のお歯黒は江戸時代には衰退していったのです。
明治時代には明治天皇の皇后が自らお歯黒をやめ、「お歯黒は文明度が低い」ということを知らしめて以来、お歯黒はどんどん衰退します。大正時代には一部の地方を除き、ほとんど行われることがなくなり、現在に至ります。
引眉とは
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女性の身だしなみは「お歯黒」だけではなく、「引眉」と呼ばれる眉毛の形を変えるということも行われていました。浮世絵などで女性が楕円形の眉をしているのを見たことはありませんか?
お雛様の三人官女の一人も、眉がなくお歯黒です。引眉は結婚したり出産した女性が、眉毛を剃ったり抜いたりして眉毛をなくすことです。
平安時代〜安土桃山時代では、除去した眉より上の位置に楕円形の眉を書き、「殿上眉」と呼ばれていました。江戸時代に入ると眉は書かず、眉毛がない状態のことを指しました。お歯黒だけではなく、眉毛の身だしなみも時代とともに変化していったのです。
お歯黒について
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お歯黒の歴史を探ると、いつの時代も女性が身だしなみに気を使っていたことがわかります。古事記には応仁天皇によって書かれたとされる恋文に「歯並びが美しく、黒く光って美しい!」という記述があるそうです。
現在の美の基準とはまったく違っていますが、当時の男性たちはこの「お歯黒」を美しいと感じていたようですね。そう考えると、むし歯予防と美を兼ね備えた「お歯黒」はとても画期的な儀式だったのかもしれません。