お正月に行う「いろはがるた」や江戸町火消として有名な「いろは四十七組」、日光市街と中禅寺湖・奥日光を結ぶ観光道路の48カ所の急カーブをいろは48文字にたとえた「日光いろは坂」などに残されている、いろは歌があります。
「いろはにほへと」で始まるこのいろは歌、最後まですべて言えますか?
その昔は辞書もいろは順だったくらいですから、誰でも意味はともかく「いろはにほへと」を知っているのが当然でした。全ての仮名を織り込んで見事な歌に仕上げたいろは歌、全文は以下の通りです。
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
漢字かな交じり文にしますと、こうなります。
色は匂へど 散りぬるを 我が世たれぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず
今回はいろはにほへと(いろは歌)についてご紹介します。
いろはにほへと(いろは歌)の意味は?
「いろはにほへと」は七五調のリズミカルな歌になっており、もちろん意味を持っています。解釈が何通りにでも成り立つ「いろはにほへと」は、明確にこの意味だという、確定したものはありません。
しかし、古くから語り継がれてきた歌ですので、多くの人がおおむね認識してきた意味は、比較的統一されています。
いろは歌の意味の背景には、仏教的無常観があります。色は匂へどで始まる「色」ですが、これは般若心経の「色即是空」の色の意味が掛かっています。「有為の奥山」の有為は、有為転変の有為で、因縁によって発生する事象を指す、仏教用語です。
では、いろはにほへと(いろは歌)の意味を見ていきましょう。
いろはにほへと(いろは歌)の意味
・色は匂へど散りぬるを(いろはにほへと ちりぬるを)
この部分は上記でも説明したように、仏教的無常観があり、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を表しています。これは、「香がよく、色も鮮やかに咲き誇っている花もやがては散ってしまう」という意味となります。
・我が世誰そ常ならむ(わかよたれそ つねならむ)
こちらは、仏教の、あらゆるものは常住不変でなく生滅するのが心理であるとした「是生滅法(ぜしょうめっぽう)」を表しています。これは、「この世に生きている我々もまた、永遠に生きれるわけではない」という意味となります。
・有為の奥山今日越えて(うゐのおくやま けふこえて)
こちらは、生と死を超越して、煩悩がなくなった安らぎの境地に入る「生滅滅已(しょうめつめつい)」を表しています。これは、「この無常ともいえる有為転変(常に変わりゆくこと)の深い迷いの山を越えて」という意味となります。
・浅き夢見じ酔ひもせず(あさきゆめみし ゑひもせす)
この最後の節は、迷いの世界を超えた心安らかな悟りの境地が楽しいものであるとする「寂滅為楽(じゃくめついらく)」を表しています。これは、「儚い夢を見ることもないし、空想の世界に耽ることもない」という意味になります。
全体を通しますと、「花もいずれ散ってゆく(人もまた死んでゆく)。常に変化し移りゆく世の中、迷いを乗り越えれば、夢を見たり酔ったりすることもない心境である」という意味です。
「夢を見たり酔ったりはしないぞ」という決意という解釈もありますが、意味に大きな違いはないでしょう。祇園精舎の鐘の声で始まる、平家物語の前文に似た、諸行無常のムードが漂います。
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