【葵祭】京都三大祭りの一つ「葵祭」の魅力と2018年の日程

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葵祭(賀茂祭)は、『枕草子』の作者として知られる清少納言が『枕草子』の中で語られていたり、和泉式部が歌の題材として詠んでいたり、平安時代の貴族に親しまれてきました。

当時の平安貴族の間では、祭りといえば葵祭を指していたほどです。

葵祭は、王朝行列など平安時代の煌びやかさを、感じることのできる数少ないお祭りとして知られています。今回は、そんな平安時代の特色を色濃く残している、葵祭の歴史や魅力などをいくつか紹介します。

2018年の葵祭の日程・アクセス


出典:Flickr

葵祭は、「祇園祭」や「時代まつり」と合わせて京都三大祭りと称されているお祭りの1つです。毎年5月15日に開催されており、例年通り5月15日に開催されます。

しかし、通常の開催は、天気が良い場合に限ります。万が一天候が悪い場合には、延期となる可能性もあるので、当日の情報を逐一確認するといいでしょう。

当日は王朝行列のスタート地点である京都御所、中間到着地点である下賀茂神社、ゴール地点である上賀茂神社はいずれも大変な混雑が予想されます。

観覧を希望し混雑を避けたい方は、これらの地点ではない王朝行列が通る場所で王朝行列を待つことをおすすめします。

また京都御所と下賀茂神社地点に有料観覧席が設けられていますので、有料観覧席を事前にインターネットやコンビニなどで、購入する方法もあります。

葵祭の歴史

葵祭は、すでに平安時代には催されており、平安貴族の間では祭りといえば葵祭を指すほどの人気ぶりでした。さて、葵祭はいつからどのような経緯で行われていたのでしょうか?

欽明天皇の治めていた時代であった567年、国内では酷い天災に見舞われたため、このような国の事態を憂いた欽明天皇が、賀茂の大神を崇拝していた伊吉の若日子に占わせました。

これらの禍の原因は賀茂の神々による祟りだと告げたので、賀茂の神々の怒りを鎮めるために祭りを執り行うことを決めました。これが葵祭です。

葵祭を行うと、たちまち禍は立ち去ったので、以来葵祭は年間行事となります。しかし、室町時代に入り応仁の乱が起きたのをきっかけに滅んでしまいます。

応仁の乱より、二百年以上の時が流れた江戸時代に葵祭は再興されますが、戦争などの影響で再び行われなくなります。1953年に再び葵祭を行うようになり、今日に至ります。

葵祭は非常に長い歴史を持っていますが、それだけの長い歴史の中失われずに残り続けるというのは、容易なことではありません。

今日まで葵祭が、長い歴史の中残り続けることができたのは、多くの人々の尽力あってのことだったのです。

葵祭の魅力①

王朝行列


出典:Flickr

葵祭の魅力について、いくつかご紹介していきたいと思います。葵祭の1つ目の魅力は、王朝行列です。まず王朝行列は、大きく分けて「本列」と「齋王代列」の2つに分けることができます。

本列は、先頭から乗尻、検非違使志、検非違使尉、山城使、御幣櫃、内蔵寮史生、馬寮使、牛車、御馬、和琴、舞人、陪従、内蔵使、勅使、牽馬、風流傘、風流傘の順に列をなします。最後の2つの風流傘は、大傘の上にそれぞれ異なる造花を挿しています。

斎王代列は、先頭から命婦、女嬬、斎王代、騎女、蔵人所陪従、牛車、命婦の順に列をなします。列の最初と最後を命婦が務めています。

本列と斎王代列の2つの行列あわせると、その数500名以上長さが1キロにも及ぶ大行列のため、非常に煌びやかです。壮観な行列を一目見ようと、多くの人が押し寄せ、毎年非常に混雑しています。

葵祭の魅力②

流鏑馬神事

葵祭の2つ目の魅力は、流鏑馬神事です。流鏑馬神事は、葵祭が無事執り行われるように的を3つ立て、その的を射て沿道を清める行事です。

今年の流鏑馬神事は、例年通り5月3日の午後1時から流鏑馬神事が執り行われ、午後1時40分(目安)から流鏑馬行事が入場します。そして午後2時から流鏑馬が行われます。

京都にある、妖怪通り

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