旧街道は、現在の甲州街道、奥州街道、日光街道、東海道、中山道などのかつての姿です。旧街道は、人の往来や物資の輸送をするために使われてきました。しかし、明治時代に入り、鉄道などに交通の手段が変わって行き、行き来する人の数が減っていきました。
人の数は減っていながらも、道自体は現在も健在で、機能しています。
当時の旧街道はどのような賑わいを見せていた?旧街道の歴史を紹介
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前述したように、旧街道は物資の輸送や人の行き来で使われていました。
その需要は、「旧街道」になる前からありました。旧街道となったのは、江戸時代になってからになります。より移動しやすいように整備されて、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道が「五街道」と呼ばれるようになったのです。
当時は、自動車や自転車の文化ではないため、移動はほぼ徒歩でした。そのため、移動には日数が必要なので、いたるところに宿場町が設置されていました。
宿場町では、人馬の引き継ぎ、大名や公家、一般の旅人などが多数集まって、賑わいを見せていたそうです。しかし、明治時代からは、自動車や鉄道の文化が入ってきたため、旧街道は自動車が通りやすいように整備されはじめます。
趣のある建物は塗装されて、木々が切り倒されるなど、当時の面影は薄れて行きました。しかし、そんな背景がありながらも、当時の面影を感じさせるスポットやシンボルは、少なからず残されています。
徳川家康が作った地域が味わえるおすすめの旧街道①
東海道
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徳川家康が関ヶ原合戦に勝利し、その翌年(慶長6年)に、整備された東海道。整備されたのは、江戸~京都、江戸~大坂の往来が主な目的でした。
そんな東海道のおすすめスポットを、いくつか厳選して紹介します。
日本橋
徳川家康によって作られた日本橋。慶応8年に作られて以来、江戸のシンボルとなり、現在でも愛され続けています。
ちなみに、当時は木の橋がかけてあったのですが、火事などにより何度も焼失してしまいました。その後、明治44年にルネサンス式石橋に整備されて、国の重要文化財に指定されています。
小田原宿
日本橋を出発した多くの人たちが、2泊目の宿として利用していたと言われている小田原宿。
箱根山を越えるためには、ここで宿泊せざる得なかったそうです。その規模は東海道最大級になっていて、本陣4件、脇本陣4件、旅籠95件という豪華仕様でした。大変な賑わいを見せていたようです。
山々の美しい景色や当時の歴史が窺えるおすすめの旧街道②
甲州街道
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甲州街道は、200km以上に及ぶ街道です。
起点は日本橋で、内藤新宿、下高井戸、上高井戸、布田五宿、府中、日野、八王子などを通って、下諏訪まで続いています。
甲州街道で特徴的なのは、山々の美しい景色や歴史です。四季折々の姿を見せてくれる甲州街道は、現在も巡る観光客が後を絶ちません。
そんな甲州街道のオススメスポットを、いくつか厳選してお届けします。
府中宿
本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠38軒、商家142軒という大規模になっていた府中宿。
中でも、大国魂神社は一見の価値ありで、都内でも有数の古い神社として親しまれています。
下諏訪宿
甲州街道の最後の宿場として知られている下諏訪宿。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠40軒から成り立っていました。
未だに寺社や蔵などの建物が残されているので風情があります。ちなみに現在は、温泉地になっているので、旅の疲れを癒すのに最適な仕事です。
国営昭和記念公園
広大な敷地を保有している昭和記念公園。
バーベキュー、プール、ボート、サイクリング、セグウェイなど、様々なアクティビティがあります。
そのため、友人、カップル、ファミリーなど、幅広いニーズに答えてくれるスポットです。四季折々の姿を見せてくれる自然が残されているので、シーズンごとに訪れても飽きることはありません。まさに甲州街道のオアシスと言えるでしょう。
参勤交代の大名行列が通っていたおすすめの旧街道③
日光街道
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全長約140kmの日光街道は、江戸から日光までを結ぶ街道で、かつては参勤交代の大名通行が多かったそうです。
道中には、徳川家康のお墓があって、歴代将軍の社参の道として整備されました。そんな、日光街道のオススメスポットをいくつか紹介します。
日光東照宮
日光東照宮は、日本を代表する世界遺産の一つで、徳川家康が祀られた神社として知られています。
現在の社殿群は、ほとんど寛永13年に立て替えられたスタイルを維持しているので、現代でも、その美しさを堪能できます。また、境内には、国宝や重要文化財が多く展示されていて、そのどれもが、当時の美しさを保ったまま展示されています。その姿は、豪華すぎて、圧巻の一言です
宇都宮宿
徳川家康により、整備された宇都宮宿。宇都宮城の城下町に位置していて、賑わいを見せていたスポットです。
現在は、県庁所在地になっているので、その賑わいは健在です。
おすすめの旧街道④
中山道
東海道と同じく、三条大橋と日本橋を結ぶ旧街道です。こちらは東海道と違い、内陸経由で繋いでいます。「草津追分」より西は、東海道と同じ街道で三条大橋を繋ぎます。下諏訪では、甲州街道の合流地点でもあり、物資や人の往来が盛んでした。
東海道の箱根峠や大井川・安部川のような交通を行う上の難所があるのに対して、中山道は、東海道より距離が長い、冬に雪が降るなどの要素があるが、三条大橋と日本橋をつなぐ旧街道では人気があった。
木曽谷
中山道69ヶ所の宿場町のうちで、11ヶ所の宿場町があった地域です。現在の皇室、皇室以外の天皇の親戚などが利用するなど、東海道とは違っていた。多くの宿場町があることで、人々は行きかい宿場町は発展しました。
現在では、御岳山や日本アルプスに囲まれており、神秘的な大自然が魅力的な土地です。
軽井沢宿
中山道69ヶ所の宿場町で一番栄えていた宿場町です。旅人たちが滞在する旅籠(はたご)は、100軒を超える数が存在した。現在では、国内有数の保養地となっており、別荘が多く存在します。
おすすめの旧街道⑤
奥州街道(奥州道中)
奥州街道は旧街道の中で唯一の東北地方に向かう街道です。五街道のうち他の旧街道は「○○道」と名前がついていますが、奥州街道は他の名称とは違います。正式名称は、「奥州道中」とよばれました。五街道に数えられる旧街道は、白河より南の街道を指し、この範囲は道中奉行と呼ばれる幕府の担当者が管轄しました。
白河宿
白河は東北へつなぐ重要な起点であり関所があった。5世紀には「白河の関」が置かれ、蝦夷(えみし)に対する防波堤の役割を示した。
東北の地ということで、戊辰戦争の際に争いの場になった。戊辰戦争における戦死者約150名を追悼する「女石」が置かれている。
また、白河藩の城である小峰城も観光地としては魅力的です。しかし、現在は東日本大震災の影響で石垣が破壊されており、修復中となっています。
今もなお色褪せない宿場町の魅力とは?
先人たちが歩いた旧街道に足を踏み入れてみては?
今回は、旧街道の一部をピックアップして紹介しました。
現在は、整備されているので、昔の旧街道のままとはいきませんが、距離や道筋は変わりませんし、旧街道の魅力は残されているスポットも多いです。
昔の人が歩いた旧街道を歩くことで、当時の歴史をふと感じることができるでしょう。歴史好きならずとも、楽しめる魅力にあふれているので、散歩や観光、サイクリングで旧街道を巡ってみてはいかがでしょうか。