日本地図を作った偉人「伊能忠敬」とは|作った理由・作り方・伝説

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驚くべき伊能忠敬の地図の正確さ


出典:ウィキメディア・コモンズ

伊能忠敬の地図は、「大日本沿海輿地全図」。もしくは「伊能図」とか「伊能大図」とも呼ばれています。

地図は正確であればあるほどよいものですが、この大日本沿海輿地全図の素晴らしいところは、その正確さです。

どのくらい正確であるのか、といいますと現在の地図の値と比較して誤差が1000分の1程度という正確さであるから驚きです。

伊能忠敬の弟子・間宮林蔵


Photo by houroumono

伊能忠敬の弟子としては間宮林蔵が有名です。蝦夷地探索などで有名ですが、忍者や密偵だったのでは、というちょっとした俗説がある人でもあります。

何故そんなことになるのかといいますと、幕府の役の1つで、諜報活動をした「御庭番衆」の家の出であったからです。忍者として外に出ていたのか、ということはともかくとして、蝦夷地の探索をしたことは確かです。

伊能忠敬から測量を学び、蝦夷地の地図作りに貢献したことは間違いないことになります。

現代に至るまでの日本地図の経緯


出典:ぱくたそ

日本の歴史において、国土の地図というのは重要視されており、平安時代あたりから精度はともかくとして国土全体の地図というのがあったという記録はあります。

しかし、明確に確認ができるのは「行基図」であり、その後、域単位での地図は当然あったのですが、江戸時代になるまで全国的な地図というのは、改正日本輿地路程全図ができるまではありませんでした。

その後、伊能忠敬が作った大日本沿海輿地全図が作られたというのが日本の全国的な地図の歴史になります。

伊能忠敬の地図から80年以上過ぎた後、参謀本部陸地測量部という国の部署が、1925年に全国の五万分一地形図を完成させました。

参謀本部陸地測量部は、今で言うところの国土地理院になります。これが現代の基本的な地図でもあり、公開されている地図でもあります。

国土地理院のホームページで閲覧、ダウンロードすることが可能になっています。

伊能忠敬の功績と魅力


出典:ぱくたそ

伊能忠敬の功績は間違いなく、日本の成功な地図を作り上げたことでしょう。

人格的にも優れた人物であり、若い頃には名主として業績をあげており、救民政策などにも携わっています。名主の家ですから元々教養はあったのですが、50歳を過ぎてから本格的に学んだ暦学、天文学、測量学で後世に名を残す業績をあげたことがまさに偉人と呼ぶに相応しいわけです。

魅力的な人物であるのは、人格や業績ということもあるのでしょうが、晩年からの大成というところに多くの人が感銘を受けるのではないでしょうか。

人生において学ぶことに時期が遅い、年齢的に意味がないということはないという言葉を体現しているのが魅力的な部分であり、人格、実績共に優れた人であるからこそ、多くの人の尊敬を集めるのです。

ここまで紹介をしてきた伊能忠敬について、もっと知りたい方には下の本がおすすめです。

江戸時代に正確な地図を作った伊能忠敬の生き様を詳しく記しています。

松尾芭蕉が読んだ、旅の情緒あふれる俳句5選

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