松尾芭蕉が読んだ、旅の情緒あふれる俳句5選

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皆さんは、毎日の暮らしの中で日本の文化や歴史に触れていますか。

これまでの日本の文化や歴史を作ってきた偉人や文化人など、後世への影響を強く残した人物も数多く存在します。

そのような、先人のおかげで今の我々があると言っても過言ではありません。そして、 今回スポットをあてるのはかの有名な俳人「松尾芭蕉」です。

松尾芭蕉とは


出典:ぱくたそ

教科書にも載っている歴史的人物ですので、日本人なら多くの人が知っています。「松尾芭蕉」と言えば俳句で有名で、 江戸時代前期の俳諧師(「俳諧」とは、俳句の元の事)として、 「俳諧」を芸術として確立させた偉大な人物です。

松尾芭蕉の出身地は、現在の三重県伊賀地方にあたる伊賀国で、 農民として生まれました。 そんな松尾芭蕉が俳句を始めたのは10代後半の頃になります。 当時、俳人(俳句を作る人)として有名であった 北村季吟(きたむらきぎん)の下で俳諧(俳句)の勉強を始めたのです。

18歳から北村に一人前として認められるまでの30歳まで、12年にも及ぶ長い下積み時代がありました。 後世に影響のある人物となった芭蕉にも、地道な修行時代があったのです。

その後、松尾芭蕉は江戸に住み多くの俳人と交流をし、武士や商人などの街の人々に俳句を教える傍ら、数多くの作品を発表していきます。

松尾芭蕉の俳句の中でも最も有名なのが「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」であり、また紀行文である「奥の細道」も有名です。 歴史の教科書にも登場しますので、皆さんもご存じのことでしょう。

松尾芭蕉は、作品を生み出すと共に、様々な場所へ旅にも出向いていました。 そして数々の俳句を発表し、旅を続け年齢を重ね、50歳の時に大阪にて病死しました。

人望も厚かった松尾芭蕉

この時、松尾芭蕉の葬儀にはなんと300人以上の弟子達が参列しました。 俳句の素晴らしさだけでなく、人間的にも多くの人々に親しまれ魅力ある人物であったのです。

松尾芭蕉の没後、彼の作品である俳句は、今現在でも語り継がれる歴史的産物として、今も我々の生活に根付いています。 松尾芭蕉の俳句をはじめとした作品は、どのようなものがあるのか、その代表作をいくつかピックアップして解説していきます。

松尾芭蕉の代表作「奥の細道」

松尾芭蕉の代表作として知られている「奥の細道」とは、一体どのような作品なのでしょうか?

俳句で有名な芭蕉ですが、「奥の細道」は、俳句ではありません。 「奥の細道」は、実際の旅の行程をまとめた紀行文です。 旅のルートは東北地方から現在で言うところの富山県、石川県などの北陸地方を中心として旅を続けていました。

その旅の道中で詠んだ俳句も記されています。 「奥の細道」の中でも有名な俳句もいくつかあります。 次からは具体的に松尾芭蕉の俳句を解説していきましょう。

松尾芭蕉の俳句①

 「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」


出典:ぱくたそ

この作品は、源義経について詠まれたもので、 現在の岩手県平泉町で詠まれた作品です。 どこかノスタルジタックな雰囲気を感じるせつない風情のある作品となっています。

松尾芭蕉の俳句②

「閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声」

この作品も大変有名でメジャーな作品と言えるでしょう。  夏の風情を感じさせる、目の前に情景が広がるような作品です。 俳句という限られた文字数の中で、日本の夏を表現した素晴らしい作品です。

こちらの作品は、 現在の山形県山形市立石寺(りっしゃくじ)で詠まれました。

松尾芭蕉の俳句③

 「五月雨(さみだれ)をあつめて早し最上川(もがみがわ)」

梅雨の時期の情景を表現した作品で、 最上川の雨の様子を詠んでいます。

この作品は、現在の山形県北村山郡大石田町で詠まれました。

松尾芭蕉の俳句④

「行春や 鳥啼き魚の 目は泪」

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