いろはにほへと(いろは歌)の意味とは?|作者・覚え方・怖い意味

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いろはにほへと(いろは歌)を作ったのは誰?いつ作られた?


photo by so-oh

「いろはにほへと」を作ったのは弘法大師空海とされていますが、弘法大師はありとあらゆるものの祖である人であり、多くの伝説がそうであるのと同様、いろは歌の作者というのも伝説に過ぎません。

いろは歌が仏教の教えに通じていることと、深い意味を持ちながら仮名が一切重複していない歌を作ることは至難の業であったため、そのようなことができるのは空海だけであろうという人々の思惑かた広まった説だといわれています。

しかし、空海が生きていた時代にこのような歌を作る技術がないことや音の使い方が異なることから空海が作者だという説はないといえます。

仮名をすべて用いて作った歌は他にもありますが、「いろはにほへと」だけが残ったのは、それだけ親しまれていたからでしょう。いろは歌の真の作者については、説得力のある説は一切ありません。

また、いろはにほへと(いろは歌)がいつの時代に作られたのかも解明されていません。いろはにほへと(いろは歌)が「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)」という仏典の注釈書で初めて登場しています。そのことから、10世紀末から11世紀中頃に作られたのではないか、とも考えられています。

とにかくも、いろは歌がその後教育において手本になってきたことは紛れもない事実です。特に江戸時代の寺子屋では、みな「いろはにほへと」で学習をしていました。「あいうえお順」など誰も知らなかったのです。

しかし、戦後になっていろはにほへと(いろは歌)の意味の感覚が時代とずれたことや現代仮名遣いと馴染まなかったり含まれていないことなどから、いろはにほへと(いろは歌)が廃れていき、今のあいうえお順に変化していきました。

いろはにほへと(いろは歌)に込められた怖いメッセージとは?

いろは歌は素材として、昔から遊び心を持って語られてきました。

現在は七五調のいろはにほへと(いろは歌)が一般的ですが、古い文献に7文字ごとに区切って表示されているものもあります。

よく知られているのが、いろはを7文字ごとに区切っていったときの最後の文字をつなげて読むと怖い意味を持つ、というものです。7文字ごとに区切ると以下のようになります。

いろはにほへ

ちりぬるをわ

よたれそつね

らむうゐのお

やまけふこえ

あさきゆめみ

ゑひもせ

「とかなくてしす」つまり、「咎無くて死す」だというものです。これは、無実の罪で殺されるという意味で無実の罪を着せられた人が殺される前に遺した歌で遺恨がこめられていると言われています。

いろは四十七士になぞらえて、江戸時代からよく知られた暗号の一種です。

いろは歌のほうが四十七により先なのでもちろん偶然ですが、こうした遊びからは、これは赤穂浪士でなく古代の歌人柿本人麻呂のことだという説も生まれてきます。

このような遊びに使われるだけ、いろは歌は全ての日本人に沁みついているのです。現代でも、この手の遊びを論じている人が多数います。

いろは歌の謎や暗号については、いくつかの書籍も出ているようです。

 

 

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