きりたんぽ鍋の今と昔を徹底解説。秋田県比内地方の郷土料理

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きりたんぽ鍋の始まりとは

秋田県の北部、比内地方と言われた地域は現在の青森県と接する大館市を流れる米代川の左岸流域一帯の呼び方で、海から遠く山に囲まれた地域です。

比内の農村の人たちは晩秋のころになると、炭焼きなどの山作業の為に界隈の山に入りました。一方、マタギと呼ばれる猟師は山ごもりをして狩猟を営んでいました。 そうした人々が冬場にお焦げの付いた残飯を丸めて味噌を付けて食べたり、鍋に入れたりしたのが、「きりたんぽ」のはじまりではないかと言われています。

比内地鶏ときりたんぽ鍋の今と昔

現代では比内地鶏を用いて鍋とし、あきたこまちできりたんぽを作って、本場きりたんぽ鍋となっています。

しかし、かつては「比内米に比内鶏」をもって本場としていました。というのも、比内鶏は比内地方で古くから飼育されている家禽で、昭和のはじめには天然記念物に指定されるような比内地方の固有の鶏だったのです。

その比内鶏は煮込んでも柔らかく、脂の旨味にコクのある大変美味な鶏なのですが、残念ながら商品としては繁殖力が弱く生産性が低いのです。そこで県の研究所によって品種改良の研究が行なわれました。これによって比内鶏のの良い点を維持しながら生産性も上がった「比内地鶏」というブランドが誕生したのです。

そもそもははじめ鶏鍋に使われていたのは鶏ではなくヤマドリやキジ肉で作られたものだったようですが、郷土の人々の蔭の努力があって、比内地鶏のきりたんぽ鍋として人気を得ることになったわけです。

きりたんぽとは?由来はなに?

「きりたんぽ」自体の由来は、形は昔の槍の稽古のときに槍先に付けたもの、綿を丸めて布でくるんだタンポから来ており、焼いたタンポを鍋に入れる時に食べやすい大きさに切ったので、キリタンポと呼ぶそうです。

 

本来、新米の炊きたてをもちのように搗いて粘りを出し、茶碗2膳分ぐらいをまとめて太めの杉の棒に竹輪のように巻き付け、囲炉裏でなどの炭火のまわりに差し立ててこんがり焼き目をつけて作ります。

狐色に焼き色がついたら熱いうちに棒を抜き取り、冷めてから三つぐらいに切り分けたものが「きりたんぽ」です。 

きりたんぽ鍋は比内米からあきたこまちに

比内米は叩き上がりが柔らかく、新米は餅のように搗くと粘りがしっかり出ます。 形状が作りやすくて焼くとより美味しくなったので、きりたんぽに向いていました。

しかし、コシヒカリを用いた交配種で、いもち病に強くコシヒカリやササニシキのようにもちもちと強い粘りがあって、食味も同様にすぐれていた秋田県の奨励米であるあきたこまちが誕生しました。そうして、あきたこまちが本場きりたんぽ鍋に使うお米として、無くてはならないものとなりました。

「比内地鶏とあきたこまちを用いた本場きりたんぽ鍋」は、こうしたより美味しいお米と地鶏という材料を得て進化した結果、より美味しくなって郷土料理として人気者になったわけです。

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