【異国情緒溢れる染文様】更紗の歴史や日本の更紗を紹介

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色彩鮮やかな更紗

更紗は、人や花、幾何学模様などを様々な色で染めた布のことです。インドからアジア、ヨーロッパなど世界各国へ伝わり、それぞれの地域で独自の発展を遂げていきました。その産地により、ジャワ更紗、ペルシャ更紗、和更紗などと呼ばれています。語源は、インド北西部の港「スラト」がなまったものだともいいます。

他にも、美しい布を意味するインド語の「サラサー」、綿布をあらわすオランダ語「サラサ」、さらにはポルトガルやジャワ島の言葉が元になっているなど、さまざまな説がありますが定まっていません。日本では、「佐良佐」や「紗良紗」と表記されていました。

江戸時代末期になると、現在の「更紗」と記されるようになります。他にも、シャム(現在のタイ)から輸入されていたため、「しゃむろ染」ともいわれていました。

更紗の特徴は、「木綿」に「染模様」を施したものだということです。しかし、和更紗のなかには友禅染のように絹を用いるものもあります。現在では、機械による片面捺染が主流となっています。

インド由来の更紗


出典:Wikimedia Commons

更紗の起源は、じつに3000年以上も前のインドだとされています。ローマ時代にはすでに、地中海まで輸出されていたことも分かっています。寺院やテントの掛け布、あるいは室内装飾などに多く用いられていました。

その文様は、インド神話やヒンドゥー教を題材にしたものが多く、地域によっても大きく異なっています。

このインド更紗が世界各地に伝わったことで、11~12世紀にはジャワ更紗が生まれました。しかし、このころの更紗はあまり残っておらず、現存する最古の更紗はエジプトのカイロ南部のフォスタットから見つかったもので、15世紀以前のものとされています。

やがて、17世紀になるとヨーロッパでも大きな影響が見られます。産業革命で大量生産された木綿には、インドの更紗を模したデザインが多く、「chintz」や「printedcotton」と呼ばれました。

こういった経緯から、現存する更紗の多くは18~19世紀のものに集中しています。

一方、ペルシアやタイ、ビルマなどのアジアでは、地方ごとにさまざまなデザインや技術が発展し、民芸品として伝わっていきました。

日本の更紗の歴史

出典:二葉苑

日本に更紗が輸入されるようになったのは、室町時代に行われていた、明との勘合貿易が始まりだといいます。

金襴や緞子などの高級な染織品と共に、当時の茶人に茶道具の入れ物として愛用されました。この時期の更紗は、「古渡り更紗」といわれ特に貴重なものとされています。

古くは染文様が多かった日本では、平安時代から織模様が主流となっていました。しかし、この更紗の渡来によって再び染文様が活発になります。これが、のちの友禅染の発展にもつながっているのです。

日本の更紗の最も古い記録は、1613年のにイギリス東インド会社の司令官ジョン・セーリスが記した『日本来航記』の贈答品のなかに見られます。

他にも、江戸時代初期にはポルトガルやオランダなどの貿易船が更紗を日本に輸出しました。江戸時代中期になると、それまで貴族や武家のみが扱っていた更紗が、庶民の間でも下着や帯、風呂敷、布団などに用いられるようになります。

それに合わせ、日本各地で江戸更紗や天草更紗、鍋島更紗のように模倣品が作られるようになります。大正時代末期には絹製品にも染められ、戦後になると異国風という意味だけでも用いられるようになりました。

日本の更紗を紹介①

江戸更紗


出典:二葉苑

江戸更紗は、江戸時代末期に広がった更紗です。その大きな特徴は、型染めを使用している点です。1つの模様を複数の型紙に分けて、何度も繰り返し摺り上げていきます。単純な柄なら数十枚、複雑なものになると数百枚以上もの型紙を使います。

このような技術が発達したのは、江戸の町には京友禅のような伝統がなかったからだと考えられています。また、江戸更紗はその独特の色合いも特徴のひとつです。これは、江戸の水がおもに硬水であるため、化学反応が原因で起こる現象です。

しかし、それが転じてかえって日本らしい侘び寂びを感じさせる色合いとなったのです。江戸時代に広まった和更紗は、残念ながらそのほとんどが伝統が途絶えてしまいました。

しかし、江戸更紗だけは今でも、タペストリーやインテリア、アクセサリーなどさまざまな分野に活かされ、世界的にも人気の染織品となっています。

日本の更紗を紹介②

天草更紗

もともと天草には、南蛮船貿易が活発だった安土桃山時代に更紗が伝わっていました。キリシタン弾圧のもと、十字架の文様が染められていたり、追放された西欧人の妻子が手紙を染めたものが、今でも残っています。天草更紗は、オランダや京の染色技術を学んだ金子為作と森伊衛門が、そんな更紗の地で1818年から始めたものです。

しかし、伝統はすぐに絶えてしまい、今では実際にどのような技法が行われていたのかよく分かっていません。その復興のために、中村初義という人物が中村染工場を創業しました。工芸展などへ更紗を出品し、昭和39年には熊本県から重要文化財として指定されます。

しかし、残念ながら昭和40年代半ばになると工場は閉鎖されました。再び、天草更紗の伝統は途絶えてしまいます。その後、2002年には市や文化協会の依頼を受けた染元の中村いすずによって、三たび平成の天草更紗として復活しています。

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