【2年に1度のお祭り】江戸幕府も支援した「山王祭」2018年日程や魅力

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山王祭とは

出典:写真AC

 山王祭は、東京都千代田区の日枝神社で行われるお祭りです。正式名称を「日枝神社大祭」といいます。 江戸時代の頃には、神田祭と並んで「天下祭」ともいわれていました。その神田祭と一年ごとに大祭を交代する形で、現在は毎年西暦偶数年に行われています。

この2つの祭に深川祭を加えると「江戸三大祭」さらに、京都の祇園祭、大阪の天神祭とならんで「日本三大祭」といわれることからも、その規模の大きさがよく分かります。

山王祭は、まさに日本を代表するお祭りといってよいでしょう。 祭りのメインである神幸祭では、神輿や山車とともに、王朝装束に身を包んだ氏子の青年たちが、行列を作って都内を練り歩きます。

他にも、子供たちが稚児の装束に身を包んだ「稚児行列」や、和菓子で福を招く「山王嘉祥まつり」、さらに浴衣で気軽に踊れる「納涼大会」なども山王祭の期間中に開催されます。 

山王祭 2018年の日程・アクセス

山王祭は、西暦偶数年の6月に本祭が行われます。2018年の日程は、6月7~17日となっています。 なかでも、メインとなる神幸祭は8日の午前7時30分~午後4時45分。稚児行列は、9日正午から、1時間置きに3回。山王嘉祥祭は、16日の午後1時から行われます。

日枝神社の最寄り駅は、

地下鉄の千代田線「赤坂駅」出口2から徒歩3分

南北線・銀座線の「溜池山王駅」出口7から徒歩3分

千代田線「国会議事堂前駅」出口5から徒歩5分 銀座線・丸の内線「赤坂見附駅」出口11から徒歩8分

車で行く場合は、首都高速霞ヶ関インターから5分となっています。

山王祭の歴史


出典:写真AC

山王祭は日枝神社の大祭として、毎年旧暦6月15日に行われてきました。 その存在が大きくなったきっかけは、1590年に徳川家康が江戸城に入城して、鎮守とするようになってからです。

さらに1604年、三代将軍の家光が生まれると、徳川将軍家の産土神として信仰を集めるようになりました。 このような経緯から、山王祭も幕府から多大な資金を受けるようになり、御用祭とも呼ばれるようになります。

また、神幸行列は江戸城内に入場を許され、家光の代からは歴代将軍による上覧が恒例となりました。ここにおいて、山王祭は名実ともに「天下祭」 として盛大をきわめるようになったのです。 しかし、あまりに多くの金額がかかることから、1681年には神田明神の神田祭と隔年で行われるようになります。

さらに、江戸時代末期には天保の改革による倹約令の影響で勢いも衰えていき、最終的には江戸幕府の滅亡とともに天下祭としての役割を終えるのでした。 明治時代には、東京市電の架線により山車が廃止となりました。そして昭和にはとうとう、日中戦争の激化により祭り自体が中止となってしまいます。

神社が東京大空襲で焼失したこともあり、中断は14年間も続きました。 しかし、1952年には神幸祭を再開。そのスケールの大きなお祭りは、現在まで受け継がれています。

山王祭の特徴・見どころ


出典:写真AC

山王祭の最大の見所は、何といっても神幸行列です。 派手な神輿や山車とともに、王朝装束に身を包んだ500人が300mもの行列で進んでいく様は圧巻。300年前から同じように繰り広げられてきたその光景には、歴史のロマンを感じてしまいます。

また、山王祭の期間中は行列以外にも、お茶やお華など、江戸時代から伝わる伝統芸能の数々が境内で催されます。 普段、触れることのないような文化に触れるよい機会となるでしょう。

「稚児行列」では、子供の健やかな成長を祈願することもできます。スタジオで記念撮影もできるので、お子様がいらっしゃる方はぜひ参加してみてはいかがでしょうか。

「山王嘉祥祭」は、この日に仁明天皇が疫病退散の祈願に16のお菓子を供え、嘉祥と元号を改めたことがきっかけとなっています。和菓子職人による和菓子作りが目の前で見られるチャンスは、なかなかありません。参拝者には和菓子とお茶が振る舞われるのもうれしいところ。

3日間に渡って行われる「納涼大会」では、多くの地元の人たちが浴衣で参加します。夜店も出るので、縁日気分もしっかり味わえます。

山王祭の山車・神輿

江戸時代の山王祭には、神輿と山車による神幸行列がそれぞれ行われていました。 160以上もある氏子の町々から45番もの山車が引き出され、江戸の町を埋めつくしていたといいます。それぞれ、人形や花、鉾などで飾りつけられ、その華やかな様子は、まさに天下祭と呼ぶのに相応しいものでした。

時代が下ると、その趣向はますます過度なものになっていき、幕府から何度も取り締まられているほどです。 しかし、明治時代になると電線が通るようになったため、高さを誇る山車や錦旗などは使うことができなくなってしまいました。

その頃から、代わりに多く使用されるようになったのが神輿です。 特に、200年から結成された「下町連合渡御」は、12基の神輿が勢揃いするセレモニーなどが見どころの一つとなっています。

現在では、2基の鳳輦と1基の宮神輿、そして美少年山車や東郷元帥山車などが行列を形作っています。 一方、使われなくなった山車は関東大震災や戦災によってその多くが消失してしまいました。

しかし、なかには各地で大切に保管されていたものもあり、「土佐坊」や「神功皇后」、「武内宿禰」などは日枝神社宝物殿で今でも見ることができます。

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