「和敬清寂(わけいせいじゃく)」の意味や使い方|茶を点てる時の心情を表す言葉

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和敬清寂は、私達の生活の中で頻繁に使われる言葉ではないのですが、その言葉の中には深い精神が宿っています。

「彼女の人柄を一言で表現すると、まさに和敬清寂という表現がピッタリだよ。」というような会話で使用します。

和敬清寂の意味


出典:写真AC

和敬清寂という四字熟語はどのような意味を持つのでしょう。この言葉は禅の精神によるもので、一般的に私達の生活で使われる言葉としての意味は和らいだ心で相手に接し、敬う事の心の持ちようであったり、穏やかで慎み深く落ち着いたりする様子を表します。

この言葉は、また別の使われ方をしているものが存在します。お茶を点てるときの心の持ち様はこうあるべき、と説いた言葉です。簡単に言うと、お茶を点てたり飲んだりするときは、双方理解し認め合うことで美味しいお茶が飲めます。

そのような心境に至るには心穏やかで慎ましくなければいけないし、道具や茶室もその心を写して美しく手入れをして身辺も整えなければいけない、といった心得を表しています。

和敬清寂の由来 ・言葉の背景


出典:写真AC

和敬清寂は、どのような由来を持っているのでしょう。

鎌倉時代に禅宗の宗である栄西によって中国からお茶の葉がもたらされました。その後禅宗の思想を反映させてお茶は広まって行くことになるのですが、現在のわび茶の思想を作り出したのは、将軍足利義政公のお茶の先生でもある村田珠光でした。

ある時、義政公が珠光に次のような問答を投げかけます。「茶の湯とは一体何なのか?」とすると珠光は次の様に答えます。

「茶の湯では相手に礼を尽くし、尊敬することである。そのような心境になるには心が穏やかでなければならない。」

この言葉を後の安土桃山時代に現れた千利休が茶の湯の精神を簡潔に表した言葉であるとして、「和敬清寂」を茶の湯の心得として根付かせ、茶道を完成させて行きます。そして現代に至るまでこの言葉が茶道の精神として残り、また私達の生活の中でも息づいているのです。

和敬清寂を使う場面

どんな場面でこの和敬清寂はつかわれているのでしょうか?

「彼は和敬清寂の精神でどんな人とも接する事ができるのだよ。」であったり、「先日お茶を習いに行ったのだけど、先生から茶の湯の心得として、和敬清寂という言葉を聞きましたよ。その意味を聞いてみると、とても深い精神を説いているのだね。」といったように使われます。

日本人なら知っておきたい国語の知識

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