明鏡止水の使い方
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そのため、ほとんどの場合において、この言葉の後に「心」や「心境」などを添えて用います。
例えば、「今回大役を仰せつかったため、明鏡止水の心境で臨むつもりです」などのように、自分の目標や理想として用いることも少なくありません。
他にも、「どんな困難があっても明鏡止水の心で取り組む」や「彼はいつも明鏡止水で仕事に取り組んでいる」などもあります。
また、明鏡止水を鏡や水そのものとして使うこともあります。
例えば、「あの人は誰からも慕われているが、まるで明鏡止水のような人間性なのだから無理もない」といった使い方をするときなどが該当します。
どの四字熟語にも、由来があります。
明鏡止水の類語・対義語とは?
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明鏡止水という言葉は、意味合いの似た四字熟語がいくつかあります。
例えば、「心頭滅却」は心が無の境地になるという意味ですので、邪念がなく穏やかな様子であるともいえます。
また、「虚心坦懐(きょしんたんかい)」は心にわだかまりがない、平静な状態を指していますので、邪念とは若干意味合いは異なるものの、やはり類語と言えます。
一方、対義語としては、邪念や疑いの心などがあり、穏やかではない様子を表す言葉が該当します。例えば、「疑心暗鬼」は疑い深い気持ちでいっぱいの状態を指していますので、明鏡止水の対義語と言えます。
また、仏教の言葉でもある「意馬心猿」は馬が奔走したりサルが騒ぎ立てるのを防ぐことが難しいように、煩悩や妄念などが心に現れ抑えるのが難しいことを指すのでこちらも対義語といえます。
明鏡止水から学ぶ
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明鏡止水という言葉は、気持ちに陰りがないことと、焦りや苛立ちなどがないことを同時に表しています。
この言葉から見えてくるのは、善良さ、正直さと冷静さというものは似て非なるものであり、両方を備えているときに非常に優れた資質であるということです。
優しい人や冷静な人をたたえる言葉はいくつもありますが、明鏡止水はその中でも高い評価をしているときに用いる言葉なのです。
時代が変わっても、この二つの資質を兼ね備えている人に多くの人が集まるという状況はそれほど変わっていません。明鏡止水という言葉からは、ある意味普遍的な、理想的な性質が何かということが学び取れます。