毎年春と秋の時期に、スーパーなどに落雁やおはぎなどが並ぶのを見かけませんか?この時期は「お彼岸」と呼ばれ、先祖の墓参りをする風習があります。「お彼岸」の意味やルーツ、時期、お供え物など、お彼岸のあれこれをまとめて紹介します。
お彼岸とは?時期はいつ?
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お彼岸とは雑節のひとつで、1年を24等分した二十四節気や季節の節目の行事を行う五節句よりも、さらに季節の移り変わりをより的確に把握するために、暦に定められている暦日です。お彼岸の期間は、春は3月の「春分の日」と、秋は9月の「秋分の日」の年2回あり、それぞれ前後3日間、計7日間のことをいいます。
最初の日を「彼岸の入り」、終わりの日を「彼岸明け」といい、春分の日と秋分の日は「中日」といいます。期間は毎年変わりますが、3月と9月の中旬過ぎが目安となります。
また、春のお彼岸の頃は冬が終わり、秋のお彼岸は夏が終わって過ごしやすく、お墓参りがしやすい時期でもあります。
お彼岸の意味・由来
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お彼岸の「彼岸」は仏教用語で、もともと煩悩を脱した悟りの境地のことを指します。仏教では、私たちが暮らしている迷いや煩悩に満ちた「この世」の世界を「此岸(しがん)」といい、修行によって迷いを脱し此岸を渡りきった悟りの境地が彼岸なのです。
このため、お彼岸は極楽浄土に思いを馳せ、悟りの境地に近づくための修行の期間という意味合いもあります。また、お彼岸は仏教が発祥したインドなどではみられない日本独特の行事です。
仏教が伝来した後でも神道にまつわる行事が行われていたため、太陽を神として信仰する神道と「日願」であるお彼岸を結び付けやすかったからだと考えられます。
また農耕民族であった日本人には春の豊作の祈願や秋の収穫の感謝の風習があり、同じ時期のお彼岸も結びつきやすいものだったと思われます。
お彼岸にお参りをする
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仏教において、彼岸は西、此岸は東にあるとされ、春と秋のお彼岸の時期は太陽が真東から昇り真西へ沈みます。このため、あの世とこの世が通じやすくなると考えられて、先祖供養のためにお墓参りをする風習が生まれました。
お彼岸のお墓参りには特別な作法はありませんが、まずご先祖様に感謝を込めて手を合わせお参りし、その後お墓の掃除をし、墓石に打ち水をして、花立てに生花を添え、菓子や果物などを供えてからろうそくと線香を手向けるのが一般的です。
お墓参りはお彼岸の期間中であればいつ行ってもかまいませんが、通常は午前中がよいとされています。
お彼岸に行われる法会・彼岸会について
彼岸会は単に彼岸ともいわれ、春分と秋分の前後1週間に行われる法会のことを指します。聖徳太子の時代に始まったと伝えられ、平安時代初期になると朝廷で行われるようになり、江戸時代には年中行事化されたとされています。
一般の仏教信者はこの期間に、お寺まいりやお墓まいりをするのが習慣となり、日本独特のお彼岸の風習の基本となりました。
お彼岸の食べ物・ぼたもちとおはぎの由来
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お彼岸のお供え物には故人が好きだったものやお酒、果物、お菓子などを供えることがありますが、一般的には「ぼたもち」、あるいは「おはぎ」を供えます。これらを供えるのは、原料であるもち米などの穀物をはじめとした農作物が豊作となるよう、「五穀豊穣」の願いが込められているからです。
また、古来より赤いものには魔よけの力があるとされていて、お祭や祝いの席では赤が好んで用いられました。このため、ぼたもちやおはぎ以外でも、小豆を使った赤飯などは祝い事で欠かせない食べ物なのです。
ところで、このぼたもちとおはぎには基本的に違いはありません。ぼたもちは「牡丹餅」と書き、春に咲く牡丹にちなんでいます。そして、おはぎは「御萩」で、秋に咲く萩の花にちなみます。このため、春のお彼岸に供えるのがぼたもち、秋のお彼岸に供えるのがおはぎと呼ばれます。
地域によってはそれぞれの花の大きさに合わせて、こしあんで大きめにつくるのがぼたもち、粒あんで小さめにつくるのがおはぎという場合もあります。いずれにしても、かつては甘いものが貴重だったため、お供え物として特別だったことに変わりありません。
お彼岸の魅力
いかがでしたか?お彼岸のあれこれをまとめて解説しました。
お彼岸の時期は毎年気候も良く、墓参りついでに散歩やちょっとしたおでかけをするのにもぴったりです。案外、忙しい日常から離れる機会を作り、家族や先祖とのつながりや季節の移り変わりを感じるいいタイミングなのかもしれませんね。
今年のお彼岸は、ぜひこの記事を参考にお墓参りに行ってみてください。